高ぶった感情のまま口をつく和泉を、優しくあやしてみるもなにも変わらない。
抵抗も強くなるばかりで一向に減らず、吉原の精神をじりじりと焦がしていった。
押さえ込んだ腕の中で暴れる和泉の仕草が吉原を否定していた。
受け入れることができないのだと、言っているようなものだった。
次第に優しさを保つことすら難しいと気付いても、今の吉原にはどうすることもできないのだ。
「別れ、たい……! わかれたいよ……っ!」
それしか言わない和泉。
ぐさぐさと突き刺さる言葉の重さが吉原には痛い。
「蓮、落ち着け! お願いだから、そんなこと言うな!」
つい最近までは笑い合っていた。
手を取って幸せそうに和泉が笑っていたのだ。
いつしかここまで追い詰めさせていたのだと知ると、後悔ばかり募るが今更どうすることもできない。
和泉と別れるなど考えたくもない。
それ以外の方法を探そうとすればするほど心は焦って、なにも答えを出してはくれなくなっていく。
「蓮……」
強く抱いた身体が強張る。
吉原を跳ねつけるように伸ばされた指先が否んだ。
変化のみせない攻防。
ぎりぎりを保っていた吉原の気が弾けた。
短気な吉原にしてはここまで持ったほうだ。
ぷつりと切れてしまったのを、もう止めることはできない。
和泉がどんなに別れることを望もうとも、吉原は別れるつもりなど毛頭ないのだ。
口煩く紡がれる唇を手で塞いだ。
息さえ漏らさないよう強く押せばほろほろと零していた瞳が大きく瞠目したのだった。
「なにも言うんじゃねえ!」
怒りが露になった吉原に、慄く和泉の身体がふるりと震えた。
青褪める顔色はなにを思ってのことなのだろうか。
本当は吉原が泣きたかった。
勝手だろう、と。
なにもわからないままに訪れた別れに抗うことすら許されないのか、と。
和泉が辛いという思いの重さを吉原も持っている。
のめり込んでいるからこそ、どうしようもなく好きだからこそ、吉原も辛い重さを持っているのだ。
「ぜってえ、別れねーから」
自らに言い聞かせるようにして吐かれた言葉に緩く首を振る和泉。
目敏くそれを見た吉原が怒りに任せてとった行動をもう止める術はなかった。
一度こうなってしまえば、後はたがが外れたかのようにずるずると落ちていく。
和泉が落ちた迷路とは別の迷路に吉原は落ちてしまったのだ。
「よ、っ」
塞いでいた掌が開かれた。
空気を取り込んだ和泉が吉原の名を紡ぐ前に、吉原の唇によって塞がれてしまった。
噛み付くような口付けに和泉の中で恐怖が芽生える。
余裕がない吉原はどこか他人のようで、触れた唇は吉原のものなのに違うもののように感じてしまうのだ。
ぬるりと侵入してきた舌に怯え、思わず噛んでしまえばじわりと血の味が口腔に広がった。
「っ、……ご、ごめ」
反射的に離れた距離。
見上げた吉原は垂れた血を舌で拭っている。
見慣れた吉原の姿のはずなのに今の吉原には光がない。
暗い色を灯した瞳が和泉と捉え、逃がさないとばかりに鈍く光ったのだ。
逃げなければ、と思った。
このままではなにも解決などしない、と。
和泉がそれを言う権利などないとわかっていても、逃げなければと思ったのだ。
「逃げるなって、言ってんだろ?」
玄関に向かおうとした身体を掴まれる。
ぎりぎりと軋む肩に悲鳴をあげた和泉は進んでいた足が止まると、そのままずるずると落とされるように床へと押し倒された。
ぎらぎらと睨むようにして和泉を見下ろす吉原に恐怖を覚える。
ほろりと零れた涙をもう拭ってはくれない。
ただ映像を見るような瞳で和泉を見る吉原は怒りに我を忘れているようでもあった。
「よっし、や、だ……やだって! ま、待って!」
「……別れるって、言わない?」
「っ、れは……」
