ドラァグクイーンの憂鬱 04
「本当に好きなのか? あれのどこに惚れたっていうんだよ」
 いつもの通り、肉と白飯だけが詰まった弁当を持って裏庭に行こうとした大志に秋平からの声が掛かった。
 気だるそうにしていて、実のところ大志を射抜く視線は真剣そのもの。片手を頬に宛てているさまはどこか不機嫌にも見えた。
「どしたよ〜、急に」
 着古したパジャマのようなトレーナーにスウェットズボン、相変わらずやる気のない格好のまま立ち尽くした大志は間抜けな顔で秋平を見返した。
「どうしたもこうしたも……今までなかったろ、こういうの」
「ええ? 気にし過ぎっ。いつでも俺の恋は一直線だけど〜曲がりませんスピ〜ドオ〜バ〜」
「やり過ぎじゃねえの? ……それに顔だけなんだろ? 男なんて良いことないし、もうやめたら?」
 応援していてくれていた秋平の否定的な意見に大志は目を見張ったものの、どこかでなんとなくだが納得できる部分もあった。
 良くも悪くも大志のことに関して心配性過ぎるのだ、秋平は。きっと普通から外れた大志の恋愛を心配しているのだろう。
「大丈夫だってえ〜! 俺、頑張れるし!」
「そういうことじゃねえって……もー。お前わかってんの? あいつ男なんだぜ? おっぱいもねえのよ? それになんも知らねえんだろ? 諦めるなら今のうちだろーが」
「愛に種族なんて関係ねえ!」
「種族ってなんだよ、種族って!」
「それになんも知らねえけどさ、知る度に好きって気持ちおっきくなるんだぜ〜。雅ちゃんが普段なにしてんのとか、どんな生活送ってんのとか、そういうの全くわかんねえけどもっと知りたいと思うし……それに最近やっと喋ってくれるようになってさ〜人見知りだったんだよ、雅ちゃん。もうこれからはがんがん押すっきゃないっしょ!」
 もとより真面目な話が大志と成り立った記憶がない。普段の会話ですら曖昧なやり取りなのだ。本当のところで知りたかったことは大志の口から漏れることもなく、秋平はそれを知る手立てを失ってしまった。
 なにがしたいのだろうか。大志の恋を応援してやりたい半面で、雅との恋だけは素直に応援できないでいる。
 その理由が男だからなのか、それとも素性を知っているからなのか、もっと別の理由なのか、それを追求できるほどまだ強くもない。
 早く夢から覚めれば良いのに、と思う心があること自体否定したいものなのだから。
 なによりも大切な友だからこそ、大志には幸せになってもらいたい。その気持ちに嘘偽りはない。ただ雅に恋を重ねても幸せになれるような未来が想像できなくて、心配ばかり重ねてしまう。愛される気配すらないが一番の原因なのだ。
(面食いだからな、大志は……。おっぱい星人だしよ〜)
 目が合っただけで、姿を見ただけで、ここまで本気になれるものだろうか。なにかをしてもらった様子もないのにますますはまり込んでいってしまっている大志に、秋平の言葉は届かない。
 今日も今日とて、話が終わるやいなや上機嫌に颯爽と弁当だけを持って走り去っていってしまった。
 行く場所はもうわかっている。どうせ裏庭に行くのだろう。きっと、雅も待っているのだ。迷惑だのなんだの言いながら律儀に毎日裏庭に通って大志に付き合ってやるのだから、雅も雅で理解しかねる部分がある。
 なにを考えているのやら、一般的な脳の秋平にはわかる術もない。
 雅の夜の姿を見れば大志は夢から覚めるのだろうか。隕石のことなど忘れるのだろうか。それともそれでも好きだと言い募れるのだろうか。
 今は平行を辿る線が交わって溶けて、一つになってしまうなど想像に難い。だけども限りなく零ではない可能性が少しだけ秋平を感傷的にさせた。

 一方予定通り裏庭へと向かった大志はどことなく可笑しな様子の秋平が気にはなっていた。
 雅にストーカー行動をしてからというものの大学はそれなりに真面目に行くようになった。授業は受けていないけれども。前よりは秋平と大学で顔を合わせる回数が多くなったのにも関わらず、寂しそうな目をするときがある。
 夕方以降になれば嫌というほど一緒にいるというのに、どこが不満なのだろうか。お互いに違った友人はいれども秋平のようにべったりとした友人は秋平以外にはいない。
 大学から仕事場、住む場所も近所だ。ほとんど秋平で埋め尽くされているというのになにが引っ掛かっているのだろう。
(……う〜ん、雅ちゃんと仲わりいとか〜? そういうのなさそうだしな〜なんだろな〜)
 大志が恋愛にのめり込んでいることというよりは、大志が雅にのめり込んでいることに対し不満を抱えているようにも思える。
 その理由が男だからなのか、雅だからなのかそれはわからない。大志は馬鹿なのだ、わかる訳もない。
 結局は気にはなっても考え過ぎてわかる脳味噌を持っていない大志は、それ以上脳を使うことをやめると足早に裏庭へと駆けていった。
 日当たりが一番良くて、木陰が少しあって、独立したベンチがある。裏庭にこつんとあるその空間が雅のお気に入りだった。
(う、っわ〜やっぱちょお絵になる! めっちゃ綺麗!)
