ドラァグクイーンの憂鬱 14
「ん、……」
 鼻に掛かった甘い声が、零れる。静かな部屋ですら埋もれる程度の小さな声。雅は何度も聞きたくて、同じことを繰り返した。
 身体の体温通り口の中も温かい。引っ込んでたじろいでいる舌を捕らえて重ね合わせれば、水音が響いた。いやらしくて、だけど可愛らしいそんな音。
 触れて引っ掻き回しているのは雅の方なのに、触れた先からびりびりと痺れて甘い電流に支配される。気持ちが良いのだろう、その感覚を快楽と受けとめるのにはまだ慣れていなくて、だけど心地は良い。
「み……、ちゃ」
 大志の突っぱねた腕が肩にぶつかる。頼りなくも震えているのだろうその手は、拒否をする訳でもなくただ滑るようにして肌に触れた。
 縋り付く訳でも否定する訳でもない。ただ触れるだけ。微かな感触だけが雅に伝わる。
 薄ら目で大志を見れば、顔を赤くしてどうしようもない途方に暮れたような顔をしてこっちを見ている。子供のような、そんな表情。思わず吹き出しそうになって、いやらしいことをしている舌を引き抜いた。
「……なにそれ」
「な、なにって……」
「面白いね。笑わせたいの。でも残念、……」
 可愛いだけ、の言葉は音にならなかった。言う前にもう一度口付けて、雅よりは小さいものの同じような体格の大志を床に押し倒した。
 直ぐ側にベッドがあるのに、硬いフローリングの上。移動してしまえば雅の衝動的な行動も意思も砕けてしまいそうで、このままでありたかった。
「あ、あ、う、み、みやびちゃあん」
 慌てて焦ったようにもがく大志の身体。腕の中に閉じ込めてしまえば、可哀想なくらい真っ赤になった。
「いい加減覚悟決めたらどう」
 いつも通りのようで、いつもと違う雅の表情。逆光の所為で上手く見えないが意地悪そうな顔をしていそうで、照れを隠し切れない可愛い顔をしているのだろうと大志は思う。
 もっと間近で見たいけれど、逆の立場で見たいけれど、それが叶うことは一生ありえなさそうだ。
 どうしてだか押し倒したい気持ちもセックスしたい気持ちもあるのに、そうなってしまえている己が想像に難くない。
(……それに、雅ちゃん……も、男なんだよなあ〜うう〜)
 いざこうなってみて実感するのは、そればかりだ。大志がリードせねば、と。雅は彼女なんだから、と。そう思っていたもののどう足掻いたって男同士。大志の考えることを、雅が考えていても可笑しくない。
 そうっと頬に触れた掌。冷たいようで、温かい掌。
 頼りなく笑った雅は可愛い。だけどきちんと男の顔でもある。雅も男だ。男の顔をしている男なのだ。
 欲情しているのだろうか。大志に、欲情。大志が雅に抱いている邪まな気持ちと同じように、雅も大志に邪まな気持ちを抱いているのだろうか。
(だって、こんな顔もできるんだ)
 雅に出会って、いろいろ知った。表情がないと思っていたのは最初だけで、知れば知るほど本当に些細だけれど微妙だけれど表情に変化が出ることを見てきた。
 少し怒ってたり、嬉しそうだったり、眠たそうだったり、しんどそうだったり、時には照れていたり、泣きそうになってたり、いろんな人間味のある表情をしてくれる。見せてくれる。仮面じゃない雅が大志に触れてくれるのだ。
 だけどその中でも、雅が一番輝くのはステージに立って踊っているときだ。大志の存在よりも、誰より雅を綺麗に魅せてくれる場所があの場所というのなら、大志はそれを応援する。
 雅を知ってカラフルになった大志の世界。雅の世界をカラフルにしているのが大志じゃなくても、それが飾り立てた雅の世界だったとしても、赤色くらいは、そう一色ぐらいは、雅の世界を彩っていれば良い。
 大志は溢れ出してくるどうしようもない衝動に、堪えきれなくなって雅に手を伸ばした。首に腕を絡めて口付けを強請って、だけど受け入れるばかりは本望でないから自ら口付ける。結局は逆転されてしまうけれど。
「う、……っん」
 口付けられながら、雅の掌が淫靡な動きで大志の服の裾から侵入を果たした。甘んじて受け入れる立場を了承した覚えはないが、猛反対するほど嫌という訳でもない。
 ただ、怖い。そう怖いだけ。それとやっぱり大志は男だから、雅を抱きたいという気持ちの方が大きい。雅は絶対に抱かせてはくれないだろうけれど、抱きたい。
 滑らかな指の腹が優しくありもしない腹筋をなぞって確かめるように触れ回る。その曖昧でくすぐったい感触に身を捩ってもがけば、いつの間にか器用にも両手で腹を弄られる。
 性感帯には程遠いけれど、気分を高めるのには最高のスキンシップ。
 たくし上げられ露になった腹を、雅は何度も撫ぜ続けると唇を滑らせて首に埋まった。
「なんかあんた子供っぽい匂いがする」
「こ、子供っぽい……!?」
「わかんないけど、……温かい匂いっていうの」
「うええ、良くわかんねえけどお……っていうか雅ちゃんまじでこれ、あの、す、するの?」
「するよ」
「うひっ、み、耳元でしゃべ、……っう」
 ぺろりと一舐めされて大志の身体が大袈裟に跳ねた。物凄く感じるという箇所ではないが、それなりにそういった風に舐められでもすれば愉悦はやってくる。
 肩を上げて縮こまるようにしてその愉悦から逃げようとするものの、大志の反応が雅の御気に召したのか、雅はしつこいくらいに耳元を舐めると舌を捩じ込んだ。
