堕ちた星 02
 あれから俺は壮也に気付かれない程度に、壮也と会わない時間を増やしていった。 いつその口から終わりを聞かされるのか、そう思うだけで胸が痛くなる。
 壮也を通り過ぎていった人たちはこれ以上の辛さを乗り越えてきたのかと思うと、俺には想像もつかない。 逃げるしか方法を見つけられなかった俺は、壮也の誘いを全て断り引き篭もるように家に閉じこもっていた。
 丁度、大学のテスト期間も重なってか、壮也は特に変に思うこともなく俺の拒みを受け入れてくれた。
 時間だけが刻々と過ぎていって、大学も本当は行きたくなかったけど、親に払って貰っている手前行かない訳にいかなくて。 俺は重い足を引き摺るようにして大学へ行った。
 テストの内容など一切頭の中に入ってこない。 なにも考えられないのに、習慣とは恐ろしく、俺は勝手に動く指に感動すらした。
 本日は午前だけのテストだったので、午後はなにもするとこがない。
 普段なら壮也と会っているのだが、今は到底会えない状態なので仕方なく大学の食堂でご飯を食べるといつものベンチに腰をおろした。
 見上げた空はいつもと変わりなく、澄み切った色をしている。 綺麗な青色を見つめていると俺の心も次第に落ち着いていって、ぐちゃぐちゃだった心中も穏やかになっていくように感じられた。
「……テストまでさぼり?」
「お前、……最近良く会うな」
「はは、まあ、当たり前だろ。俺もここ気に入ってるし」
「人いないしな」
「そういうこと」
 どこからともなく現れた星子は俺の横に腰をかけると、持っていたカップ珈琲に口をつけた。 会話も特に弾む訳でもなく、俺たち二人は口を噤んだまま空を見上げた。
 傍から見れば異様な光景だろうが、気にするほどのことでもない。
 俺はそっと視線を下にずらすと、星子の指先を見つめた。 それに気付いた星子は訝しげな目で俺を見ると、信じられない言葉を発したのだ。
「……言っとくけど、無理だから」
「は? ……ちげーよ、勘違いすんなよ」
「なんだ、驚いたじゃんか。欲求不満かと思った」
「馬鹿にすんなよ。俺にだって相手は腐るほどいるし」
「俺は腐るほどいないな」
「……俺だっていねえよ」
「例のホストとはどうなの、うまくいってるのか?」
「そういう、関係じゃねーし……」
「好きなんだろ?」
 その言葉に指先がびくり、と反応した。
 自分では嫌というほど認めているし、好きなことには変わりないが、他人に言われるとどうも隠したくなるのだ。 世間では可笑しい関係だし、男同士だっていうのもあるけれど、ゲイだと知っている星子には隠すことではない。 それに星子もゲイだから嫌悪感は抱かないだろう。
 これは完璧に俺のプライドの問題だった。
 実る確率があまりに少ない恋をしている俺を、滑稽だと思われるのが嫌だった。
 俺は星子の言葉に頷くことなく、ただずっと自分の指先を見つめていた。 無言を肯定ととったのか、星子は溜め息を吐くと俺の頭に手を乗せた。
「……言っちゃえば、良いじゃん」
「簡単に言うな」
「なんで。五年もセフレしてたから? 失いたくないから? でもそのままじゃ、ずっと苦しいままだ」
「……それでも、離れていくよりはましなんだよ」
「もしかしたらって可能性にかけないのか?」
「ねえよ、そんなのねえ。……俺たちはずっとセフレで良いんだ」
「変なの」
 それから俺たちは会話をやめた。
 気まずい雰囲気になると思いきや、そんなことは全然ない。 寧ろ落ち着いた雰囲気で時間を過ごしていった。
