理事長や水島の声が遠くに聞こえる。
和泉はうつらうつらと船を漕ぎながら、始業式に参加していた。
冬休みも明け新学期。
後少しで三年生は卒業である。
が、和泉には関係ない。
子守唄のような水島の声に、和泉は誘われるように眠りの淵にいた。
「おい、蓮。寝るなら部屋で寝ろ。今は始業式だぞ」
「ううん……ゆず、と……」
「こら、蓮!」
望月の肩に寄りかかりながら、甘えるように擦り寄ってくる和泉。
これを吉原にもしてあげれば良いのに、恋人相手には素直に甘えられないようだ。
猫のようにじゃれついてくる和泉を押し返しながら、望月は溜め息を吐いた。
相変わらず水島デルモンテ学園は変である。
恒例になりつつある和泉と望月の戯れに、生徒は興味津々といった風に視線を向けてきた。
ここで和泉を突き放すのも手としてはあるが、それができない望月である。
壇上から鋭い視線を感じながらも、和泉を手放せずにいたのだ。
「……勘弁してくれよ」
自分に嫉妬するのはお門違いだと言いたいが、身体を繋げた直ぐ後に離れ離れになった二人だ。
会うのは二週間ぶり。
寂しさも募るだろう。
吉原の気持ちもわかる分、望月は和泉をどうにかしたかったが、気持ち良さそうに寝られてしまっては起こすのも可哀想だ。
望月は訳のわからぬ責め苦に耐えながら、始業式が終わるまでひたすら耐えたのであった。
それから皆の挨拶が終わり、始業式も幕を閉じた。
教室に向かい、簡単なSHRを終えれば本日の予定は終了である。
眠たげに目を擦る和泉を叱咤しながら歩く望月。
生徒たちに紛れて、教室に向かっていた。
「だから学校ある日の夜はゲームすんなって言っただろ。ほら見ろ、ずっと寝てたじゃん」
「だって……新作でたんだもん」
「ぶりっ子したって俺には効かないからな」
「そんなのあの名作BLゲームの新作となれば誰だってやるじゃんか! 面白いんだもん! ついつい夜更かししてしまうのが常識でしょ!?」
「……あのなあ、一気にやることはないだろ? ちょっとずつやれよ」
「ついつい手が止まらなくって……尚人可愛いんだもん」
興奮気味に話す和泉に相槌をうちながら、望月は昨夜のことを思い出していた。
明日は始業式だから早く寝ろと言っているのにも関わらず、PCに張り付いたままの和泉。
その画面には男に喘がされている男の姿。
和泉が好きなBLゲームの新作が出たから、少しだけプレイすると言ったのだ。
ヤクザの世界をリアルに描いたBLゲーム。
ハーレムなどの要素はなく、尚人というヤクザを主人公にいろいろな経験をしていくタイプのゲームでもある。
もちろんBL要素もあるが、ヤクザ世界をゲームで疑似体験できるというのも売りである。
相手役の迅も格好良いし、尚人も可愛い、ということで和泉ははまりにはまり大興奮だったのであった。
結局望月がどんなに小言を言っても寝ることはなく、仕様がなしに先に寝れば和泉は徹夜をしてしまったという始末だ。
呆れに呆れたが、始業式はさぼれない。
眠たげに目を擦っている和泉を無理矢理引っ張ると、参加したのだ。
現に今も興奮気味に喋りながら、瞼がさがってきているではないか。
望月は溜め息を吐くと、和泉の身体を抱き寄せた。
「あーもう、しっかりしろ。ちゃんと歩けないのかよ?」
「ううん……帰ったらゲームする……」
「ゲーム廃人かお前は! もう暫くゲーム禁止!」
「ええ……! 酷い……」
ぐすぐすと泣き真似をし始める和泉。
寝不足のナチュラルハイな和泉の相手は疲れる。
歩くことすら放棄した和泉は望月にべったりくっつくと、懲りずにゲームと煩く騒いだ。
どうしようかと頭を抱える望月に、微妙な救世主。
そう吉原である。