 鼓膜を揺さ振るほどの水音が耳を襲う。直接的に響く音と感触だけで大志の息は絶え絶えになって快楽に身悶えた。
「ぁ、っや、み……みやびっちゃ」
 男はやはり快楽の前ではなにもできなくなる。引き剥がすために伸ばした両手はいつの間にか縋り付く両手となって雅の背に回っている。
 ぎゅうっと強く抱きしめてもっとと催促しているようで、これ以上は駄目と突っぱねる。
「ああ、っ……は……」
 面白げに、不埒に腹を弄っていた手を下げてズボンの中に差し入れた。楽に侵入を許したそこは見られないけれど、どうなっているかなど見なくてもわかる。
 触り心地の良い内股を撫ぜ付け、焦らすように触れるか触れないかのタッチで行き来を繰り返す。息が上がって艶の漏れ出した喘ぎが大志の口から漏れた。
「やっ、やだ、雅ちゃ……っ!」
 真っ赤になって、堪え切れずに噛み締めた唇から喘ぎを零す。潤んだ瞳が真っ直ぐに雅を貫いた。
 普段は馬鹿っぽくて呆れるほどどうしようもない大志の顔が可愛く見える。虐めてだけど可愛がって、どうにでもしてやりたい衝動を雅に抱かせてくれるのだ。
(……どうしようか)
 相手は男なのに、ストーカーされていた男なのに、いつの間にか嵌まっていたのは雅の方か。追い掛けられる恋が逆転して追い掛けられる振りをしながら逃がさないよう網を張る恋に挿げ替えられている。
 ボクサーパンツの上から激しいほどに主張をしている大志の性器をやんわりと握ってやれば、びくりと背を仰け反らせてあられもない声を上げる。
 晒された喉元が存外に白くて、それにそそられた雅は首筋に噛み付くと歯形を残した。
「いっ! うう……」
 痛みに眉を顰める大志。素早くボクサーパンツの中に手を差し入れ、既にべとべとに濡れている性器を握り込めば直ぐ声に色が混じった。
「ぁ、んっん……あ、やっ、雅ちゃっ」
「どうして? イきたくないの」
「い、いきたい……」
 意地悪そうに微笑みながら問い掛ける雅。まだ鬩ぎ合っている立場がこのままで良いのかと問い掛けてくるが、快楽に滅法弱い大志は早くこの熱から解放されたくてうずうずしている。
 もうどうだって良い。取り敢えずは早く達してしまいたい。
 そう思っていることが伝わったのだろうか、雅は空いている手で大志のズボンとボクサーパンツを下ろすとそそり立っている性器を露にさせた。
 風に晒されて、濡れた性器がひんやりと涼む。その感覚にすら喘ぎそうになっている。身体が、受身の態勢になってしまっていた。
「ンン、っう、く」
 ゆっくりと性器を包んだ手が上下に揺れる。くちゅくちゅといやらしい音を立てた。
 雅は冷静な顔で楽しげに大志を観察している。薄目で開けた視界でそれを見てしまって、大志は身体の熱がぐっと上がる感覚がした。
 大志だけが身悶えて乱れて、雅の良いようにされている。男なのに弄られているだけであられのない声を上げている。
 恥ずかしくて消えてしまいたくなるけれど、その羞恥が堪らなく快楽に繋がっていつも以上に感じてしまう。雅の手に触れられただけで直ぐに達してしまえそうなほどに。
「ぁ、あっああ……も、もっ」
 ただ見つめられて手で扱かれているだけなのに、早くも大志には限界が訪れていた。
 雰囲気や空気に呑み込まれていた。どうしようもなく全身が性感帯のようになって、じっとしているだけで愉悦に犯されているような感覚なのだ。
 雅の指先が不埒に動いて鈴口をなぞった。裏筋をぐっぐっと数回擦られて、大志は湧き上がってくる熱を留めることもせずびくびくと痙攣をおこすと掌に飛沫を迸らせた。
 一気に上がってきた熱が一気に冷める感覚。だけど奥底で燻る熱も、絶え間ない息もなくなることはない。大志を覆っているままだ。
「……随分早いんだね、そんなに溜まってたの」
「そ、それはっ……聞かないでっ」
「あんたにも羞恥あったんだね」
「あるよ! こ、こんな格好悪いの、うええ〜も、もう」
 少しだけ冷静になった大志は恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだった。
 興味深く吐き出した大志の精液を少し舐めて不味そうに顔を顰めた雅を目に留めた瞬間なんかは、死んでしまっても可笑しくない程の羞恥プレーだった。思わずティッシュで雅の手を綺麗にしてしまうほどには。
 間を空けたからだろうか、少しだけ落ち着いた。大志がふうと息を吐いてリラックスしたのを見計らったのか雅が動く。
「……覚悟できたの」
 ずずいっと迫った雅が顔の近くで囁く。大志はぐっと唇を真一文字に結ぶと、その言葉を何度も反芻した。
 雅の言葉はそのままの意味なんだろう。梃子でも受け入れるという立場を良しとしない雅の意見は覆らない。なのでその言葉の意味は、大志が受け入れるという立場を受け入れることができるのかということになる。
 セックスはしたい。雅のことも大好きだ。百歩譲って女役をしても良いかもしれないと思ってしまうほどに、恋の深みに落ちてしまっている。
 だけど、やっぱり怖いものは怖い。
(だってえ〜あんなものがあんなとこに……うっわあぜってえ無理! 死んでも無理! ……でも、してえ〜雅ちゃんとえっちしたいいい〜!)
