柊の逢引現場を見た日から俺は度々和泉と話をすることが多くなった。
といっても顔見知りになってしまったから会えば話すっていう程度だ。
たったそれだけのこと。
なのにそれ対して心配をする教師が多いのが不思議だった。
だってどれだけ和泉と接しても和泉と関わっては駄目な理由が俺にはわからないし、検討もつかない。
教えてくれって言っても誰も教えてくれないし、そこまで気になるってことでもなかったから俺は追及するのを諦めた。
害がない内は別に良いかっていうのが本音だ。
和泉は俺を見ると嬉しそうに近寄ってきて柊のことを喋る。
あまりに純粋できらきらとした目をしているからやっぱり柊が好きなんじゃないかって思ったけど、本当にそれも違うらしい。
だったらなんで俺に柊の話ばっかりするんだ? って聞いたら、俺が柊のことを気にしているっぽいから、という答えだ。
和泉は一体なにを教えようとしている? なにを望んでいる? その透き通った瞳を見ても、俺にはさっぱりわからなかった。
「五十嵐先生!」
「ああ、和泉か……」
渡り廊下の真ん中、和泉のことをぼんやりと考えていたらその本人がきたみたいだ。
きらきらとした目で俺を見つめている。
だけど今日は一人ではない。
和泉にしては珍しく、隣にどこかで見たことがある生徒が立っていた。
その生徒は俺を睨むように見ていたがどこか同情を秘めたような目をしている。
射抜くような視線に何故だか俺は目を離せなかった。
「あの、五十嵐先生に言い忘れたことあったんだ」
「……え?」
視線を外して和泉を見ればどこか好奇めいた表情で詰め寄られる。
思わず一歩下がってみるが、和泉は気にもしないといいたげに距離を詰めると言葉を紡いだ。
「柊先生ね、特別塔にある四階の化学準備室で逢引してることが多いんだよ。知ってた?」
「……いや知らないけど、なんで俺にそんなこと言うんだ?」
「五十嵐先生、柊先生のこと知りたがってそうだったからこれも聞きたいかなって」
「お前……本当に柊のこと好きじゃねえの? そこまで行動知ってるなんて可笑しいだろ?」
「マークしてるの柊先生だけじゃないよ。でも柊先生が一番派手だから、さ。あとね、教えてくれるの」
「……誰が? なんのためにだ?」
問うた俺の質問には答える気がないのか、和泉はにこりとだけ笑うと俺からすっと距離を取った。
そして待っていた生徒の腕を掴むとさよならさえ言わずに歩き出したのだ。
統一性のない和泉の行動に俺はどうして良いのかわからず、仲睦まじげに去っていく二つの背中を見ることしかできなかった。
和泉は俺になにを望んでいるのだろうか? 俺になにをしてほしい? それだけが俺の中ではっきりとした疑問となって、ただ存在し続けるだけだった。
このままぼうっとしている訳にもいかなかったので、職員室へと戻ることにした。
幸い授業は午後までなかったけど仕事はある。
もう直ぐ行なわれる中間テストの問題作りを手伝わなくてはいけない。
この学園では新人教師ということもあるのでテスト作りはしなくて良いんだけど、なにもしないで良いってことではない。
テスト前のぴりぴりとした空気で満たされている職員室に入ると自分の机へと向かった。
「五十嵐、どこに行ってた?」
俺が椅子に腰を降ろした瞬間に掛かった声。
向かい合わせになっている机の向こうから苛立ちを隠しきれていない柊が俺を睨んでいた。
いつもは長めの前髪を垂らしているんだけど、今日は左右にわけているのかその綺麗な顔が惜しげもなく晒されている。
普段髪に隠れている右目脇の涙ボクロが印象的だった。
冷たい瞳をより浮き彫りにさせる泣きボクロ。
露になった柊の素顔に俺はつい見入ってしまった。
「聞いてるの?」
「あ、ああ……わりい、ちょっと歩いてた」
「はあ? この時間はテスト作らなきゃいけないって言ったよね? だからあんたにクラスの学力の程度を調べてほしいとも」
