一間置いて、じわりじわりと湧き上がる実感。雅が綺麗な唇で象った言葉をゆっくりと反芻するかのように、脳内で繰り返した。
(雅ちゃんが、俺を、好き)
それはつまりどういうことだろう。これはつまりあれというやつだろう。望んでいた、両思いという。
意識をした途端熱が頬に集る。顔を真っ赤にして唇をはくはくと動かした大志は声にならない叫びを上げた。
「そこまで喜んでくれるのなら一層のこと清々しいほどね」
「だ、だ、だだだってえ……ええ!? え、え、え、え、ええ!」
「もう一回は言ってあげないけど、ちゃんと理解はしたの?」
「う、うん、し、したけどお〜!」
「ちょっとは落ち着いたらどうなの。……メイク落としてくるわね、このままじゃなんだかあれだわ」
戦慄くだけの大志に呆れをみせた雅はウイッグの髪をかき上げると、洗面所へ向かった。己自身が女装したままで真面目な話をするのはなんだかあれだし、ずっとこの部屋でこの口調なのも違和感がある。
雅がメイクを落としていつもの雅に戻るのと同じように、時間を置けば大志もいつもの大志へと戻っているだろう。というより戻ってもらわないと困る。
似合わずに火照る頬を押さえると、雅はほとほと化粧をしていて良かったと安堵するのだった。
それから時間にすれば十分にも満たないだろう。顔をご丁重に洗い、ヘアバンドで髪を上げタオルで頬を押さえながら雅が部屋へ戻ってみれば何故だか大志はきちんと佇まいを直して正座をしていた。
本当に極端というかなんというか、大志の行動の意図がわかった雅は呆れすら通り越すけれど、そこも許せてしまえると思っている程度には惚れているようだ。本当に信じられないけれど。
「……なに。それ」
「み、雅ちゃん……俺たち晴れて恋人同士になれたんでしょ!? 彼氏彼女の事情ってやつでしょ!? 雅ちゃんが俺の彼女でしょ!?」
「あー……まあどっちでも良いけど。彼女、ねえ。彼女なんじゃない」
「じゃ、じゃあ! 次のステップはやはりあ、あのエッチというやつなんでしょうか!?」
「……はあ」
ぎゅっと膝の上で両手を白くなるまで握り締め、大志は興奮気味にそう叫んだ。やはりというべきか、雅が想像した通りの展開だ。
大志は絶対に性欲が強い方だと睨んでいた。いや性欲というよりベタな恋人同士の戯れや、こてこてな行動、べっとりとした関係性に一種の憧れを持っている。
だがしかし、人類皆そういう趣向と違うのが恋愛の醍醐味でもあり難関でもある。
例に漏れずストイックな雅はその性格だけでは留まらず、そういった方面を避けるという意味からして非常に性に薄かった。それはもう皆無といって良いほどに性欲がなかったのである。
「……そのことなんだけど、俺そういう気分じゃないし」
「えっ」
「ヤらなくても平気っていうか性欲あんまないっていうか……まあ、うん」
「ええっ」
「期待させた? ごめんね」
「えええっ! やだやだ! ヤりたい! エッチしたい! いやだあ! そんなの!」
「エッチするために付き合ったんじゃないでしょ」
「そ、そうだけど! そうだけどお! 恋人同士のあれっていったらあれじゃんかううええああ! うええん、雅ちゃあん!」
「なに言っても無駄。……ま、今度ね。善処はする。考えといてあげるからさ」
じたばたと駄々を捏ねる大志の頭をぽんぽんと叩き宥めてみても、大志の機嫌は一向に良くなることもなく変わることもない。良い歳をしているというのに膨れっ面で拗ねてみせたのだ。
本当に馬鹿っぽいというか精神年齢が低いというか、どういう育ち方をしたのだろう。そこまで考えて大志の家庭環境を思い出した雅は口を噤んだけれど。
「ね、ね、お願いっ、ちょっとだけ」
なんて言って雅に近寄ってくる大志、行動そのものはどこかの親父のようだ。
甘えたような手付きで雅の肩に触れる。大志的には抱き寄せているつもりなのだろうが、雅からしてみれば縋っているようにしか見えない。
それほど身長が低いという訳でもないのに、こうしてみると身長差に気付かされてしみじみと実感する。雅は怪しげな手付きになった大志にでこぴんをかますと、めっと軽くいなした。
「うええ、雅ちゃあん……」
「そんな声出しても駄目なものは、駄目」
「なんでえ……雅ちゃん……うええ」
「ぶりっ子しても、可愛子ぶっても無駄だからね」
大志に冷たくそう言い渡せば、今度はえぐえぐと半べそをかき始めた。これでも成人しているというのに、セックス一つできないだけでこの反応はどうなのだろうか。
