イベントを終えた水島デルモンテ学園はすっかり冬休みモードであった。
授業もなくなり、テストもない。
そうなれば後を残すのは終業式だけ。
生徒会や風紀委員は何度も経験している所為か、事務処理などもスムーズに終え、終業式の準備を整えた。
寒さ凍える真冬の日。
クリスマスまであと少し、という微妙な日に、水島デルモンテ学園の終業式は行われた。
いつも通り生徒会や風紀委員のメンバーがステージに立てば、黄色いとはほど遠い野太い男の声援。
しかしきゃあきゃあと騒がれて一番喜ぶ風紀委員長の姿はそこにはない。
そう、吉原はちゃっかりと和泉の風邪をもらい、自室でうんうんと唸っていたのであった。
イベントの夜、吉原と和泉は抱き合って眠りについた。
それがいけなかったのかどうかは定かではないが、翌日吉原は風邪を引いたのである。
もちろん和泉の風邪も完治などしていない。
二人は望月にSOSを送ると、大きめのベッドで病原菌と戦っていた。
シャッ、とカーテンを開く音が聞こえる。
重い動作で吉原は目を開くと、そこにはいくばくか機嫌の悪い水島の姿が見えた。
どうして水島がここにいるのだろうか。
その疑問は吉原が聞くまでもなく、水島が教えてくれた。
「……はや、て?」
「柳星、気付いたか。随分寝ていたようだな」
「……式は」
「無事に終わったよ。今日から冬休みだな。……ああ、どうして俺がここにいるか、気になるのか?」
「そりゃ、な」
風邪の所為か、酷く喉が痛い。
喋るのも億劫だ。
吉原はベッドサイドに置いてあったミネラルウォーターを口にすると、息を吐く。
いつもは寒いはずの部屋も、風邪の所為か寒さを感じない。
水島は窓の近くにある椅子に腰をかけると、眼鏡をくいっと持ち上げた。
「……和泉君にだな、呼び出されたんだ。看病をしてやれと」
「蓮が? ……そういや、蓮は? 昨日までいたはずなんだけど」
「ああ、……あそこにいるだろう」
水島が指をさした場所は少し開きかけた寝室の扉。
その隙間から瞳をらんらんと輝かせてこちらの様子を伺う和泉の姿が見られた。
ご丁重に額には冷えピタシートが貼ってある。
吉原に風邪を移したお陰もあるのか、和泉の症状は随分と楽になっていた。
安静に二、三日寝ておけば直ぐに治るであろう。
だが、うつされた吉原は立つのも億劫になるほどだ。
これではクリスマスまで治るかどうかも怪しい。
どうしてこうタイミングが悪いのだろうか。
半分は自業自得なのだが、吉原はやるせなくなってがくりと肩を落とした。
そんな吉原の様子を見ていた水島は、仕様がないと笑い潔く看病をすることにした。
別に看病をするのが嫌な訳ではないのだ。
ただ、和泉に言われてするのだけが気がかりなだけで。
これは罠だとわかってはいるのだが、親友が弱っているのに放置しておけるはずもない。
実際問題、吉原は風邪を引いている。
和泉も風邪を引いている。
望月は和泉の看病があるし、風紀委員は風紀委員の仕事がある。
そうなれば誰も吉原の看病をする相手がいないのだ。
生徒会の方は水島一人が抜けたところで、然程問題はないだろう。
水島はそう自分に言い聞かせると、吉原の額に貼られている温くなった冷えピタシートを取る。
新しい冷えピタシートのフィルムとペリリ、と剥がすと額に貼り付けてやった。
後ろの方で黄色い声をあげてはしゃいでいる和泉はこの際無視しておくことにしよう。
「なんか、わりぃな……迷惑かけて」
「しおらしいお前は気持ち悪いからやめろ」
「……風邪ってよ、人恋しくなるじゃん。ちょっとぐらい良いだろーが」
「そういう誤解を招く言葉は、今だけは慎め馬鹿」
「あ? 馬鹿ってなんだよ、馬鹿って」
「……取り敢えず、お前の恋人が喜ぶから、大人しくしてろ」
突っかかってくる吉原をベッドに押すと、水島は立ち上がった。
看病を任されたのだ、どうせなら全てをやりきろう。