走ってきたのであろうか、冬だというのに薄っすらと汗をかいている吉原は二人の姿を見つけるやいなや指差してきたのだ。
「望月! 蓮を渡せ!」
「……SHRあるんすけど」
「そこはお前の仕事だろ? なんとかしろ」
「……まあ良いっすけど、……ほら、蓮、お迎えきたぞ?」
ぐでんとしている和泉を揺すってみるが、びくりともしない。
深い睡眠に入ったのだろうか、和泉は立ったまま寝てしまったようだ。
これには呆れてものも言えない望月である。
どっと疲れが襲うのを感じながら、蓮と煩い吉原に和泉を渡した。
「暫く起きないと思うんで、ベッドで寝かせてやってくださいね」
「お、おう」
「あと、起きたらお腹減ったって言うと思うんです。多分カレーって言うはずなんですけど……だからカレーも作ってやってください」
「わかった」
「それと荷物は俺が部屋に運んだということと、帰るときは連絡しろってことも伝えておいてください」
「……母親みてーだな、お前」
望月の言葉にそう思った吉原は、つい口走ってしまった。
自覚があるのか、望月は苦笑を零しながらも満更ではない様子だ。
二人の関係性に謎を覚えた吉原は望月に言い付かったことを脳内にインプットすると、すやすやと寝ている和泉を抱き抱えた。
「じゃあよろしくお願いしますね」
吉原に軽く頭をさげ、教室へと向かう望月の姿。
なにも言うことができず、和泉を抱えたまま見ているだけだった。
なんだか変な気持ちだ。
吉原はそう思いながらも、やっとの思いで会えた愛しい恋人に胸を高鳴らせるのだ。
二週間。
されど二週間である。
前までは毎日会える環境にいた分、吉原にとって長期休暇は好きではない。
だがこれからはまた毎日会えるのだ。
それだけで胸がたるたると踊った。
天使がまわっている。
吉原と和泉の再会を祝うように、吉原には見える天使。
そうとうきていた吉原は廊下の真ん中で和泉に頬擦りをすると、自室へと向かった。
今日は風紀委員もSHRもさぼってしまおう。
一回ぐらいなら良いはずだ。
最初からさぼる気満々だった吉原はそう自分に言い聞かせると、小躍りしながら部屋へと入るのだった。
小柄な和泉の身体をベッドに横たえ、まじまじと観察をする。
二週間ぶりに会う恋人は、なんら変わりを見せていない。
だが身体を繋げたのだ。
そう思うと、なんだか気恥ずかしくなる。
柔らかな頬を撫ぜ、ぷくりとした唇に指を寄せてみる。
気持ち良さそうに眠る和泉の姿に、欲情を隠しきれない吉原。
なんとか自制心を保とうと頬を軽く叩くと、ベッドに身体を横たえ、和泉の顔を覗き込んだ。
「……あー、やっぱ可愛いわ」
いつからこんなに可愛くなったのだろうか。
惚れた欲目であろうか。
いいやそうではない、本当に可愛いのだ。
でれでれとしまりのない表情を浮かべながら、和泉の胸元を見る。
そこには自分があげたネックレスがきらりと光っていた。
ちゃんとつけてくれているようだ。
それに安心をし、和泉の身体を腕に抱き込んだ。
「蓮、……蓮がいる」
手に馴染む感触。
久しぶりの逢瀬。
さらさらと流れるような黒髪も、和泉からする匂いも、全てが愛おしい。
額、頬、口などに思う存分口付け、華奢な身体をきつく抱きしめる。
余程深い眠りなのか、和泉はびくりともしない。
それだから悪戯もできるのだ。
吉原は思う存分和泉を触りまくると、次第にその穏やかな寝顔につられ、己も眠りに入っていくのだった。
ブーブーと震える携帯の音。
余りのしつこさに目を開けば、吉原の顔があった。
和泉は頭に疑問符を浮かべる。
だってここにきた記憶がないのだ。
始業式を受けていたはずなのに何故ここにいるのだろうか。
