乙男ロード♡俺は腐男子 58
「最初から好きになるつもりもなかったんですね」
 そう言った望月に黒川は諦めたように頷いた。 想い人が黒川の最大の秘密だったのだ。
 これ以上なにを隠そうというのか、素直に全てを言うつもりはなかったが秘密を握られている以上隠すこともできなかった。
 不貞腐れた表情で床を踏みにじり、渋々といった声色で話すのは望月が知りたかった確信の言葉でもあった。
「忘れられるかも、って思った時期だってあったよ。だけど柳星の近くには絶えずあの人がいる。忘れられる訳ないじゃない?」
「だったら、どうして……」
「そのつもりだったって言ったら? どうせ好きになってもらえないんだったら、近くにいたいって思うでしょう? だから受け入れた。側にいた。重ねて見た。……ま、長続きしなかったんだけどね」
「なんで好きになってもらえないって決め付けるんです?」
「知らないの? 会長は限りなくノーマルに近いんだよ」
「え? でも可愛い男の子に弱いって」
「そこ。意味わかる? 女の子みたいに可愛い男の子じゃないと駄目ってこと。それに親友の元彼になんて手も出さないでしょ」
 自嘲気味に笑った黒川が一歩を踏み出し、二人の距離を近くする。 たじろいだ望月に黒川は擦り寄ると、華奢な腕を首に回し艶めいた色を出した。
「全てを知って、君になんのメリットがあるの? ヒーロー気取り? 僕がなにをしたってどう思ってたって結局はあの二人の問題じゃない? 簡単に別れてしまえるほど、和泉君は柳星を好きじゃなかったってことでしょ」
 その言葉に望月は頭に血がカッと上った。
 自分のことならなにを言われたって良い。 実際水島と二人、寄りを戻そうと作戦を練っていたりしたし、関わらないと決めた後も寄りを戻してほしいと願っていた。
 お節介だって、良い人ぶったって、なんだって言ってくれても構わないのだ。 それで和泉が幸せに笑えるのなら。
 だけど和泉のことを悪く言われるのだけは我慢できなかった。 確かに被害妄想が酷くて勝手に空回りして、悩まないで良いことで悩んで、逃げてしまった和泉。 弱くって自己中心的で吉原を傷つけたことに悔いている和泉。
 好きだからこそ、好き過ぎたからこそ別れたのだ。 望月とて和泉じゃないから和泉の考えていることなど全てを掌握することはできない。 それでも今の和泉が苦しんでいるのはそんな簡単に言ってしまえるようなことではないのだ。
「勝手に決め付けるな!」
 首に纏わりつく手を振り払った。 睨みつけた視線の先には飄々とした様子の黒川。
「あんたがなにを蓮に言ったのかは知らないけど、もうこれ以上関わらないでくれ! 吉原先輩にも、だ。あの二人がこれからどうなるかなんてあんたはもちろん俺だって関係ない。だからこそ見守ってやるんだよ、俺は!」
「和泉君には関わらないよ。でも柳星に関しては君に関係ないでしょ?」
「あんただって関係ないだろ?」
「良い子ちゃんぶらなくたって良いんだよ。言えば良いじゃない。柳星に関わったら僕が会長を好きなことをばらすって。ほら、言いなよ。たった一言で全てを変えてしまう鍵を君は握っているんだから」
 脅すことを良いとしていない望月の性格をわかった上での黒川の一言に、望月は詰まってしまった。 確かに黒川にそれを言えば黒川は言葉の通り吉原には関わらなくなるのだろう。 それほど秘密にしておきたいことだともわかっている。
 だけどそれを言うのにはどうしても躊躇いがあった。
 お人よしと言われるかもしれないが、根本的な問題が解決していないのだ。 黒川が吉原を憎む、ということを解決しない限りはなにも変わらない。 表面上だけ取り付くっても意味などない。
 黒川の話を聞いている限りでは吉原は利用されただけなのである。 水島という存在を近くに置くからこそ、吉原は利用された。
 黒川がなにをきっかけに水島に惚れたのかは望月の知るところではないが、数年も自分を偽り続けられるほどには強い想いなのだろう。
 普通なら考えられない。 誰にも隙を見せることなく、気弱で大人しい性格をばれずに演じ続けることなど、できるはずがないのだ。
 だけどそれをしている。 それをできる強い意志を黒川は持っているのだ。
「どうして、あんたはそこまで吉原先輩を憎むんだ」