一生しないと言い渡した訳ではない。ただ今日はしないと言っただけなのだ。
情けなくも馬鹿みたいにしょんぼりとしょげる大志を見て、雅の中でいつかも芽生えた感情がむくりと顔を出した。この感覚は、あれだ。虐めてみたいという感情だ。
(……駄目だな、これに弱いのかな)
涙目になっているだけで可愛いと思う。顔がどうのこうのではなくて泣き顔が、だ。可愛げなど普段からは感じられないが、こうして大人しくなって口を閉じて泣きそうになるともっともっと泣かせてみたいと思う。
だからといって痛い目に合わせたり、酷いことを言ったり、そういうのがしたいのとはまた違う感情なのだ。雅自身ですら上手く表現することができない微妙なラインだった。
「大志」
手始めに名前で呼んでみれば、本日二度目なのに目を真ん丸くさせてこっちを勢い良く振り返る大志と目が合った。
「あんたが女役なるなら、良いよ」
「え……っ!」
「ネコっていうんだっけ……まあそんな名称はどっちでも良いけど。どうする」
「え! む、むりむりー! そんなのぜってえむりー! だ、だってそっちってそっちを使うんでしょ!? 俺痛いのちょお嫌いだしなんつーか雅ちゃん押し倒したい派の隊長だっしょ!」
「じゃあ、駄目」
「うええ! うええ!」
大志の少ない脳味噌はたった今フル回転しているのだろう。男役を突き通してセックスをしないで終えるか、女役で妥協してセックスをするか。もしくは男役でセックスするという夢を実現するか、と。
(俺も痛いの嫌いだし、……女役なんて死んでもごめんだけど)
ぐるぐると百面相のように変わる大志の表情を楽しく観察する雅の横で、大志は今人生で初めてといっても良いほど深く物事を掘り下げて考えていた。
とにもかくにも大志はセックスがしたかった。こういってしまえばあれな語感になってしまうけれど、やはりこれでもずっと追い続けてきた恋が実った瞬間なのだ。テンションも高けりゃ気持ちも高い。この状況で繋がることができたらどんなに幸せだろうか。
ただ欲を満たしたいだけといえば、そうなってしまうのだろうけれど。
雅をちらりと仰ぎ見る。相変わらず無表情だけれど楽しげな雰囲気を醸し出している。初めて出会ったあの頃に比べれば、雅は本当に柔らかくなった。素顔になった。
(……可愛いし、格好良いし……うええ、ちゅうもしたい……)
雅と触れ合いたい。もっともっと距離を縮めたい。心臓が壊れるんじゃないかってほど軋んでも、鼓動を刻んでも、煩く騒ぎ立てても、それでも傍にいたい。見てほしい。見ていたい。
こんな馬鹿みたいなことに踊らされているのが、大志の恋なのだ。
大志はうずうずと身体を動かすと、雅に一歩だけ近付いた。おや、という顔をした雅に見つめられる中、必死に考えた妥協案を出す。
「じゃ、じゃあ触りあいっこ! 抜きあいっこは!?」
「……ふうん、それ考えてたの」
「それならお互い様っていうかあれっていうか、ね!? 良い案ぽくね!? 俺ってばちょお天才的〜」
「残念。……俺、溜まってないから」
「……ええっ!」
「抜いてあげようか? それなら、良い案でしょ」
じりじりと雅が距離を詰める番だ。大志はあううだのううだの意味のわからないことを言ってみたが、なんの意味も齎さなかった。
雅の案は二分化される意味を持つ。上手くいけば凄く美味しい話である。雅に抜いてもらうとなればそれはもう至福の時間だ。だけどただ一方的に触られるというのもどうなのだろうか。
大志がぐるぐると悩んでいる間にも、雅との距離がゼロになって細くて綺麗な指が大志のズボンへと掛かった。
「あんたの服、ほんと脱がしやすいね」
スウェットだ、つまりは。ゴム部分をそうっと引っ張って少しずらし、見えたイチゴ柄のパンツに笑いそうになる。
「子供っぽいね」
「う、煩いなっ! 可愛いかなって、思って……」
雅の持つ雰囲気が淫靡なものへと変わる。特になにかをした訳ではないのに、エロチシズムを擽られる様態だ。
空気が改革を起こす。大志は唾をごくりと飲み込んだ。どくどくと脈が耳に煩いほど響いて、呼吸が止まる。ぎゅっと手を握り締めて期待したように待てば雅がくすりと笑った。
「そんな期待してるの」
「……そ、んなんじゃ……ない」
「あんたが大人しいと、変な気分だね」
雅がパンツの中に手を差し込めば、大志がびくりと跳ねた。視覚的に見えないからか、なにをされているのか全く把握できない。大志が食い入るように下肢を見つめていれば、そうっと人差し指が性器をなぞった。
