「待て、良く考えろ……そう、焦るな、俺」
頭を抱えて、うんうんと唸る。どれだけ思い出そうとしてみても雨乞はなにも思い出せなかった。記憶はおでん屋台で止まっているのだ。
都合の良いように解釈をすれば良いのだろうか。そう例えば、酔っ払って潰れた雨乞の自宅を知らない白瀬が困って取り敢えずなんとかしようという名目でホテルに連れ込んだ。
裸だったのは皺にならないように。白瀬が裸なのも同じ理由で。
大量のティッシュがあるのは汗を拭いたもの。使用済みコンドームはリサイクルできないようにとの悪戯。腰が痛いのも間接が軋むのも、酔っ払って暴れたから。
そう決め付けてみるものの、どうみても苦しい言い訳だ。
ゴミ箱を漁ってコンドームに精液が入っているかどうかを見れば良い話なのだが、その中に入っているであろう精液を見てしまえばなにかが終わってしまうような気がして、雨乞はゴミ箱の中身を見る気さえしなかった。
「く、そ」
ずきずきと頭が痛む。酷い二日酔いだ。
これはもう諦めるしかないのだろう。セックスしたのだ。きっとそう、雨乞が女役として白瀬とセックスした。
思ったよりショックは受けていない。女ではないのだから貞操がどうだとか思う気持ちもない。というよりは記憶がないから事実として受け止められないだけかもしれない。
仮に白瀬の口から雨乞を抱いた、と聞かされてもそれほどの衝撃は受けないのだろう。経験したといっても思い出せないのなら、それは雨乞の中ではどこか実感の沸かないものとして処理されてしまう。
ぐだぐだ管を巻いているが、良い勉強にもなった。酒は呑みすぎるな、ということだ。二度とこんなことが起こらないよう細心の注意を払いなさいという神様からのメッセージなのだ。そう思うことにした。
「良し、……じゃあ、次は」
ちらり、と視線を横に流す。そこには気持ち良さそうに布団を抱きながら安眠を貪る白瀬の姿があった。
格好良いはずなのに素っ裸で尻を丸出ししている姿はどこか格好悪くも映る。今の雨乞の救いといえば、白瀬は熟睡しているから起きる気配もないということだけだった。
雨乞は悩んだ。このままホテル代を置いてこのホテルを一人で出るか、白瀬を起こして事実の確認をして別れるか。白瀬も雨乞も良い大人だ。雨乞にとっては初めての体験だが、ワンナイトラブなどこの歳になればそう珍しいものでもない。
このままそうっとホテルを出たとしても白瀬はなにも思わないだろう。だが変なところで真面目な雨乞は、なにも言わずに出て行って良いものかどうかがわからなかったのである。
だが白瀬が起きたとなれば、面倒くさいことにもなる。覚えていなければなにも知らせないで済む話だが、覚えていたとしたら白瀬はどんな反応をするのだろうか。そうして雨乞はどんな反応をすれば良いのだろう。
「……、ま、あ、……風呂入るか」
面倒くさいことは後回しだ。一人でぶつぶつ呟いていた雨乞は頭を一振りすると白瀬を起こさないよう慎重にベッドから出て床に足を付けた。
ギシリ、と軋むベッド。純白のシーツに見えた赤の染みはきっと見間違いだろう。見間違いであってほしい。
さあっと顔色を失った雨乞と同時に微かな物音に反応したのか、白瀬の睫がぱちぱちと上下に動いた。
「んー……、なに……」
思ったよりも長い睫が上を向く。とろんと眠たげな瞳の中に映された雨乞は顔色をなくしてただ言葉なしに白瀬を見つめていた。その白瀬の目に雨乞はどう映っているのだろう。
どんな反応をみせたら良いのかわからず固まってしまった雨乞を他所に、白瀬は大欠伸をするともそもそと起き上がった。
「……おはよ。良く眠れた?」
「……あ、ああ。眠れ、た」
「そーなら良かった……」