そのまま立ち上がると、簡単な食事を用意することにした。
風邪を治すには薬だ。
薬は食事をとらなければ飲めない。
水島は扉の近くまで行くと、一度溜め息を吐いてから開いた。
そこにはうきうきとした表情の和泉と、ソファでテニスラケットを磨いている望月の姿が見えた。
なんだかんだいって和泉も望月もマイペースだ。
お似合いの二人だな。
キッチンに入る水島に、後ろをちょこちょこと歩く和泉。
身長が伸びたと自慢していたが、あまり伸びたとは言いがたい。
自分より幾分か低い和泉を見下ろすと、水島は和泉の額にデコピンをかました。
「いったーい! なにすんの!」
「あのな、流星は風邪を引いているんだ。邪まな考えはやめろ」
「だって最近萌えが少なかったんだよ!? やっぱよっしーとかいちょーが一番萌えるんだもん!」
「……黒川んときは嫉妬をするのに、俺なら萌えるのか?」
「うん! 萌える! 胸がね、きゅーってなるの。さっき見つめあってたでしょ? もうね、胸がどきどきしてやばかった。そのまま唇が重なったら……って馬鹿! もう! 早くやっちゃいなよ! 男でしょ!?」
「……そうだな。……もうなにも言わないでおこう」
なにを言っても通じない会話には慣れている。
ごちゃごちゃと煩い和泉の言葉を聞き流しながら、水島はお粥を作ることにした。
料理ができない水島でもお粥ぐらいは作れるはずだ。
冷蔵庫を開けば、そこにはなにもなかった。
思わず閉めて、もう一度開くが、やはりそこにはなにもなかったのである。
一瞬、沈黙をした水島だったが、それに気づいた望月は顔を上げるとにこやかに笑みを浮かべた。
「あ、水島先輩、お粥なら俺が作りましたよ。キッチンの方に置いてると思うんですけど」
「……ん? ああ、ほんとだ。すまないな」
「いや一人前も二人前も同じなんで。それに……ね、はい」
苦笑をして和泉をちらりと窺う望月。
それで全てを悟った水島はぎくりと強張った。
和泉と少しだけだが時間を共有して、知らないことを知るようになった。
樋口と澤田は和泉の本を買って読んでいる。
その二人とは同じ生徒会で時間を共にすることが多い。
それはどういうことか、つまり水島は樋口や澤田を通じて和泉の描いている本の内容を知ることを意味していた。
それだけではない。
和泉に直接話を聞くことも多い。
BLの王道がなになのか、どんな設定が流行っているのか、知りたくない情報だったが、それぐらいなら水島でも知っているのだ。
目の前にあるのはお粥とレンゲ。
食べさす相手は風邪を引いている。
和泉の顔はきらきらと輝きなにかを期待している。
これはきっと、あーんをして食べさせろということなのだ。
どうしようか、水島の脳内をハイスピードで駆け回る情報。
いかにこの難問な脱出方法を解くのかが鍵なのだ。
だが、残念なことに水島の逃げ道など最初からないのだ。
和泉の顔が水島のタイプドストライクな時点で、水島の負けは決まっている。
思わずかたかたと震える手。
暢気に望月はテニスラケットをまた磨きだしたし、和泉はご丁重にお粥をレンジで温めてくれた。
さあ、試練はそこまでやってきている。
水島はぐっと腹を括ると、お盆にお粥とレンゲを乗せた。
水島が出した苦肉の策。
それは吉原自身が自分で食べてくれるという小さな希望だったのであった。
キィ、と音を立てて開いた扉。
どくどくと煩い心臓。
後ろについてきた和泉。
水島はベッドサイドにお盆を置くと、椅子を移動して吉原の近くに座った。
「……飯、だ。薬飲まないと、治らないからな」
「ああ、さんきゅ。なんかやっぱよ、今日のお前気持ちわりーな」
「……仕方なく、だ」
「ふうん? あ、水飲んだらちょっとは喋んの楽になったんだよ」
屈折のない顔で笑う吉原。
自分は追い詰められているというのに暢気な奴だ。
吉原はそのまま喋り始めた。
お粥に手を伸ばす気配はない。
