「てゆっかドラァグクイーンってなに」
「え、そっから!? それも知らねーの、ってまあちょっと特殊ではあるよな……俺も詳しくは知らねーよ。その、女装? とか、そんなのじゃねえの?」
「ええ、なんで知らねえの〜」
「うるせえ! とにかく入んぞ」
むしゃくしゃと頭を掻き毟った秋平は大志の腕を掴むと押すようにして店内へと入った。
ほんのりとした照明が店内を照らす。明るくもなく暗くもない。大きなシャンデリアが印象的で、赤と金を基調とした店の奥にはステージがあり客席はキャバクラのようだった。
客が男しかいないという点は普通だ。一見すると普通のショーパブのようにも見えるが、在籍しているキャストがごついのばかりである。たまに綺麗どころもいるようだが、やっぱり男にしか見えなかった。
「うへあ、なんだここ……」
大志の顔が歪む。男しか入店できないという時点で気付かなかったのか、店内を見渡してからげんなりとしてみせた。
あからさま過ぎる光景だった。男同士でいちゃいちゃしたり、男のようなキャストにべったりだったり、はたまた待ち合わせ場所に使ったり、デート場所になっていたりするのだろう。ゲイが集りそうな場所だ、ここは。
キャストも交えて和気藹々としている様子は楽しそうではあるが、二人にとっては別世界でもある。
舞台に立つときは派手派手しく、普段もそれなりにけばけばしいメイクをしたおかまに愛想良く案内された二人は大人しく席に着いた。
「ご指名とかある〜?」
おっさんが忘年会で女装したクオリティにしか見えない。ヒラヒラしたドレスを身に纏った男が媚を売るような姿についていけない大志は目をぱちくりとさせ、秋平は手を横に振ると申し訳なさそうに謝った。
「誰も付けなくて良いっす。ショー目当てなんで」
「あん残念〜でもゆっくりしていってね。またオーダー決まったら教えてちょうだい」
「あ、麦焼酎水割り二つ。一個薄めでお願い」
「はあい、待っててね。直ぐ持ってくるわ」
ウインク一つ落として去って行った。大志は上手く処理ができないのか、きょろきょろと視線を店内へと彷徨わせるとうへあだのうへえだのうわあだの意味のないことばかり呟いた。
キャバクラともホストともバーともパブとも違う特殊な形態だ。こういったやり方はある意味面白いのかもしれない。席代と酒代、それにプラスして指名代。
酒を呑みながらショーを見るだけならそんなにお金も掛からないし、キャストと喋るのもお手ごろ価格だ。ゲイ御用達なら待ち合わせにも便利だし、一目を憚らずにいちゃつける分では利点もあるのだろう。
そういった人種ではなくても理解がある秋平は直ぐに順応することができたが、そっち側に行ったというのに特殊なことを受け入れられないのか大志は居心地悪そうにもぞもぞとすると情けない声を上げた。
「秋平〜……こええよ、なんなの? ここ〜……帰ろうよ〜」
「はあ? 高屋の秘密知るんじゃなかったの」
「ああ! ええ!? ってゆかまじ意味わかんねだけどなに? 雅ちゃんとここ関係してんの?」
「……だから、言っただろ? さっきのおかまさんみてえなこと、高屋もしてんの。今は姿見えねえけど今日もどっかで働いてんだろ」
「ええ……? まじ理解不能……わかんねえ……雅ちゃんが、ここで……うええ?」
「現実理解しろ。ま、見た方がわかんだろ」
頭を抱えて項垂れた大志に秋平は肩を叩いて宥めた。お酒が届いても呑もうともしない点から見れば相当処理ができない現実なのだろう。最も強くないのでたくさん呑まれるのは困るのだけれど。
秋平が初めて雅の秘密を知ったときは驚いたもののどうでも良いという気持ちが一番大きかった。顔見知りでもなければ知り合いでもなかったから当然ともいえた。
大学では良い意味で有名な雅の夜の顔がこれか、とそんな軽い気持ちだった。
