ドラァグクイーンの憂鬱 11
「しゅ、しゅうへえ〜!」
 情けなく半べそをかいた声が後方やや右辺りから聞こえた。気色ばむ声から推測するに良いことなんだろうけれど若干の愚痴を含んだ会話内容とみた。
 秋平は振り向くかどうかを一瞬の間の内に悩んだが、結局のところ大志には滅法甘い。渋々といった態度を装いながらも怠惰に後ろを振り返る。さすればやはり泣きそうな大志がいた。
「なんだよ。また高屋のことか?」
 聞かなくてもわかりきったことだったが、一応聞いてみた。案の定大志は顔を真っ赤にさせると珍しく口篭ったのだ。なんだか変である。
「なんか変じゃね? お前」
「えっ、へ、変って?」
「浮ついてるってゆーか……なんかあったの」
「あったってゆかゆか〜あああ、あの、その秋平〜! どうしよう! 俺、俺、俺、み、雅ちゃんと……つ、きあうっていうか、彼氏になっちゃった!」
「は、ああああ!? え!? おまっ、え!? それまじで言ってんの!?」
「まじだよお、うええ、うええ、どうしよ〜」
 なにに悩んでいるのかさっぱり検討もつかない。というよりまともな日本語を喋らない大志から本意を汲み取るのは骨が折れる作業でもある。
 どうしようどうしようと、要領の得ない言葉ばかりを吐く大志は秋平が落ち着きを取り戻してもずっと不安定なままで、幾らまともな質問をしても返答すらできないほど焦っていた。
 確かにずっとストーカーよろしくと追い掛け回しても全く靡かなかったツンドラな相手が見事デレて振り向いたとなれば実感も沸かないだろう。
 それも昨日今日の出来事ならば尚更だ。実感がないまま夢ではないのだろうかと思ってしまっても不思議ではない。現に秋平ですらどっきりなんじゃないのだろうかと思ってしまうのだから。
(あの高屋がねえ……大志に絆されたの、か……ふうん)
 なんとなくしっくりこない感情は過保護が行き過ぎた所為なのか。秋平はもやもやとしたものを抱えながら、大志が落ち着くまで待っていたのである。
 それから大志の声がでかいという理由もあってか二人は場所を移動することにした。大志は大学構内で有名人でも秋平はそうではない。なるべく平穏に暮らしたかったので目立つのを避けた。
 人気のない休憩室にカップ珈琲片手に立ち寄り、沈み込みの良いソファに腰を据える。
「で? 結局なにに悩んでいる訳」
 舌に乗っかる珈琲の温度が微妙に高い。猫舌な秋平はゆっくりと舐めるように口に含むと、半分ソファに沈んでうんうんと唸っている大志を見た。
「えー……悩んでるっつーかー……ねえ? あるじゃん〜そのさ〜恋人っていったら的なあ?」
「はあ? 要領得ねー。惚気でもしたいの」
「惚気じゃないよ! そういうんじゃねって、ほら! もう秋平〜俺の親友だろ!?」
「それとこれは別だっつの!」
 もじもじと両手を擦り合わせて照れ気味に秋平をちらちらと見やるその仕草は可愛くないこともない。顔レベルでいったら美形とは程遠いが、愛嬌のある顔なのだ。
 子供の頃から大志にある意味デレデレな秋平としてはどうしても兄貴分のような気分でいてしまうために、雅と付き合うこと自体が気に食わない。認めてもいない。だけどどうのこうの言えることもできないのが少し寂しくもあった。
(ああ、態度に出てねえかな〜……にしてもほっんと大志趣味わりーし……)
 雅の全てが気に食わない。大志のことが可愛くて仕様がないのだから、それは仕方ない。
 秋平は諦めるようにずず、とソファに沈むと内々に鬩ぐ感情に蓋をした。
(……まあ悪い奴じゃねえから当面は様子見だな。泣かしたらぜってーぶん殴ってやるけど)
 ある意味平和な二人だ。静かに珈琲を啜る秋平に思うところがあったのか、大志は潔く顔を上げると戸惑った風に唇を開いた。
「……ど、どうやったら、その、エッチできると思う?」
