ドラァグクイーンの憂鬱 12
「はふ〜」
 わざとらしい溜め息が木霊する。秋平は敢えて視線を上げず、PSPに夢中になっているふりをして大志を無視した。
 久々になにも予定の入っていない土曜日の昼下がりを優雅に満喫している。大学もバイトも誰かと遊ぶ約束もない。秋平も、大志も。だから秋平は大志の部屋の片付けをするがてら遊びにきていた。
 いつも通りといえばいつも通りだ。秋平が大志の部屋に入り浸るのも、惰性的に時間を過ごすのも、こうやってだらだらするのも。だからこのままでいたいというのが本音だった。
 大志に気付かれないようにPSPから視線を動かさない秋平は内心煩く騒いでいた。
(これ、ぜってえ……聞いたら長い)
 視線がちらちらと当たって痛い。わかりやすいほどの態度を取る大志がなにを喋りたがっているのかわかってしまうのは時間が成せる技なのか。
 十中八九雅のことだろう。聞くまでもない。惚気に似た話を聞かされるのは十分だ。そろそろ飽き飽きしている。付き合ってそれほど日は経っていなくとも、話だけなら腐るほど聞いてきた。
 いずれそういった話になるのだろう。今はまだそこまで進んでないから可愛い話だが、悩みは可愛くのない話に決まっている。できればあまり聞きたくない。酷いほどの既視感を覚えながら、秋平は逃げ切るためにPSPのボリュームを上げた。
「しゅーへい!」
 が、それが仇になったのだろう。大志から反撃を受けた。
 クッションをぼすりと投げ付ける音がする。秋平の涙ぐましい努力でそれなりに綺麗になっている部屋に転がったクッション。秋平は渋々と視線を向けた。
「……高屋の話なら聞かねー」
「なんで雅ちゃんの話ってわかったの!?」
「てめえがわかりやすいからだろ」
「で、聞いてくれよ! 雅ちゃんちょお紳士っつーの? なんつーの? あれ、その、エッチしたがらないんだって! もうね〜まじぱねえ、ちゃんとついてんのって思うんですけどお」
「はあ……」
「男だったらヤりたい盛りじゃん! 俺らちょおそういう時期じゃん! 花盛りっつの? なんでだと思う!? 秋平俺とエッチしたくね!?」
 バシリと雑誌を床に打ち付けた大志は勢い良く立ち上がると、座椅子を伸ばして寝転びながらPSPをしている秋平に迫り寄った。
 鬼気迫るその表情に慄きながらも、馬鹿の発想は怖いと呆れもする。にじり寄る大志を軽くいなすと、秋平は仕方なくPSPを床に置いた。
「落ち着けって、お前ほんと単細胞な」
 でこぴんをかませば、可愛くもなく痛がるふりをする。秋平は腕を組んで息を吐くと向き直って諭すように声を出した。
「あのな、俺がここでエッチしたいっつったら可笑しいだろーが。ホモじゃねえし、大志とそういう仲になるとか考えらんねーだろ?」
「えっ、秋平俺の身体狙ってたのか!?」
「ばっか、てめえなに聞いてんだよ! 人の話理解しろよ!」
 相変わらず理解力がない。なさ過ぎる。そういう問題でもないが馬鹿過ぎるのではないだろうか。秋平は改めて大志の脳味噌の小ささに懸念を感じた。
 しかし今更過ぎて修正すらきかないのが現実だ。その部分には目を瞑って、秋平は大志の頭を優しく撫ぜつけた。
「あのな……俺がこんなこと言うのもあれだけど、大志がしつこいから言うよ。高屋だってホモじゃなかったんだろ? したらやっぱ、その、そういう男同士のあれに抵抗つーかそれなりにあんじゃねえの?」
「うええ……それってきもいってことお?」
「付き合ってんだからきもいはねえだろうけど……戸惑いとかあんじゃん? 知らねえけど! つかあいつ性欲なさそうな面してんじゃん、ストイックっつーかさ〜あー……俺に振るなってこういう話」