あのときはまさかこんなことになるだなんて思ってもみなかった。今更どうにもならない。秋平は濃い方の焼酎に口を付けると、からからに乾いた喉へそれを流し込んだ。
宵の口もほどほどに、それなりに美味しい酒を呑んでほんのりと酔っぱらった秋平と項垂れたままの大志。照明が一段暗くなったかと思えば、店内にマイク放送が掛かり色とりどりの照明が照らされた。
「お?」
この店の目玉とも言って良い、週末限定のドラァグクイーンのショーパフォーマンスの始まりのようだ。
客もそれが目当てなのか、放送が掛かるやいなや素早く反応を見せるとステージの方へと視線を向けた。秋平も項垂れたままの大志の頭を引っ叩くとほらと指を差す。
「大志、高屋これに出るんじゃねえの?」
「えーなになになにが始まんのまじこええんですけどお〜」
「なんだろなあ……俺も噂に聞くだけでまじもんとか初めてだから都合わかんねえわ」
こっそりとひそひそ話で、期待半分に見たくなさ半分。ナレーション的ポジションなのか、ステージに上がったドラァグクイーンの奇抜な格好に変なところで機転の効かない大志はドン引きのようだった。
男と丸わかりなのに過剰なまで女を押し出した格好。派手な衣装はもちろんのこと、メイクがちゃんちゃら可笑しい。美しいというよりはちんどん屋のような、やり過ぎた感が否めないメイクだった。
だがそれこそがドラァグクイーンの特徴でもある。
店内のテンションが上がり熱気が増す、活気に沸く周りとは正反対に冷めていくのは大志。
どこかで聞いたことのある歌を替え歌で歌いながら踊るドラァグクイーン。色んな手法や照明、手を変え品を変えパフォーマンスを行なう。ショーとしては最高だ。楽しめる。素直に面白い。
思わずまじまじと魅入ってしまうほどには、完成度は高かった。
「すっげえな〜なんか良くわかんねえけどテンションあがんな」
「う、ううん? もう訳わかんねえ俺、なに?」
きょとりとして理解もしていなさそうな大志は、ステージ上のドラァグクイーンを見ながら首を捻るばかり。
肝心の雅の姿はまだ。だけどショーは楽しい。秋平は最初から付き添いできただけなので、純粋にショーだけを楽しむことにするとうんうん煩い大志は放っておいた。大志の心は大雑把なのでこういった大人の楽しみがわからないのだ。まだまだ子供である。
そうしてショーもなんの滞りもなく進み、何人かのパフォーマンスが終わったところでドラムロールが鳴った。どうやら次がこの店の目玉でもある最後のショーでそれを目当てに来店する客も多いのだとか。
一瞬だけ真っ暗になった店内、静まり返って明るくなると極彩色の世界へと連れて行ってくれた。
(す、っげええええ……!)
思わず弾んでしまうリズミカルな音楽と共に出てきたのは、より一層派手さを増したドラァグクイーン。ごつくてやり過ぎな化粧にも関わらず華があって存在感が半端ない。
そのドラァグクイーンを筆頭に後ろに均一にずらりと並んだドラァグクイーン。数人でこなすパフォーマンスショーは今までのどのショーより豪華さも淫靡さも一級品のものだった。
テンションがだだ下がりの大志でさえ、思わず魅入ってしまっている。そうして気付けば後ろの方でいやに顔の整った、だけどメイクはやり過ぎなドラァグクイーンがいることに目が付いた。
そう、それこそ二人が目当てとしてきた雅の姿だった。まだ表情は硬いものの本当にショーに出られることが嬉しいのか、いつもより雰囲気が生き生きとしているのが手に取るようにしてわかる。
大志は雅に熱の篭った視線を送ると、動きを逃さずにじいと見つめ続けた。
なんだかんだ言いながらも結局はショーを最後まで見届けてしまった。あっという間に終わってしまったという方が正しいのか。
