乙男ロード♡俺は腐男子 50
 和泉の不安も影を見せなくなり、心配が薄れた吉原は心置きなく卒業式の準備に取り掛かれることができた。
 年末のイベントよりは予算も掛からないし大掛かりな行事ではない。 だが行事内容はどれよりも大切なのだ。 慎重にミスがないように、詳細を決めてから行動に移る。
 会議が主な役割分担の今、吉原を始めとした風紀委員と生徒会は生徒会室に篭るようにして準備に取り掛かっていたのである。
 そんな内部事情を聞かされてほっと安堵を覚えたのは和泉だ。
 ちょくちょく水島から心配するようなメールが届く。 吉原が他愛ないことばかりメールをし、肝心の仕事の忙しさや進行など教えないと思っての行動だろう。
 心の中でこっそり水島に感謝しながら和泉は携帯をにまにまと見つめていた。
「蓮、ご機嫌なんだな」
「うん。あのねーなんかね、深夜まではかからないって。朝ちょっと早く出たり、夜ちょっと遅くなったりする程度なんだって」
「へーそうなんだ。金も出ねーのに大変だよな」
「ほんとだよ〜。でもみんな缶詰になってるって言ってたんだ。……うーん、水吉見られるかな? 邪魔しない程度に見学行っても良いと思う?」
 遠慮がちに尋ねる和泉に望月は直ぐさま首を横に振るとその問いを否定した。
 見学したぐらいで何時間も粘る訳ではない。 だから邪魔にはならないと思う。
 だが今の生徒会室には和泉の地雷が存在しているのだ。 連絡してもしなくてもその地雷を見る確率は高いだろう。
 ただでさえやっと落ち着いてきたのにこれ以上悩ませるのも危険だ。 望月はゆっくりとした口調に変えると、和泉を諭すように説得した。
「流石にな、やっぱ卒業式の準備だし、忙しいと思うんだよな。遠慮した方が良いんじゃないか?」
「……だよね。むー水吉見たかった! 最近見てないんだよ? あ、でもこの間二人でご飯食べてるの発見したから写メ撮ったんだ。ほら! 激萌えっ!」
「隠し撮りかよ、って……え? これ合成?」
「よっしー可愛いでしょ? 口についたケチャップ、かいちょーが布巾で拭ってたからさ〜これはシャッターチャンス! って思ってさ。ぺろっと舐めてくれりゃ良いのに……」
「寧ろこれだけでも奇跡だろ」
 和泉の携帯が映し出す液晶画面に引き攣った笑みを見せながら望月は脱力した。
 この調子では大丈夫そうだな。 一ヶ月ちょっと乗り切ったら望月が胃を痛ませる一因もなくなるだろう。
 きゃっきゃきゃっきゃと騒ぐ和泉を尻目に望月はふうと息を吐いたのであった。

 それから二人はお昼ご飯を食べるために食堂へと向かった。
 本来ならば望月がお弁当を持参してくるのだが、本日は食堂で食べることにしていたのだ。 月に一度の食堂限定メニューが出てくる日だからである。
 黄金に輝く極上オムライス、真田さんが育てた黒毛和牛のハンバーグ、インドが逆輸入しちゃうくらい美味いぜカレー。 なんとも絶妙なメニュー名であるが味だけは絶品なのだ。
 和泉の目当てはもちろんインドが逆輸入しちゃうくらい美味いぜカレーだ。 カレー狂でもある和泉は月に一回のこのメニューを欠かさずに食べていた。
 食堂に行くまでの道のりをスキップで踊りはしゃぐ。 近付く度にハイテンションになる和泉を宥めながらも食堂に入れば、そこは阿鼻叫喚とした世界が広がっていた。
 まさに男子校といった世界。
「……うーん、これを見るとほんと男子校だなって実感するわ」
「え? そう?」
 むさ苦しい男共が食券を買うために我先と食券機に群がっている。 自ずと体格の良い生徒が優位に立ち、食券を勝ち取っているさまはもう目を覆いたくなる光景だ。
 基本一人一食しか食べることができない。 おかわりは厳禁。 だからこそ食いっぱぐれることはないが人気メニューは完売してしまう恐れがある。
