乙男ロード♡俺は腐男子 48
 暫くは和泉の精神状態も落ち着いたかのように見えていた。
 表面上はいつも通り。 セックスも拒まなくなったし、甘えるようにもなった。 時折薄らと憂いを見せる表情をするときもあったが、それが気にならないほど和泉は普通だったのだ。
 なにかがあった訳ではない。 喧嘩はしていないし浮気だってしていない。 吉原は身の潔白が証明できるからこそ見落としていたのだ。
 論点がずれている。 二人の視線は交わることがない。 現在を見る吉原と過去を見る和泉。 わかる訳がなかったのだ。
 しんしんと降る雪。 和泉はじいとそれを見つめながらどこか遠い目をしている。 それに唯一気付くのは望月しかいなかった。
「……蓮? なにかあるのか?」
 そっと近寄り横に腰をおろす。 和泉の膝にはルルが寝転んでおり、気持ち良さそうにすぴすぴと息をならしていた。
 動物セラピーと称して引っ越してきたルルは、暫くの間だけ和泉が面倒をみるということになっていた。 というのも心寂しかったのかもしれない。
 吉原がなにより大事にしているルルを預かる。 その事実ことが大事だったのだ。
 少し私利が絡んでしまった理由でルルを手元に置いているが、ルルのことは嫌いではない。 寧ろ好きな方だ。
 膝の上でくうくうと眠るルル。 温かな存在に癒され和泉のささくれ立った心が穏やかになるのも確か。 だがそれも限度があったのだ。
「……雪、見てるの」
「あ〜特に最近は冷えるしな……雪の所為で屋内練習ばっかだよ。晴れねーかな」
「そ、だね。最近柚斗、結構部屋にいるね」
「だろ? 今なら原稿自由に手伝ってやるぜ?」
「……ありがと。でも、今はないんだ」
 どこか物悲しげな様子。 元気がない和泉に流石の望月も心配を隠すことができずにいた。
 吉原や水島から内々に話は聞いていた。 和泉が悩んでいるらしいこと、その理由を知らないか、と。 案外愛されているんだな、という心優しい気持ちになったが、肝心の和泉は望月に悩み相談をする素振りもなかった。
 絶対に口は割らないから、自分を頼ってほしいものだ。
 確かに男同士の恋愛はデリケートで望月が理解しかねる部分も多くあるが、口に出すだけですっきりとするものもあるだろう。 それすら言わないのだから相当重い悩みに違いない。
 いつかのようだ。 誰にも言うことなく内に秘めたまま思い悩む和泉。
 望月はふっと息を漏らすと和泉の後頭部を撫ぜたのである。
「あのさ、辛かったらさ、無理することねーんじゃないの?」
 そう紡いだ言葉に和泉ははっとして顔をあげた。 ばれていないとでも思ったのだろうか、その表情が間抜けだ。
 吉原や水島の前ではいくら偽ることができても付き合いの長い望月の前では通用しない。 そもそも付き合いが長いからこそ気が抜けるのか、ボロがでるのだ。
 おろおろと困った顔で手を握り締める和泉。 その手を掴むと、そっと自分の方へと引き寄せた。 小さな衝撃でルルは膝から降りてしまいソファに非難する。
 この場所に吉原がいたのなら嫉妬してしまいそうなほど睦まじい様子。 だが和泉の表情はとてもじゃないが幸せそうには見えなかった。
「……べ、つに、辛いとか」
「なにに悩んでるのかはわかんねーけどさ、蓮はいっつも独りで抱えるだろ? その荷物、ほんとに独りで持つ気なのか? 俺にも持たせてくれないの?」
「柚斗……そ、じゃなくって」
「……蓮、無理するな。お前に笑っていてほしいだけなんだ。ずっと笑っていてほしい。俺の横に立つことはできないけど、側で見てるからさ、お前のこと。幸せに笑ってくれてたら俺も幸せなんだよ」
 優しく髪を梳きながらそう言ってくれる望月に、和泉は知らずの内涙腺が緩んだ。
 ぼろぼろと零れる涙。 どうしてかいつも望月の前では自分を偽れないでいたのだ。