まさに一夜の夢のようだ。実感がない。馬鹿にしていた分、クオリティの高さに驚いたというのか。ぽけえと惚ける大志とは正反対に秋平はまだ夢心地のような気分を引っ張るとほうと溜め息を吐くのであった。
それから数分、照明が元通りに戻ったかと思うと店内の雰囲気も払拭されてまるでショーなどなかったかのような状態に戻った。客はわいわいと酒で盛り上がり、ステージは静けさを取り戻す。
だが先ほどまでステージに立っていたドラァグクイーンがメイクそのままでフロアに現れればわっと歓声が沸く。どうやら今からテーブル周りや、指名された席に着くようだ。
関係ないとばかりに高を括っていた二人ではあるが、見覚えのあり過ぎるドラァグクイーンが躊躇いもなく二人の席へと一直線に向かってきた。雅である。
キャバ嬢もびっくりの金髪盛りヘアーにけばけばしいメイク。ギャル顔負けの濃さだ。面影は辛うじてあるものの誰かと問われればわからないほどには厚塗りされている。
やり過ぎが、良いのだろう。理解もできぬ世界観だけれど。
雅は視線を秋平へと向けると、真っ赤に彩られた唇で普段からは想像できない口調を放ったのだ。
「ちょっと二人にしてくれるかしら」
このおかまバーという店でドラァグクイーンとしてここにいるのだから当たり前なのだ、それは。だけれど昼の雅に馴染み過ぎていて脳が追いつかなかった。一体なにを口走ったのだろうと。
女以上に女らしく、だけど心は男のまま。誰よりも美しい雅は面白可笑しく、だけど豪華な顔付きのままもう一度言った。
「聞こえなかったの?」
「あ、ああわりい……そうじゃねえよ。その、なんつーか……まあやっぱり」
「意外って? 別に軽蔑しても良いのよ。気持ち悪いって思ってくれても結構」
「そんなんはねえよ。……知ってたし、な。ちょっとびっくりしただけだ」
「そう? まあどうでも良いわ。バーカウンターもあるからそっちで少し呑んでいてちょうだい。直ぐ終わるわ」
スリットから伸びた白くて長い綺麗な足を見せ付ける。照明に当たってギラギラと光るラメが散りばめられた真っ赤なドレス、大きく胸元が開いていてもそこはパッドもなにもない男の胸だ。
ちぐはぐな世界観がまたより一層興味を惹かれ、そそられるのだろう。なんてただ惹き込まれているだけなのかもしれないが。
秋平は雅の言葉にすんなりと頷くと、放心状態の大志を置いてバーカウンターへと向かった。雅がなにを考えて大志をここに呼んだのかわからないがそれなりに考えはあるのだろう。
一方かちんこちんに固まった大志の隣に腰を据えた雅は置いてある酒をぐいっと飲み干した。
「み、みやびちゃん……それ……」
「びっくりした? これが私の秘密よ。ここでドラァグクイーンとして働いているの。まだ下積みなんだけれども、一生本気でやっていきたいとは思ってるわ」
「喋り方、まで、……そうなの?」
「そうね。この姿でいるときはこうよ。だって、今の私は私であって私じゃないもの。あんたにはわかんないでしょうけど。でも私は今の私が好きよ。ずっとやりたかった夢なのよ。これが私の、本当の姿」
「みやびちゃんの……」
「夢が壊れたでしょう? これに懲りたらもう私に構わないでね。ここまで教えたのは、あんたといる時間嫌いじゃなかったからよ。でも私も遊んでいる暇もないし、だからもう」
ちらちらと窺うような大志の視線、雅は言葉を切ると訝しげに見返した。照明がそこまで明るくもない所為か大志の表情が読みにくい。秋平ならば今大志がなにを考えているのかわかるのだろうか、付き合いの浅い雅にわかるはずもない。
ぎゅっと握り締められた手、唇は固く結ばれてふるふると震えている。大志はなにを思っているのだろう。
早く気持ち悪いと、冷めたと、やっぱやめたと、そういえば良いのに。本当にそれを望んでいるとは胸を張ってはいえないけれど、それが一番楽な道に思えたのだ。