 和泉の狙いはインドが逆輸入しちゃうくらい美味いぜカレー。 一番人気は真田さんが育てた黒毛和牛のハンバーグ。
「よし! 柚斗、れっつごー!」
「……はいはい」
 びしりと指を差した和泉に促され望月は渋々と食券機に向かった。 悔しいが小柄な和泉だ。 この人の山に入れば潰されるも当然なのである。
 だから望月が和泉の分も食券を買いに行くのであった。
 犇めき合う人の群れに突っ込む望月。 テニスでほどほどに鍛え上げているので自分より体格の良い男共の群れがいようとも簡単に食券機まで辿り着ける。 しかし必ずといって良いほどこの群れに突入したらセクハラをされるのだ。
 ばれないだろうと伸びてくる手を叩き落としながら周りに気を向け、食券機まで一直線。 なんとか和泉と自分の分の食券を買うことができると急いでこの群れから飛び出た。
「はあはあ……命がけだな……」
 たかが食券、されど食券。 望月は二枚の食券を握り締めてにこにことした笑顔で待つ和泉の元に戻るのであった。
 それからカウンターで食券と引き換えにご飯を受け取る。 和泉はもちろんインドが逆輸入しちゃうくらい美味いぜカレー、望月は一番人気の真田さんが育てた黒毛和牛のハンバーグだ。
 丁度テーブル席が空いているとのことでその席に二人は腰をおろすと、さっそくといわんばかりに食事を開始した。
「いっただっきまーす!」
「はい、頂きます」
 スプーンで掬ったカレーを口に一口。 何十種類ものスパイスを効かせているカレーは絶品そのもの。
 ふわりと口腔に広がる芳醇な香り、後からじわりじわりと追うようにくる辛さ。 パラパラとしたタイ米が濃厚なルーに絡み、しかりと存在を主張する。 全ての具材が調和され和泉の口の中でまろやかになるのだ。
 カレーを食す手が止まらないが、この美味しさを一気に味わってしまうのはとてもじゃないがもったいない。 和泉はゆっくりと亀の歩みのように咀嚼をしながらカレーを堪能していたのであった。
「蓮、美味しいか?」
「うん! 美味しい! 美味しいー! 柚斗! 俺、幸せ! ありがとうね、食券機並んでくれて! もうね、幸せ!」
「そうか、良かったな」
 いつになく上機嫌に手をばたつかせる和泉。 水吉シーンを見たときと同じようなテンションでもある。
 微笑ましい姿に望月は自然と頬が緩むのを押さえ切れず、だらしない表情を浮かべながら和泉を見た。 望月の目に映る姿は尋常じゃないほど可愛く見える。 まさに目に入れても痛くないとはこのことだ。
 一口大に切り取ったハンバーグを和泉の口に入れたり、和泉の口端についたカレーを拭ったり、和泉の世話を楽しんでいた望月であったが食堂の入り口から入ってきた団体を見て思わず手が固まった。
 風紀委員ご一行と、水島と黒川の姿が見えたからである。
 どうしてその面子なのだと思っても望月の知る由ではない。 粗方風紀委員と水島の組み合わせに、吉原が卒業式準備期間での相方の黒川を誘ったのだろう。
 水島も風紀委員もまさかここに和泉がいるなんて思いもしないはずだ。
 昼休みはほとんどといって良いほど和泉は望月と過ごしている。 だから詳細までは知らないのであろう。
 普段お弁当派である和泉が月一の限定メニュー目当てで食堂に訪れることなど。 改まって会話にするほどのことでもないので誰も言わなかった。 それが仇になった。
「……!」
 水島がこちらを向いて固まっている。 そりゃそうだろう、和泉がいるのだ。
 望月は必死になって目線で訴えかけるが無理だという風に手を振られてしまう。 この様子では皆限定メニュー目当てのようだ。
 二人の食事はまだ終わっていない。 このピンチを脱する方法はただ一つ。
 和泉が後ろを振り向かないことと、吉原が和泉に気付かないこと。