「……そう、だったっけ」
「あんた一体なに聞いてた訳? 最低限の仕事はちゃんとしろよ」
「わかってるよ」
そう言うと満足したのか柊は俺から視線を外すとパソコンに向かってカタカタとキーボードを鳴らし始めた。
射抜くような視線から逃れることができてほっとしているのか、がっかりしているのか自分でもわからない。
ただずっとあの瞳を見ていたいような気もするのに、見られたらどこか落ち着かない感じがする。
それは酷く曖昧なことだ。
上手く言葉で表現することができねえけど、俺は囚われているのかもしれない。
ただ似ているだけだから惹かれてしまうのか、印象的だから惹かれてしまうのか、そんな細かいことはわかりもしねえが関わっちゃ駄目だ。
柊と関わってしまうと戻れないような気がする。
ただそれだけだった。
緩くかぶりを振って考えを打ち消すと俺も仕事に取り掛かることにした。
先日柊から手渡された一枚のCD-R、これには昨年の一年の学力が記されていた。
つまりはこれから現クラスの生徒を割り出し、新品のCD-Rに焼き移さなければならないのだ。
馬鹿にだってできる仕事だがかなり面倒くさい。
第一一年のときの学力を知ってどうするんだ? って感じなんだけど、柊には必要なものらしい。
副担任しかしたことがない俺だから知らないだけで、担任という仕事は意外と大変なのかもしれないな。
そう思うと素直にPCを立ち上げた。
授業が始まるまでの間その仕事をして授業へと向かう。
終わったら昼休憩を取って仕事に取り掛かる。
やることがある内は時間なんて直ぐに過ぎていくのだ。
ただ流されるように時間に身を任せて、忙しい時の中を泳ぐように進むだけ。
流れる景色も新たな発見にも目を向けず、そうやって生きていく。
そうして夜一人になってやっと安心できるような気がした。
ベッドの中丸まって疲れを休めるためだけに目を瞑る。
娯楽も趣味もない俺は一人の時間でさえやることがなくって、ただなにもしないでいることが俺の唯一の自由時間だった。
独りぼっちが嫌な訳じゃない。
煩わしさも干渉も全てから逃れられる唯一の時間は俺にとっては癒しのようなものだ。
だけど寒々しい心が人肌を求めてしまうのは、性なのかもしれないな。
独りを望むくせに独りが嫌だなんて馬鹿馬鹿しいにも程がある。
ただ、もうなにも考えたくない。
忙しさで埋もれてしまいたい。
息すらする暇も与えずに、生きていきたい。
だけど微温湯のような環境の中、それを実現するのは難しくて俺は独りきりの時間をただ噛み締めながら過ごすことしか与えられなかったのだ。
それから忙しくなった教師生活に俺は次第に慣れていった。
最初は柊にちくちく言われていた嫌味がなくなったぐらいには成長したんだろう。
教師として使えるようになったのか、柊が小言を言うのに煩わしさを感じたのかはわからねえけど。
職員室のぴりぴりとした空気もテストが始まれば薄れていく。
だがテストが終われば採点をしなければならないので、それも一時のことだ。
平日だけどテストの所為で人がいない廊下を歩きながら窓の外を見つめた。
午後ということもあるのか、普段は活気を見せている学園も今日だけは静かだ。
きっと通常授業になればまた溢れ出すであろうこの場所も今は寂しいだけ。
テスト期間中の今、新人でもある俺ができる仕事はあまりない。
柊にこきを使われたり、他の教師に頼まれごとをされたり、そんなことがない限りすることなんてない。
つい最近まで忙しなかった日常が、静かなものへと変わっていく。
考える時間が増えていく。
俺の脳内が空白になってちらりと影が横切った。
それは柊のことを教えてくれる小さな生徒のことだった。
最近見なくなったけど、元気にしているのか? 少しだけ心配してしまった気持ちが現実になったのだろうか、あらぬところで再会をしてしまった。
「……和泉?」
