最近は吉原のことばかり考えていた和泉だった故に、大切なことを忘れていた。
寒さが厳しい冬。
例え寮であろうとも、もうすぐやってくるクリスマスやイベントに浮かれている生徒がたくさんいる。
和泉もそれに浮かれており、望月も例外なく浮かれていたのだ。
だからすっかり忘れていた、期末テストの存在を。
元々頭の良かった和泉は勉強をしなくとも既に身についているのか、然程テストへの影響はでなかった。
今回も堂々の一位を獲得し、僅差で負けた相澤と盛り上がって会話をしたのだ。
だが、忘れてはいけない。
望月は勉強が大の苦手なのである。
普段なら和泉にしごかれてなんとか赤点は免れていたものの、今回は勉強をしなかったのがたたったのか、三教科も赤点をとってしまったのである。
あはは、とから笑いを零す望月に和泉は溜め息。
追試決定の瞬間でもある。
それに赤点をとってしまったのは望月だけではない。
吉原もだった。
吉原も頭が良くない。
寧ろ悪い。
一学期のときは和泉との約束で頑張って勉強したものの、今回はただでさえイベント準備で忙しかったのだ。
勉強などしているはずがなかった。
テスト結果が張り出される廊下。
群がる人の中に紛れながら、和泉は何度見ても変わらないテスト結果をじいっと見る。
吉原の総合得点。
少なく見積もっても赤点は四教科もある。
望月だけでなく、吉原までが追試だろう。
思わず吉原のところに行きそうになった和泉だが、冷静に考えて理由が理由なので、行くのを取りやめることにした。
結果を見たまま動こうとはしない和泉に、望月は焦れて声をかける。
「……な、なんかごめんな?」
「良いけど。わかってんの? 追試」
「お、おう。……ちょーっとだけ、だろ?」
「はあ……三教科もあれば終業式まで毎日追試だよ? もうそんな時間もないし」
「まじでっ! ありえないし! じゃあテニスできなくなんの!?」
「当たり前だろ! ああもう、……馬鹿」
十二月も中旬に入った今。
どう考えても追試する時間は少ない。
夏休みなどの休みであれば休み中に追試があるのだろうが、今回の休みは冬休みだ。
教師なども流石に年末年始は休みをとりたいのだろう。
テストの横に張り出された追試を受けるものの名前の隅に、追試期間が書かれてあった。
明日から終業式の前日までびっしりと詰めて追試をするらしい。
期間は短いが、ハードスケジュールだ。
和泉はぎゃあぎゃあと騒ぐ望月を横目に、がっくりと肩を落とした。
イベント準備期間でなにかと忙しかった吉原だったが、ついこの間やっと準備も終わり、通常通り会うことができていた。
しかし追試となればまた会う時間が減ってしまうのだろう。
それに望月まで追試なのだ。
どちらかというと望月の方が心配なので、勉強を教えなければならない。
たかが少しの時間といえども、会えなくなるのは寂しいものがある。
なんだかんだ言って、徐々に吉原の甘さに絆されている今の和泉には、少し心が寒くなるものだった。
それからの和泉は多忙を極めていた。
イベントを間近に控え、終業式ももうすぐとなった。
授業はかなり減ってきている。
午前だけの授業なのだ。
それを終えた和泉はお昼休憩を取り、原稿など趣味の時間を堪能する。
その間に望月や吉原は追試を受けるのだ。
望月が追試を終え、帰ってくるのは夕方。
晩ご飯を望月に作ってもらい、一緒に食べてから少しだけ望月の勉強会が始まる。
あまりに長く勉強をすると望月が逃げ出してしまうので、少なめだ。
ただでさえ追試で疲れているのであろう望月は、この少しの勉強会もやりたがらなかったが。
そこから望月はストレス解消のため、テニスの自主練習にでかけてしまう。