 片手で顔を覆って渋い面をした秋平に、大志はただただ不思議そうにどうしてと言いたげだった。
(そりゃ今までもあったけどよ〜)
 そう、それなりにこういった話は好きだ。男たるもの会話が下の方へいっても不思議ではない。特に大志と秋平は幼少期からの付き合いなのだ。
 知りたくないことやそうそう知れないこと、趣味嗜好から寝方まで知らないところを探す方が難しいんじゃないかというほどに全てを知っている。もちろん大志の恋愛遍歴も、初エッチも、どんなヤり方かも。
 十代の頃なんて根掘り葉掘り聞く元気はあった。二十代になってもそれはあまり変わらない。偏見などないが、大志が女と付き合っていたならそういう話へいっていただろう。
 だが勝手が違う。男なのだ。男同士のセックスの話などできれば避けたいのが現実。しかも相手が大志で、その大志が組み敷かれて喘ぐ姿なんて想像ですら辛い。
 気持ち悪いとかありえないとか、そういうレベルではない。想像がつかない、したくない、切なくなる。辛い。そういうものだ。
 女相手なら我慢できたそれも男相手となると我慢ができなくなる。秋平の精神は意外に脆くて繊細なのだ、ダメージは避けておきたい。
(悪いな、こういうのはほっんと苦手だ)
 大志はいつまで経っても秋平の中では可愛くて仕方がない弟のような親友であり続けている。それを壊したくない。大切にしたい。秋平の些細過ぎる願いだ。
 なあなあと猫がじゃれるように首に纏わりついてきた大志を後ろ手にぐしゃぐしゃ撫ぜると、適当に逃げるため誤魔化した台詞を吐いた。
「そういうのは当人同士で解決しろ、な? とりあえず焦ることもねえじゃん。あの高屋と付き合えるとこまできたんだ、セックスくらいちょっと待て」
「……う〜やだやだ〜したい〜! けど、まあ……我慢するー……気持ちだけな!」
「気持ちだけ、ねえ」
「だって俺まだまだ現役だもん! 男の子だもん!」
 にししと笑った大志は可愛い、のだろうか。秋平はどうしてこんな風になってしまったのかと思うばかり。
 人より過酷な環境で頑張っていることは褒められたことでもあるのだが、なんだか少しこれで良いのかと思うところも多々ある。
 結局のところ過剰なまでの過保護から抜け出せない時点で、秋平も立派な大志馬鹿でありながら、雅の目の上のたんこぶ的な存在でもあるのだろう。多分だけれど。
(っていうかあいつが嫉妬とか想像つかね〜)
 大志から押せ押せで付き合った結果、あまり雅が大志にベタ惚れしているとは考えにくい。どう捻っても絆されて付き合ったとしか思えない。
 嫉妬とか束縛とか、そういった類とは縁がなさそうだ。それこそ全てにおいてストイックで生きていそうである。
 だけどああいうタイプが変貌しやすいのも事実。もし本気で大志に惚れたとなれば、大志は厄介な相手に捕まったとしかいえない未来もあるのだろう。
 それにあの人を寄せ付けず完全無視の女王とまで謳われていた雅が、大志を受け入れたのだ。恋人関係にまで発展させたのだ。それを許したのだ。その関係になることを、大志をプライベートに持ち込むことを。
 そこを考えれば、雅も存外に満更ではなく大志に惚れているという考えもできる。
 どっちに転んでも結局のところ、秋平には全く持って関係ないのが少し寂しいところでもある。

 ゆったりとしたジャズが流れる。必要最低限まで落とされた暖色系の照明が音楽とマッチしていて、とても雰囲気のある空間になっていた。
 良くいえば高級っぽく、悪くいえば眠気を誘う。そんな空気の中けばけばしい女に化けた男に囲まれて、秋平はロックグラスを氷で鳴らした。
 ここにくるのは何度目だろうか。そう思っていれば薄暗い影に重なるように、濃い影が差した。ふわりと漂うのはあまり嗅ぎ慣れない香水の匂い。男の声で、だけどしなを作った声音がした。