 読書をするような雰囲気で、弁当を持って座っている雅は今日も今日とてとても美しい存在だった。
 大志はその姿を目に止めるや否や心にあった靄が吹っ飛ぶと、ご主人様に懐く犬のように雅へと擦り寄っていくのであった。人生薔薇色、恋をしたら世界がピンクに染まるのだ。
「みっやびちゃ〜ん! おっぱよ〜! ぽよあげ〜!」
「……おはよう? もう昼だよ。見ないと思ったら今きたの」
「ちげえちげえ! 流石にやべえってんで強制連行っての? 真面目に話聞いてた!」
「主語抜いて喋る癖直した方が良いよ。要するに三谷に引っ張られて真面目に授業受けてたってことでしょ」
「そーそー。テスト期間まで、っていうかテスト終わるまで……ずっと……ううやってらんねー」
「煩いのがいなくなって清々するけどね」
 薄っすらと笑ったのか嘲笑ったのか、表情を崩して見せた雅はそのまま弁当の蓋に手を掛けるとカパリと開けた。今日は白飯にふりかけではない。パンとジャムだ。
 見目通り食が細いのか節約のためなのか、弁当の質素さに感嘆しながら大志も弁当を開けた。
「雅ちゃんはさ〜一目惚れってある?」
「ない。恋愛に興味がない」
「顔だけで恋愛するってそんなわりいことなのかな〜悪くねえと思うんだけどな〜。だってさ、やっぱ普通見た目って大事じゃね? 人間なんだかんだいって見た目から入るじゃん」
「……さあ、どうだろう」
「見た目で好きなってさ、その人の素知ってもっと好きになってさ、そういうのもありだと思う!」
「全部愛せる、ってのなら良いのかもね。そうそういないと思うけど」
「俺は雅ちゃんがなんだろうと好きだから! 全部好きだし! なんでも受け入れる!」
「ふうん? 物好きだね、あんたも。そこまで惚れるような人間でもないんだけど」
 半分呆れが混じったような気持ちだ。ここまで言い募って自信満々にそう言われれば肯定せざるを得ないだろう。最も大志が本当の雅を知ってそれでも好きだと言い募るのなら信用してやっても良いが。
 雅の中で会話をしても良い存在に上り詰めただけ、凄いと思う。昼の顔でここまでテリトリーに入れる人が現れること自体が奇跡なのだから。
 純粋に真っ直ぐに、その理由が美し過ぎる顔が理由だとしても好意を抱かれるのは嫌いじゃない。理想を押し付けない純粋な気持ちは、素直に嬉しいと雅は感じていたのだ。
 馬鹿でどうしようもないけれど、心が真っ直ぐで綺麗だからこそ、雅もついつい相手をしてしまうのかもしれない。
(……日本語通じないところ、嫌だけどね)
 中学生のような酸っぱい口説き文句をBGMに、少しだけ焼いたパンにジャムを掛けて頬張った。ショーに出る故に体型をコントロールしないと駄目なのだ。
 最もショーといっても端っこで踊るだけで目立ちもしないが、それでも舞台に立たせてもらえることに意味がある。完璧にやり通してみせると意気揚々と心だけは情熱的に、表面的には坦々としたまま二人の噛み合わない昼食タイムが過ぎ去っていくのであった。
 少しだけ、本当に気紛れが過ぎた。大志がそんなことを言うものだから試してみたかっただけなのかもしれない。全てを受け入れるなんて期待をしていた訳ではない、それが崩れるさまを期待したのだ。
 そんなことを言っておきながら結局はそうなのだろう、とはっきりさせたい。これ以上近付いてくるのなら、その前に離れさせてしまえばきっと。