寝起きが悪い方なのだろう。舌足らずな白瀬はごにょごにょと消えていく意味のない言葉を並べ立てると、虚ろな瞳をごしごしと擦って雨乞に擦り寄ってきた。
内心声にならない悲鳴を上げた雨乞は擦り寄られた白瀬を跳ね除けることもできず、かちんこちんに固まったまま己と変わらない体躯を受け止める。
お互いそこまで、背幅ある訳でもない。が、線が細いという訳でもない。どこにでもいる普通の一般男性の身体付きだ。仕事柄細身で筋肉質になるよう気を付けているだけで、そう目立ったとこもない。
女性らしいという訳でもないし、抱き心地が良いという訳でもない。男だ。紛うことなき、男なのだ。
白瀬は寝ぼけているのであろうか、それとも抱きつき癖があるのだろうか。雨乞をぎゅうぎゅうと抱き締めると幸せそうな顔でふにゃふにゃと笑った。
「いー匂い」
鳥肌が立つとか、気持ち悪いとか、有り得ないとか、そんなことよりも真っ白になった頭はなにも情報を取り入れてはくれない。
「雨乞さん? 緊張してんの? あ、恥ずかしいんだ?」
「は? え、いや、……え?」
「あれれ? もしかして覚えてない? 昨日のこと」
「……も、もしかして、覚えているのか? 昨日なにがあったのか」
「ばっちり。だって俺、そんな酔ってなかったし」
がつんと頭を凶器で殴られたような衝撃を受けた。今、白瀬はなんて言ったのだろうか。
壊れたブリキのようにぎこちなく白瀬を仰ぎ見る雨乞に、白瀬は柔らな笑みを浮かべると優しい手付きで雨乞の髪を梳いた。
「説明しよーか? 詳しく」
うんともすんとも言わない雨乞に、白瀬は文字通り詳しく説明をしてくれた。
おでん屋台で呑んでいた雨乞は案の定酒に潰れてしまったのだ。意識がないので自宅も聞けず、どうしようかと困った白瀬は取り敢えず雨乞を背負ってラブホテルに入った。
セックスする気などなく、白瀬も寝てしまった雨乞と同じように寝ようとしたらしいのだが、そこは男。しどけない姿で眠っている雨乞に白瀬は欲情してしまったのだ。
一応雨乞を起こしてから確認はしたらしい。それで頷いた雨乞に白瀬は遠慮なく襲い掛かり、ぺろっと食べた。という話だった。
思った通りの説明に最早衝撃もなにも受けなかった。わかっていたことに証拠が出たようなものだ。今更ショックもなにもない。いろいろと突っ込みたいところはあったが、雨乞はもうなにも聞かなかった。
「でもさ〜雨乞さん、聞いてくれる? 俺も男じゃん? 溜まる訳よ、そりゃ。最近突っ込んでなかったからさ〜目の前に餌があったら飛び付くでしょ?」
「お、俺は男だぞ?」
「うん。男じゃなかったら吃驚するけど」
「いや、それはそうだが……え? も、もしかして白瀬さん……ほ、ホモなのか?」
「えーホモっていうか〜バイ? っていうか、正直穴があったらなんでも良いってゆーかね、あ、人間に限るけどね!」
白瀬の貞操概念の低さに、雨乞は頭を抱えたくなった。確かにセフレとかなんだか言っていたから性に対して軽い人なのだろうとわかっていたのだが、まさかそこまでとは思わなかったのだ。
男といて貞操の危機を感じることなど普通に生活をしていたら有り得ない話だ。だれが思う、男に掘られるなどと。
「雨乞さん、まあ顔は良い方に入るし〜タイプじゃないけど〜だからヤりたくなってさ、あ、本当に確認したから! レイプじゃないし」
「あ、ああ」
「初めてっぽかったから面倒だったけどさ、まあ良かったよ。俺も突っ込んだの久しぶりだからすっげえ気持ち良くってさ、もう生きてて良かったって久々に思ったね」
「……そうか」
「昔はさ俺も若かったからそれこそなんでもありだったんだよ。今もだけど。女でも男でも直ぐほいほいヤっちゃってさ〜、女役もやってみたんだけど前立腺であんま感じなくて、だから男役のが性に合ってんだろーね」
