ドラァグクイーンの憂鬱 13
 胸がむかむかとする。お酒を許容の範囲量以上に呑み過ぎた所為だろう。元よりそこまでお酒が強くない雅だ、ほどほどにキープして呑んでいたものの今日は少し都合が違ってつい進んでしまった。
 原因は嫌というほど理解している。できれば理解などしたくなかったがこれが現実だ。潔く認めるしかない。
 ほとんど自棄酒のようなものだった。客はそれこそ嬉しそうに珍しいねと言っていたがキャストは心配ばかりしてくれた。嬉しさ反面どうにかしたい感情が暴れて、気が付けばこの有様だ。
(……ほんと、調子狂う)
 いつかをやり直せるのなら、いつからやり直そうか。雅の意識していない出会いをなくしてしまえば、きっとこんなことにはなっていなかっただろう。
 擦れ違っても赤の他人で、目が合っても大志はきっと意識もしなかった。偶然が重なってあの夜に見られたから、大志のなにかに引っ掛かったから、全てが始まった。
 雅の知らないところで、既に未来は決まってしまっていた。
 思えば最悪な記憶しかない。付き纏われて、付き纏われて、付き纏われて、そうしてなし崩しに絆された。
 甘え下手だったり、どうしようもない馬鹿だったり、ストーカー気質なところがあったり、適当だったり、身勝手だったりするけれどそういうのを受け入れてしまっている現状が一番の証拠でもある。
 どうにかしてやらなければという秋平のような庇護欲なんてものは湧かないが、側に置いても良いと思えるほどには、いや側に置いておきたい。おきたいのだ。
「はあ……、さいあく……」
 溜め息が零れた。アルコールで弛緩した脳が、ありえないことばかり浮き上がらせる。
 認めれば恋に落ちたのだろう。大志が隕石の落ちる恋をしたと例えるのなら、雅は落とし穴に落ちてしまった恋だ。想像にすらなかった。きっと雅の中ではありえなかった世界。
 誰かに思慕を寄せるなんて存在のしなかった感情。恋なんて所詮雅にとって紛い物でしかなかった。映画のような、そんな恋なんて知らない。
 認めたら簡単だ。雅は思っているよりも大志に惚れている。好きだと感じている。好きなのだ。大志が、あの馬鹿でどうしようもない駄犬な大志が、どうしようもなく好きだ。
 きらきらと光る宝石のような気持ちでもない。大切にしまっておきたい儚い恋でもない。切なくなって痛みが増すような恋慕でもない。
 そこらへんに有り触れている、普通の、一般的な、雅が毛嫌いしていた仕様のないどうしようもない人間臭いただの恋愛感情。それを大切にしたいと思った。育んでいきたいと、そう思ってしまったのだ。
 所詮雅もどんなに綺麗で孤高でストイックでも、ただの男であり人の子。ロボットでもなんでもない。恋をすればただの人になる。
(でもまさか、ね……嫉妬……っていうの、そんなの、ありえないでしょ)
 秋平の言葉を思い出す。前から感じていたのは異常なほどの執着。過保護。目に余るほどの行動。秋平が大志に対して行なっていることだ。
 大志と付き合っていく上では必要不可欠な存在、それが少しだけむかむかとさせた。自棄酒してしまいたい程度には。
 全くもって感情とは厄介なものである。コントロールが利かないからこそ、いろんな表情やもので表せられるのだろうけれど。
 取り敢えずはどうしてくれようか。秋平の挑発に乗るのも些か腑に落ちないし、大志を喜ばすのも楽しくない。恋をしても、大志を好きだと認めても、性欲はやってこない。それは雅の元の性質だ。性欲が薄いのだけは改善しようのないことなのだから。
(泣かせるのは、楽しそうだけど……うん)