「ブフォッ!」
「きったねー! 秋平こっちまで飛んできただろーが! ばか!」
「馬鹿なのはどっちだ馬鹿! そういうデリケートな質問俺にすんなよ! 男同士だろ!? 考えたこともねえって」
「そういうの偏見っていうんだぜ!」
「そのドヤ顔うっぜ〜……ってゆかよ、お前どっちなの。彼氏っつーことは、あれか、その……攻める方か? 生々しいからあんま想像したくねえけどよ」
「当たり前だろ? 雅ちゃんちょおかわいいじゃんか〜! でも雅ちゃん嫌って言うんだぜ! どうしろっていうんだよ、なあ?」
 という大志の言葉を皮切りに、マシンガントークと化した大志はただのガールズトークに勤しむ女子にしかなりえなかった。ああだこうだ言っても、所詮秋平はノーマルだ。まあ雅も大志もノーマルなのだろうが、そっち側に片足を突っ込んだ時点で秋平と大きな差ができる。
 秋平に相談されても、なにも言えないのが現実。
 事情も糞もなにもかもわからないが、見目から入れば大志の方が攻められると思っていたばかりに少し驚いている。大志の性格を考えれば攻めたがるのは容易に想像できたが、あの雅だ、絶対に折れないだろう。
(……近々掘られるんじゃねーの、これ……)
 雅は淡白そうなので襲うようなことはないだろうが、もしセックスをするとなれば大志は確実に女役に転向させられてしまうだろう。
 徐々に惚気混じりになってテンションの上がりだした大志に、秋平はでこぴんをかますと煩く喚く顔をがしりと掴んだ。
「ふぁふぃふんふぁふぉお」
「なにすんだじゃねえよ。幾ら人気ねえからっていい加減聞き飽きたっつの。つかバイトは真面目にこいよ? 現抜かして休むとか言うんじゃねえぞ」
「ふぁひ……」
「大学もちゃんと通え。な? 申し訳ねえだろうが。あ、つか今日高屋は休みか?」
「ふぁいふぃふぁい」
「ふうん、ま、良いけど。取り敢えず当たって砕けろ作戦だ。お色気作戦ともいうな。一回誘惑してみろお前の脳味噌で。つー訳でこの話は終わり! 惚気はそれ以上聞きたくね!」
「ふぁひー!」
 最後に照れ気味で頑張れよと秋平に言われて、秋平も雅に劣らず大概ツンデレだよなと大志はしみじみと思うのであった。

 それから大志は珍しくも大学の授業を全て真面目に受け終えた。秋平が大志を無理に引っ張ってくれたのも理由にあるのだが、雅との約束も大きかった。
 実はあの後、雅と一つの約束を交わしていた。大学にきちんと真面目に通うという単純な約束だ。
 恋に現を抜かすタイプだといち早くも見抜かれていたのだろう。雅はああ見えて存外に真面目なところがある。大志のゆるゆるだらだらな部分が許せないようだった。それは秋平もだが。
 大学にきちんと通って仕事も真面目にしつつ雅と健全なお付き合いをして進展をしていくという決意表明に、はいとしか言えなかった。
(でも俺年頃だし! 我慢できねえもん! エッチしたい! したああああい!)
 大志の長所といえば行動力しかないだろう。雅に対しても過度なるアタックと押しによって勝ち得た関係だ。セックスの立ち居地も初エッチもしつこさと粘りで見事ゲットしてみせる。
 意気込みだけは活気良く、だけども今夜は大志も雅も仕事があるので決戦は深夜に持ち込まれるのであった。
 大志には色気がない。己でも自負できるほどだ。どうしてだか子供っぽいとか、馬鹿っぽいとか良く言われるのだ。それは合コンだったり紹介だったりで。
 男相手に対する色気はどのように出せば良いのだろう。どんな風に接したら雅は足を開いてくれるのだろう。
 悶々と思春期特有の性妄想を膨らませながら雅の部屋の前で座り込んでいれば、雅が帰宅してきた。疲れ切った顔に濃い香水の匂い。仄かに漏れる色気にあてられそうだ。
(うっわ、これが色気……俺にねえええ!)