 どうしてもわからないこと。 繋がらないこと。 理解ができないこと。
 黒川は吉原になにかをされた訳でもないのに憎む理由、それを望月は知りたかった。
「それを言う義理はないね。それこそ君には関係ない話でしょう? まあ、でも、良いんだよ。僕を脅せば聞ける話だ。どうするの? ほら、今の君には僕を自由にできる情報を持っているんだ」
 言ってしまえ、望月の頭の中で誰かが言った。 たった一言で和泉が救われるのなら言ってしまった方が早いのではないだろうか。
 手が白くなるほど握り込んだ。 目の前の黒川は楽しそうに顔を歪めている。 まるで望月にはできないのだと決め付けている顔だ。
 もう全てを終わらせたかった。 望月にとっては今、和泉が一番大切なのである。 そのためならば、そう思い口を開こうとした瞬間廊下の奥でガタンと音がなった。
「……なに?」
 黒川が振り向く。 望月もつられるように視線を向ければ、そこには無表情でありながらも困惑を湛えた表情の吉原が立っていた。
「どういうことだ?」
 さあっと顔色をなくしていく黒川に目を見開いた望月。 この様子からしてみれば聞いていたのだろう。 おそるおそる口にした言葉に、吉原はさもありなんと言わんばかりに頷いた。
「聞いて……?」
「最初から」
「盗み聞きしてたんすか」
「……まあ、仕方なく」
 かつかつと歩く吉原の靴の音。 全てが終わったという表情をしている黒川の前に立つと、その華奢な腕を掴んだ。
 怒りに染まった吉原の雰囲気に怖気づいた望月は一歩後ろに下がると、どうしようかと頭を巡らせた。 このまま突っ立っているのもなんだけど去るのも妙に気まずい。 だけどこのままでは危険な気もする。
 吉原が今にも殴りかからんとしているような様子だったので、望月が止めようとした刹那、またもや邪魔が入った。
「望月君! 和泉君がっ!」
 子供を抱くような抱き方で和泉を抱えながらこっちに走ってくる水島。 その腕に抱かれた和泉はこちらを向いていなかったのでどんな表情をしているかはわからなかったが、随分と具合が悪そうにも見えた。
 望月よりも先に吉原が反応した。 だけど望月は吉原を押さえて言ったのである。
「今は、駄目です」
 ぐっと立ち止まる吉原。 本当は誰より先に走って手にしたいであろう人は、今は吉原のものではない。 誰のものでもない。 壊れてしまった関係のまま、未練ばかり引き摺っている。
 望月は吉原を制してから水島に駆け寄るとぐったりとしている和泉の身体を引き取った。
「なにがあったんすか?」
「いや、急にしゃがみ込んだんだ。大丈夫か? って聞いたら、具合悪いって。お腹減ったって言っていたぞ」
「……そう、ですか。まあ原因がわかってるのであまり心配はいらなそうですね。ご飯は保健室で食べさせます」
「ああ、食事を抜いては身体に支障をきたすぞ。随分と軽くなっていたようだからな。望月君、健康管理はちゃんとしたまえ」
「わかってます。わざわざすみません」
 ぐったりとしている和泉ではあったが意識はあるようだ。 恥ずかしそうに望月の顔をちらりと見ると、水島の顔もちらりと見た。
 お腹が空いたのが原因で立ち眩みを起こしてしまったことに羞恥があるのだろう。 拗ねているようで、困っている顔は可愛くもあった。
「ほら、結局こうなるんだから。な? 飯食わなきゃ」
「……今から食べるつもりだったじゃん」
「こうなる前にちゃんと食べるの。まあちょっとでも食欲が戻ってきたみたいだし、安心だよ」
 ぎゅっと望月にしがみついた和泉を尻目に、望月はこの場から去ることを決めた。 黒川と吉原の問題については当人同士がどうにかしてくれるだろう。 もう望月の出番はなくなった。
 これで良いのだ。 結局ヒーローにも悪役にもなり切れない望月には必要以上に首を突っ込めることなどできやしなかったのだ。
 今できることは和泉の側にいて、和泉を癒してあげられることだけ。 これから先どうなろうと望月は和泉だけの味方でい続ける。 和泉だけのヒーローなのだ。
 なんともいえない微妙な雰囲気の中、望月はお辞儀をすると去っていった。 和泉を大切そうに抱いて、去っていったのである。
「貧血らしいぞ。食事はちゃんと取らなきゃいけないものだ。……ん? どうした?」