どう捻ってみても、記憶はない。
逃がさないようにときつく抱きしめられる吉原の腕の中、和泉は疑問符の中に立たされていたのだった。
「……と、とりあえず……どうしよ」
携帯は吉原のものだ。
和泉が出るべきものではない。
だから放置するとして、この腕から抜け出すのにはどうしたら良いのだろうか。
久しぶりに会うのだから嬉しいことは嬉しい。
二週間ずっと寂しい思いを抱えていたし、会いたいと思っていた。
だが突然過ぎる再会は和泉の容量を超えたようだ。
会えた喜びよりも疑問符ばかりが目立ってしまい、素直に喜ぶことができない。
取りあえずというように吉原の身体を押しのけてみた和泉だったが、吉原が離すことはなく、代わりに目を開いたのであった。
「……お、おはよ?」
「……れ、ん……蓮」
「え? あ、ちょ……んん」
起きるやいなや、吉原は寝ぼけ眼のまま和泉に覆い被さると唇を重ねてきた。
久しぶりに味わう吉原の唇。
優しく何度か触れ合うようにされると、抵抗をしようともがいていた手も緩む。
ぬるりと窺うように侵入してきた舌にも、抵抗をすることがなかった。
「ん、……っ」
がっしりと頭を固定され、口腔を犯される。
熱い舌が這い回り、逃げ惑う和泉の舌を捕らえた。
寝起きのはずなのにこういうところは俊敏だ。
変なところに敬服せざるを得ない。
そろりと伸ばした手を吉原の背中に移動させ、縋りつくように服を握れば、吉原の興奮も増したようだ。
ぬるぬるとした舌を巧みに動かし、それ一つで和泉を翻弄する。
甘い痺れをもたらし、ぞくぞくと背筋を駆け上がる快感。
和泉は吉原の舌に良いようにされると、ただ久しい口付けに酔い痴れたのであった。
「……蓮、……ひさしぶり」
惜しむように離れていく唇。
吉原はそのまま額を合わせるようにこつりと当ててくると、そう言葉を紡いだ。
愛しさを湛えた瞳。
溢れんばかりの気持ち。
なんだか泣きそうになって和泉は小さく頷いた。
「ちゃんと、つけてくれてんだな」
「……うん」
「なあ、寂しかった?」
「……ん」
「今日は泊まっていけよ。ちゃんと望月にも許可得てるし、言付けも言い付かってんだよ」
「……あっ! そ、そうだ! なんで俺ここにいるの? 全く覚えてないんだけど……」
「望月から攫ってきた。つーか預かった? うーん、取りあえず、そんな感じじゃねーかな」
和泉がそれを理解できることはなかったが、望月に話が通っているのなら安心だ。
後々望月に聞けばわかることだろう。
優しく髪をすいてくれる吉原に、和泉は安堵を覚えると珍しく自ら擦り寄ってみた。
背中に回した腕に力を入れ、きつく抱きしめる。
吉原の温度と匂いを確かめるようにもっと距離を縮めれば、ぽっかりと空いてしまっていた心の空洞が埋まるような気がした。
二度と会えない訳ではなかったが、この二週間頑張って耐えたのだ。
吉原に会えることを指折り数えていたことなど死んでも口に出すことはないが、心待ちにしていたことだ。
ここにきた経由はわからないが、やっと会えたのである。
歓喜に胸が震え、らしくもない行動を取ると、猫のようにごろごろと甘えてみせたのだった。
「……なー、それ、誘ってんの」
「ばっ! だ、台無し! 折角感動の再会なのにっ!」
「そりゃそうだけど……男は狼って良く言うだろ?」
「俺も男だしっ! そういう気分じゃないっ! ……から」
「二週間もヤってないじゃん……」
「そ、そうだけど……今はやだ。……せ、せめて夜にして……?」
「言ったな、言ったよな。忘れたとか言うんじゃねーよ? よし、夜だな!」
「も、もう! よっしーの馬鹿!」
ぼかすかと殴る手を掴まれ、べろりと舐められる。