 ぼうっと呆ける星子の横で俺は空を見上げ、瞑想をする。
 いつだって空を見れば、心が落ち着いた。 時間が止まったような気がして、俺は星子に呼びかけられるまでずっと空を見上げていた。
 星子の言葉にはっとして辺りを見渡せば、空は朱色を映していて、気付かない間に随分と時間が過ぎていったようだ。
 呆然とする俺の横で星子がくすりと笑うと立ち上がり、俺に手を差し伸べてきた。
「呑みに行く? 星会結成のお祝いを兼ねて」
「は? いつそんな会結成したよ」
「今。王子様と魔王様、だっけ? はは、変なネーミング」
「うっせ」
「名前だけじゃなく、髪色も背丈も似てるんだし、運命感じねえ? まあ顔は違うけどな」
「顔まで一緒だったらきもいっつの」
 励ましてくれようとしている星子に甘えることにした俺は、たった今結成された星会の飲み会に行くことにした。
 星会といってもメンバーは俺と星子の二人。 なんの偶然か星子の言う通り、名前に星がつくだけじゃなく、俺たちは少し似ていた。 性格や顔、雰囲気はあまり似ていないし、ベッドの上での役割も違う。
 だけど一緒にいて落ち着けたり、気を使わないでいられたり、偶然何度も会ったりしていれば俺も少しの運命を感じていた。 それはもちろん恋愛などに発展するような感情ではなく、どちらかというと同じ年の兄弟のようだった。
 星子と並んで歩き、星子がお勧めする居酒屋へと足を運んだ。
 基本バス通学の俺とは違い、星子はバイクで通学している。 用意周到とはこのことか、手渡されたヘルメットを被ると後ろに跨りしっかりと掴まった。
 スピードを増して駆け抜けていくバイクの乗り心地は最高で、俺は肌に当たる風に気持ち良さを感じながら目を瞑った。
 それから数分、連れてこられた居酒屋を見て俺は開いた口が塞がらなかった。 どう見てもカップル御用達の居酒屋なのは、この際どうでも良い。
 問題はこの居酒屋のテーマだった。
 店内は青白い照明で、至る所に小さな電球があり、それがぱっと見夜空に浮かぶ星のように見えた。 そうなのだ、ここは店内がプラネタリウムのようになっていた。
 俺たちは個室に案内され、中に入ったのだがここもまた異世界のような雰囲気だった。
 確かに星会にはうってつけの場所だな、と思うと仕方なく腰をおろした。 すぐさまオーダーを聞きにきた店員に、取り敢えず生を頼むと一息ついた。
 星子もリラックスしているようで、煙草に火をつけると煙を吐く。 ゆらゆらと浮かぶ紫煙を見ながら、俺は思っていたことを口に出した。
「……星子は、溜まんねえの?」
「え、素面で下ネタ?」
「そういうんじゃないけどさ、気になって」
「人の下半身情報知ってどうするよ。まあ溜まるっちゃ溜まるけど、遊び嫌いだし」
「ほんと王子様だな」
「普通だろ、普通」
 運ばれてきた生に口をつけて、俺たちは乾杯をした。
 元々、食の細い俺はお摘みを肴にちまちまとお酒を呑んだ。 あまりアルコールに免疫がないからか、酔いが直ぐにまわり良い気分のまま軽快にお喋りを楽しんだ。
 星子は本当に見た目通り王子様みたいで、お酒が切れたら頼んでくれるし、肴がなくなったら追加してくれるしで、至れりつくせりだ。
 比べたくないのに、壮也と比べてしまっている自分がいて嫌になった。
 そりゃ壮也とは恋人関係じゃないのだから、比べたってどうしようもならないことはわかってはいる。 だけども星子が彼氏だったら幸せだろうな、と思う自分がいて、楽しそうに笑う星子を見つめた。
「……なんか、変だな」