言葉に詰まった和泉の些細な行動を見逃す訳もなく、仰向けに寝かされた身体がうつ伏せにされる。
そのままたくし上げられた制服から覗く背中に唇を寄せれば、和泉の身体はひくりと反応をみせるのだ。
「やだ……っ! やめ、て!」
圧し掛かるように覆い被さった吉原の所為で起き上がることもできない和泉。
その前に歴然とした力の差の所為で動くこともままならない。
唇は優しく背中に口付けをするものの、左手は焦るかのように和泉の腰を浮かせ、ベルトを外そうと忙しなく動いた。
がちゃがちゃと音を立てたベルトの音がいやにリアルだ。
外されたベルトがするりと抜け、和泉のズボンから抜き取られる。
緩められたズボンの隙間から吉原の手が侵入して恐怖で縮まった和泉自身を握り込むと、ことを急ぐかのような動きをみせた。
どこか非現実だと思っていた行動がより現実になる。
和泉は無理に身体をひらこうとしている吉原に気付くと、情けなくも怖くなってしまったのだ。
今までどれだけ身体を重ねていても、その手は優しかった。
温かかった。
触れる手は冷たく、望まない行為は痛い。
どれだけ拒めど吉原の動きは止まらない。
「っ、あ、……ッ! や、ぁ」
だけど触れられれば反応をしてしまうのも確かなのだ。
別れを望んでいようとも想いは未だ燻ったままなのだから。
握り込まれた和泉自身が次第に硬度を増した。
意思とは反対に反応をみせたそれは湿りけを増すと快感に震える。
「ほら、硬くなった。蓮、……かわいい」
いつもと変わりのない睦言が怖い。
いつもと違う状況だからこそ、変わっているはずのそれが変わらないことが怖い。
きつく背中に吸い付いた吉原はそのまま和泉のズボンとパンツを降ろすと、露になった光景にごくりと唾を飲み込んだ。
「よっし、……も、やだ……っ」
「ほら、蓮のこんなになってる。……気持ち良くねーの?」
「そ、じゃ……ないっ! よっし、よっし……っや、めてよ」
上下に扱かれる和泉自身から漏れた水音が響く。
スピードを増せば増すほどに言葉を紡ぐことができなくなって、次第に喘ぎ声へと変わっていった。
いやいやと首を振りながらも感じてしまうのは性だけの所為ではない。
吉原に愛していると、そう言われる度に心は疼くのだ。
甘い甘い広がりが、隙間ができた心に満ちる。
ここまで求められるほどに愛されているのだという実感を覚えても、もう後戻りする選択を選んでは駄目なのだ。
かっちりと固まった和泉の意志はどうされても覆ることはなく、絶え絶えになりながらも紡いだ言葉がそれを証明していた。
「も、……っや、め……よ」
動いていた吉原の手がぴたりと止まった。
その言葉の意味が行為を差すのではなく、関係だと気付いたからだ。
「……蓮、好きだ」
たった一言、吉原はそう言うとまた手の動きを再開させた。
先ほどのように快楽を与える動きではなく、達するのを促す動きへと変えた。
増大した激しさに唇を噛み締める和泉。
漏れる声を出さまいと必死になればなるほどに、吉原も比例して必死になる。
唇から漏れる荒い息と、和泉自身の濡れた音が響くだけの部屋。
いつもはうざったいほどに紡ぐ睦言も今はない。
愛は存在しているのに愛のない行為に、和泉は涙をぽろりと落とした。
「ふ、っう……ン! んん、っ……ぁ!」
くちくちと聞こえる音が大きくなった。
強制的にあげられた熱が和泉の下肢に集中し、霞んでいく意識の中絶頂は近くなっていた。
いきたくないと力めば力むほどに近くになる快楽に、なす術はもうない。
和泉の弱いところや感じるところ、どうすれば良いかなど吉原は知り尽くしているのだ。
くぷり、と漏れた先走り液を拭うように先端を強く擦られる。
その場所が弱い和泉にとってそれが決め手になったようだ。
身体を大きく震えさせると絶頂へと一気に駆け上っていき、気が付けば吉原の掌へと白濁を零していたのだった。