夜とは言ったが身の危険を感じた和泉は吉原の腕の中から抜け出そうと試みるも、がっちりとホールドされてしまっているので簡単にはいかない。
怪しげな舌遣いは指先をちろりと舐めると、まるでしゃぶるように口腔に招き入れた。
己の指が吉原の口腔に出入りしている。
曖昧な感覚に下唇を噛み、耐えた。
「よ、よっし! や、ぁ……!」
「……夜まで待てない」
「う、え、……あ、あ! お、お腹減った! カレー食べたいっ!」
「……あー……そう、……ほんとに言うんだな」
「え? な、なに?」
「……望月に勝てる日くんのかよ……」
意味のわからぬ台詞に和泉はきょとりとして吉原を見上げた。
萎えたらしい吉原は和泉を離すと、ぶつぶつと呟きながらキッチンに向かう。
どうやら今からことに及ぼうとすることは諦めたようだ。
なんだか釈然としないが。
出てきた望月という慣れ親しんだ名前に、益々疑問符が強まった和泉は首を傾げながら身形を整えた。
「勝てる、……日?」
なにか勝負をしていたのだろうか。
あの望月が吉原と? いや有り得ない話だ。
粗方吉原が勝手に対抗意識を燃やしていただけだろう。
和泉はそう無理矢理結論付けると、大きく伸びをした。
まだまだ寝不足ではあるが少し寝たお陰で頭もすっきりとした。
吉原とご飯を食べた後に少しだけ一眠りしよう。
夜はゲームのためにたっぷりと時間を空けとかなければならない。
そこまで考えて、和泉はハッとした。
先ほど吉原の部屋に泊まると決めた。
夜にそういう行為をするとも。
それは即ちゲームができないということだ。
困る。
非常に困る。
吉原も大事だがゲームも大事だ。
「……ううううん……ゲームが優勢、かな……」
吉原に会うまでは寂しさを募らせていた和泉だったが、いざ会うとその寂しさはどこかへと消えてしまっていった。
いつでも会えるという安心感、それがゲームへの欲求に拍車をかけるのだ。
だがここでゲームがしたいから帰るといえば、吉原はどんな顔をするだろうか。
きっと寂しげにしょんぼりしてしまうに違いない。
それでは吉原が可哀想だ。
そんなことできない。
ならばどうするべきか。
「そうだ! ここでゲームをすれば良いんじゃん!」
幸い吉原の部屋にはPCがある。
これならばあのゲームもできるだろう。
和泉はテンションがあがると、早速望月にメールを送った。
内容はゲームを持ってきてほしいというものだ。
嬉々とした様子でベッドから降りると和泉はキッチンへと向かい、己のためにご飯を作ってくれる吉原に近寄った。
「よっしー! よっしー!」
「……なに?」
「PC使っていーい?」
「良いけど、なにすんの」
「ゲーム! 柚斗がもってきてくれるって! 最近ね、はまってるんだ。あ、この間新作で出たばっかのやつなんだけどさ、もーめっちゃ萌えるの!」
「……駄目。ゲーム禁止」
「えーっ! なんで? ねーなんで!」
「オレといるときはオレ以外に夢中になんの禁止なの。わかった?」
「……わ、かんない……です」
いつになく素面で恥ずかしいことを言った吉原に、和泉は赤面すると言葉を詰まらせた。
なじることもつまることも呆れることも馬鹿にすることもできない。
だって吉原の顔は真剣なのだ。
傍から見れば馬鹿っぷるだと言われそうだが、今の和泉にはそれすら考える余裕がない。
「じゃあわかるまで教えよっか? 時間はたーっぷりあるしな」
久々に会った吉原。
二週間前よりずっと変になっていた。
身体を繋げたからだろうか? それとも違うなにかなのだろうか? わからないが、嫌な変化ではない。
意地悪そうに微笑む吉原に和泉はたじろぐが、その甘い拘束に喜びを覚えるのも確かだったのである。