 本当は今もずっと不安なのだ。 吉原に心配をかけないため前のように接した。 セックスもキスも甘えることもした。 嫌ではないからした。 だけど不安に押し潰されそうなのだ。
 吉原が好きになった自分とはなんなのか。 こうしていれば嫌われないのだろうか。 どうすれば繋ぎ止めておくことができるのか。 一体、どうしたら良いのだろうか。
 わからない。 わからないからこそ怖いのだ。
 自分が可笑しいということはわかっている。 重々承知だ。 こんな馬鹿みたいなことに傷付いて側にいるのが苦痛だなんて吉原も思ってもみないだろう。
 側にいるのも側にいないのも辛い。 どうしようもない。 わからない。
 望月の肩を掴み、ぐしゃりと顔を歪める。 激しくなった嗚咽に望月は戸惑うこともせず、優しく背を撫ぜてくれる。
「す、き……すき、なの……」
「そうだな。言わなくてもみんなわかってるよ」
「でっも、こわい! いなくなるのっ……こわ、いぃ……!」
 わんわんと泣いて、しまいには抱きついてくる和泉。 いつの間にか和泉の中で育った恋は大きくなり過ぎていた。
 和泉に難しく考えるなといってもそれを実行することは困難だろう。 和泉の精神は限りなく大人のようで子供でもあるのだ。
 頑固で融通が利かなくて、だけど本当は繊細で脆い。
 初めて触れるものに心は靡かない。 鉄のようなガードで己を守るのだ。
 だが一度懐に入れたものに対してはどこまでも愛着をみせる。 依存のように。 だからこそ和泉は友達があまりいない。
 水島のように友情というラインに立つのなら、その関係を維持することは可能だ。 望月が例となり、確固たる自信で離れていかないという証明が果たされる。
 しかし吉原だけは例外にも当てはまらない。 ラインが恋人だからだ。
 和泉にとって初めての恋人。 初めての関係。 家族とも友情とも違う想いがそこにうまれる。 あやふやで脆くて見えない絆。 それが切れないという確固たる証拠も証明もない。 だからこそ不安を感じるのだろう。
 こればかりは口で説明してもどうにもならない。 和泉自身が変わるか、意識を変えるしか方法はないのだ。
 せっかく安定したと思っていた関係も今や不安定に揺れ動いている。 まさかの事態にはならないだろうが、望月は心配だった。
 和泉は突っ走る傾向がある。 吉原がなにを言っても聞き入れないかもしれない事態も予測に入れておかなければならない。
 ひくひくと声を鳴らし続ける和泉。 底がない沼にはまっている状態の和泉を下手に刺激することもできず、望月はただ優しい言葉だけをかけると安心させるように背中を撫ぜ続ける。
「大丈夫、大丈夫だ。蓮、大丈夫だから」
 上下に大きく揺れていた動きが穏やかになっていく。 小さなものへと変化し、規則正しいものになる頃には和泉は夢の中に旅立っていた。
 泣くことは疲れるのだろう。 涙の痕を幾重にも残したまま穏やかな寝顔を晒す和泉。
 少し安定したことにほっと溜め息を吐く望月だったが、今回の悩みは厄介だと懸念することもある。
 結局は当人同士が話し合わなければいけないことなのだが、和泉の様子を見る限りそう簡単にことは進まないだろう。
 どうにか拗れませんようにと祈ることしか今の望月にはできなかったのである。

 それから数日、事態は悪化せずにいた。 だからといって良くなった訳でもないが。
 部屋のリビングでルルを挟み、戯れている吉原と和泉に視線を向ける。 望月の目には幸せそうな二人に見えるが、和泉は和泉でまだ悩みを抱えているのだろう。
 だがこの様子なら安心だ。 吉原はどう見ても和泉にぞっこんである。 浮気などすることもないだろうし、そういった疑わしいこともない。
 ベッドの上では泣かしはしてもそれ以外では直接的にはないだろう。
 望月はほっと安心するとテニスの練習のために部屋を出るのである。
「蓮ー! 俺でかけてくるから!」
「あ、うん。わかった!」