水島は覚悟を決めると、お粥をレンゲですくい吉原の口に寄せた。
流石にそれに難色を示した吉原は訝しげな表情をすると、水島を見る。
そりゃあそうだろう。
自分自身も逆にやられたら絶対なにかの罠だと思う。
だがこれは罠ではなく、和泉の希望なのだ。
水島はなにも言いはせず、ただレンゲを差し出した。
「……なに? 本格的にきもいぞ」
「良いから。一口だけで、……というより察せ」
「……蓮?」
吉原は水島の側にいる和泉に視線を移した。
そこには見たこともないほど頬を紅潮させて、息が荒くなっている和泉がいた。
それを見て全ての水島の行動に合点がいった吉原は、ああ、と言葉を漏らした。
自分の恋人が自分と水島の絡みが好きだということは熟知している。
本来なら避けても良いのだが、恋人が喜ぶことはなるべくしてやりたい。
それに可愛らしいものだ、この程度は。
しまいにはカメラまで用意しだす和泉に、吉原は頬を引き攣らせると、観念した。
一口だけ食べてしまえばそれで良いだろう。
後は和泉に食べさせてもらえば良い。
和泉の願いを聞くのだから、吉原の願いも聞いてもらおう。
口を開く吉原に、唖然とした表情の水島。
和泉はとうとう立ち上がった。
「……あー」
「柳星……!?」
「おら、早くしろって……」
「い、いれるぞ」
「おう」
慎重に吉原の口腔に入っていくお粥。
吉原の口が閉じ、お粥の味がじんわりと口の中に広がる。
美味しい。
そのときパシャリというカメラのシャッターが聞こえ、視線を移せば床で悶えている和泉の姿が見えた。
どうして惚れたのか少しわからなくなった吉原だったが、こういったところも踏まえて好きになったのだ。
もうどうしようもない。
なにかをなくしたような表情をしている水島に目配せすると、吉原は和泉を呼んだ。
イベントの夜に約束とは言いがたいが、小さな口約束をしたのだ。
風邪が移れば看病しろ、と。
確かに和泉も風邪だから看病という看病はさせられないが、ご飯ぐらいなら食べさせてもらいたい。
いつもよりにこにことした笑みで近付く和泉。
水島は立ち上がると、ふらふらと寝室を出て行った。
「あれ? かいちょーは?」
「颯の時間は終わり。つーか、オレの恋人は誰?」
「かい……っひはい! はひふんの!」
迷うことなく水島の名を紡ごうとした和泉の頬をむに、っと掴んだ。
程よく伸縮があるそこは触っていて気持ちが良い。
左右に揺らすと、涙目の和泉が睨んできた。
「オレの恋人は蓮だろーが。つー訳でほら、食べさせろ。オレに食べさせることができんの、お前だけだろ?」
「……だって、萌えるんだもん」
「ぶりっ子しても駄目。看病するっつっただろ」
「はーい……」
些か渋々といった様子ではあったが素直にしてくれるらしい。
和泉は先ほど水島がしたようにすると、吉原の口の中にお粥を入れた。
冷ましていないそれは凶器のようだ。
吉原の舌を容赦なく攻撃する。
熱い。
非常に熱い。
飲み込もうにも熱すぎて飲み込めず、思わず身体を揺らすが和泉はそんな吉原を見てにこにこと微笑むだけ。
気付いていないようだ。
なんとか飲み込むことに成功した吉原は、和泉をキッと睨むと文句を言おうとした。
けれど濁りのない和泉の笑顔。
言いかけた文句はどこへやら、しおしおと枯れていく。
本当に和泉には弱い。
そう改めて吉原は実感すると、肩を揺らした。
「……ちょっと熱いから、冷ましてから食わせてくれよ」
「あれ? よっしー猫舌?」
「ん、まあ……」
「火傷した? 大丈夫? ごめん、気付かなかった」
「……治してくれんの?」
「え?」
「ほら、じゃあ治せよ」
正直いうと風邪の所為で酷く身体が重い。
しんどいし、食欲もあまりない。
吉原はそれだけど、和泉に構いたくて仕方がないのだ。
いやに重い腕で和泉を抱き寄せると、顔を近づけた。
その意味を理解した和泉は茹蛸のように赤くなる。
