乙男ロード♡俺は腐男子 49
 卒業式の準備の打ち合わせというなんとも面倒臭い集まりに吉原は参加していた。 もちろん生徒会もだ。
 卒業式は水島デルモンテ学園で一番大切な行事といっても良い。 ほぼエスカレーター式で水島デルモンテ大学へと進学する生徒にとって、卒業とは長い寮生活のピリオドを打つ大きな節目でもあるのだ。
 水島デルモンテ大学に寮はあるが強制ではない。 実家から通うなり独り暮らしをするなり、閉鎖的空間から解き放たれるのだ。
 ちなみに共学である。 男子校からのエスカレーターということもあり女生徒の数はかなり少ないが、それでも男ばかりの生活から抜け出すのだ。
 それに興奮する生徒もいれば、女子という脅威に怯えている生徒もいる。
 いずれは水島も吉原もそこに通うのだろうが今は関係ない。 関係あるのは目の前の資料だった。
「却下だ。卒業式とは本来厳かな儀式である。 そのような派手な演出は理事団体が黙ってはいないだろう」
「……ケチ」
「柳星、お前の卒業式ではないんだ。例年通りやらせてもらうぞ」
 卒業式に関しては生徒会の方に分がある。 吉原は却下された書類を手に取ると、憤慨している森屋に手渡した。
 昼間からド派手な花火を打ち上げ、煌びやかな衣装を着てパーティのような卒業式にしたい。 そう言った吉原の意見に賛成の意を示したものは森屋しかいない。
 森屋以外の全員の反対をくらうと、吉原は渋々とその意見を取り下げごく一般的な卒業式の形式でOKを出した。
 二月の頭から本格的に卒業式のために準備をする。 今はその準備の内容を決める会議であった。
 生徒会が主に取り仕切り、風紀委員はそれに手を貸す。 実行委員は雑用などをこなすのだ。
 本来生徒に関する行事は生徒会の仕事だ。 風紀委員は名の通り風紀を乱すものの検査をするだけなのである。
 卒業式に見合う身嗜み。 それを指導するプリントを配布することと、卒業式当日にチェックを行うことが風紀委員としての仕事であった。
 当然それだけならば暇である。 だから生徒会の仕事の手伝いをするのが決まりであった。
 当日の来賓リストや祝品、祝辞を述べる生徒の選抜、その原稿など段取りを踏まえて大まかなことを決めていく。 水島が声を張り上げ一つ一つ説明しているのを吉原はぼうっと見ていた。
「柳星、どうしたんだよ?」
「うーん……別に」
「和泉か? この後、和泉と会う約束でもしてるのか?」
 こっそりと小さく尋ねてきた神谷に緩く首を振るとその言葉を否定した。
 一時期不安定だった和泉も今は落ち着いている。 いや、落ち着いているように見えた。
 どこかから元気な姿であったが、懸念することはない。 あるとすれば忙しさだけだと思っていた吉原だったが、ここにきて新たな問題が出てきたのだ。
 それは望月である。 望月自体にはなんら問題ない。 あまりに仲の良すぎる二人に妬くことも少なくはないが、吉原にとって望月は安全牌でもあるのだ。
 自分がいない間、和泉を支えてくれる望月。 和泉の中で望月は随分と大きい存在なのだろう。
 その望月の様子が最近変なのだ。 それが吉原は引っかかっていた。
 時折焦るように己を見る望月の視線。 なにかを言いたげに開いた口が言葉を発することはない。 望月と二人きりになる時間もなければその意味を問う勇気もない。
 一体なにがどうなってこうなったのか、全くもって検討もつかない。 放課後和泉に会うのは吉原の唯一の楽しみなのだが、望月の視線が気になって憂鬱になるのも確かだった。
 吉原は大きく溜め息を吐くと、それを聞いていた水島に拳骨をくらうのであった。
「って〜!」
「という訳で本日は解散だ! 先程言った通り本格的な準備は明後日から行う。三年生の最後の晴れ舞台だ。是非とも成功を祈ろう」
「……かてーよ、その物言い」
「なにか言ったか?」
「……言ってねーよ」
 怒りを含んだ水島に睨まれ吉原は口を噤む。 その様子に嬉々として目を光らせるものが数名。 恐らく和泉の同人誌のファンなのだろう。
 実行委員の代表の中にもいるのだから、この水島デルモンテ学園での和泉の影響力は計り知れない。
 もはや慣れてしまった光景に水島は諦めにも似た表情を浮かべると、生徒会と風紀委員だけを残して会議室から人払いをしたのだった。
「全く、お前の恋人なんだからきちんと躾をしておけ……」
「なに言ってんだよ。颯が言えば良いんじゃん?」
「……言っている」
 しかし何度言っても改善されない。 寧ろ酷くなるばかりだ。
 あの顔に弱い水島にとっては暴挙にでるなんてことができるはずもなく、可愛い顔でお願いをされる度に頷いてしまっているのだ。
 なんだか情けない話でもあるが仕様がない。 もう勝てることなど一生ないのだろう。