 ううと唸った大志は少ない脳味噌で精一杯考えた。どうしようかと考えた。でも馬鹿だから上手い言葉も解決策も見つからない。
 必死になって五分悩んだ結果は、どうしようもない逃げ道だった。
「み、雅ちゃん……おれ、おれ、覚悟決める!」
「決めたの」
「だけど、その、あの……雅ちゃんがドラァグ? なんちゃらになるまで!」
「……うん?」
「なったら、俺も覚悟決める! そ、それまでだめ! やっぱだめ! こええもん! でも、う、受け入れるから……ま、待っててっていうかあ、うええ、うん……せいいっぱいです」
「ふうん、あんたにしては考えたね」
 雅は片眉を器用に上げると大志から少しの距離を取って、考えるよう首に手を当てた。
 なんだかその様子にどきどきが高まった大志は身体を勢い良く起こすと雅に縋り付くよう言葉を捲くし立てる。
「そ、それにそのドラァグなんちゃらになった雅ちゃんも早く見たいし!」
「へえ?」
「そんときの雅ちゃんが悔しいけど一番綺麗だし、好き! 大好き! だから応援してる! から……そのお……」
「ま、直ぐやってくると思うよ。早い目に覚悟決めとかないとね。……ああ、それまで一緒にいるかな」
「うええ! やだやだ! 一緒にいるし!」
「いれたら、ね」
「雅ちゃんんん! おれぜってえ雅ちゃんから離れないから! くっついてるから! 一生追い掛けるもんね!」
「あんたほんと、馬鹿だね」
 興奮して抗議する大志を撫ぜてやって、雅は自然に緩む頬を隠すこともしなかった。
 こうすることでしか確認できない雅の性格は意地が悪いのかもしれない。大志が心底馬鹿で良かった。純粋で、良かった。
 きっと裏もない。騙すことを知らない。隠すこともできない。秘密も持てない。そんな大志を雅は気に入っている。好きになった部分の、一つ。
 分けることでしか生きていけない雅が羨んでいることなど、知りもしないのだろう。
 明るく笑って、身体で大きな声で好きだと言ってくれる大志に救われているなんて。どうしようもないくらいに嵌まってしまっているなんて、知りもしないのだろう。知らなくても良いけれど。
 柔らかい頬に手の甲を当てて、温度を確かめる。大志がぱちくりと雅を見てゆるゆると蕩け切った顔で笑う。
「雅ちゃん好きだよ〜」
「はいはい」
「ずっと一緒にいようね!」
「気が向いたらね」
「うええ、も〜でも良いもん〜! 引っ付きまわるしい」
 んー、と唇を突き出してきた大志の額にでこぴんをかます。情けない声を上げて、不細工な顔になった大志が恨めしそうに雅を見るものの直ぐに良いことを思いついたのかにやけきった顔になった。
 そしてそのまま近付いてきた大志を放っておいた。なにをするのかと思えば、可愛らしい音を立てて額に口付けてきた。
 ちゅっというキスは一秒にも満たなかっただろう。呆気に取られた表情の雅がぱちくりと瞼を瞬かせれば、大志はにししと笑った。
「おまじない!」
「おまじない……?」
「俺からあ、離れられないおまじない!」
「……ほんと馬鹿みたいだね。子供っぽい」
「有効期限は一生ですう!」
 自信満々に大志がそう言うものだから茶化すのもなんだかなという思い半分、可愛いと思って甘やかしたくなる。信用してみたくなる。信じてみたくなる。
 だかららしくないことを言った。意味など大志はわかる訳もないだろう。
「じゃあ一生かけて、解く方法探さないとね」
 恋ってのは、本当に恐ろしい。人生が変えられた。そんな気分だ、まさに。