「イっちゃったね」
掌に出した精液を見せ付けるよう指先で弄る白瀬を、雨乞は荒い息でぼんやりと見つめた。脳内が追いついていかない。このままでは流されてしまうだけだとわかっていても、達した後の疲労感で身体が言うことを聞かなかった。
「……も、終わり、……か?」
そう願って問うた言葉だったが、白瀬は緩く首を横に振って笑っただけだった。
ぬるついた感触を腹に感じたかと思えば、白瀬は雨乞の精液を腹に塗り付けながら宥めるような口付けを肩口に落とした。
「割れてんね、腹。いー身体じゃん」
ちゅ、ちゅ、と軽く唇を落としながら下降していく唇。ただ触れるだけのことなのに、まるで火傷でもしたかのように触れられた場所がじんじんと疼く。
小刻みに身体を揺らして、白瀬の髪を掴んだ。嫌だと声にならない声を出せば、白瀬は腹に塗りつけた精液を出した舌で舐め取る。
「ひ、ん……」
「やっぱにげえ」
ちろちろと舌先で腹を擽られて身体を捩らせる。悪趣味なことだったが、それは緩い快楽を生む前戯。まどろっこしくて焦れったくて、そんな曖昧な感覚が侵食していくように脳を麻痺させていった。
緩やかな快感に溺れた雨乞は、開いた唇から唾液を落とす。じんわりと滲む汗と混じって、それはシーツに染みを作った。
「も、も……やめ、ろ」
こんなのは知りたくもなかった愉悦だ。雨乞は必死に行為を止めてくれと懇願したが、エスカレートした白瀬の動きは止まることなく更に更にと唇を落とす。
臍を擽って、舌を捩じ込ませて、下生えを鼻で擽られる。羞恥を煽る行動で再び硬度を増した性器が白瀬の顔に当たって、それにも恥ずかしさが増した。穴があるのなら入りたい気分だ。
「もう勃起させてんの? 触ってないのに、やっぱ雨乞さん素質あると思うよ」
「ね、ねえっ! 溜まってた、だけだっ」
「ふーん? そういうことにしておいてあげても良いけどさ」
かぷりと性器を歯で噛まれる。びりびりとした刺激が背中を突き抜けて、身体を支配した。
白瀬は雨乞が快楽に弛緩している間にベッドに転がっていたローションを手に取ると、掌へと伸ばしながら温度を中和させる。冷たいローションが白瀬の手で温かいものへと変わっていった。
ぬめりも馴染んできたところで、それを後孔へとぐちゃぐちゃに塗りつけると躊躇うことなく指を押し入れた。
「ンっ! あ、なっなにっ」
目をかっ開いた雨乞は慣れぬ感覚に戸惑いを隠し切れていないようだ。不可解な感覚と恐怖でがちがちに固まった身体は、指の侵入を阻むかのように縮こまった。
だが昨晩雨乞は記憶がないだろうが、白瀬は雨乞のここをどろどろになるまで解したのだ。酒に酔った雨乞がよがり泣いてしまうほどに。
その記憶を脳は覚えていなくとも身体は覚えているらしい。思ったよりも柔らかいそこは包み込むように白瀬の指を締め付けると、奥へ奥へと誘うように蠢いた。
「う、ぁあ、あっ……や、なにっ」
「変な感じでしょ? まだここに慣れてないだろーから、気持ち悪いかもね」
「ん、んん、う」
掴めない感触に雨乞は眉間に皺を寄せ、微妙な表情をして見せた。上手く表現できないような、曖昧なその面持ちは気持ち良さそうとは程遠い。
どこか異物感に身体が拒否反応を訴えているのであろう。滲む脂汗を見て、白瀬は焦らすのを止めて雨乞の前立腺を探すことにした。
ここで感じない人もいる、白瀬のように。だがここで感じることができたのなら、その愉悦は癖になるほど気持ち良いのだ。風俗で性感マッサージがあるように、新しい性への世界を教えてくれる快感のツボ。
おぼろげな記憶を手繰り寄せ、むちむちと指を締め付ける肉壁を掻き分けて探し出す。出鱈目に指を突き動かしていれば、窪んだ場所に辿り着いた。
そこは昨夜雨乞が悦んだ場所でもあり、雨乞の理性を砕く大切な場所でもある。
白瀬は遠慮をすることなくそこを強引に擦り上げると、逃げを打つ白瀬の腰を引き寄せて乱雑に指を突き動かした。頭を振って涎を垂らして叫んだ雨乞は、予想以上に強い刺激を受け入れられなかったようだ。
「あっ! あ、っあ、あぁ、っ!」
愉悦というより痛みの方が強いのだろう。雨乞は無意識に涙を零すと、シーツを強く握り締めた。淡い指先が白んできつく爪を立てる。嫌悪感ともよがり顔ともつかぬ表情は、ただ逃げたいと一心に思うのかそう顔にありありと書いているようでもあった。
だが白瀬はそれでも指の動きを止めることはなかった。増やした指でぐちゃぐちゃに掻き回し、後孔を緩く拡げていく。前立腺への刺激も忘れずに。
「も、も、っいやっだ、や、めろっ」