その時間を利用して、和泉は吉原に会いに行くのだ。
もちろん恋人同士の甘い時間を過ごすためではない。
勉強のためだ。
この追試、教師もしんどいのであろう。
赤点を取った科目のテストを何度かして、良い点を連続してとれば追試を終えたことになるのだ。
つまりは自習をすればするほど、追試を早く終えるということなのだ。
その仕組みを知った和泉は、望月や吉原に勉強を教えることにしたのだった。
頭が悪い二人といえども要領さえ掴めば飲み込みは早い。
何度も何度も繰り返し勉強をすることで確実に理解していっている。
和泉は根気良く毎日二人に勉強を教え、少しでも早く追試が終わるようにと努力をしていたのだった。
残り一つとなった追試。
吉原はバキバキになった肩を回すと、一息入れた。
ソファに座っているのは今にも寝そうになっている和泉。
勉強を教えるのが疲れたのだろう、あまり寝ていないようだ。
自分の所為だとわかっていても、こんな風になるまで教えてくれる姿を見れば、勉強するのにも身が入る。
学年が違う和泉だったが、吉原の学年の勉強もある程度理解しているので吉原にとって大きな助けとなっている。
お陰で誰よりも早く追試が終われそうだ。
吉原は寝室から毛布を取ってくると、和泉の身体へとそっとかけてやった。
小さな動作だったが、それに気がついた和泉はしょんぼりとさせた目を開き、何度か瞬きをするとゆっくり吉原の方へ視線を向けた。
「……起こした?」
「う、ん……寝てない……」
「眠いんだろ? もう寝ろ」
「やだ。……寝ない」
こてん、と吉原の肩に頭を置く和泉。
今にも眠ってしまいそうだ。
ごしごしと目を拭うと甘えるように吉原へと寄りかかる。
そんな和泉の態度に気を良くしていた吉原は、自分より幾分か小さな身体を腕の中に収めると髪の毛に顔を埋めた。
ふんわりと香るのは和泉の匂い。
それに安堵を覚えるようになったのはいつ頃からだろうか。
ふんふん、と何度も鼻を鳴らす吉原に気がついた和泉はゆったりと顔をあげると、怪訝そうな表情を浮かべた。
「なに……」
「別に。良い匂いだなって」
「……なんか、変態くさいんだけど。その言い方」
「えー? そうか? つか、目ぇ覚めた?」
「……ちょっと、眠いけど、うん。……勉強は?」
「終わり。あと一教科だし、そんな時間かからねえだろ。望月の追試は終わったのか?」
「うん、終わったって言ってた。多分ね、テニスしたがってたから、終わらせたんだと思う」
「そ。じゃあ俺も早く終わらそ」
ぬくぬくとした温かさに包まれて、和泉はほっと息を吐いた。
吉原にすっぽりと抱きしめられた身体は身動きがとれないほどだ。
だが、これを解こうとは思わない。
時間的にいえばそろそろ部屋に帰らなくてはいけないのだが、あまり帰る気も起きない。
こういったことは珍しくないので、同室の望月も近頃はメールをしてくることがなくなった。
今日は泊まろうか、帰ろうか。
迷っている和泉に気がついたのか、吉原は頬を持つと顔を自分の方へと向けた。
さきほどからちらちらと時計を窺っていた和泉。
時間も考えれば帰ろうとしているのがありありとわかった。
だが帰らせる気はない。
ただでさえ最近の和泉は疲れているのだ。
吉原の部屋と自室を往復するだけでもしんどいのだろう。
明日も授業があるがこの部屋から通えば良い。
そういった意味も込めて、吉原は再度和泉を抱く腕に力を込めた。
「……寝る? あ、帰るってのは聞かねえから」
「……寝る」
「明日な、上手くいけば追試終わるから、明日も泊まってけよ」
「え、でも、……柚斗と一緒にいる」
「じゃあこねえの?」
「……じゃあ、ちょっとだけ、くる」