「は、……ァ……」
くたりと力をなくす身体。
中途半端に浮かされた無理な体勢がたたり、和泉の下肢はぷるぷると震えた。
今、吉原がどんな表情をして和泉を見ているかなど知りもしない。
いや、知りたくないのかもしれない。
無理矢理ことに進もうとする吉原の必死さが、顔を見なくとも伝わってくるのだ。
顔を見れば固められた決心がゆるゆると解れていってしまうのを、どこかで理解していた。
吉原は荒い息を整えた和泉の腰を強く引き、膝を立たせた。
そのまま双丘に添えた掌に、本気をみせる。
「やだ……よっし、こんなの、やだ……!」
和泉の言うことをなんでも聞いてくれると、心の中で胡坐をかいていた。
吉原が和泉に対しては甘かったのだから、そう思わざるを得なかったのだ。
最後までする訳がないだろうと気楽に構えていた分、この行動に酷く和泉は傷付いた。
「う、うそ……や、やだっ」
ぬるりとしたものが和泉の秘部を襲った。
吐き出したものを絡めた吉原の指が和泉の中へと入ってきたのだ。
このままではなし崩しに身体を重ねるだけでなにも解決などしない。
腰を引こうと和泉が動いたものの、吉原の強い腕によって引き戻されてしまう。
いやいやと首を振って手を払い退けようとしても吉原は止めてくれない。
「ほ、んとっ……や、……! いやだっ!」
長い指が内壁を擦る。
現実味を帯びた無理な行為が和泉に更なる恐怖を植え付けた。
せり上がる熱いものを堪えようと唇を噛み締めるが、漏れたそれを境に押し上がるようにしてでてしまう。
やがて涙になった想いが零れ、和泉はぼろぼろと涙を零すと嗚咽を漏らしたのだった。
「っ、……」
それに怯んだのは吉原だった。
激しい拒絶に我を取り戻した、そういう表現が合うのかもしれない。
中に入れていた指を引き抜くと呆然とした気持ちのまま小さく名を紡ぐ。
「れ、ん」
いつだって名前を呼べば花が綻ぶかのような笑みで、頬を染めていた和泉。
甘さを含んだ声色で呼べば、嬉しそうに合った瞳。
だけど今の和泉は恐怖にふるふると震え涙を零している。
名を呼んでも一際大きく震えた姿しか、吉原にみせてくれなかった。
こんなことがしたかったのでは、ないのだ。
腐るほどに愛し合ってしまえばまた和泉が元に戻ってくれると思っていた。
別れを撤回してくれると信じ込んでいた。
現実は元に戻るどころか悪化していくばかりなのに、まだ夢を捨てきれないでいる。
信じきれないでいる。
「別れる、のか……? それしかないのかよ……」
ひぐひぐと泣き出した和泉は震えながらも小さく頷いた。
「わか、れ、たい……も、つらい」
一向に変わらない。
答えはどれだけ時間を経ていようとも変わることはなかった。
うつ伏せのまま動かない和泉に手を伸ばした。
触れた途端に震えをみせるものの抵抗はする気がないのか、気力がないのか、受け入れるように吉原の手を甘受した。
起き上がらせるようにして抱き寄せる。
座ったまま向かい合わせになれば、涙で濡れた真っ赤な瞳が吉原を見据えた。
「れ、ん……蓮、いやだ……」
溢れる涙を舌で拭って、冷たくなった身体を抱き締めた。
ここに和泉は存在しているのに遠くなってしまう。
吉原の掌から零れるようにいなくなってしまう。
震える身体は一体どちらの身体なのだろう。
つんと差す痛みにつられ、吉原は涙腺が崩壊していくのを感じていた。
出会って、恋をして、想いが通じて、今までのことが走馬灯のように駆け巡る。
長いようで短かった時間。
一年を経る前に崩れ去っていく。
こんなに誰かを思うのも、こんなに誰かを好きになるのも、初めてだったのだ。
格好悪くても情けなくても惨めになっても滑稽であっても、吉原が大事にしていた自尊心も、どうなっても良いから和泉を返してほしい。