 もやもやと霧がかった心中が煩くざわめき立てる。雅は肉を頬張る大志に顔ごと身体を向けると、最後のパンを口に放り込んだ。
「……あんた、今日の夜暇?」
「えっ」
「良いもの見せてあげようか」
「ば、バイト後でも……」
「なに顔赤くしてんの? 変な想像しないでよね。そういうのじゃなくってさ、俺の、……そうだな、三谷が隠してる俺の秘密を教えてあげるよ」
 ぽかんと口を開けて顔を赤らめた大志に、冷静に言い放った雅は弁当を畳んだ。
「秋平の秘密……」
「俺の秘密ね。大したことじゃないけど、夢から覚める良い機会ぐらいにはなるんじゃない。で、暇なの」
「ひ、ひまっていうか……! あ、ああでも勉強とかバイトとか、うう、あ、あああ、ど、どうしよう!」
「攻められると、存外に弱いんだ? 普段ぐいぐいきてるくせにね」
「えっ」
「まあ良いや。興味あるならおいでよ。場所は三谷が知ってると思うし、三谷と一緒にくるならきて。俺の秘密知って、あんたが夢から覚めるの期待してるよ」
 人形のように美しく笑みを象った雅の唇は作り物のように冷たく感じた。わたわたと表面で慌てていた大志の脳はどこか一部分は冷静で、どうしてそんな顔で笑うんだろうって思っても口には出せなかった。
 それからはまたいつものような雅に戻った雅は、それ以上そのことを口にする訳でもなく他愛のない会話をぽつりぽつりと零す程度だった。
 いくら馬鹿で鈍感な大志でも、さっきの言葉をもっと追及したりだとか掘り下げたりだとかできるような空気ではないと感じていて、いつものような空気や会話なのにどこかどうしようもない違和感だけが拭えない。
(雅ちゃん……元気ないのかな? ちょっと、変だな……そういう顔も、綺麗だけどお〜……)
 楽しい、楽しいはずの昼食タイムがなんだか味気ないまま過ぎ去っていく。大志の好物の甘辛煮付けの肉も、味が濃いはずなのに味がしなかった。
 放課後になれば、秋平に聞けば、雅に会いに行けばわかるのだろうか。なんて、そんなの行くに決まっているのだけど。
 あれから雅を追っ掛けるのをやめざるを得なかった大志はそれなりに真面目に授業を受けた。雅の様子が変だったから追い掛けられなかった訳ではなくて、秋平に拘束されていただけなのだが。
 留年の心配を必死に解かれては嫌だともなかなか言えずに渋々と付き合った。とはいってもやはり気の合う秋平だ、一緒にいるだけで気が緩んでそれなりに楽しいので授業も苦痛ではなかった。
 そうして大学の受けなければいけない授業を終え、帰ろうかとしているときに昼食のときに雅に言われた言葉を思い出した。
(あ、やっべ〜秋平に聞くのすっかり忘れてたじゃん〜)
 聞こうかな、と思ったもののどうせ今から仕事の時間までずっと一緒にいる。寧ろ仕事中でさえ一緒だ。
 いつでも聞けるかと思ったものの今聞かなければ忘れてしまいそうで、思い悩んだ苦渋の思考が顔に出たのだろうか、珍しくも見ない表情になった大志に秋平が心配げな目を向けた。
「どうしたんだよ」
「秋平〜雅ちゃんの……秘密ってなに? 今日の昼言われたんだけど。秋平が知ってるからおいでよ、ってなんだよそれちょお気になるんですけどって! でもそういうのじゃなかったっていうか」
「あー……ふうん、そう。その手できた訳ね」
「教えてくれんの! なあ、めっちゃ眠れないんだけど!」