 してしまえば、繋がってしまえば、なにかが変わるのだろうか。世界が交わるのだろうか。それこそもっと執着をみせたり、独占欲が降って湧いたり、愛着が増したり、なんて馬鹿馬鹿しいこともあるのかもしれない。
 雅は有り触れたどうでも良い悩みを一つ増やすと、アルコールで弱まった脳味噌で考えた。
 セックス。されどセックス。したいのか、したくないのか、してあげても良いのか、まだまだしないで焦らすのか。全て大志の顔を見て決めようか。
 そう考えている時点で重きは傾き始めている。さっさとものにしてしまって秋平の悔しがる顔をみたい。手から浚ってしまいたい。そうしてついでに、大志の幸せそうな笑顔が見られたら御の字だろう。
 相当大志にはまっている。雅はがっくりと肩を落として、嘆いてみた。

 ぐわんぐわんと揺れる脳味噌。痛みが増して、温かくて気持ち良い感覚。二律背反が鬩ぎ合う最中、誰かに呼ばれた。
「……雅ちゃん?」
 はっ、と意識を浮上させる。真っ黒な世界から、真っ白な世界へ。そこには心配げに見つめる大志がドアップで映っていた。
「あ、……はあ……?」
 ぼんやりと脳が霞む。なにも考えが思い浮かばない。ついでに記憶も。ただ目の前に大志がいる、ということしか認識ができなかった。
 今が何時でなにをしてどうなってこの状況になっているのだろう。さっぱり思い出せない。タイムスリップでもしてしまったような感覚だ。
 雅はぱちくりと瞼を瞬かせるとむくりと起き上がった。
「眠そうな雅ちゃんもちょおかわゆっし〜!」
「……ごめん、ちょっと……意味がわからないんだけど。二重の意味で」
「えへへ〜なんだろお? ちょおぱねえね、それ!」
 意思疎通ができない時点で大志は頼りにならない。雅は膝を抱えると、存外にスプリングがきいているベッドの上で脳をフル回転させた。
 隣で大志が日本語らしき言葉を喋っているが、今は無視だ。早くすっきりさせたい。この状況を理解したい。
 目を瞑って深呼吸すれば、徐々に意識も覚醒して記憶も鮮明になってくる。浮き上がる断片を拾い集めて繋ぎ合わせれば答えは簡単に出た。嗚呼、そうだ。そうだった。
(急に訪問してきたんだった……)
 ここのところ新しいショーパフォーマンスを増やすだとかで、仕事の方がかなり忙しくなった。
 大学と夜の仕事の両立はなかなか難しく、思うようにいかなかったがドラァグクイーンになるのが雅の夢でもあったので多少の無理は承知の上で頑張り過ぎるというほど精力的に活動していた。
 大学は疎かにしたくないし、仕事も完璧にこなしたい。両立しなければという意識の狭間で、雅は必死だった。
 起きている時間が増えて睡眠時間は減っていったけれど、なんとか両立を成り立たせていた。並大抵の努力ではできないことだが自ら選んだ道だ、愚痴も弱音も吐けない。
 体重が減って、少しやつれて、体力はなくなった。だけど仕事の方は上手くいった。お披露目の週末のショーは大成功に終わった。これからも定期的に組み込んでいくと、雅も端役ではあるがドラァグクイーンとして舞台に立てると、そんな結果に終わった。
 きっとその安心感と達成感、積み重なった疲れがどっときたのだろう。雅は倒れてしまったのだ。
 軽い貧血と眩暈、栄養不足に過労。大したことではないが、数日は安静にしておくことと言われたので念のために二三日だけ大事を取って大学と仕事を休んで部屋で療養することにした。
 一応付き合っている訳だから、ということで仕方なしにそれを大志に伝えたら、想定内ではあったが慌てた様子で泣きそうな大志が訪ねにきたのだった。看病という名の、邪魔をしに。
「雅ちあん?」
 不思議そうにこっちを見る大志。雅に差し入れたはずのアイスやお菓子、食料は全て大志平らげた。