「聞いても良いかしら? どうしてあんたがいるの」
 きらきらとゴージャスに雅が秋平の前に現れた。ドラァグクイーン仕様だ。そこまで派手ではないけれど。
 秋平はああ、と頷くと口をついた。
「そりゃお前指名したからだろーが」
「そういう問題じゃないでしょう。私が言いたいのは、何故あんたが私を指名してここに座ってるのかっていう問題よ。そもそもどうして店になんかきたの」
「その台詞なんかあれだな。怪しいよな」
「ばっかみたい……そういう冗談は嫌いよ。あんたたちほんと脈略もないことばかりするのね。そして身勝手で迷惑だわ」
「良いじゃん。金になんだから」
 酷く嫌そうな顔をした、濃いメイクの雅はピンクのラメが入ったマーメードドレスの裾を丁重に上げると、一人分空けて秋平の隣に座った。
 秋平も雅にべったりくっつかれるのは遠慮したい気分だったのでそれについてはなにも言わなかった。
 大志が友達とオールで呑みに行く日を狙って、秋平は雅がドラァグクイーンとして働くおかまバー“プリシラ”にこっそりとやってきた。もちろん客として来店したから、お金は発生するがそれはそこまで問題ではない。
 お金を払ってまで雅に話したいことがあった。前にもあったが大学構内だと大志が雅にへばりついていてなかなか二人きりになれないし、プライベートで会う仲でもないから必然的にこうなる訳だ。
 お金を出すことは厭わない。秋平自身こういう世界に興味はないが、お酒を飲むのは好きだしこんな世界観も滅多に味わえないからある意味楽しめる。そのついでに雅に会いにきたと思えば全然だった。
(それに連絡先知ってもな〜意味ねえし。つか教えてくれなさそう)
 今も接客中だというのに不機嫌オーラを隠しもせず出している雅に、秋平は不平不満が口をつきそうになったが本題から逸れそうだったので敢えてぐっと我慢した。
「で、なにかしら。わざわざこんなところにお金払ってまでくるんだもの、それなりに大志に聞かれたくない用でもあるんでしょう?」
「へえ、大志のだってわかってんだ」
「そりゃねえ。前にもあったでしょう、同じ原理じゃない? それに私とあんたを繋ぐものなんてそれしかないわ」
 きっぱりと言われた。それが現実だ。ショックがる気持ちもほっとする気持ちもないのは、お互いの間になにもないからだろう。本当に大志さえいなければ関わり合うことすらなかった。根から反りの合わない相手だ。
 秋平はロックグラスに自ら酒を注ぎ入れると、声を潜めて少しだけ雅に近付いた。
「……大声じゃ言えねえし、聞きづらいんだけどよ……その、なんでてめえ大志とヤらないの」
 それを発した直後、雅は派手派手しいメイクをしてもそれなりに綺麗に見える顔をぐしゃっと歪めた。嫌悪を露にしている表情だった。
 確かにストレートに聞き過ぎたかもしれない。これでは秋平が下種の勘ぐりで興味を持っていると思われても仕方のなかった聞き方だ。秋平は反省すると直ぐに謝罪を入れた。
「わ、悪かったからそんな顔するなよ。そんな深い意味はねえんだって」
「私そういう下世話で下品な会話が大嫌いよ」
「そんな気はしてたけど……男だろ? そういう話しねえの」
「興味がないわ。性欲なんてさほど感じないし、私には必要のないものよ。夢のために邪魔なだけ。そりゃ昔は興味があったときもあったけれど直ぐに終わったわね」
「じゃあ……大志と、その……あれか、放置か?」
「ふうん、そういうことね。あの子が煩くあんたに喚くからどうにかしてくれって言いにきたのね」
 ご名答だ。流石。秋平は大袈裟にこくこくと頷いた。