 勢い良く立ち上がった大志の姿に気付いたのか、雅は呆れ半分にどうしようもない溜め息を吐いて項垂れた。
「……なにしてんのか聞くのも億劫なときはどうすれば良い」
「んーとりあえず部屋に入れて!」
「あんた人の都合とか考えない訳。……良いけど、携帯あるんだからそっちに連絡してよ」
「それも考えたんだけど〜会いたかったしい、無理っつわれたらもうぱねえし!」
「あっそ。あー……ほんとなんで付き合いOK出したのかわかんなくなるね、これ。……はい、どうぞ」
 不吉な言葉を残しつつも、少しはにかんで優しく部屋に上げてくれる雅のこういうさり気ない優しさが好きだ。大志は大胆にも雅にくっついて回ると、自室へと入った。
 相変わらずがらんどうとして閑散たる部屋。雅は怠惰に荷物を規定の場所へと置くと、手洗いやら顔を洗ったりやら着替えをし始めた。ぽつねんとそれを見て待つ大志は手持無沙汰に座り込むと雅を観察する。
(ほんと几帳面っていうか〜そんな感じだよなあ、雅ちゃん)
 漸く大志が話し掛けても大丈夫な状態になったとき、雅は完全に寝る体勢になっていた。
「で、泊まるの」
「え、う、うん。泊まって良いの!?」
「好きにしたら。邪魔しなければ良い。今から予習するけど大志はどうする」
 ナチュラルに名前を呼ばれて、大志は胸が煩く騒ぐのを耳で聞いた。いつの間にだろう。あれほど望んで貴重と感じていたそれが極当たり前のように存在しているなんて。
 それを特別とも思わないような関係になったのだ。そうだ、雅と大志は恋人同士。
(付き合いたてだからバカップルみたいなん期待してたけどお〜雅ちゃんそういうの嫌いっぽいよなあ〜)
 想像もつかないのが現実だ。付き合って名前を呼んでもらえるようになっただけでも進歩か。
 雅はそんな大志を他所に大学のレポートを書くためベッド下に収納してあった机を取り出し組み立てると、その上にどさりと勉強道具を置いた。
「……ねえ雅ちゃんそれちょおめんどくさくない?」
「ものがある部屋嫌いだから」
「ふええ、ってゆーかー俺なにしたら良いの!?」
「知らないよ。勉強の邪魔しないでね。したら直ぐ追い出すから」
「えええ! 俺たち今ちょおらぶらぶな時期なんじゃないのおお!?」
「それとこれは別。いきなりくるあんたも悪い。大人しく寝るか黙っておくかして」
 むむむ、と黙り込まされてしまった大志は雅の言い付け通り大人しくしていた。のは数分だけ。
 数分を過ぎるとあまりの暇さに叫び出しそうになった。のを抑えて、雅の真似事をしてみた。着替えを借りて寝巻き姿になり、手を洗って歯磨きをする。お風呂はきちんと家で入ってきた。
 だがそこまでだ。そうもすれば再びやることがなくなってしまった。
「ねえん、雅ちああん……」
 甘えたような口調で呼んでみても睨み返されて撃沈してしまう。本当になにをしに雅の家にきたのだろう、と思ったところで思い出した。当初の目的を。
(そうだ! 会いにきたんじゃねえ! セックスしにきたんだ!)