渡り廊下から見える特別塔の窓に和泉の姿があった。
側で寄り添うようにして話している生徒は、この間和泉の横にいた生徒だ。
二人は親しげに会話を交わしていたかと思えば、まるで引き寄せられるかのようにして唇を合わせていた。
「な、……」
少し、衝撃だった。
男同士のキスを見たということもあったけど、この学園にいればそんな光景は嫌でも目にする。
現に柊と生徒の睦み合いを見たのも一度や二度ではないほどにはいろいろなものを見てきていた。
だけど純粋な瞳をしている和泉もあんなことをすると知って、少し驚いたんだ。
確か恋人がいると言っていたな。
あの生徒が恋人なのか? 見目からは合わない組み合わせのようにも見えるが、二人寄り添っている姿はすんなりと馴染むように俺の目に届く。
ああ、あれが恋人なのだ。
愛し合っている恋人。
幸せそうな二人を見ているはずなのに、俺の心には柊の顔が浮かんできた。
いつも人を馬鹿にしたような態度を取る柊の冷たい目。
睦み合っているときだってなにをしているときだって、少しの変化のない目。
柊も、あんな目をするようになるのか? 相手を思って、色が付く目。
冷たい目からは想像もつかねえけど。
「……特別塔の、科学準備室だった、な」
ぽつりと呟いてしまえば後は簡単だった。
足がふらふらと彷徨うように進んでいく。
ただの好奇心だった。
そんな偶然ある訳ねえだろ? いなかったら、いなかったで良い。
いや安心したいのかもしれない。
なんでかわからないけど、足が向かった。
柊を探すように向かった。
閑散としている廊下の奥に忘れられたかのように存在する科学準備室。
人が寄り付く気配もない。
確かにここなら穴場だ。
ぴしゃりと締められている扉の向こうに、柊はいるのだろうか。
冷たい目をして生徒を組み敷いているのだろうか。
それとも色がついた目で、見つめていたりするのか?
つい、と扉に手が伸びる。
開こうと取っ手に手をかけたが開けることは叶わなかった。
「最低っ!」
捨て台詞のような言葉を紡ぎながら生徒が出てきたからだ。
真っ赤に泣き腫らした瞳と、肌蹴た制服。
まさに情事をした後に振られました、と言っているようなものだ。
どんっ、とぶつかってしまう。
生徒は一瞬だけ驚きに目を見開いたが今直ぐにでも逃げ出したかったのか、もう言葉を紡ぐことなく駆けていった。
「……柊、なのか?」
やめておけば良いものの俺は好奇心にかられてしまい一歩中へと足を踏み入れた。
準備室にむせ返るほど漂う精液の匂いと、うっすら汗をかいた柊の扇情的な姿。
なにがあったか一目瞭然だ。
「あんた、なにして……」
「なにして? わかってて、ここにきたんじゃないの? そうでなくても、見たらわかるよね」
「……泣いてた」
「ああ、そうだね。勝手に泣いて勝手に喚いて、女みたいだと思わない?」
「それで良いのか? 少しは可哀想だって、思わねえのかよ」
無機質な瞳だった。
俺すら見ていない、そんな瞳だ。
柊はただ色をなくした目を俺に寄越すと自嘲気味に笑ったのだ。
「説教しにきたの? 誰に聞いたんだか知らないけど、俺に関わるなって言ったよね」
「……関わってねえよ」
「それともなに? あんた、俺に惚れたの。最近ちらちら見てくると思ったけど、それが原因?」
「違う、ただ……目が、目に……目を見てただけだ」
俯いた俺に近寄る足。
柊は俺の目の前までくると足を止めた。
「それって言い訳? ノンケじゃなかったの」
馬鹿にしたような声音。
柊はそう言うと俺の顎を掴んで顔を上げさせた。
これは恋なんかじゃない。
惹かれている訳でもない。
気がそぞろになるのも、柊のことばかり考えてしまうのも……懺悔したかっただけだ。
過去の自分を重ねて、そんな柊を救うことで許されようとしている。
そんな浅はかな俺がここにはいた。