 眉間に手を当てたまま俯いてしまった水島、それを覗き込もうと顔を寄せる吉原。 そんな二人に差した影は昔よりは幾分か血色の良い肌をした男だった。
「会長、珈琲でも飲みますか? 柳星もどうします?」
「……ああ、よろしく頼む」
「オレも。……あ、珈琲なんだけどよ」
「カフェオレでしょ?」
「あ、そう。覚えてんだ。すげーな、涼」
 にっこりと笑った黒川につられて笑みを向けた吉原。 いつかの日が再現されたようで、水島は目を細めた。
 ぎこちない関係から吉原が押すようにして付き合った二人。 その関係は長くは続かなかったが、関係を持っているときはとてもお似合いの二人だった。
 周りからも祝福され誰もが羨む恋人同士、そう見えていたのだ表面上は。
 いずれか均衡をなくした二人に待っていたのはあまりに早過ぎた破局。 喧嘩別れをしたのか、なにかあったのか、その当時は目も当てられないくらい吉原は荒れて黒川は衰弱していった。
 険悪な関係から穏やかな関係になるまで随分と時間がかかった。 偏に吉原だけの力ではない。 吉原が和泉に恋をして、その恋の意味を知ったときに関係が大きく改善されたのだ。
 あれは恋ですらなかった、と。 傷を舐め合う関係だった、と。
 それを知るものは当時二人に関わりがあった人たちのみだ。 それ以外のものから見れば言い訳にしか聞こえない理由だろう。
 和気藹々と会話を弾ませる二人に、水島は再度頭を抱えてしまった。
「……颯、珈琲だ」
「え? あ……? 黒川、は……ああ」
「……俺が言った。気にするな」
 目の前には水島の珈琲を持ってきてくれた森屋。 側には神谷が控えており、黒川と吉原を見て嫌そうな表情を浮かべている。
 会話が弾んでしまった二人に気を利かせ、森屋が人数分の珈琲を用意したようだった。 神谷は配膳を手伝っただけだろう。
 忌々しげに舌打ちを鳴らす神谷に、森屋は首を緩く振った。
「空、駄目だ」
「……気にくわねーもんは、気にくわねーんだよ」
「柳星がいる。後にしろ」
「ほっんとお前は柳星第一だな」
 その様子を見て水島は相変わらずだと思った。
 二人の関係を間近で見てきたのは生徒会と風紀委員のメンバーだ。 それ故事情も詳しく知っているし、背景もそれなりに理解しているつもりだ。
 その中で風紀委員の二人だけは黒川に良い感情を持っていなかった。
 吉原が自ら歩み寄ったとしてもその馴れ馴れしさに眉を顰め、難色を指し示す。 近寄るなといわんばかりに威嚇することもしばしばあるのだ。
 現に今、吉原には和泉という恋人がいる。 見ていないからといって元彼が馴れ馴れしく接近するのは和泉にとっては失礼に当たるのではないだろうか。
 そんな理由を盾にして牙を剥く二人に、水島は悩みが蓄積されていくのを感じていた。
 風紀委員の二人は吉原至上主義である。 黒川と和泉を天秤にかければ和泉に軍牌があがるのだろうが、それは飽く迄吉原が大切にしているからであろう。
 まあ例え二人が別れて、黒川と復縁しても風紀委員の二人は黒川の味方をすることはないだろうが。
 それほどまでに風紀委員に嫌われている黒川であるが、生徒会の評価は高い。
 偏に黒川だけが悪いのではない。 黒川も黒川で悩んでいたのだ。 そういった意見を支持し、黒川の肩を持つ生徒会。
 この問題では反りが全く合わないのか、生徒会も風紀委員もこの話題を出すことがなかった。
 だが今回の行事でまたグッと距離が近くなっている。
 前回までの行事は各々の持つ部屋で仕事をこなし、会うのは業務連絡のときだけであった。 だけど卒業式の準備は合同でするために同じ空間にいることが多い。
 また一荒れしそうな状況にもう水島は八方塞だった。
 吉原は掛け替えのない親友であり、黒川は大事な仲間だ。 神谷と森屋とは悪友である。 水島にとっては皆が大切なのだ。
 今にも邪魔をしにいきそうな神谷の手を握ると、水島は小さく言葉を漏らした。
「良いか、気に食わないのはわかるが表面には出すな。そして生徒会の連中とその話もするな。もう終わった過去だろう」
「だけどっ! 和泉がいるんだぞ!」
「両方共にそういった情はもうない。柳星が和泉君にベタ惚れなのは知っているだろ? それにそれを理由にするのもやめなさい」
「……わかったよ!」
「物分りが良いな。……そこで相談なのだが、まあ俺も終わった話をするんだがな、あの二人に他意がないのは十分承知だ。だがあの二人が仲良くすることによって傷付く人間がいる。誰だかわかるか?」
 その水島の問いに神谷と森屋は顔を見合わせる。 一人しか思いつかない問いだ。
「和泉か?」
「そうだ。普通ならばあまり好ましくないがそういった情もないし、仕様がないと受け止められるだろう。だがな、少し時期が悪い」
