「ね〜恭ちゃん、寄り戻して?」
「あー気が向いたらな」
「そんなこと言わないでよ、ね?」
いつもの部屋でのんびりと雑誌を読む俺に、纏わりつく慶。
珍しく他の人に目が向かないのか、ここ最近はずっと同じことを言っていた。
寄りを戻すことが嫌な訳ではないのだが、素直に寄りを戻してやるのは癪に障る。
今、寄りを戻してしまえば俺が慶に振り回されているみたいで嫌なのだ。
数日間今の状態を味わってから、寄りを戻そうと俺は考えていたのだがそれに反対する人もいた。
言わずもがな総長の滝である。
慶が煩わしいことこの上ない、と俺に文句を言ってくるのだ。
俺がいる場所では俺にべったりと張り付いている慶だが、俺がいないところでは好き勝手やって暴れているらしい。
総長曰く、俺と付き合っていない状態の慶の喧嘩は酷いらしく目も当てられないとのことだ。
だがそんなことは俺にはなんの関係もない。
総長には悪いが俺の気が済むまで、慶と寄りを戻す気は更々なかったのである。
「恭ちゃん……」
「んだよ、さっきから煩いよ、慶」
「意地悪しないで早く私のところに帰ってきてよ」
「別にそんなんじゃねぇっての。それにお前があんまりにも煩いから他にも手出さずお前で処理してんだろ。これ以上は受け付けねー」
「安心したいじゃない、私も」
「お前の安心は言葉で補えるものなのか?」
「……大抵、言葉で補えるものでしょう」
ああ言えばこう言う。
平行線を辿る会話をもう何度繰り返したのだろうか。
いい加減うざったく感じていた俺はこれ以上の会話を続けるつもりはない、という意思表示を込めて慶に背中を向けた。
元々雑誌を読むためにこの部屋にいたのだから、手の中にある雑誌を思い切り堪能しよう。
今月の表紙は人気急上昇の爆乳アイドルだ。
際どいグラビアで誘うようなポーズをしていた。
どちらかというと胸より腰派な俺はそのグラビアには目を通さず、腰が綺麗なグラビアの子を探し出した。
男性にはない柔らかな曲線を描くくびれ。
こういうのがそそるんだよなあ、と再確認していると俺の視界に大きな掌。
あっという声を出す暇もなく、その大きな手に雑誌は没収されてしまった。
「なにすんだよ!」
「構ってちょうだい?」
「……ほんとてめー鬱陶しいな!」
「それって褒め言葉ととっても良いかしら」
「褒めてねーよ、馬鹿」
するり、とお腹に回ってくる腕を甘受した時点で俺も慶に弱い証拠だ。
馴染みのある温もりに包まれて、俺は観念したように息を大きく吐いた。
背後にいる慶の髪が頬に当たってくすぐったい。
たった数センチの身長の差でも、慶の腕に収まってしまえる自分が恨めしいが、こうされるのは嫌ではない。
仕方なく受け入れてやってるんだ。
そう言いたげに鼻を鳴らす俺に慶は柔らかく目を細めた。
「恭ちゃん、すきよ」
「はいはい」
「ほんとなんだから、信じてないの?」
「信じてますよーすっげー信じてます」
「……なんだか嫌な言い方ね」
む、と眉間に皺を寄せる慶の表情が見なくてもわかる。
回した腕に力を入れて離さないとばかりに甘えてくる慶に、俺も少しだけ感化されて慶の手に自分の手を重ねた。
それを合図にそっと近付いてくる唇。
少し厚めの下唇が俺の薄めの唇に重なって、俺と慶は触れるだけのキスをした。
結局は付き合うだの付き合わないだの、口約束な訳で、していることは恋人同士同然なのだ。
だけど俺も慶も大人じゃないから、その口約束に縋って縛られている。
目に見えないことだからこそ、少しでも形のわかる証拠がほしい。
いつ離れていくかなど誰にもわからないのだ。