きゅ、っと結ばれた唇。
吉原はそこに舌を這わせると、そっと入り口を舐めた。
ぴくり、と瞼が揺れる。
ゆるゆると刺激を与えるように唇を舐めると、観念したのか薄くそこが開かれた。
その隙を狙い、吉原は和泉の口内へと舌を進入させた。
お互い風邪を引いているのだ。
今の状態ならいくら濃いキスをしようとも、べたべたしようとも、新たな病原菌はいない。
ねっとりと絡みつくように和泉とキスを堪能することに決めた吉原は、和泉が逃げ出さないように抱き込むと和泉の口内を味わう。
熱をもっている吉原の舌が和泉の舌と触れ合った。
ひく、と逃げようとする和泉の舌だが、狭い口腔で逃げ場などない。
それを良いことに吉原は強引に和泉の舌を舌先で突くと、焦らすようにゆったりと動かした。
静かな部屋にちゅくり、とした音が響く。
隣の部屋では水島と望月が言葉を交わしているのが聞こえた。
あまりに対照的すぎる部屋の温度に、和泉は気恥ずかしくなると頼りなさげに吉原の肩に手を置く。
しかしそれが仇となったのか、激しさを増した吉原のキスに、和泉はとうとう根をあげたのだった。
「……ごめんって、な?」
吉原はずきずきと痛む頭を押さえながら、和泉に謝罪の言葉を紡いだ。
先ほど調子に乗って十分程度のキスをした。
どろどろに溶けそうな表情の和泉が可愛くて、止まらなかったのである。
口を離せば吉原の唾液でてらてらと濡れた唇に、涙の浮かぶ瞳。
風邪の所為なのか頬まで赤い。
そんな和泉に欲情したのである。
吉原の中の悪魔が囁いた。
少しくらい良いんじゃねーか? と。
そこからが悪かったのだと思う。
嫌がる和泉に興奮を覚えた吉原は、和泉の身体を触ったり舐めたりして、絶頂へと連れていったのであった。
気付けば吉原の掌には和泉が出した白濁。
和泉は少し泣いていた。
後悔しても、遅かったのであった。
「蓮? ほんと、ごめんって……つい、可愛くて、……止まんなかったっつーか」
「煩い! 馬鹿!」
「……ごめん。な? 蓮?」
そっと和泉を優しく抱きこむも、強い力で反抗されてしまう。
吉原は粘り強く謝罪をするが、和泉は頑として聞き入れない。
しまいには離さないことに切れた和泉。
普段なら和泉の抵抗など押さえつけられる吉原でも、風邪の所為でうまく力が入らない。
そのまま腕の中から抜け出した和泉は吉原をきつく睨むと、言葉を放った。
「もう知らない! ご飯も一人で食べてね! 薬あるから、勝手に飲んで!」
「え……」
「今日から自分の部屋で療養するのでよろしく!」
「ちょ、ちょっと待てって……悪かったから、な? 今日も一緒に寝ようぜ」
「ハ! 勝手に一人で寝てください!」
どすどす、という足音をさせて扉へと歩いていった和泉は乱暴に扉を閉めると部屋を出て行った。
ぽつり、と一人部屋に残された吉原。
サイドテーブルに置かれてあるお粥が寂しく主張をしている。
ああ見えて和泉は意外と頑固である。
自分の言った言葉を撤回することなどまずないだろう。
吉原は自分の犯してしまった失態に後悔するも遅すぎた。
和泉は部屋を出て行ったのである。
今すぐ追いかけて、腕の中にしまいこんで、謝って、どろどろに甘やかしてしまいたい。
しかし風邪の所為でベッドから動けない。
風邪のときほど人肌が恋しくなるというのに、和泉はもうここにはいないのである。
頭を抱えて項垂れた吉原。
きっと許してくれるのだろうが、今日は一人で寝なくてはいけないのだろう。
「……あー……最悪……」
ぐわんぐわん、と今更になって頭が回る。
激しく動いた所為なのか、悪化してみえた風邪。
吉原は最後の力を振り絞ると、一人寂しくお粥を食すのだった。
和泉に看病をしてもらうという甘い夢は脆くも崩れ去り、消えていった。
元々頑丈だったからか、吉原の風邪は次の日には治っていたが、和泉の機嫌は治ってはいなかったのであった。