雅が願っていることなど露にも知らず、大志は綺麗に手入れされた雅の手をぎゅっと握ると興奮気味に唇を動かした。
「雅ちゃん! 俺は感動した! やっぱり隕石はあった!」
「は、はあ?」
「正直ありえねえと思う! 俺には理解できねえ世界ってゆーか〜うん。おかまにしか見えない。ドラァグとか言われてもちんぷんかんぷんだし、良くわかんねえもんしゃあねえ」
言い切った、清々しいほどに。
「でも雅ちゃんはやっぱり綺麗だと思う! その、なんつーの、全部きれいっていうか……秘密教えてくれたのちょおぱねえテンションマックス上々だっしょも〜ね? 照れるわーまじ」
「……あんた、想像以上に馬鹿なのね」
「それにその口調も慣れたら、なんか、良い。そそる」
「期待も糞もないわ、あんた。……本当に予想の斜め上を行くのね」
「俺はいつでも雅ちゃんにらぶどっきゅんです! え、え、え、ってゆかこれ通って良いフラグ立っちゃいました? あ、あ、あっ〜でも金ねえんだったぱねえ! 給料日後じゃねえとぱねえ!」
「馬鹿、くるのは勘弁してよね。あんたにこられると集中もできないわ。あんたの面倒見るのは昼だけで良いわよ。……あのいつもの肉、もうちょっと味薄い方が良いんじゃない? 私は食べないけどね」
手をぎゅっと握り締めて上下に揺さ振る大志を宥めた雅は、そうっとその指を外すと立ち上がった。
指名もなしで勝手に座ったのだ。長居し過ぎると仕事に支障をきたす。指名なしで席にキャストが座るのは原則禁止ではないのだが、雅には指名が入っていた。それを待たせているのだから早々に切り上げなければいけない。
喋りが下手でも、愛想がなくても、それでも雅の固定ファンはいる。最もナンバーワンにはほど遠いものではあるけれど。
(……変わらないなんて信じられない。けど、ほっとしてる……言えないけど)
どこか妙な気持ちだ。これ以上踏み込ませないよう諦めさせるためにしたことが、裏目にしか出なかった。大志は諦めるどころか逆に燃え上がってしまったのだ。
鬱陶しいと、厄介だと感じても良いのに安堵感が一番強い。ほっとしてしまっている己が恨めしい。
雅は名残惜しそうに犬のようにしゅんと項垂れてしまった大志の頭を叩くと、にっこりと笑った。
「じゃあね。……また、明日」
「う、うん! また明日!」
ぶんぶん尻尾を振られているよう。雅は今度こそ振り向くことなく席を立つと、指名をもらっているテーブルへと移動していった。
それをカウンターから見ていた秋平はご機嫌な大志とどこか浮き立っている雅になにを思うのか、グラスをぐいっとカウンターの奥へと返却すると大志のいるテーブルへと戻った。
目的が達成された今、これ以上ここにいる意味などない。少なくとも秋平にはなかった。大志のことだ、恋は冷めるどころか燃え上がっているのだろう。
放っておけば一人でも居座りそうな雰囲気だったので無理に連れて帰ることにした。
「しゅ、しゅうへいみたみた!? 雅ちゃんの秘密ってこれだったんだな!」
「……まあな」
「ってゆかドラァグなんちゃらってなに? ここってなんなの? おかまバーなの?」
「まあ、そうなんじゃねーの? 俺もこっちの世界は良くわかんねえよ」
「ほえ〜そうなんだ? 俺もわっかんね〜でも雅ちゃんはやっぱり綺麗だったな〜すっげえな〜なんか、すっげえよ……」
「そうだな、……すげえな」
ほう、と音のするような溜め息。大志は憂いを帯びた顔を晒して客とそれなりに楽しげに喋る雅に視線を向けた。
なんだか少しだけ後悔を覚えた。秋平は後悔に似た気持ちを抱いたのだ。
きらきらとミラーボールが店内を照らす。頬を染めてうっとりする大志の顔も、ミラーボールの光だったら良かったのに。どこか寂しげな気持ちを抱いたまま秋平は立ち尽くした。
帰ろうともいようとも言えずに、ただただ雰囲気に流されるままに大志の言葉に相槌を打つのだった。