強くこいねがった思いが涙となって、吉原の頬を濡らした。
そのままお互い言葉を発すことなく、涙を流すだけだった。
言の葉を紡いでも平行線を辿るだけで解決はしない。
それをわかっているのか、もう口を紡ぐことはなかった。
抱き合ったまま、どれくらい時間が経ったのだろうか。
ひくりと動いた吉原に反応するように和泉は顔をあげた。
温かい体温に包まれてどこか夢心地を感じていたようだ。
気付けば随分とこのままだったような気もする。
力の抜けた腕をあげた。
嫌だと叫んだ心がじくじく痛む、けれどこの腕を放さなければいけないのだ。
突っぱねようとした動きに気付いたのか、吉原は小さく頭を振った。
「よっし、……だめ、だよ」
「言うな……なにも、言うな」
「……ごめん、……ごめん、ね」
びくりと跳ねた身体。
なにをしても変わらないのだと、知った。
力の抜けた吉原の身体を和泉は引き剥がす。
あれほどまでに強かった力も、今は抜け殻にしか感じられない。
項垂れたままぴくりとも動かない吉原が、気にはなるものの和泉は振り切る思いで衣服と整えた。
衣服の擦れ合う音だけがする部屋。
時折すすり泣いて聞こえる吉原の声に、和泉は胸がぎゅっと痛くなる。
こんなにも好きで、こんなにも想ってもらえている。
それは確かに存在としているはずなのに、自分の我儘だけで断ち切ろうとしている関係。
振り向いた先には膝に顔を埋めている吉原の姿。
いつだって和泉の目に大きく映った背中が小さく見える。
駆け寄って抱き締めて、大丈夫だよって、そう言ったら涙は止まるの? なんて和泉にはもうそれさえする資格がないのだ。
「よ、っし……、……」
「……聞きたく、ねえ」
「……ごめん」
「いやだ、……お前は、お前も……オレを、捨てるのか……?」
「す、てる……んじゃ」
「……いっしょに、いたいのに、なんで、……なんでだよ」
「……ごめん、ね。ごめんね、よっしー……俺、……ごめん、……ばいばい」
はっと振り向いた顔。
最後に合った目が、お互いに嫌だと湛えている。
涙で濡れた視界でぼやけた姿。
立ち上がろうと吉原が動いたのを境に、和泉は逃げるようにして玄関へと向かった。
追いかける足音が近い。
捕まりそうなほどの距離に鈍る足を叱咤して扉を開けば違う世界。
この部屋を一歩出れば、どこかぼんやりとしたものがはっきりとしてみえるのだ。
そう、この部屋を出れば別れてしまう。
吉原と和泉の間にはなにも残らないのだ。
「蓮っ! 行くなよ!」
悲痛な声色で和泉を呼ぶ声。
引かれる思いを断ち切るように、和泉は扉を締めた。
閉ざしていく視界には吉原、これで終わったのだと、そう知らされた。
「や、だ……」
自分で決めたはずなのに、自分で望んだはずなのに、閉じてしまった扉に和泉は泣き崩れた。
ずるずると崩れた身体が地面に近付いて、和泉はまた泣いた。
扉一枚隔てた距離には吉原がいる。
そこにいる。
だけどたったそれだけの距離が、物凄く遠いのだ。
泣いても、困っても、寂しくなっても、辛くなっても、もう吉原の手を頼ることはできない。
他人に戻ってしまった今、和泉は吉原と関わりさえなくしてしまった。
これから先、吉原が違う誰かを好きになるかもしれない。
隣に誰かを立たせて、笑顔で過ごすのかもしれない。
それを止める権利を失った和泉は、受け入れなければならないのだ。
「やだ、やだ……っ、よっし」
失ってしまってから気付いた存在の大きさに、どうすることもできない。
ぽっかりと空いた穴を埋めてくれる人を、和泉は自ら手放した。
自分の利己的な思いだけで傷付けた。
これは和泉が望んだ世界なのだ。
だけどなにもなくなってしまった世界になっても、和泉の心は晴れることがなかった。