寒さが身に染みる十二月。
荒立った事件もなく、いつも通りの日常を謳歌していた。
和泉は原稿に勤しみ、望月はテニスの自主練習を欠かさない。
なに一つ不満なことなどないはずなのに、和泉の心中は穏やかではなかった。
十一月はなにかと忙しく、凛や竜也の訪問で騒ぎ立てたこともあったが、今は邪魔をするものは誰一人としていない。
少しずつ素直になろうと意気込んでいた矢先、風紀委員と生徒会が忙しくなったのだ。
終業式の前にある水島デルモンテ学園ならではのイベント。
内容は当日のお楽しみ、ということで教えてくれなかったのだが、準備に追われるほど多忙なのだ。
前まではあれほど鬱陶しいと感じていた存在が、恋しく感じるこの頃。
今では二日に一回会って、十分程度会話をするだけだった。
もっと一緒にいたい、そう思ってはいても口に出すことができずに和泉は去り行く吉原の背中を見つめるばかり。
吉原に触られるのも嫌ではない。
訳がわからなくなって、ただ熱いだけの中にある好きだという思い。
羞恥が勝っていつも嫌だと言っているが、嬉しいという思いの方が大きいのだ。
はあ、と小さく溜め息を吐きながら和泉は窓の外を眺めた。
「……蓮? 俺、自主練習行くけどお前どうすんだ?」
「うん、……部屋にいるけど」
「そ。晩飯置いといたから食えよ?」
「……柚斗ってさ、お母さんみたいだよね」
「お前が手かかるからな。俺以外面倒みれねぇだろ」
「そーだけど」
「じゃあ行くわ。ちょっと遅くなるかもしんねーから戸締りはきちんとしろよ〜」
テニスラケットを担いで、望月は玄関に消えていった。
しん、と鳴る暗闇の世界が窓の外に広がっている。
灯りさえ見えない風景だというのに、空には田舎故に輝く星が目に痛い。
和泉の視線がテーブルに移れば、望月が用意してくれた晩ご飯が置いてある。
作り立てなのか上にかけられたラップが白く曇っていた。
落ち込んでいる訳でも、悲しい訳でも、辛い訳でもない。
ただ少し、暖めてくれる手がないから寂しいだけなのだ。
吉原も同じことを思っていてくれたら良いのに、そう思いながら和泉は重い腰をあげた。
「あ、携帯……」
ちかちかと光る携帯。
ここ最近、吉原から届く連絡が急激に増えた。
会えない時間が増えたからその穴埋めだろう。
メールだけではなく着信も増えたのだが、和泉が返答をすることはなかった。
以前までは煩わしいという思いから無視をしていたのだが、今は煩わしくても返答したい思いの方が強いのだ。
だけども決して和泉が返答をすることがないのには、理由があった。
返事を見れば、声を聞けば、会いたいという思いが膨れ上がるのだ。
いつの間にこんなに好きになっていたのだろうか。
気恥ずかしい悩みに悶々としながらも、和泉は携帯を見て唸る。
ご飯を食べなくてはいけない。
だが食欲が湧かない。
吉原は今頃なにを思ってなにをしているのだろうか。
脳内を占める吉原にもやもやしながら、和泉は望月が帰ってくるまで携帯を眺めていたのであった。
「蓮〜? 寝ないのか?」
タオルで頭を拭きながら、望月は爽やかな笑顔で和泉の前に姿を現した。
あの後、帰ってきた望月に晩ご飯を食べさせてもらい、お風呂も入れてもらった。
後は寝るだけなのだが、和泉はリビングから動こうとはしなかった。
時計も十二の針を回り、平日故に早く寝なければ明日に響いてしまう。
わかってはいるものの、和泉はずっと一つのことで悩んでいた。
和泉に優しく笑みを浮かべる望月。
なにかを聞きだそうとしている表情ではないとわかっていつつも、和泉はぽつりと思い悩んでいたことを口にしていた。
「……最近、忙しいじゃん」
「え? 俺?」
「……よっしー」
「ああ、なんか末にイベントあるんだっけ?」
「うん」
「……あー、そ。それで、……寂しいんだ」
「っ、べ、つに、寂しいって訳じゃないけど」
「で?」
「……明日、学校あるじゃん。忙しいし、寝てないんだろーなって、うん」
ぼそぼそと言葉を並べる和泉に、望月は堪らなくなって和泉の頭を撫ぜた。