「……どういうことだ?」
「……情緒不安定とでも言うのだろうか……俺の杞憂で終われば良いが、今の和泉君では物事を曲解してしまうような気がしてな」
「なんだかんだ言って心配してんのな」
「……まあ、柳星のためだ。取り敢えず、内部では良いが外に出るときはあまり二人きりにさせないでほしい。黒川の方には目を配るからお前たち二人は柳星を見ておいてほしい」
「わかった」
「但し冷静に、だぞ。嫌いだからといって顔には出すな」
「チッ! わかったよ。やってみる」
 渋々と頷いた神谷に森屋はなにかを言いたげにじいと水島の顔を見る。 そのあまりの真剣さに疑問を覚えた水島が、なんだと聞いてみるが森屋は黙ったまま口を開こうとはしない。
 訝しげな様子に怪しんだのは神谷もだ。 森屋の肩を叩くと言葉を投げかけている。
「葵? なんか不満でもあるのかよ」
「……不安ならある」
「なんだ? なにかあるのか?」
 ずいっと顔を寄せた二人に森屋は書類を広げた。 それは卒業式の進行プリントでもあり、進行内容や実行委員の仕事、配属先などが事細かに書かれていた書類でもあった。
「ここに書いてある。柳星は会場内の整備、配置を取り仕切ると」
「ああ、そうだな。内装をあいつに任せたらとんでもないことが起きるからな」
「……ここに、黒川は会場内の内装を取り仕切ると書いてある」
「ああ、俺がそう決めた。黒川なら安心して仕事を任せられるからな」
 なにが言いたいのかさっぱりわからない森屋の言葉。 その言葉の隠された意味に気付いたのは神谷だった。
「あーっ! ほんとだ! やっべーじゃん! おい颯お前なにしてんだよ! こんなことしたらさっきの作戦意味ねーだろ!」
「な、なにがだ」
「二人の仕事は違うといえども内装と整備だ。仕事場は同じ。打ち合わせも多くなる」
「んで二人で体育館に一緒に行くことも多い!」
「……あ」
 呆然とした水島はプリントに目を通したが、書かれている文字を覆すことなどできない。 ましてや今更仕事内容の変更などできる訳がなかった。
 吉原に内装を任せたら派手にするとわかっていたので水島の言うことをきちんと聞く黒川に任せた。 そして吉原は大声で人に命令をしなくてはならない会場整備。 吉原に適任だと思ったからだ。
 だがいざ蓋を開けてみると森屋と神谷の言うように接点があり過ぎる。
 ここまで深くは考えていなかった。 ただ二人が一緒にいる姿を和泉に見せたらやばいという意識しかなかったのだ。
「どうすんだよ。明後日から多忙極めて柳星、和泉に会うこともままならなくなるんだぞ」
「情緒不安定なのだろう? 大丈夫なのか?」
「……望月君に、相談をしてみる……が、これはもうどうしようも、ない……」
「ま、まあでも大丈夫だろ。あの二人仲良いし、ラブラブだし、なっ、葵」
「ああ、柳星が心底惚れている相手だ。俺も認めている」
「論点はそこじゃねーだろっ」
 やいやいと言葉を垂らす二人に水島は胃がきりきりと痛むのを感じていた。
 ただでさえ最近は余計な気を回し過ぎて胃痛が多かったのだ。 ここにきてまだ水島を悩ませるのか。
 心配のし過ぎだとはわかっているが、ぼんやりと空を見つめていた和泉の表情が水島の前から離れない。 なにも映していない瞳を見て、なんて和泉は儚いのだろうかと思ったほどだ。
 顔がタイプだからではない、可愛いからそう思うのではない。
 吉原が知らないところで何度も和泉の手助けをしてきた。 仕様がないことで悩む和泉の姿や、泣いている姿ももう何度も見てきた。
 好きだからこそ、和泉が抱える問題は吉原には到底理解できないのだろう。 水島でさえ理解できないのだ。
 ただ、少し引っかかっただけなのだ。 和泉の元気がないから調子が出ないのかもしれない。
 いつものようにしてくれれば水島がここまで悩むこともなかった。 和泉のことを考えることもなかった。 そうだろう。 だって和泉は水島にとって苦手な存在だけなのだから。
「……ああもうやってられんな……」
 目先にはカフェオレを口にしながら楽しそうに笑っている吉原。 きっとこの後、和泉に会いに行くのだろう。 だからこそ笑っているのだ。 楽しみだと、先程言っていたのを覚えている。
 会う約束はしていないが会いにいく。 通い旦那みたいだろ? と自慢していた。
 そんな調子で和泉に言わないだろうか。 卒業式の準備の会議で黒川と話したと。 笑顔でそう言わないだろうか。
 溢れんばかりに愛情を注いでいる癖に変なところで鈍い吉原。 二人がこじれるなど見たくもない。
 巻き込まれていく、関係に。 二人の関係に、引き摺りこまれていく。
 誰よりも悩んでいる水島など誰も知る由もなく回り始めた捩れに、抗える術を失ったのだった。