大分眠さがピークに達しているのであろう。
和泉は回りきらない舌でなんとか返事をした。
その様子を見た吉原は苦笑いを零すと、和泉を抱き上げた。
大人しく抱かれている様子から、半分は夢の中のようだ。
大人しい和泉は珍しい。
本来なら十分にこの和泉を堪能したいのだが、休ませてあげることも大事だ。
吉原はゆっくりと寝室に入ると、ベッドに和泉を寝かせた。
「よっし、は……? 寝ない……?」
「寝る、けど」
「いっしょに、寝よ……」
くいくいと服の袖を引っ張られる。
甘えた様子の和泉に、思わずでれっと頬が緩んでしまう吉原だったが、きりっと顔を引き締めた。
ずっと和泉に手渡したいものがあったのだ。
ついつい忘れてしまいがちな性格のため、覚えている今に行動しなければ次はいつ手渡せるのかわかったものじゃない。
吉原は和泉の頭を軽く撫ぜると、少しだけ待ってろと言い、ものを取りに行った。
暖房が効いているリビングとは違い、寝室は暖房が効いていない。
吉原曰く寝るときの暖房は身体に良くないのだそうだ。
和泉はぶるりと震えた身体を誤魔化そうと、毛布に包まった。
直ぐに戻ってくると言った吉原だったが、その直ぐが長く感じられる。
時計の音だけが響く寝室で、和泉はぎゅっと毛布にしがみついた。
随分と吉原と一緒にいることに慣れてきた。
今や側にいないことに違和感を覚えるほどだ。
キィ、と音を立てて戻ってきた吉原。
それに安堵の息を吐くと、和泉は吉原の方へと向き直った。
「……よっし、なに、それ」
「カードキーだけど」
「……どこの?」
「この部屋の、スペア」
「……え?」
「いや、だからやる。これからはこれで入ってこいよ。別に外で待ってなくて、良いし。……中で待ってろ、な?」
特注で作らせたのだろうか、普通なら銀色をしているそれは蛍光ピンクになっていた。
少し恥ずかしそうに和泉に渡す吉原。
おずおずといった手付きで和泉はカードキーを受け取ると、物珍しそうにそれをじっと見つめた。
この部屋に入るために必要なそれを、和泉に手渡した。
つまり和泉は吉原の許可なくこの部屋に入れるということだ。
和泉は先ほどまで感じていた眠気がどこかへと吹っ飛び、急激に目が覚めた。
かっと頬に集まる熱。
今が夜で良かったと思う。
真っ赤になったであろう頬も、この暗闇では吉原にばれることがない。
和泉は小さくお礼をいうと、カードキーを大事そうに握った。
「なくすなよ」
「な、なくさないよ!」
「この部屋に入れんのお前だけなんだからな。光栄に思えよ」
「わかってる、って。うん、へへ」
「……あーもう、可愛いな」
カードキーを握ったまま離そうとしない和泉に、吉原は胸がきゅんと鳴ると和泉を思い切り抱き込んだ。
今日はこのまま寝てしまおう。
幾ら室内の温度が低くとも、二人くっついて寝れば温かい。
それから二人は取り留めのない会話を少しだけすると、寝ることにした。
明日で追試が終わるであろう吉原。
それさえ終われば、またいつものように何事もない日々がくるのだろう。
和泉にとってはその何事もない日々こそが、宝物のような存在だ。
手に握られたままのカードキーも、新に加わった宝物。
吉原に出会って、恋をする気持ちを覚えた。
喜怒哀楽も増えたように思う。
これからもこうやって、同じような繰り返しをして、吉原と過ごすのだろう。
和泉は愛しいものの腕の中で、そんなことをぼんやりと思いながら、意識を手放したのである。
がやがやと煩い教室。
和泉と望月は帰る用意をしていた。
期末テストも終わり、追試期間もほぼ終えた昨今、イベントまではなにもすることがない。
授業があるといえど午前だけなのでないにも等しいと和泉は思っている。