「じゃあごゆっくり〜」
 真っ赤になった和泉の顔。 よっしゃと喜ぶ吉原の顔。 嗚呼、やっぱああじゃないと。 望月は満足した心持ちでテニス練習に気持ち良く出かけるのであった。
 バタンと閉じられたドア。 にやにやと和泉を見下ろす吉原。 むっと頬を膨らしてみるも、吉原に効果はないようだ。
 突き出された手をべろりと舐め、和泉にずいっと近寄る。 蕩けるような笑みを見せるとそっと唇を塞いできたのである。
「んむ」
 いきなりの口付けに和泉は抵抗する間もなかった。 ちゅ、ちゅと軽い口付けを何度か繰り返すと満足そうに笑う。
 和泉が悩みだしてからか、吉原はやたらめったらに手を出すことをしなくなった。 これも和泉を心配してだろう。 だが少しだけそれが寂しいといえばどんな表情をするのだろうか。
 セックスしてもしなくても不安なのだ。 全く自分のことながら自分のことが理解できない。
 今は比較的穏やかな心。 そうっと染み渡るように触れてくる吉原の指先が甘いからだろう。
 和泉はそれに自分の手を重ねると、甘えるようにごろりと擦り寄った。
「ん、え、あ? あーそっか、もうそんな時期だっけ」
 不意にカレンダーに目を移した吉原がそう紡いだ言葉。 和泉もつられて見るが、そこにはなにも記載されていない。
 一月下旬、祝日もなければイベントもない。 テストもまだだしなにもないはずだ。
 思わず首を傾げた和泉に吉原は言い辛そうにすると、ううんと唸ってしまった。
「え、なに? 気になる」
「いや〜……別に対したことじゃねーんだけど」
「……なに?」
 それを言うのに躊躇いを見せた吉原。 その原因はもちろん和泉だ。
 最近は比較的安定してきているといえど、和泉の悩みの種は未だ解決していないように思うのだ。 いつ襲ってくるかわからない。 そんな状態で口に出せることでもない。
 ただでさえ和泉の性格は複雑だ。 なにか起こらなければ良いがこればっかりはどうにもならない。
 以前同じような状況になったときは未だ関係も安定していたし、和泉から歩み寄ってくれたこともある。 あの時も随分と寂しい思いをさせたが、今とは少し違ったような気もするのだ。
 ちらりと視線を落とせば不安そうな表情の和泉。 ぽんぽんと頭を撫ぜると言葉を紡いだ。
「いやさ、三月の初めにさ、卒業式あんじゃん?」
「……え? よっしー関係あるっけ?」
「関係あるっちゃあるっていうか……実行委員もいるんだけど、やっぱ基本的には生徒会と風紀委員が取り仕切るんだよな」
「あ、もしかして……準備とか、あるの?」
「まあ、そう。二月初め……いや一月の終わり頃からかな。やっぱ学園行事で一番大事だからよ、気合入れるっつーか念入れるっつーかまあ多忙になんだよな〜あー嫌だ」
 そう言われて和泉もはっとした。 もうそんな時期なのだと。 そして来年には吉原も卒業してしまう。
 なんだか少し寂しくなった和泉だがまだ先の話だ。 こればっかりは考えない方が良いだろう。
 無理にその考えを頭からなくすと、吉原に再度問いかけた。
「なんでそんなに渋ったの。別に当たり前のことじゃん」
「んー……蓮に寂しい思いさせんのやだし。つーかオレが寂しいし?」
「う、うん……」
「まあ実行委員もいるし、それほど多忙を極めるってこともねーと思うけど……こればっかりはしないとなあ。ま、ルルは預けるけどさ、その代わりに部屋こいよ?」
「……ん、わかった」
 和泉を案じてそう言ってくれる吉原にほっと温かいものが胸に溢れる。
 降ってくる柔らかな唇。 それが意図をもって和泉の口腔へと進入してきた。
 今から行われる行為を久しぶりに素直に受け入れることができそうだ。
 和泉は自らも吉原の首に手を回すとその唇を甘受した。 もっともっとと強請るように誘い込む。
 強く感じていた不安がふっと消える瞬間。 あの悩みは一過性のものだったのかもしれない。 穏やかになっていく精神。 愛しい気持ちが膨れ上がり吉原に縋りつく。