 和泉を無事に受け渡したことにほっとしていた水島は不穏な空気に気付くと、居心地悪そうに二人の顔を見た。 どこか遠くを見ている黒川に怒りを抑えつつ不安で仕様がないといった様子の吉原。
 離れている間になにかあったのだろうか、なんて思った水島だったが酷く固い吉原の声に遮られてしまった。
「蓮の様子見といて」
「あ、ああ……わかったけどお前はどうするんだ?」
「涼に話があるから先に帰っとけ」
「まあ、なにがあったのかは知らないがほどほどにな。黒川をあまり苛めすぎるなよ」
「そんなんじゃねーよ」
 小さく笑って吉原は黒川の手首を引いたまま廊下の向こうへと消えていった。 吉原に引かれるままの黒川はいつもより大人しく、生気がなくなったかのようだ。
 一体なにがあったのだろうか? 気にはなるものの水島が気に止めることでもない。 余程のことがあるのなら吉原自身の口から聞けるだろう。 そう思って踵を返した。
「保健室に行こうか……」
 言ってからそうしようと決めた。 和泉と吉原の関係に口出しはしないと言ったものの和泉の体調は素直に気になるものだ。 吉原にもよろしくと言われた手前どんな状態なのか見るぐらいは良いだろう。
 なにか食堂で買っていこう。 とことん和泉に弱い水島は自ら足を突っ込んでいるなどとは気付かずに、甘いデザートを買うために食堂へと向かうのであった。
 余談ではあるが和泉が甘いデザートをそこまで好まないと知ったのは、後からの話である。

 一方吉原の腕に引かれるままに移動をしていた黒川は、もう全てを諦めていた。
 なにがきかっけでこのようなことになってしまったのかもわからない。 望月にばれてしまった時点でもう負けは決まっていたのか。
 まさか吉原が盗み聞きをしているなどとは露にも思わなかったのである。 完全に自らの不注意ではあるが、誰が盗み聞きをしているかもなんて危惧するだろうか。
 幾ら大丈夫だと言い聞かせてみても、吉原は黒川の想い人が一番の信頼を寄せている人物でもあり、元彼でもあり、憎んでいる相手でもある。 複雑に絡めた糸を鋏で切断されたような気分であった。
「……ずっと、好きだったのか」
「……全部聞いてたんでしょ。僕がこんな性格だってことも、誰が好きかも、どうして柳星と付き合ったかも」
「まさか情すらなかったなんて思いもしなかったけどな」
 ぱっと手を離した吉原。 空き教室に入った二人は遠くでチャイムが鳴る音を聞きながらも、ここから一歩も動くことができなかった。
「お前はなにがしてえんだよ? まさか蓮に言ったとはな。様子が可笑しい訳だ」
「ちょっと揺さぶっただけだよ。それで別れるだなんて思いもしなかったけどね」
「……別れるってわかってて、そんなこと言ったんだろ?」
「わかってんじゃん。ならどうして聞くの?」
「てめーはなにをそんなに……どうしてオレに関わるんだ」
「オレ? 二人の関係にって言えば良いじゃん」
 長机に腰をおろしてそう言った黒川の顔には、一つの後悔ですら浮かんでいなかった。 ばれようとも痛くも痒くもないと言いたげな表情だ。 ばれたら困るのは想い人、ただそれだけなのである。
 吉原は八つ当たりするように椅子を蹴ると、怒りをなんとか内側で留めようとした。
「過去のことはどうだって良い。お前がオレを好きじゃなかったことも、今となってはどうだって良い。けどよ、蓮に手は出すな」
「だからさ、和泉君には手は出さないよ。聞いてたんでしょ? 僕はあんたが憎いだけ」
「オレが憎いならオレだけに当たれば良いだろが! オレと蓮の関係にまで手ぇ出すことじゃねえだろ! なにがしたいんだよ、てめーは!」
 怒りが過ぎて、吉原は黒川の胸倉をぐっと掴んだ。 このまま殴ることは誰にだってできる。 だが殴ったってなんにも変わらない。 状況はなに一つ変わることなどないのだ。
「不幸になれば良いって思ったよ。僕ばっかこんな思いして、あのとき一緒に傷を舐めあってた柳星だけが幸せになるなんて許せないってずっと思ってた」
 吉原を振り払うこともせず、正面を向いたままそう言った黒川。 瞳にはなにも映していない。 黒々とした硝子のような瞳は吉原ですら映していなかった。