「わかってんならどうにかしてくれ! まじで、こっちの身にもなってくれよ! そりゃ嫌じゃねえけど、あいつがそういうのになる想像とか辛くてしてらんねえし」
「じゃあしなければ良いじゃない」
「極論だな……相談されれば嫌でも浮かぶだろ!」
「そういうものかしらね。私なら浮かばないと思うわ」
 必死な秋平と違って雅は暢気なものだ。足を組み変えてふうと息を吐くとなにを思うのか、自分用のグラスを煽って暫し沈黙に徹した。
 ゆったりとした音楽が響く。薄暗い照明も相俟って先ほどまでなら睡魔に襲われていたのに、今は緊迫感しかない。
 どうして大志のためにこんなところでこんなことをして、ここまで必死になっているのだろう。その疑問に気付いたら終わりだ。そこは考えないようにしなければいけない。
 時間にすれば数分だろう。雅は艶美な笑みを唇で象ると、髪の毛をさらりと後ろに流した。
「あんたに言うのは嫌だし死にたいぐらいの気分だけどね、仕方ないわ。私もこんなこと他人に喋る日がくるなんて思ってもなかったけどお金を落としてくれたお礼に教えてあげる」
 確かに普段の雅を考えれば饒舌だ。この格好をしてこんな場所にいるのも理由の一つだろうが。それにしても変わるものだ。
 大志関係で顔を合わせていた当初は本当になにも喋らず、喋っても単語だけだったりして自らぺらぺら言葉をつくことはなかった。これは良い変化なのだろうか。大志と出会って、変わったことなのだろうか。
(まあ付き合ったのが、最大の謎だけどな)
 雅の真っ赤に塗られた唇が開いた。声は綺麗だが男だ。喉仏もあるし、肩幅も。華奢だといっても所詮は男の身体。ちぐはぐな雅は綺麗に笑顔を浮かべて、マドラーで酒を混ぜた。
「あの子とセックスしたくない気持ちはない。でもすっごくしたいって訳ではない。虐めてはみたいわ。……まあそうね、今は焦らしている期間よ」
「は、あ?」
「あの子が望むのなら幾らでもしてあげる程度には絆されているのかもしれないわね。でも足を開くのはあの子になるでしょうけれど」
「……お前の口からそんな単語出るんだ」
「酒の所為ってことにしておいて。明日になれば消えてしまう幻よ」
「……じゃあ」
「煩いうちが可愛いって思いなさい。黙ったときは、……きっと悲しくなるわよ。後悔するかもね。ここにきたこと、聞いたこと、ぜんぶきっと後悔よ」
 ふふふ、と笑った雅が普段の雅と重ならなくて秋平は背筋がぞっとした。
 ここに座って笑って饒舌に似合わない言葉を喋っているのは誰なのか、それすらわからなくなる空気だ。これは紛れもなく絶対ないと思っていた感情だろう。嫉妬、に似た。
 ここまでする秋平にそれなりに思うところがあったのか、攻撃性を隠した雅に秋平はそれ以上なにも言えず、聞けず、時間がくるまでおざなり程度の会話しかできなかった。
 ほんの少し、雅の裏が垣間見られた瞬間だった。できれば見たくなどなかったが。
(……え、つかこれ、え? 馬に蹴られるってやつかよ……)
 雅は非常にわかりづらい態度ではあったが、秋平に嫉妬していた。あまりに大志に構い過ぎる行動や言動を見て思うところがあったのだろう。
 笑って半月型になった瞳は一切笑っていなかった。冷たい光を宿していた。
 これはもしかしたら余計なことをしたかもしれない。大志的には喜ばしいのか不幸なのか、紙一重のところだ。
 きっと雅は秋平が訪れたことによって少しの意識改革をしただろう。焦らして放置しておくことから、強引にそういった関係になってしまうのも悪くないと匂わせたような口調だったのだ。
 秋平はどうしようもできずに、純情そうに笑う大志の笑顔を思い出していた。人は変わる。同じままなんていられないからこそ、成長していくのだろう。悲しくて切なくもある変化だけれど。