微かな音を立てて離れていく唇をじっと見つめていれば、少し上からの視線。
慶の目に合わせるようにしてみれば、切なげで、でもどこか嬉しさを含んだ瞳をしていた。
「……なに」
「プラトニックラブってのも、良いわよね」
「乙女だな、そういうとこ」
「あら、恭ちゃんの方が乙女じゃない」
「……はあ?」
「ピアス、一度だって外したことないでしょう」
「べ、つに、ピアスって外すもんじゃねーし……つけっぱだろ」
「そういうことにしておいてあげるわ」
俺の耳元できらきらと輝く青いピアス。
いつだったか慶からもらったものだ。
喧嘩をする俺たちにとって指輪は邪魔なものでしかないし、装飾品を好まない俺はアクセサリーをつけない。
そんな俺を考慮してか、慶がピアスをプレゼントしてくれたのだ。
だが生憎俺のピアスホールは一つしかなくて、片方は俺の耳、もう片方は慶の耳。
恥ずかしいことをした。
だけど俺の耳にしっくりと馴染むそれを外す気にもなれなくて、ずっと耳につけていたのだ。
慶の骨ばった手が俺の耳に伸びて、ピアスがついている場所を緩く撫ぜる。
瞬間にそこが自分のものとは思えない場所だと感じてしまうのだから、慶が言うように俺は案外乙女チックなのかもしれない。
ドクドクと規則正しく鳴る心臓の音が、ほんの少しだけ早く高鳴った。
悟られたくなくて、ぐっと息をつめた俺に慶の小さな笑い声。
睨むように視線を向ければ、極上の笑みを浮かべている慶の姿がそこにはあった。
「やっぱ恭ちゃん、だいすきよ」
やっぱは余計だ、馬鹿野郎。
わしゃわしゃと頭を撫ぜてくる手を抓ると、俺は満足気に笑った。
翌日、楽しそうに総長と出かける慶たちを見て俺はつまらなさ気に唇を尖らせた。
行かないと最後まで言ったものの、誰もいない部屋にいるのは寂しいものがある。
誰かと一緒に過ごしながら、一人遊びをするのが俺は好きなのだ。
総長たちは今頃、グリフォンのやつらと模擬抗争をしているのだろう。
年がら年中喧嘩ばっかりして本当にどうしようもないやつらだけれど、そういうのに少しだけ憧れる俺もいる。
特別喧嘩が好きな訳ではない。
チームは慶に誘われたから入ったようなもので喧嘩をしたいためではない。
だけど一年もいれば思いいれもできるし愛着も湧く。
「あーくそっ! 俺も大概情緒不安定だよな……」
むしゃくしゃする。
俺は携帯をポケットに突っ込むと、慶たちがいる廃墟となった工場へと急いで向かった。
やっぱりきたんだ、と総長に笑われるのが目に見えてわかっていたけれど、そんなことは気にしていられない。
この苛々を収めてくれるのならなんだって良いのだ。
男たちの仰々しい雄たけびと派手な物音。
いくら廃墟だからといってそれはやりすぎだろうという状態。
俺が工場に着くころにはとっくに喧嘩は始まっており、既に倒れているものまでいた。
総長や慶が遠くの方で拳を奮っているのがわかる。
今更一人増えたからといって誰も俺には目もくれず、目の前の敵だけを見据えて喧嘩をしていた。
誰か俺に気付いてほしい。
俺の苛々は減るどころか増えてしまったではないか。
わなわなと震える身体を自分で制御することもせず、俺は一歩を踏み出すと一番近くにいた男を殴った。
久しぶりに味わった手の甲への感触にじいんとひたる暇もなく、目の前の男に殴り返されてしまう。
痛い。
殴った手の甲も殴られた頬も痛い。
だけれどこれも一種の快感なのか、俺は血を吐き出すと足を蹴り上げ男の腹部に思い切りダメージを負わせた。
「っは……オラ! これぐらいでくたばってんじゃねーぞ!」