「例えばさ、柳星、あんたが和泉君と付き合えなかったとする。どんだけ和泉君を好きでも和泉君は柳星のことなんてちっとも気にもかけなくて、どうなろうと知ったこっちゃないって感じ」
「……あ?」
「柳星と望月君が同じだけ酷い目にあっても、和泉君が心配するのは望月君だけ。いっつもいっつも望月君のことばっか心配して、気にかけて、……そんな風になってたらどう思う?」
「知らねえよ、……そんなの」
「会長はずっとあんたばっか見てた。あんたばっか心配してた。恋愛感情がないとわかっていても、柳星に嫉妬したんだ。いつしかあんたが憎いって思うようになったんだよ。柳星、これは嫉妬だ」
 バシッと振り払われた手が痛い。 思わずたじろいでしまった吉原に、黒川は畳み掛けるように言葉を矢継ぎ早に捲くし立てた。
「報われなくたって良いって思ってたけど、人間だし、ちょっとは期待する。だけど同じ立場だと思ってたあんたは幸せになるし、僕の幸せをくれる人からの愛を一心に受けている。どうして僕じゃないんだって、僕のことを心配してよって思うでしょう?」
「颯とはそんなんじゃねぇよ」
「わかってるよ。会長に愛されていたんなら、今頃あんたをどうにかしてたかもね」
 項垂れてしまった黒川に吉原は攻め立てて言葉を紡ぐことができなくなった。 同情ではなく、ただ惨めだと思った。 こうすることしかできなかった黒川が惨めだと思ったのだ。
 吉原は黒川ではない。 黒川の立場だったとしても同じことをしているかどうかなどわからないのだ。
 もしかしたらそれ以上に酷いことをしているかもしれないし、なにもしていないかもしれない。 結局は本人にしかわからないことなのだ。
 間違っている。 黒川は間違えてしまったのだ。
「……諦めてたんじゃ、そこでてめーの恋は終わりだ」
「仕様がないじゃない? 会長は、……」
「オレだって蓮と付き合うとき必死になった。なんでもするって気持ちでアタックした。嫌がられても無視されても拒絶されてもそれでも好きだと言った。絶対欲しいって思ったから我武者羅になった。オレが大事にしてるプライドなんて、蓮の前ではいらないもんだって、そうだろ? プライドを守ることで蓮が手に入らねえんなら、そんなプライドなんていらねえんだよ」
 俯いていた黒川が顔を上げて、吉原を見据えた。
「頑張ってもないのに最初から諦めて他人に当たるなんてどうしようもねえな。だからてめーは報われねえんだよ」
「知ったような口を!」
「本当に好きなら努力しろよ。嫌われても良い覚悟でぶつかっていけよ。それすらしていないてめーには嫉妬する権利すらねえんだよ! そうだろ!? 誰だって好きな人には好かれたい、嫌われたくない。当たり前だ! だけど努力しねえと振り向いてもくれねえもんだ! ぶつかってぶつかって粉々んなって、そこまでしろよ!」
 なにも言い返すことができない黒川は唇を噛み締めると、掌を白くなるまでぎゅっと握った。
 ちっぽけなプライドを守ることで矜持を保つ黒川と、プライドをかなぐり捨ててまでぶつかっていった吉原では手にしたものが違うのは当たり前なのである。
 プライドを捨ててまで手にしたいと思った幸せだからこそ、吉原は手に入れることができた。
 黒川に対してもうなにも言うことはない。 これからどうなろうと、どうしていこうと、吉原には全てが関係なかった。
 扉に手をかけ、振り向く。 項垂れたままの黒川はぴたりとも動くことがなかった。
「涼、オレはどれだけてめーにちょっかい出されようとも、蓮のこと、諦めねえから。なにがあっても諦めねえ。あいつの中にオレがいる限りは、何度だって突き放されようが拒絶されようがしつこく付きまとうって決めてんだよ。嫌い、ってそう思われるまでは足掻き続けてやる。それでもし元に戻ることができんなら、なんだってする。今度こそはてめーにも邪魔させねえよ」
 それだけを言うと扉を閉めた。 ぴしゃりという音を立てて閉じた扉。 日中といえども電気をつけていない教室は薄暗く、今の黒川の心そのままであった。
 初めから逃げた黒川にはもうどうすることもできない。 全てが壊れていった日々。 吉原のように素直になって想いをぶつけていればなにかが変わったのだろうか? だけどもそれを知るにはもう遅すぎたのである。
 誰もいない教室で、唇を噛み締めた黒川は悔しさに涙を流すのであった。