「はは、深星と呑むなんて想像もつかなかったしな」
「ああ、まあ、これからもよろしく」
「お前がそんなこと言うなんてきもいぞ」
「可愛いの間違いだろ」
「……お前、結構酒弱いんだな」
「うっせ、俺はな、酒も煙草もやんねえんだよ。あいつが、嫌いだから、さ」
「ひゅぅ! 健気だね」
「お前も結構酔ってるだろ」
「違いねえ」
 下らないことばかり喋って、時間は刻々と過ぎていった。 いつの間にか時計は0時を越して、時の経つ早さに俺は少し驚いた。 なにを喋っていたのか覚えていないくらい、どうでも良い話だったけれど、凄く楽しかったのも事実だ。
 星子とは良い友人関係を築けそうだな、と思いつつ俺は席を立った。
 時間も時間だし、歳的に考えてオールがきつい俺は帰ることにした。
 少ししかお酒を呑んでいないのに、久しぶりだったからか身体は睡眠を要求しているのだ。
 レジでお金を払い、俺は星子に支えられながら外に出た。 ひんやりとした空気が俺の火照った頬を撫で、その感覚にうっとりとした。 このまま寝れそうだ、けども寝たら帰りようがない。
 苦笑いを零す星子に掴まりながら、よろよろとした足取りで歩いた。
「お前、弱いんだったらあんまり呑むなよ」
「気分良くってさ」
「あーったく、家どこよ。タクシー乗んぞ、バイクは呑んじゃったから使えないしな」
「んー……」
 適当に返事をし、タクシー乗り場まで連れて行ってもらった。
 終電のあとのタクシー乗り場には意外にも人が待っており、俺たちは最後尾に並ぶと順番がくるのをじっと待った。
 あと二、三人で俺たちの番だというところで、前方から俺の名を呼ぶ声が聞こえた。 聞き覚えのある声に心臓が恐ろしいほどばくばく鳴り、おそるおそる視線を上げると案の定、思った通りの人物が立っていた。 ホストの仕事が終わった後だろうか、壮也はお客さんを連れていた。 きっとタクシーに乗せてあげて、本日の仕事が終わるのだろう。
 壮也は少し機嫌の悪そうな表情を浮かべながらも、困惑しているお客さんを無理矢理タクシーに乗せると俺たちにずんずんと近付いてきた。 星子はどうして良いのかわからないらしく、俺を掴んでいた手にぐっと力を入れた。
 目の前にきた壮也は星子を舐めるように見ると、俺に向かって口を開いた。
「響、どういうことだよ」
「……どういうって、呑んでた」
「てめー今日はテストだから会えないって言ってただろ。なのになんでこいつと呑んでんの?」
「別に良いじゃん、煩いなあ。お前は俺のなんだっていうんだよ。俺だって友人付き合いとかあんだよ」
「あ? なんだよ、その言い方」
「だってそうだろ? 俺たち、ただのセフレじゃん」
「あーそう、そうだよな、ただのセフレだもんな。もう良い!」
 舌打ちをすると、壮也はその場から去っていった。 後に残された俺は気まずい雰囲気を払拭させるためにも、明るく笑おうとしたけれど笑えなくて星子の肩に顔を埋めた。
 その間、なにも言わずにいてくれた星子は優しく俺の頭を撫でてくれていた。 柔らかい感触に落ち着いていった俺はゆっくりと瞼を閉じると、夢の中に入っていったのである。

 明日、壮也にごめんって謝らなきゃ。 このままの関係じゃ良くないってわかっているけど、どうしても離れたくない。 丁度明日は大学が休みだし、壮也も仕事は夜からだろうしお昼ぐらいに会いに行こう。 会ってそして顔見てちゃんと言うんだ、ごめんって。 そうしたら壮也もきっと許してくれるし、壮也が飽きるまで俺は側にいられる。
 そうだろ、なあ?