日に日に和泉が可愛くなっていくのは、親の欲目だけではないはずだ。
望月でさえこんなに愛しいと思うのだから、和泉の相手である吉原は相当のものだろう。
恥ずかしげに望月の手を振り払う和泉の手を優しく握りながら、頬を染めて俯く顔を覗き込んだ。
粗方この後紡ぐであろう言葉は想像できる。
だけど和泉に言わせたくて、望月は促すように首を傾げた。
「ほら」
「……な、なんか柚斗へん」
「そーか? 普通だろ」
「……そう、かな」
「なんか言いたいことあるんじゃねーの? ないなら寝るか?」
「あ、……その、会いに、行こう、かなって」
「吉原先輩に?」
「うん」
「健気なこともあんだな、お前」
「う、うるさいなー!」
「まあ、気をつけて行けよ。俺は寝るから、泊まるにしろ帰ってくるにしろ鍵はもっていけよ? あと、寒いから防寒すること」
和泉の頬を軽く撫ぜ、望月は立ち上がるとコートを取りに部屋へと向かった。
ぽつんとソファに座りながらも、和泉の心臓はどきどきと鳴っている。
珍しく素直に思うことを言えたような気がする。
望月がゆっくりと待っていてくれるから、言うことができたのだろうか。
頼りになって優しい望月はいつでも和泉の味方だ。
望月が聞き出そうと促してくれなければ、きっと和泉は言うことができず布団に入っただろう。
コートやらマフラーやらを和泉に着せる望月を見ながら、和泉は小さく礼を言った。
それから望月に玄関まで送ってもらい、和泉は一人キーンと冷える廊下を歩いていた。
目的である吉原の部屋は建物自体が違うので少し歩かなければならない。
だけど緊張しているので、距離がある方がなにかと便利だ。
吉原に会ったらどう言おうか、そればかり考えている。
肌を刺すような寒さだが、火照った頬を静めるのには丁度良い。
ごわごわと防寒具で膨れた身体を揺らしながら、和泉は吉原の部屋へと向かうのだった。
「……つ、いた」
吉原柳星と書かれたネームプレートが掲げてある扉。
チャイムを押せば良いのだが、和泉の指先は止まったままだ。
あと少しなのだがそのあと少しがなかなか難しい作業でもある。
勢いをつけて指を押せばカチ、という音と部屋の奥に響くチャイムの音。
どうか寝ていませんように、と祈りながら待つこと数秒。
煩わしそうに響く足音と扉を開く音、開いたその隙間から見えるのは少しやつれた吉原の表情。
どきどきと鳴る胸を押さえながら、和泉はちらりと吉原の顔を窺った。
「れ、ん?」
「……め、メールの返事……しにきた、だけだから」
「え?」
「お、おやすみ」
いつだったか同じようなことを言った覚えがある。
顔を見られれば良いと思っていたが、いざ会えば見るだけでは足りない。
だけれど吉原の表情を見れば休ませてやらなければ、とも思う。
きっと休む暇がないほど忙しいのだろう。
そのままくるり、と逆向きになり足早に去ろうとする和泉の手を慌てて吉原は取った。
寒い故か冷えた指先。
頬も真っ赤に染まり、スウェット姿の吉原で耐えられないぐらい寒いのだから、いくら防寒している和泉であろうとも寒いだろう。
びくりと跳ねる小さな身体を己の腕に抱きとめると、指先に唇を寄せた。
「それだけ? 泊まってかねーの?」
「え、あ……で、でも」
「寒いだろ。ほら、中入れ」
有無を言わせないように吉原は和泉の身体を部屋に押し込むと、がちゃりと鍵をかけた。
後ろを扉にして和泉を腕の中に閉じ込める吉原。
遠慮がちに見つめてくる目と合い、吉原はにっこりと微笑んだ。
「寂しかったんだろ」
「……う」
「どうなんだよ、ん?」
「……そ、ういう訳じゃ」
「会いにきたんだろ」
「……うん」
「寂しかった?」
小さく頷いた和泉。
吉原も寂しさを感じていたのだが、時間がなかったのでなかなか会うことができなかった。
触れ合うことはおろか、話すことさえ困難を極める状況。
故に和泉には寂しい思いをさせていたという実感はあったが、どうすることもできずにいた。
だが和泉から会いにきてくれたのだ。
これほど幸せなこともないだろう。