 今日雅が大学を休んでいたので会えなかった分、会えたことにテンションが上がってすっかり忘れてしまったが、雅とセックスするためにここにきたのだ。
 抱き締め合ったりキスしたり、手を繋いだりもしたいけど所詮大志は20そこらの健全男子だ。性欲もそれなりに強い。高校のときのようなあの馬鹿みたいな性への執着は収まったが、それでもしたいものはしたい。
 大志は勢い良く立ち上がると、お色気作戦を実行することにした。
「雅ちゃん! セックスしたい!」
「……はあ? あんた馬鹿? 脳味噌大丈夫?」
「恋人同士でしょお!? したいしたいしたああい!」
「女役は死んでも嫌。男役も今は嫌。めんどい。っていうか、勉強中だから邪魔しないでって言ったよね」
 無残にも切り捨てられた。けれど大志はそんなみみっちいことでめげたりなどしない。屈強な精神を持っているのだ。
 大志は雅に借りたティシャツの裾をちろっとだけ捲ってみると、どこからどう見ても全く普通な腹をチラリズムしてみた。ここでもう少し色白だったりとか、腹筋が割れたりだったりとかだったら色気もあるのだろう。
「ね、ね、雅ちゃん見て」
「はいはい」
「見てってばあ! 見ないと損するよ!?」
 ちらちら腹を見せ付けてみても雅は視線すら寄越さずに、レポート用紙だけを見つめ続けている。予想以上の強敵だ。
 チラリズムする場所など腹しか思いつかない大志はそこで止まってしまった。胸を見せたところで大志に谷間などないし、下半身も別に見たくはないだろう。
 その原理からいえば男の腹チラも興味ないのだろうか。この作戦は失敗だ。
「う、う、雅ちゃん! 俺、めげねえし!」
 見せるのが駄目なら触れる作戦だ。いっちゃいっちゃと雅の身体に触れれば、少しは反応してくれるだろう。
 流石に際どい場所に触れることはできないが背中や肩ぐらいなら、そう思い座り込んで雅の身体に擦り寄って可愛子ぶった風に甘えてみた。
「雅ちゃあん、むらむらしてこない? ね、ねえ〜雅ちゃあん」
「しない。苛々ならしてきた」
「ひどい! うええ、なんなのそれえ! 恋人同士の戯れじゃんかよお」
 しな垂れかかって背中から抱きつく。ごろごろにゃんにゃんしても無反応で、寧ろ鬱陶しげにあしらわれてしまう。
 もうセックスという大きな夢は暫く見ないから、なんでも良いから構ってくれという気分にもなる。いきなり押しかけて勉強の邪魔をしている大志にも非はあるが、これはいくらなんでも寂し過ぎる。
 べたべたと甘えた声で拗ねてみせて、恨み節ばっかり言いながら大志が雅にぎゅうぎゅうすればやや乱暴にペンを机に叩きつける音がした。
「もう! 煩いな! ただでさえ今日大学行けなくてレポート溜まってんだから静かにしろ! 邪魔するなら追い出すっつったろ!」
「う、うええ……ごめん……でも、でも、でも〜!」
「あーはいはいはいはい! あんたほっんとめんどくさい! うざい! ……なんでこんなのに俺も絆されたんだか」
 はあ、と盛大な溜め息を吐いた雅は振り返ると、大志の身体をやや乱暴に引き剥がした。近距離で視線が合う。呆れ顔の雅がふっと柔らかく笑った。
「あんたほんとどうしようもない。手の掛かる馬鹿だね」
 むぎゅっと両頬を摘まれる。そのまま顔が近付くと大志の唇に柔らかい感触がした。雅が大志に口付けたのだ。
(え、え、え、え、え、えええええ〜!)
 ふにふにと柔らかい唇が何度も何度も角度を変えては大志の唇を擽って、舌は甘く輪郭をなぞる。歯を割って侵入してきたその舌の甘さにもう頭は真っ白だった。
 確かにセックスはできなかったが、ベロチューをした。している。雅と大人なキスをしているのだ。
「んっ……」
 気持ち良過ぎて、堪らな過ぎて、好きが溢れ過ぎて、どうにかなってしまいそう。今なら爆発できる。それほど幸せで嬉しくて気持ち良くてどうでにもなあれ状態だ。
 うっとりと雅に身体を任せていた大志はでろんでろんに溶かされてから気付いた。リードするはずが、またリードされているという現実に。
「はい。これで満足したでしょ。だから大人しくしててね、大志」
「……は、はひ……」
 結局のところ、雅より優位に立つことが一番の難所であった。