柊を救ったって俺の罪が許される訳でもねえのに、そうやってずるいことばっか考えて逃げて、ただ忘れようとしているだけなんだ。
柊の瞳に俺が映る。
無気力で、全てを諦めた俺の顔。
表情を変えない柊と同じ程度には表情に変化がなかった。
「うっとおしいんだよね、ほんと。なにを期待してるのか知らないけど、俺はこの生活を改める気はないし、あんたに指図を受けて変わる気もない」
「けど……」
「ああ、口で言ってもわからないんだ? あんたみたいな馬鹿が俺は一番嫌いだね。なにを正義ぶってる? 俺がなにをしようがあんたには関係ないはずだろ」
一瞬の間が開いて、柊は俺の前髪を掴むと頬に爪を立てた。
「五十嵐、あんただって昔は遊んでたんだろ? 俺と同じように女を弄んでたんだろ?」
「な、にを」
「個人情報って煩いわりには簡単に人の情報なんて見れるもんだよね」
「調べたのか? 俺の過去を調べたのか!?」
「こそこそ俺のことを嗅ぎ回っているあんたには言われたくないね」
予想以上の力で引っ張られてバランスを崩した俺は床に突っ伏してしまった。
派手な音を立てて転がった俺を、まるで逃がさないといわんばかりに柊は背中に足を押し付けると立ち上がれないよう踏みつけてくる。
頭の中で警報が鳴る。
今直ぐ逃げろと、誰かが言う。
だけども今の状況では起き上がることすらできなかった。
「二度と俺に関われないようにしてやるよ」
「柊、なにを……っ」
「あんたは俺の好みじゃないけど、犯すんだったら話は別だね。その正義ぶった顔を今にも見られないようしてやるっつってんだよ」
狂気を滲ませた声音で笑った柊は俺の上に圧し掛かったまましゃがむと、俺のズボンへと手をかけた。
ここまできてようやくことの危険さを肌で感じた俺だったが、身体が竦んで抵抗すらままならない。
大声を上げることも、暴れることもできずにただ柊の行動を受け入れているだけだった。
ずるりと剥かれた足。
纏うものをなくなった足が風に晒されひんやりとする。
確かめるように尻に触れた手が嫌悪感を纏って肌越しから伝わった。
「触んじゃねえよっ! やめろ!」
「はは、嫌ならもっと抵抗してみせてよ。ああ、怖くって身体が動かないって?」
仰向けにされた俺が見た柊の顔は、歪んで見えた。
「逃げれるもんなら、逃げても良いよ」
下肢に垂らされた冷たい感触はローションだろう。
視線を向ければ小瓶を逆さまにしている柊が目に映った。
そしてそれを塗りつけるように、誰にも暴かれたことなどない奥へと指先を忍ばせてくるのだ。
ひんやりとした感触と共にぐっと入ってくるのは指。
感じたこともない感触と気色の悪さに鳥肌が立つ。
こんなことをされてただなにもできないでいて、俺は悔しくなって暴れようと足を動かした。
だがそれも直ぐ封じられてしまう。
柊は空いている方の手で俺の首を絞めると、俺から抵抗する力を奪った。
「か、は……っ」
息苦しさに視界が歪む。
呼吸ができなくて柊の手に爪を立ててみるが、その力は緩むどころかますます強まるばかりだ。
白む脳内に柊の楽しそうな表情。
首を絞めながら後ろを指で犯して、そんな最低なことをしているのに柊の顔には後悔すら滲んでなどなかった。
寧ろ笑っていたんだ。
「男に犯されるのってどんな気分? 気持ち悪い? そうだよね、鳥肌凄いよ」
「ひ、ら、ぎっ」
「殺さないよ、死なない程度だって、わかってるんだろ?」
「や、めろ……」
「はは、ここまできてやめれると思う? あんたにはボロボロになってもらうよ、死にたいほどの経験をさせてあげる」
そう言って取り出した柊のあれをどこか遠くで見つめる俺。
この腕を振り切って逃げないと、犯される。
そうわかっているのに動けない。
動くことができない。
宛がわれた指とは違う感触に最後の力を振り絞って逃げようと試みたものの、肌を裂くような痛みを下肢に感じて俺はとうとう動くこともできずに侵入を許してしまうのだった。