それからも白瀬は聞いてもいないのに、ぺらぺらと己の性体験について詳しく説明してくれた。どんなプレイが好きだとか、どんな男が好みだとか、それはもう聞きたくないことまで。
次第に雨乞について語りだしたときには流石に耐えられなくなって白瀬の口を手で塞いでしまった。
セックスした、という事実までならなんとか正気で受け止められるが流石にどんな風に乱れただとかいう生々しい話は聞きたくなどない。寧ろ現実逃避に浸りたいくらいなのだ。
なのに白瀬は雨乞の手を握ると、掌をべろりと舐めた。
「なっ、……」
「……実はさ、セックスしたけどイかなかったんだよね。俺も、雨乞さんも」
「な、にを」
「酒の呑み過ぎでさ、勃起したけど射精しなくって、次第に疲れて俺寝ちゃったんだ〜。だから気持ち良かったけどすっきりはしてねえの」
イチ大佐のときの雨乞よりも人の悪そうな笑みを浮かべて、白瀬は舌舐めずりをした。
嫌な予感がする。非常に嫌な予感だ。思わず後ずさった雨乞だったが、それが悪かったのだろう。白瀬は雨乞をきつく抱き締めると、引き摺るようにしてベッドへと押し倒した。
「俺は素質なかったけど、雨乞さんは素質あると思うよ。前立腺での刺激。羨ましい話だよね〜すっげえ気持ちいんだって。ぶっ飛んじゃうくらい」
「そ、そんな素質いらねえ」
「良いじゃん。俺ほしいもん。気持ち良かったらなんでもいーじゃん。雨乞さんだって好きでしょ? 気持ちーの」
「嫌い、じゃねえけど」
「でしょでしょ。だから今度は意識あるときに教えてあげるよ。どんだけ気持ちいーかって」
「いやいやいや、待ってくれ! 俺はノンケだ。そんな男と、意識するときにセックスなんてできねえ。それに女役なんて……信じらんねえよ」
「大丈夫大丈夫。俺うまいから。直ぐそんなこと考えらんねえようにしてあげるって」
そう言って肌を弄る白瀬に、雨乞は鳥肌の立った手で撥ね退けるとできる限りの抵抗をした。
正常なときに男とセックスするなど冗談ではない。白瀬のことは格好良いと思うが抱かれたいなどとは思わない。逆も然りだ、抱きたいとも思わない。そうノンケなのだ、雨乞は。
白瀬と違って性に奔放でない雨乞は新しい性の世界など見たくもないものだった。気持ちの良いことは好きだが、ごく普通の性体験だけで十分だ。未知の世界など踏み入れたくもない。
なにかと情報収集を趣味としているアークモノー団の内勤の世話役の知識で、男同士の性世界のことを齧っていた雨乞は今からされる現実に恐怖さえ覚えていた。
あんなところにあれが入るなど、無理だ。そう思って白瀬の胸をぐいっと押すが、圧されている今、抵抗も虚しくあっさりと唇を奪われてしまうのだった。
「ん、んん……っ」
柔らかな感触が唇を覆った。女性と変わらない、寧ろ女性より柔らかいかもしれない唇がそっと啄ばむように下唇を食み、ゆるゆると溶かしていくように口腔へとにじり寄ってくる。
目を瞑れば男とキスしているなんて思いもしない感触だ。それは雨乞が久しぶりに味わう性への刺激の所為もあるのだろうが。
雨乞とて淡白といえども溜まるものは溜まる。ここ最近自慰を怠っていたからか、少ない快感を簡単に掬い上げてしまうと抵抗の力をなくしていった。
彼女もいて、性にも満足していて、寝起きでなければ、男にキスされたところで気持ち悪さしか感じないのだろう。何故だか今は気持ち良いと思ってしまっている雨乞が心の中にいるがこれは錯覚だ。刺激が強過ぎる故の錯覚に過ぎない。
決して強引には進まず、焦らすように歯列をなぞる舌先。優しく、拓くように、隙間を抉じ開けようとしながら手は腹部を這っていた。
「は、……んん」
手馴れた手付きが妙にいやらしく、そして勘に触る。こうして誰かと褥を共にすることに長けている白瀬の、その中の一人になるということが悔しかったのかもしれない。