「今は寝ねーだろ? ま、知ってるっちゃあ知ってるけど……そう俺も詳しくはわかんねえよ。大志が本当に知りたいなら教えるけど……但し仕事ちゃんとしてからな!」
「あうち」

 やる気があるのだかないのだか、さっぱりわからないがそれなりに意気込みだけは十分で、仕事内容はいつも通り使えない大志は無駄に張り切って秋平の仕事を増やしてばかりいた。
 仕事が終われば雅の秘密に迫れる。雅の夜の顔を知れる。雅に一歩近付ける。そんな夢を抱いた大志はすこぶる機嫌が良く、いつも以上に邪魔という名の仕事をしてくれていた。
 笑顔が可愛いだとか、見ていて癒されるだとか、本当に心の底から優しいのだろう常連の言葉に救われて調子に乗る大志は見てもいられない。確かにそう思ってしまう秋平も、まあそれなりに末期なのだろうけれど。
 オーナーの好意に甘えていつもより早めに仕事を終えた二人は、歌舞伎町の奥部へ向かうことに決めると仕事着のままバーを出た。
 秋平の私服になんら問題はないが、大志はやはりスウェットだとかだぼっとしたトレーナーだとかパーカーで、それなりにフランクな店だといっても少し入りづらいものがある。それならばまだサロン姿の方が幾分かましだと考えたのだ。
 秋平と大志の職場も歌舞伎町に隣接している繁華街だ。新宿に付属している。そこから一本筋を通り越えて歌舞伎町に差し掛かれば、平日だというのに人で溢れ返っている大通りに出た。
「やっべ〜な、こっちちょおぱね人」
「まあ本場っつーか夜だしな〜掻き入れ時だろ」
 同業者や夜に働くキャバ嬢、ホストから客引きまでさまざまな人が犇めき合うようにしてざわめき立てながら闊歩している歌舞伎町。サロン姿のお陰か、ここらで働くものとして見られている二人は客引きに引っ掛かることもなく目的地までスムーズに進むことができた。
 新宿二丁目、そこが今回の目的地だ。
 秋平や大志たちが働く場所や大通りとはがらりと客層と雰囲気が一変するそこはある意味異質ともいえた。最近流行ってるお陰でそれなりにメジャーなものとして見做されていても、やはりまだアングラな部分もある。
 どこか怪しげだったり踏み入れづらかったり未知の世界だったり。特に同性、ノンケの男ともなると知りもしない世界なのだろう。
 売り専の男や、客引きの男、ニューハーフやゲイバーの男、はたまた発展場らしき公園などさまざまな見慣れない景色と光景に、大志はさっと顔を青褪めると唇を戦慄かせた。
「しゅ、しゅーへえ〜!」
「なに情けない声出してんの」
「だ、だってここっていわゆるあれじゃんなんなのなんなの! お、お前もしかして俺の身体が目当てなのか!?」
「……なに馬鹿言ってんだ!」
 ばしり、と頭に軽い衝撃。秋平は呆れを露にさせた表情で溜め息を吐くと、くいっととある派手派手しいネオンの店を指差した。“プリシラ”と掲げられた看板とこの立地からしてみれば到底素人の店ではないと、馬鹿な大志にもわかる。
「え、訳わかんねんだけどお……」
「言っただろ? 高屋の秘密。これが、お前の知りたかった秘密だろーが」
「え? え? なに、秘密って? これ? この店が関係してんの?」
「お前本当に馬鹿だろ! ここまできたたわかるだろ−が! 高屋はここで働いてんの! 所謂ドラァグクイーンってやつだよ。……ま、俺も詳しくは知らないんだけどな」
 なんて苦み走った顔で言った秋平に、大志は目を真ん丸とさせると道のど真ん中でええええと大きな声で叫んだのであった。