「う、うるせー! 今のはまぐれだ!」
「あ? なめてっとぶっ殺すぞ、ゴラァ!」
「つーか誰だよてめぇは!」
「ゴーレムの男前担当恭介様だよ、バーカ!」
腹部を擦りながらギャンギャンと吠える男に挑発をかけて、俺は立ち上がる前に男の顎を軽く蹴った。
派手な音を立てて再び倒れる男。
顎は急所のためか、男は痛さに悶絶しながら地に這いつくばった。
途中参加だから今回の模擬抗争のルールは詳しく知らないが、大抵いつもと同じようなルールだろう。
熱血漢の緋色と模擬抗争するときのルールは卑怯なことはしない、が大前提である。
複数対一人は禁止、武器も禁止、倒れた奴に攻撃を加えるものもちろん禁止だし、骨折などの大きな怪我をさせるのも禁止。
制約だらけの喧嘩だけれど、こういった制約を作らないとゴーレムのメンバーは血の気が多いから危険なのだ。
それにきちんとした制約の上でやるからこそゲームみたいで面白いし、何度も模擬抗争ができる。
少しばかり面倒くさいけれど一度参加してしまえば楽しくって仕方がなくなり、俺は周りが見えなくなるほどに喧嘩に夢中になるのだ。
弱い奴もいれば強い奴もいる。
先ほど倒した男が弱かっただけで、俺が特別強いという訳でもない。
俺だってぼこぼこに殴られて負けることもあるのだ。
痛くて苦しくて、悔しい思いをするけれど、それがあるからこそ次は頑張ろうという気持ちにもなる。
たかが喧嘩、されど喧嘩。
俺を地面に這いつくばらせてくれる強い奴を求めて、猪突猛進していくのだった。
それから弱い相手を二人倒してから、俺はやっと強い相手と巡り合えた。
輝くような金髪の髪にトレードマークの右側のコーンロウ。
冷たい印象を与える美形の滅茶苦茶強い男。
この世界でこいつを知らない奴はもぐりだと言っても良いくらいに有名だ。
名を鮫嶋というそいつは今や有名になった情報屋鴉のメンバーでもあり、聖条学園工業科のボスでもあった。
正直、俺なんかが喧嘩しても勝てる相手ではない。
総長とやりあえるレベルなのだ。
確かに強い相手と喧嘩をしたかったが、このレベルはまでは求めてはいない。
だけど降参するのも男の恥だし、逃げるのも癪に障るし、どうしようもないではないか。
俺がうだうだと考えている内にも鮫嶋の容赦ない拳は次々と飛んできて、俺はガードするので精一杯だった。
「はっ、あ……卑怯、だろっ! てめーがいるなんてっ、聞いてねえってのっ」
「あ? なに言ってんだ」
「あーもっ、強すぎんだよっ! てめー!」
「ハッ、敵を褒めてどうすんだよ」
「うっせー! って、も、無理っ……っつ!」
じんじんと痺れる腕にも限界がきた俺は、繰り出される鮫嶋の拳に対応できずもろに攻撃を受けてしまった。
軽そうに見えて非常に重いパンチは俺の腹部に入り、立っていられなくなり嘔吐きながら地面にひれ伏した。
息を吐くだけでもじくじくと痛む腹に、眉を顰めると俺を見下ろす鮫嶋を見上げた。
悔しいぐらいに男前で、悔しいほどに喧嘩が強い。
そのまま鮫嶋は鼻を鳴らすと、俺などに見向きもせず背を向けて立ち去った。
鮫嶋に勝てるようになったら、俺は一人前になれるのだろうか。
きっと勝てる日などこないのだろうけど、勝ってみたい気もする。
小刻みに息を吐き出しながら、痛みが治まりそうもない腹をそっと撫ぜた。
明日になったら青痣にでもなっているのだろう。
この痛みじゃあ当分慶ともセックスできそうにないな。
未だに模擬抗争が終わる気配もないし、遠くにいる慶や総長、鮫嶋もまだまだ戦えそうだ。
途中から参加しておきながら最初にくたばるって結構惨めだよな。