 風紀委員もこの状況を見ればやばいと思うはずなので、気付いても声をかけることはおろか吉原に言うこともないだろう。 望月の勘であるが黒川もないはずだ。 水島も当然ない。
 となれば吉原だけなのである、不安要素は。
 大体元彼と一緒にいるところを見れば嫌な思いをすると、馬鹿でもわかることにすら気付かない吉原。 幾ら鈍いといえども限度がある。
 吉原にあたっても現状はなにも変わらない。 望月はきょとんとしている和泉の頭を撫ぜると、取り止めのない言葉を紡いだ。
「あ〜そういやさ〜……えっと、ほら! 俺、トイレ行きたくてさ……食べ終わったらついてこいよ」
「えー! 連れション? 柚斗、良い歳してるんだからさ、トイレぐらい一人で行きなよ」
「いや、ちょっとホラー見ちまってさ……怖いなって」
「女子か!」
「……うん、まあ、良いだろ?」
「良いけどさ。でも俺デザート食べたいんだけど、待っててくれる?」
 困る! と心の中で盛大に叫ぶ望月。 和泉の皿はほぼ完食いって良いほど綺麗になっている。 このペースでは後ろを振り向けば、なんてことが起きてしまうのではないか。
 ここで望月がデザート持ってきてやるよ、なんて言っても和泉は望月の様子を見るために振り向くだろう。 それでは駄目だ。
 まさに絶体絶命。 もう策は全て尽きた。 と思われたが望月は最後の足掻きというように自分の皿を和泉の方へと押しやった。
「お、俺、お腹いっぱいだから……蓮が食べろよ」
「え? 柚斗、ハンバーグ大好物じゃん。良いよ、俺満足だよ」
「いや、ほんと、お腹、痛いっていうか……」
「大丈夫? なんか変だよ、柚斗……」
 そう言った和泉の直ぐ後に吉原がこちらを見た。 はちりと合う視線は望月だけが気付いたもの。
 サーッと血の気が失せていく。 嬉しそうな表情を浮かべた吉原は不安要素が直ぐ側にいることも気付かず、水島の肩を揺さぶっていた。
 蓮がいるぞ! とでも話しているのだろう。 きっとそうだ。 そうしてこの後、大声で呼ぶのだ、和泉を。
「蓮!」
 聞き馴染みのある吉原の声に呼ばれ、和泉が振り向いた。 振り向いてしまった。
 頭を抱える望月と水島に気付くことなく、和泉の視線は吉原、水島、風紀委員へと移る。 いつもと同じメンバー。 相変わらずだな、なんて思ったのも一瞬隣に寄り添うようにして立つ黒川の姿を目に入れてしまった。
 にっこりと微笑む黒川。 初めて出会ったときよりは健康的になりつつある容姿は美しさに拍車をかけ、男にしておくのは勿体無いほどに綺麗であった。
「な、んで……」
 ぽつりと呟いた切なさを含む言葉。 望月の耳にしかと入り、事態は呆気なくも早い段階で和泉に露見してしまったのである。
 幾ら安定していようと、自信を取り戻そうと、不安がなくなろうと、それも黒川という存在の前では呆気なくも崩れ去ってしまう。
 和泉が唯一目にした吉原の愛を受け取った人物。 愛が途切れてもなお近くにいる存在。 険悪だったが自ら望んで修復した関係。
 吉原の理想そのものの人だとか、和泉のコンプレックスを刺激するだとか、いろいろな事情はある。 だから不安定に揺れ動く思いが痛いのは仕様がない。
 ただご飯を共にしようとしているだけではないか。 そうだ、生徒会と風紀委員は切っても切れない関係だ。 二人きりじゃない。 そう、二人きりじゃないだろう。
 そう言い聞かせると、こちらに寄ってくる吉原を笑顔で迎えようと口角を上げた。
 和泉が作った綺麗な笑顔。 その笑顔に気付いたのは、悔しくも望月だけだった。
「蓮も限定メニュー目当てなのか?」
「う、ん。カレー好きだから、月一で食べてるんだ」
「そっか。オレんときもカレー作ってってねだるしな〜。へえ、そんなカレー好きかよ」