 ぐるぐる酔いも回って、少しの気分の悪さと変な浮遊感に包まれながらも俺は夢に支配されていく。
 目を開けたくないけれど、急に襲ってきた頭痛に否応なしでも目を開かされた。 映る景色は見慣れない天井と、横には眠っている星子。 俺の家がわからなかったからか、俺は星子の家に泊まらせてもらったみたいだ。
 辺りを見渡せばうっすらと明るくなっている。 時刻は午前四時、始発も動いていない時間帯だった。 だけれど俺はなにかに突き動かされるように起き上がると、急いで身支度を済ませ、簡単なメモを置いて星子の家を飛び出した。
 ここがどこかはわからないが、星子が良く家から大学までバイクで十分と言っていたことから大体の場所は把握している。 途中で見つけたコンビニで駅までの場所を聞いて、駅まで走り、駅前にあるタクシー乗り場でタクシーに乗った。
 行き先はもちろん壮也の家である。
 こんな時間に行ったら迷惑だろうとか、もしかしたらいないかもしれないとか、そんなことは思いもしなかった。 ただ今すぐ会いたいと思ったのだ。
 どんなに星子が理想通りの性格をしていようと、そういう目では見られない。 性格が悪くても、下半身がだらしなくても、俺のことなんとも思っていなくても、俺は壮也が良いのだ。
 俺は可愛くもないし、中性的な容姿でもない、綺麗なんて程遠い言葉だ。 壮也には釣り合わないことぐらいわかってはいるけど、壮也が俺をまだ必要としてくれているなら側にいたいのだ。
 徐々に明け始める日と共に、俺はタクシーから飛び降りると壮也のマンションに駆け込んだ。
 こういうときに合鍵が役に立つものだ、と思いながら合鍵を取り出し壮也の部屋に入る。 シン、としている部屋の奥に進むと、だらしなくソファで寝ている壮也を見つけた。 それに安堵を覚え、荒い息を整えてから壮也の近くに腰を降ろした。
 辺りに散らばる服とお酒の空き缶を見ながら、俺は壮也の髪を梳いた。
 壮也も俺と一緒であまりお酒が強くない。 だけど仕事をするにあたって、強くならなくてはと言っていたし、頑張って呑んでいるのだろう。
 二日酔いなのか、ずきずきと痛む頭を抱えながら、俺は壮也に寄り添うようにして目を瞑った。
 壮也が起きるまで少し休ませてもらおう。 そう思ったものの、身じろぐ壮也の身体にびくりと肩を震わせると、壮也の顔を覗き込んだ。
「そ、や……」
「……なんでいんの?」
「謝りに、きたんだけど。ごめん、起こした?」
「いや、大丈夫」
「……その、ごめんな。さっきってか昨日? は、あんなこと言ったけど、ごめん……」
「……星子と、付き合うようになった?」
「違うし。ほんと、友達だって。俺、壮也以外とやったことねえし」
「ふうん。ま、良いけど」
 少し機嫌の悪い壮也はそういうと、頭を抱えて俺をじいっと見た。 きっと俺と同じでお酒による頭痛に悩まされているのだろう。
 責めるような瞳に耐え切れなくなった俺は俯くと、手をぎゅっと握った。
「……仕事、大変だな。お酒呑めないくせにさ」
「お前だって呑めないくせに、……飲みに行くな」
「付き合いってあるだろ。相談乗ってもらってたんだよ」
「あ? 相談なら俺だって乗ってやるだろうが」
「いろいろあんだよ、俺だって。つーか頭いてえ……」
「ちょっと寝ろ。明日なんもねえんだろ?」
「ないけど。……壮也は?」
「響と一緒。なんもねえから気にすんな」
 そのまま腕を引かれて、俺は壮也の腕の中にすっぽりと収まった。 二人で寝るのには狭いソファはぎしり、と悲鳴を上げ、俺は落ちないように必死に壮也にくっついた。
 寝室があるのだからベッドで寝ろ。 と言いたいとこなのだが、ソファの方が密着できるし、壮也の心臓の音を間近で聞けるから好きだ。
 優しく頭を撫でてくれる壮也に、溢れる想いを口走ってしまわないよう唇をぎゅっと噛んだ。
 俺が必死に耐えているとは露にも知らない壮也はなにかを考えると、俺の顔を上げさせた。 お互いの距離が数cmしかない状態で会話をするのには、少々気恥ずかしさがある。 熱くなっていく頬に気をとられながらも、壮也が紡ぐ言葉を聞き逃さないように息を潜めた。
「つーかさ、俺たちの大学って結構近いよな?」
「……ああ、そうだな」
「一緒に住まね?」
「は?」
「俺に嫁入りしてよ」
 ぶっ飛んだ提案をしてきた壮也に俺は口をぽかんと開けると、まじまじと壮也の顔を見た。
 なにがどうなってこんなことになっているのか、今の俺にはさっぱりとわからなかった。