縮こまる和泉の額に柔らかなキスを送ると、寒さで赤く染まった頬に手を当てた。
「よっし……?」
「かわいい、蓮」
「な、なに、急に」
「寒かっただろ。なんか飲むか?」
「……う、ううん。別に良い」
「そ。で、どうすんの?」
「……いても、いーの?」
「ああ。つーか帰らせねぇけどな」
「……うん。……よっ、あ、りゅ、柳星……?」
「っ、あ、な、なんだよ」
「……その、すき、だから。メールは返事するの、嫌いだけど、……見るのは、好きだし、……」
「あ、メールな……」
「……柳星、も、すき」
その台詞に驚いて和泉を見れば、居心地が悪そうに視線を逸らす。
寒さの所為だけではないほど、真っ赤に染まった耳。
不意打ちをつかれたのだ。
きっと和泉に負けないぐらい吉原の耳も真っ赤に染まっていることだろう。
見られたくなくて、だけど募る愛しさに負けてしまいそうだ。
吉原は反応を期待している和泉の手を強く引くと、小さく開いた唇に吸い付いた。
柔らかな感触が吉原を包む。
薄らと目を開けば、ぎゅっと瞳を瞑った和泉の表情が窺い見えた。
なんだか異常に和泉が可愛いのだ。
惚れた欲目なのか、そうじゃないのか、そんなことはどうだって良い。
このまま強引に唇を貪ることも容易いことだったが、吉原は敢えてそれをせずにただただ触れるだけのキスを繰り返した。
ちゅ、と音が鳴る。
少し角度を変えて何度も何度も触れ合う唇。
それだけなのに和泉は息を上げて吉原を無意識に誘うのだから堪らない。
ぎゅっと吉原の肩を握った和泉の仕草が合図になり、吉原はわざと音を立てながら唇を離した。
「……まっか」
「ば、ばか」
「もう寝る? それとも、もちょっといちゃいちゃする?」
「……疲れてないの?」
「蓮の顔見たらそんなの治るって」
「……そういうの、恥ずかしいんだけど」
「嫌じゃないくせに」
和泉の手を握り、吉原は微笑いながらリビングへと足を進めた。
そこは暖房が効いており、薄着でも快適に過ごせることができる環境だ。
暑いだろうとコートやマフラーを脱がせてくれる吉原をぼんやりと見ながら、和泉はそっと自分の胸を見つめた。
吉原に会うまではもやもやとした感情が胸を占めていた。
寂しい、と感じていたはずなのにこうやって顔を見ればそれが嘘のように治まるのだ。
ただ愛しいと強く訴える胸を見ながら、和泉は甲斐甲斐しく和泉の世話をする吉原から視線を外した。
忘れていたが先ほど好きだと言ったのだ。
今更になって襲ってくる羞恥に暴れだしたくなる身体を抑えながら、和泉はソファへと腰をおろした。
「あ、蓮、言い忘れてたけどよ」
「……なに?」
「オレも好きだからな」
「な、っ」
にこにこと上機嫌の吉原。
コートをクローゼットにかけてから、和泉の隣へと腰をかけた。
和泉が身構える暇もなく、吉原は和泉を抱きしめるとそのまま体重をかけ押し倒した。
久しぶりだから少し触れ合うのだろうか。
そう思った途端に緊張が増し、身体が固まる和泉を見て吉原は小さく笑うとそのまま和泉の頬へと唇を寄せた。
いつまで経っても慣れそうにない和泉。
そういうところが吉原にとっては物凄く可愛いところなのだ。
可愛いなりをしていても、和泉とて立派な男だ。
あまりそういう言葉ばかり吐いていては、和泉が不機嫌になってしまうのも既に学習済みだ。
吉原はその言葉を飲み込んで、ただ和泉を抱きしめる腕に力を込めた。
「……よっしー?」
「今日は、なんもしねぇよ」
「……そ、そう」
「期待してた?」
「し、してないし!」
「ハハ、冗談だって。……なー蓮」
「な、なに」
「……また、たまにで良いからさ、……会いにこいよ。すっげー嬉しかったから」
「……うん」
おずおずと伸ばされる腕。
吉原の背中に回すと、和泉はゆっくりと目を閉じた。
明日になればまた忙しい日々が巡って、吉原と会えない時間が増えるのだろう。
だけど今だけはずっと一緒にいられるのだ。
この時間が永遠になれば良いのに、と思いながら和泉は吉原の身体を強く抱きしめたのであった。