その瞬間信じられないほどの愉悦が大志の背中を駆け上がる。思わず漏れてしまった声に、慌てて口を手で塞いだ。
「もう、硬くなってるね。不思議」
「お、男だし……ッ」
「へえ……? 男の触ったことないから、変な気分」
大志の性器をぐっと握る。存外に冷たい手に触れられて、大志の熱くなった性器と中和する温度。感度が半端なく研ぎ澄まされている。
大志は首を仰け反らせて、ベッドにもたれ掛かった。体勢が雅優位になる。
「大志の、濡れてるね」
静かな部屋に大志の荒い息と濡れた音が響く。は、は、と声を押し殺して顔を赤くしている大志は視覚的には雅の興奮を煽るのにはばっちりだった。
だけどまだ、まだだ。そう簡単にしてしまうのは面白くない。もとより淡白な雅だ、そういった方面での我慢は融通が効いた。
今はまだ大志を虐めるだけで十分。雅は適当に、強弱を付けて性器を扱いた。下着の中で十分なほどに濡れた性器は音を立てると雅の手に絡まる。
「ん、ん……」
威勢の良さが削がれた大志は唇を噛んで、声を押し殺す。その様子が可愛いと思う。雅は顔を近付けると距離を縮めて近くから覗き込む。
「目、開けないの」
「む、むりい……」
「なんで、ほら……あけて」
そうっと耳元で囁けば大志の睫がふるりと震える。空いている方の手で頬を撫ぜて催促しても震えるのは睫だけで、瞼はがんとも動かない。
ここまでくると意地でも開けたくなる。これまでならばそこまで積極的になれなかった雅であったが、どういうことだろう。大志に関しては驚くべきことばかりだ。
人というものは簡単には変われないけれど、誰かと関わり合うことによって予想外にも変化していくものなのか。
雅は大志の性器の鈴口をぐっと押さえ、裏筋を擦り上げた。なんとなくだが感で大志の反応を見て弄っていれば大志の良いところなど直ぐに見つかる。
案の定、口を震わせて声らしい声を上げた大志は非難を向けるように雅を見た。瞼を開けたのである。
「や、やっぱ……いっぽう、てき……っ」
「今更気付いたの。馬鹿だね」
「ァ、っう、……や」
びくんと一際大きく震える。一方的にされるがままの羞恥に気付いたのか、大志が珍しくも反抗的になって雅を押し退けようと手を突っ張った。ものの悦に溶かされている状況では上手く反抗もできない。
雅の肩を強く握って、苦しげともとれる声を上げる。性器が限界にまで張り詰めて、どくどくと脈打つ。
「は……ッ、あ、あ……ぁ……」
「ねえ、イくならイくって言ってね」
「なっ、や、……そ、んなの……」
「服、汚れちゃうよ。……それとも汚したい?」
雅の声が意地悪そうに響いた。本当ならばこんなはずではなかったのだ。恥らいつつも大志の性器を握って扱いてくれる雅を、余裕綽々で見つめる大志というのが想像にあった。
だが現実はどうだろう。押されているばかりか、これでは余裕綽々の雅に攻められたじたじの大志という状況ではないか。こんなはずではなかったのに。
(雅ちゃん……うう、格好良いけど〜格好良いけど〜!)
雅の手の動きが早くなる。大志をイかせようと意思を持って強くなった。それに伴い齎してくる愉悦も、上限を抜いて大志の身体を射抜くのだ。
びりびりと指先から痺れていくよう。身体が麻痺して、思うように動かせない。ただ支配されているような感覚。
「あ、っあ、あ……み、みやびちゃ……」
「……イくの」
「ん、んんッ! い、く……っ」
我慢など持つ訳もなかった。もとより我慢することは苦手だ。
大志は呆気なくもプライドを投げ捨ててしまうと雅に擦り寄って喘ぎ泣いた。こんなことは初めてだった。触れられるだけで声が出てしまいそうになるなんてなかったのに。
それほど雅は特別なのだろうか。そうなんだろう、特別なのだ。
「あ、ア……ァっ!」
身体をぴんと張り詰めらせる。大志の呼吸が一瞬だけ止まった。どくりと溢れ出したものが弾けるのと同じように、性器から飛沫を迸らせた。雅の手を汚した。
身体をひんやりとした汗が襲う。大志は荒い息のまま雅の肩に額を付くと、どんな表情をすれば良いのかわからずにいた。
だってこんなの情けなさ過ぎる。女みたいだ。格好悪い。そんな大志の後悔など知りもしないのだろう、雅は手を引き抜くと開いてみせて笑うのだ。
「ねえ見て、精液。初めて見るね、他人の」
情緒がないのか、大志を虐めたいだけなのか。大志はなにも言うことができなくて口を噤んで項垂れた。