 ふらふらと惰眠を貪っていた雅に対し大志は驚いた表情で遠慮なく部屋へ上がりこむと、マシンガントークを繰り出したのだ。体力が底をついていた雅はベッドに潜ってそれを律儀に聞いていたが、途中でブラックアウトしてしまった。
(そうだ、そうだった……ほんとなにしにきたんだか)
 可愛さ余って憎さが百倍。とはならない。こんなことをされても、許せてしまえる己が一番信じられない。
 随分と頭も軽くなったし体力も回復をみせている。雅はのろのろとベッドから起き上がると、大志の頭を撫ぜつけた。
「俺が寝てる間なにしてたの」
「雅ちゃんの寝顔観察〜ちょおかわゆしでした〜! それより大丈夫? 起きて平気な訳〜?」
「もう大分良くなった。寝てばっかも身体に悪いし……少しは動かないと」
「……そ、それってもしかして! え、エッチの! お誘いでしょおおかああああ」
「馬鹿。な訳ないでしょ」
 通常運転の大志がいきり立つのを穏やかな表情で見つめて、ベッドから出た雅は床に座り込んだ。ぶうぶうと文句を言った大志もすとんと腰を落ち着けると、ちらちらこちらを窺って少し距離を縮める。
 腰と腰が少し触れて、照れたようにはにかむ大志。馬鹿みたいにセックスしたいとそればかり言うくせに、こんな些細なことに照れる。ちぐはぐな、可愛い、大志。
(俺どんな顔してんだろ……)
 頬の筋肉が少し痛い。耳が熱い。こんなの、知らない。知れて良かったとも言えない。きっと、嬉しいなんて思っていない。
 腹の奥から感じる空腹も、寝ても寝ても寝足りない睡眠欲も、未だに引き摺る頭痛も、どうでも良くなってしまう。痛んだ髪の毛を摘んで避けてみた。なにも思ってもない真ん丸な瞳が見上げてくる。
 身長差はそれなりに、だけど座ってしまえば近付く目線。大志が目を伏せても睫の影なんてできもしないが、その短い睫も、少し腫れぼったい目も、触って撫ぜて確認したくなる。
(……末期っていうのか、これ)
 ぼんやりとする。時間がちくたくと進んで、なにもないしんとした部屋に秒針の音だけが木霊した。
 なにも喋らずただ見つめるばかりの雅に照れが生じたのか、それともなにか感じたのか、大志がもじりと足を擦り合わせる。唇を無意味に尖らせてぐっと意気込む姿は、聞かなくてもなんとなく理解できた。
 発する言葉もわかってしまう。わかりやすいから、それもあるだろうけれどわかってしまえる程度にはそれなりに時間を共有してきた。
 面と向かって好きだと言ってやれないけれど、気持ちだけに嘘はない。夢がある所為で優先順位や都合、全てが後回しになってしまうけれど、それでも大志はずっと後ろを付いてきてまわるのだろう。
 そう思うだけでらしくもなく、いうならばきゅんという気持ちを抱いてしまう。馬鹿みたいだ。
「あ、あの! 雅ちゃん!」
「……なに」
「その〜あの〜……め、目、目! 瞑って!」
 自信満々で、勢い良くそう言い放った大志。わかり易過ぎる。なにをしたいのか、馬鹿でも理解できる。
 ほんの少しの悪戯心が湧いた。もとより自由にさせる気なんて更々ないのだけれど。
「……大志から目瞑って」
「え、お、俺から?」
「そう。なら瞑ってあげても良いよ」
「うーわかった! じゃあ瞑るから雅ちゃんも瞑ってね!」
 口を真一文字に縛って目を瞑った大志。緊張しているのかぷるぷると震えている。自分からリードして雅にキスをしようとしていたくせに、目を瞑ってしまうという矛盾点に何故気付かないのだろう。
 そして大志が瞑ったからといって雅が目を瞑るという保障はないし、確認もできないのに。
(ほんと、馬鹿。……でも、かわいい)