ぼんやりと慶の背中を見ながらも、俺はここから暫く動けそうにもなかった。
あれだけ猛々しい様子も姿もすっかりと落ち着き、先ほどまでの抗争が嘘のようだ。
地にひれ伏すものが大勢の中、立ち上がっているものは見慣れた顔ばかり。
緋色の声で終幕を迎えた模擬抗争。
今回も満足をしたのか、総長も慶もテンションがいつもより高そうに見えた。
というより、そろそろ俺の存在に気がついてくれても良いんじゃないだろうか。
確かに床に寝そべっているから見つけにくいとは思うが、恋人だろうさっさと見つけやがれ。
鮫嶋に殴られた腹部が尋常じゃないくらい痛くて、一人じゃ立ち上がれそうにもない。
俺は仕方なくプライドを捨てると、大声を出した。
「おい! そこのおかま! なに突っ立ってんだよ! こっちにこいよてめー!」
「ア!? んだとてめ……って恭ちゃん!?」
「気付くのおせーよ、馬鹿野郎」
「なんでここにいるの!? お留守番してたんじゃなかったの?」
「……気が向いたからきたんだよ。わりーかよ」
「悪くないけど、……派手にやられたわねえ」
俺に気付いた慶は慌てて近寄ってくると、痛みで動けない俺を抱き起こしてくれた。
少しでも腹部に刺激があると、患部がずきずきと痛む。
そんなこと情けなくて言い出せなかった俺は、やせ我慢をすると慶の肩に寄りかかった。
「鮫嶋だよ。あいつの強さ半端ねえな」
「あ〜鮫嶋くん、ね。あの子は強いからねえ。私でも勝てそうにないわ」
「つーかなんでいるんだよ」
「緋色くんがね気に入ったみたいで、お願いしてるみたいよ。総長も良いって言ってるみたいだし」
「……反則だ」
「ふふ、ね、歩けそう? 歩けそうにないなら運ぶけど」
「……歩けねーからお前呼んだんだろ、察せよ」
「はいはい」
痛みで動けない俺を見て、慶は楽しそうに口角をあげるとそのまま正面から抱き上げた。
子供を抱き抱えるような格好で正直恥ずかしい思いをしたが、動けないので文句の言いようもない。
そのまま慶はその姿で総長に軽く事情を話し、先に工場を出ることにしたのだった。
あの総長の顔を俺は忘れることがないだろう。
ニヤニヤと嫌味ったらしい笑みを浮かべながら俺をじっと見ていた総長。
可笑しいのなら笑えば良いものの、笑わないところがまた腹が立つ。
苛々を少しでも解消したくて喧嘩をしたのに、苛々は収まるどころか更に増したようにも思えた。
俺は慶の髪を引っ張りながら、悪態をついた。
「あーもーうぜー! やってらんねー!」
「大声出すとお腹に響くわよ」
「うるせえ! 俺は苛々してんだよ!」
「はいはい、愚痴は帰ってからきくから今は大人しくしましょうね」
「……誰も慶んとこに行くっつってないだろ」
「駄目よ、怪我の手当てしなきゃ。それに恭ちゃんの苛々も解消してあげなきゃね」
「ヤんねえからな。ぜってーヤんねえから!」
「わかってるわよ。怪我人に手を出すほど飢えてないわ。あ、もしかして期待しちゃったの?」
「馬鹿慶! バーカバーカバーカ!」
「でも好きなんでしょう?」
「……自惚れんな、ばか!」
悔しいけれど慶の言う通り、俺は慶が好きだ。
だけど素直になって認めてはやらない。
情けない姿も、格好悪い姿も、恥ずかしい姿も、慶にしか見せてないってこと早く気付けよな。
口約束していないだけで今はお互いフリーだけど、いつだって心は慶の中にあるのだ。
じくじく痛む腹にきゅんきゅんと訴える胸。
俺の身体は今日も忙しく、なにかを訴え続けている。
真ん丸の月が光る夜、俺は慶に抱き抱えられながら帰るのだった。