吉原も暇を持て余しており、風紀委員室で溜まったり夜は和泉と会ったり、恋人の二人にとってはなにも障害がなく、平穏な日々を過ごしていた。
望月はというと、追試が終わったやいなやテニスにのめり込むようになっていた。
元々テニスにのめり込んでいたので、代わりのない日々といえよう。
いつもより随分と軽い鞄を手に持ち、望月は和泉に近寄った。
ここ最近の和泉はとても機嫌が良い。
吉原と会えるからだろう。
それは望月にも直ぐわかった。
だが、少し様子が可笑しいのだ。
調子が悪いのだろうか、少し辛そうにも見える。
今だって小さなくしゃみを何度かすると、ふるふると身体を震わせている。
望月は和泉の鞄を手に持つと、きょろ、と見上げてくる瞳を覗き込んだ。
「お前、風邪引いたんじゃねえの?」
「え? うそ?」
「嘘って、自分のことだろーが……大丈夫かよ」
「わかんない……。熱ある?」
「んーどうだろ」
こつん、と額と額を合わせる和泉と望月に、教室の皆は小さな悲鳴をあげた。
この二人が恋仲ではないと誰もが知っているが、たまに恋人のような動作を平然としてのけるのだ。
今だって現にこうやって甘い雰囲気を漂わせている。
見ているものが赤面してしまうほどだ。
その視線に気付くことのない二人は平然とした様子のまま、額をくっつけ合っている。
難しそうな表情を浮かべる望月に、不安そうな表情の和泉。
望月は少しだけ悩むと、口を開いた。
「熱っぽい」
「え……」
「最近無理してたからじゃね? って俺も迷惑かけてたんだけどさ」
「……どーしよ。イベント、もうすぐ、じゃん」
「それまでに治るか……いや、本格的に引いたら治らないんじゃねーかな」
「えー! 困る!」
「だから安静にしとけ。今日から外出禁止!」
「……まじで?」
「おー。俺が看病してやるって、安心しろ!」
「柚斗にうつっちゃったりしない?」
「多分大丈夫だろ」
額を離した望月は、落ち込んでいる和泉の肩を軽く叩くと歩くように促した。
和泉が落ち込んでいる理由はたくさんあるのだが、一番の理由はイベントに参加できなくなるかもということだろう。
こっそりと聞いた話によるとイベントでは仮装をするらしいのだ。
コスプレ好きの和泉にとっては外せないイベントなのだ。
それに吉原が携わっているから、なるべく参加したいとも言っていた。
イベントまで一週間を切った。
風邪が治るのかどうかはわからないが安静にしておいたら大丈夫だろう。
望月はなるべく和泉を励ますように、安心できる台詞をべらべらと喋り並べた。
しかし病は気からという言葉もあるぐらいだ。
言ったことが失敗にならなければ良いけれど。
望月はふらふらと覚束ない足取りで歩く和泉をしっかりと抱えると、自室へと帰っていく。
望月に抱えられながらも、和泉の中では不安でいっぱいだった。
吉原や望月に風邪をうつしてしまわないか、という心配もあるのだが、イベントに参加できなくなるのが一番の不安であった。
ぐるぐると頭の中を支配していく不安と焦り。
熱っぽいと言われたときに、そういえば調子が悪かったと思い返した。
どうしてこうなるまで気付けなかったのだろうか。
あと一週間もない時間で、きちんと治せるのだろうか。
思わず望月にぎゅっと抱きついた和泉。
その不安を感じ取ったのか、望月は優しく笑った。
「大丈夫だって。心配すんな、な?」
望月に言われれば、そうかもしれない、という思いも芽生えてくる。
いつだって安心できた望月の言葉だ。
それに嘘はないだろう。
不安は払拭されないが、安静にしてれば大事には至らない、はずだ。
イベントまで一週間もない。
和泉の地味な戦いが始まったのである。