 まだかな、と思って少し焦れったさを感じているのかそわそわしだした。雅はそろりと気配もなく顔を近付けると、間近で観察する。
 平凡で、有り触れて、綺麗でもない。整っている訳でもない。ただ愛嬌がある。馬鹿っぽい見た目。茶髪の髪も、ちゃらく見せようと頑張っている姿が逆にそそる。
 今回だけだ。を何回も繰り返して過ごしていくのだろう。そういうものかもしれない。雅にはきっと一生かかったって理解することなんてない。だけど、それで良い。それで良いのだ。
 雅は軽く触れるだけの口付けを落とすと、驚いてびくりと跳ねた大志を見つめた。
「うひゃっ! み、雅ちゃん!」
「したかったんでしょ」
「えっ、え、え、うえっ! で、でもそれ、お、俺からする予定だったんですけどお!」
「俺がそんなことさせるとでも思った? 言ったでしょ、リードさせてあげないって」
「聞いてない! ば、ばか!」
「ふうん? じゃあする? させてあげても良いけど」
 不敵に笑って目を開いたまま唇を突き出してみても、大志は真っ赤になるだけでかちんこちんに固まってしまう。本当に初心で存外に純情で、どうしようもない。
 これで雅を攻めると豪語していたのだから笑えてくる。
 火照って真っ赤になった両頬を包んで引き寄せた。不細工な声を上げてか細く鳴く声が堪らなく弄り倒したい。
 雅は細い身体の中に閉じ込めると、大志の目を上から覗き込んで額に口付けた。ちゅ、という可愛らしい音が鳴る。
「観念したら? セックス、しても良いよ。今なら」
「う、え、え……」
「どもるってことは、俺の言ってる意味わかるんだね」
「この状況考えたらあ……そ、その……わかるっしょ〜」
「覚悟決めなよ。俺がしたいかなって、そういう気分になるの珍しい方だよ」
「……雅ちゃん、良く喋るの、なんか、へん〜!」
「そういうとこも鈍感なんだ。……これでも、緊張してるから。饒舌になるみたい」
 血管が心臓に集る。どくどく煩く響く。火照る身体に、なにを言っているのかわからなくなる。これでも緊張しているのだ。冷静でいられるなんて所詮は知らないからこそ、できるだけ。
 雅も人の子。緊張するときはする。饒舌にもなる。誤魔化したくなる。それが、今。
 大志がおっかなびっくりな表情をして雅をまじまじと見る。その手を引いて、己の胸に押し当てた。どくどくと、煩く鳴り響く心臓。聞こえている音。
 大志も同じような速度で、響いているのだろうか。雅よりも遅いのだろうか。早いのだろうか。
 確かめるように何度も触れる大志に倣って、雅も大志の胸に手を当てた。確認したい。したかった。
「す、凄いね! 雅ちゃん!」
「マラソンしたあとみたいだね」
「マラソンしねえからわかんねえけどお〜でも、なんか、落ち着くね〜」
「他人が自分より動揺してるの見たら落ち着くっていうしね」
「ちょっと収まってきたあ」
 下降を辿る心臓が、止むときはない。ゆっくりゆっくりになっても刻み続けるリズム。
 大志が満足そうに手を離したのが、雅の中でのタイミングだった。顔を近付けると再び口付けた。今度は触れるだけの口付けでは終わらない。
 勢いというものがあるのなら、きっと今のこと。大志が抵抗さえしなければ進めてしまえる。
 抱きたいという劣情はあまりない。抱かれたいとも。セックスを欲している訳ではないのだ。融解されたい。きっと、体温を知りたい。触れてみたい。
 疚しい気持ちが不可欠なこの接触が、愛おしいものとなって雅の中で広がっていく。
 感情が溢れて拡散してどうにかなってしまいたくて、掻き抱いて虐めて鳴かせて、でも笑わせたい。めちゃくちゃな感情を大事にしたい。
(たいし)
 呼べば応えてくれる。言葉ではなく、気持ちで。