「よっしーはなに目当てなの?」
「オレ? オレはオムライス。あ、蓮も一回食べてみろよ! すっげー美味いんだぜ! オレたちこれから食うしお前もくるか? オレのちょっとあげるし」
 馬鹿! 行く訳ないだろ! 気付け鈍感! 心の中で思い付くだけの罵詈雑言を吉原に投げ付けている望月。
 案の定和泉は緩く首を振るとやんわりとそのお誘いを断った。
「行かない。俺これから柚斗と用事あるから」
「えー……そ、残念。じゃあ今日の夜くる? オレがオムライス作ってやるよ」
「……うん。考えとく」
「こないのか?」
「……またわかったら言うね」
 ちょっと元気のない和泉に気付いたのか、吉原は渋々と頷くと諦めたようだ。 和泉の頭をぽんぽんと撫ぜると踵を返しあの軍団の中に帰っていく。
 額に手を当て俯いている水島が、望月の目には一番印象的に映った。
 傍から見れば黒川と吉原の間にやましいことなどなに一つないとわかっていても、昔の関係を考えれば不安に思うことも理解できる。 あんまり良い気がしないのも。
 だからといって一緒にいるな、と我儘を言うこともできないのだろう。 和泉の性格上では。
 どの道いくら和泉に甘い吉原であっても卒業式準備期間の間はずっと一緒なのである。 一緒にいるなということ自体不可能なことなのだ。
 ぽりぽりと頬を掻いた望月は一気にテンションの低くなった和泉を見やると、腕を組んだのである。
「……柚斗、見えてたんだね」
「あ? あー……いや、うん、まあ見えてたかな」
「ごめん。変な気、使わせちゃって。俺がこんなことばっか考えてるの、変だよね」
「いや、俺の場合でも気になるし。そういうもんだろ? 嫉妬するってのは変なことでもねーしさ」
「そう、かな」
「おう。それ吉原先輩が知ったら大喜びして直ぐに狼になんだろ。送り狼ならぬ迎え狼? 蓮ちゃんいっただっきまーす! 的な?」
 望月なりにお茶らけていったみた渾身の一言も、呆気なくスルーされてしまう。 これではなんだか滑ったみたいだ。
 妙に気まずい空気漂う中、またもや和泉を浮上させる言葉を考える望月に対し、和泉はこっそりと後ろを振り向くと吉原の背を見つめた。
 水島に寄りかかりながらあれやこれやとなにかを言っている。 迷惑そうな水島に、我関せずメニューを選ぶ神谷、森屋は吉原の側でなにかに頷いている。 そうして黒川は溶け込むようにあの空気に馴染み、微笑んでいた。
 駄目だ。 やっぱり黒いものがどろどろと渦巻いて和泉を支配していく。
 どんなに言い聞かせても胸はぎゅうと痛くなって、喉につっかえたものは簡単には外れてくれない。
 大好きだからこそ、想いが大きいからこそ、黒い感情も大きいのだ。
 憎い? 嫌い? はっきりとしないその感情は決して良いものなどではない。 和泉が知りたくないから名はないが、憎悪に近い感情。
「蓮?」
「あ、……ううん。食堂でよっか。トイレ行くんでしょ?」
「あー……いや、デザートどうすんの?」
「うん、なんか良い。帰ったら柚斗が作ってくれるんでしょ?」
「お、おう! なんでも作ってやるよ! パティシエも真っ青の飛びっきりのスペシャルデザート柚斗大判振る舞いバージョン!」
「えー! なにそれ! 楽しみ!」
「だろ? だろ? お前だけだからな、特別に作ってやりましょう」
 笑みの戻った和泉にほっと胸を撫で下ろす望月。 不安要素が存在している食堂から早く出なければという思いもあり、望月は急いで二人分の食器を片付けると和泉の手を引いて食堂を出た。
 和泉がなにも考えなくて良いようにたくさんの会話をする。 笑わせる。 笑顔にさせるのだ。
 少しでも和泉が穏やかでいられるようにと願う望月は、和泉の笑顔に曇りが見えることまでは見抜けなかったのであった。