 好きだ、大好きだ。 お互い言葉にしなくても溢れ出てくるものに酔い痴れると、和泉は吉原の愛撫を心から待ち望んだのであった。

 所変わって時間を少し遡る。 部屋を出た望月はテニスラケットを担ぎながらふんふんと鼻歌を口ずさんでいた。
 久しぶりに晴れた空。 最近は雪ばかりでつまらない練習内容だったが、今日は思う存分テニスラケットを振ることができるのだ。
 春になれば新入生が入る。 自分が先輩になり後輩に教えることになるのだ。 嗚呼、今から思うだけで楽しみだ。
 アウトドアな望月にとって運動とはこの学園での楽しみでもあった。
 彼女は欲しいが今は贅沢言ってられない。 青春の一時がテニスで過ぎ去ろうとも後悔はしない自信もある。
「ひゃっほーう! テニスばんざーい!」
 急に叫んでスキップを踏み出した望月に通行人はびくりと驚きはするものの、望月だとわかれば心酔するような瞳を向けた。
 性格も良く、運動もできる。 テニス部期待のホープ。 顔も良いとくればモテないはずがない。
 知らないところでモテモテな望月は熱の篭った視線を多数浴びているなどとは気付くこともなく、軽快に歩みを進めていたのだった。
 そんな折、角から見慣れた姿が現した。 それはこの水島デルモンテ学園の生徒会長でもあり、和泉の大好きな攻めでもある。
 特に仲が良いという訳ではないが、和泉関連で何度か話をしたり悩みを聞いたりしている望月は軽く会釈だけするとその場を通り過ぎようとした。 そう通り過ぎようとした、のである。
 ガシィ! と腕を掴まれ心臓がひゅっとなる。 驚きに立ち止まれば焦ったような表情の水島。
 なにかしたのだろうか、和泉が。 そう思った望月は取り敢えず口を開くと謝罪の言葉を述べた。
「あ、蓮がいつもすみません」
「いやもう慣れている」
「そうですか。ならこれからもよろしくっす。じゃ」
 今からテニスの練習なのだ、邪魔するな、そう言いた気にこの場を離れようとしたが水島は離してくれない。
 何故? そう思った望月に水島は気付いたのか気付いてないのか、窺うような表情を向けた。
「……どうだ? 最近和泉君の様子は」
「蓮っすか? あー……まあ落ち着いてるんじゃないっすか? 今日も吉原先輩と一緒にいますけど、あれ、会長そんなに気にしていたんすか?」
「いや、まあ……まあまあ、だ。少し気になってな」
「まあ大丈夫じゃないっすかね。浮気とかもしなさそうですし、なんかある訳でもなさそうですし」
「……そう、だと良いんだが」
 いつもより歯切れの悪い水島の言葉。 それになにかが引っかかった望月ははて、と首を傾げるとその疑問に行き着いた。
「そうだと良い?」
「……いやな、ちょっと厄介なことになるかもしれないというか、いや大丈夫なんだが……和泉君の性格を考えるとあれだというかなんというか……」
「……なんっすか」
「まあ大したことではないのであまり気にすることもないと思うのだが……」
「そこまで言うんだったらもったいぶらずに言ってくださいよ」
「ああ、そう……まあ、実はだな……」
 そうして語られた水島の言葉に、望月は一抹の不安を覚えた。
 確かに大丈夫だ。 なにも問題はない。 ごく当たり前のことでもあるし、咎められるべき部分などない。
 問題があるとすれば水島の言った通り和泉の性格なのだ。
 傍から見れば普通のことでも和泉はどう思うのだろうか。 きっとまた悩むかもしれない。 そう、それだけなら良い。 それだけなら。
 どくどくと鳴る心臓。 自分のことではないのに不安に押し潰されそうになる望月。 和泉は一体、どんな反応を見せるのだろうか。
「蓮……」
 ぐるぐる回る単純な糸。 和泉が自ら複雑にしているなどとは知りもしないだろう。
 卒業式の準備期間、嵐が一荒れしそうな雰囲気であった。