ノンケで、こんなこと望んでなんていないのに、白瀬の中ではワンナイトラブのカテゴリーに入れられるのだ。勝手に。遊んだ相手として、雨乞はそれを拒否したのにも関わらず。
かといって怒鳴ってみたり、暴れてみたり、殴ってみたり、そんなことができるのなら今こうやって押し倒されてはいない。
男であるが故の弱点の性器を握られてしまえば身体がしなってしまうのも当然の反応であった。
「も〜雨乞さんキス嫌い? 口開けてよ」
「そ、んな……っも、んだいじゃ」
「朝勃ちしないタイプ? あ、でもちょっとづつ硬くなってきてるよ。わかる?」
「っ、……は」
「先っぽ濡れてるし、はは、可愛いね」
勃起するなと脳内で命令しても、男にとって下半身とは別の生き物である。雨乞の性器は雨乞の気持ちとは正反対に、与えられた愉悦を貪るとゆるゆると芯を持ち始めた。
なにも意識していなかったそこがじんじんと熱を帯び始め、興奮しているのか男らしいごつごつとした手でも想像以上の快感を齎してくれる。
薄い下生えを逆撫でされぞくぞくとした刺激が走る。詰めた息を吐き出せば、それと同時に性器を扱う手に強弱を付けられて雨乞の思考はほろほろと崩れ去った。
肌で包まれた性器が心地良い。先走りで滑りが良くなったそこは音を立てながら白瀬の手の中でひくひくと震える。
楽しそうな表情を浮かべて雨乞を見下ろす白瀬は、Sに違いない。時折裏筋に爪を立て、痛がる雨乞の表情を見て嬉しそうな笑みを浮かべるのだ。
支配されている身体は白瀬のものになったかのように、雨乞の言うことを聞いてくれなかった。
「ぁ、あ、あ……っ」
「イきそ? 昨日イってなかったもんね。直ぐにイかせてあげるよ」
「や、な、っな、……まっ、やめろっ」
親指で裏筋を擽りながら上がり、敏感である鈴口を何度か擦られる。つぷ、と増えた先走りを押し戻すような仕草で強く押されてしまい、雨乞の身体が派手にひくついた。
弓なりに背を反らせ、シーツに顔を埋める。意図なしで浮つく腰はもっともっとと催促しているように見えて、雨乞は初めて攻められる心地好さを知ってしまった。
柔らかい女を腕に閉じ込めて、愛しむ穏やかなセックスばかり好んでいた。見目はクールなのにそんな抱き方するんだね、と幻滅さえされたこともある。
それほど性に対して淡白で、不慣れで、不器用なのだ。愛がなく、ただ欲だけを求めるような激しい劣情を孕んだセックスは初めてだった。
二の句も告げられぬままに攻め立てられ、逃げ腰を打つ身体を押さえ付けられ、激しいまでの刺激を焦らすことなく与える白瀬。
「あっ、う、うう……あぁ」
ちりちりと瞼の裏で閃光が走る。直ぐそこまで迫っている白濁が雨乞の性器の中でぐるぐる回っているのがわかるような、そんな感覚だ。熱いなにかが競り上がってくる。スピードを増して、追ってくる。
ぴんと張り詰めた足先がシーツを引っ張った。荒くて乱れた呼吸に混じる男臭い喘ぎ声が妙に倒錯的で、雨乞はそんな有り得ない状況で尋常ではないくらい興奮したのだ。
耳元で囁くように意地悪な言葉を投げ掛ける白瀬の吐息が熱いから、そんな白瀬もまた興奮したようにハアハアと荒げた息を吹きかけるから、きっと伝染してしまったのだ。
己と体躯の変わらない男である雨乞に酷く興奮をして熱に浮かされている白瀬を見て、雨乞は興奮した。その瞬間変態の仲間入りをしたような気持ちと同時に、呆気なく訪れた解放。
「ひ、ぁあ、……あー……っ」
びゅくびゅくと勢い良く飛び出した精液は白瀬の言った通り随分と解放していなかった所為か粘り気があり、白く濁っていて、いつも以上に時間をかけて白瀬の意外に白い手を汚したのだった。