やがて許容範囲を超えた雨乞はひくひくと痙攣しだすと、泣いた。喉を吊らせて漏れた喘ぎに似た泣き声に、白瀬は己の中に存在している支配欲が満たされていくのをどこかで感じていた。
身体が柔らかく良い匂いのする女を極限まで愉悦で溺れさせて好きにするのも好みの一つではあるのだが、雨乞のようなノンケを陥落させて泣かせるのも楽しい。普段良い人を演じている白瀬にとっては、ベッドの中だけで悪役になれる。
ぼろぼろと涙を零して嫌だやめろと叫ぶ雨乞の頬を優しく撫ぜると、指を引き抜いた。
「気持ち良過ぎて死んじゃう〜って?」
「は、は……っ」
「可愛いね、雨乞さん。ちょお俺のタイプ」
焦点の合わない瞳を覗き込む。涙で滲む目元に舌を這わせながら既にがちがちに勃起した性器を握った。
予想以上に雨乞の痴態に煽られていたらしい。らしくもなく濡れそぼったそこは糸を引いていて、手にぬるついた感触を知らせてくれる。白瀬は硬度を確かめると、起き上がって雨乞の両足を持った。
「ちょっと痛いけど、我慢してね」
「ま、待ってくれっ……! そ、それだけはっ」
「大丈夫大丈夫。昨日も突っ込んだしぃ、ね? 直ぐにぶっ飛んじゃうから気になんないよ」
「そういう問題じゃねえだろっ」
「雨乞さん、人生なにごとも経験だよ? 自分の視野を広げなきゃ」
「良いこと言ったみたいな顔すんな!」
余程逃げ出したいのか、どこか白瀬に遠慮していたような口調から変化していく。乱暴な言葉使いは今の雨乞の精神状態を露にさせたかのようだものだった。
だが後孔は失った刺激に物足りなさを感じているのかひくついているし、がちがちに勃起した性器は衰える様子もない。脳だけが拒否していて、身体は白瀬を求めているのだ。
白瀬はそのまま勃起した性器を雨乞の後孔へと擦り寄らせると、ひくつく後孔に誘われるよう一気に押し入れた。
「あああ、ああっ!」
予想を遥かに超える痛みが雨乞の身体を貫いた。中心から太い杭を打ち込まれたような、そんな衝撃だ。
ちかちかと白む世界。白瀬は休ませる間もなく腰を動かした。獣臭い息遣いで快感を一心不乱に追うその姿は、酷く扇情的でもある。眉間に皺を寄せて、口を半開きにさせて、そうしてハアハアと詰まった息を吐く。
ただ揺さ振られるだけの雨乞は、白瀬の律動のままに身体をがくがくと上下に揺らせた。最早気持ち良いのか痛いのか気持ち悪いのか、それすらも判断が付かなかった。
ただ白瀬が雨乞に欲情して、身体を拓いている。
男なのに男に欲情するその理をわかった訳ではないし、その男に突っ込まれて愉悦を拾い上げている雨乞の方が理解し難い理だ。一体なんなのだろうか。
ぐちゃぐちゃになった身体ともやもやする脳内では、もうどうにもならない。
ただこの苦しい快楽から、雨乞は逃げたくて必死だったのである。
「……、夢、じゃない」
雨乞はまさに茫然自失といった表情でベッドに寝転んでいた。無意味に天井の模様を目で追ってみるものの、なんの気晴らしにもならない。
起きたときよりもリアルに感じるのはじくじくと痛む後孔と、弛緩した身体。すっきりした感じがするのは、散々欲を吐き出したからだろう。
望んでセックスをした訳でもないのだが、全力で拒否したかと問われれば素直に頷けない部分もある。まさか突っ込まれるとは思わなくて、途中までなあなあにしていただなんて言ったらそれはもう受け入れていると同じだろう。
雨乞はあまり深く突っ込んで考えることをやめた。考えたって不毛なだけだ。できれば忘れ去りたい。それが一番だ。
布団を被ったまま微動だにもしない雨乞は、ガチャリとドアを開けて出てきた白瀬にもなんの反応もしなかった。
「あーすっきりした。雨乞さんもシャワー浴びたら?」
「……今はなにもしたく、ねえ」
「そう? 気持ち悪くねえの? どろどろじゃん。精液塗れだよ、雨乞さん」
誰の所為だ、誰の。そう言い掛けて、雨乞は口を噤んだ。
確かに雨乞の身体はぼろぼろである。雨乞と白瀬の吐き出した精液に塗れ、後孔には未だ入ったままの精液がある。気持ち悪いことこの上ないが、だからといってさあシャワーを浴びようという気持ちにもなれなかった。
取り敢えずなにも考えたくないのだ。独りになりたい。
殻に閉じ篭るようにぼんやりとした雨乞に白瀬は視線も寄越さず、ジーパンを穿くと濡れた頭をタオルでがしがしと掻いた。どさりとベッドが沈み、白瀬が腰を掛けたのだと理解する。
「セックスして下半身すっきり、シャワー浴びて身体もすっきり、となれば? な〜んだ!」
「……さあ」
「正解は煙草でーす! やっぱヤった後の煙草はうまいよねえ」
「……吸わないので、わかんねえし」
「ええ、吸ってそうな顔なのに?」
白瀬は別段驚いた表情をしてみせる訳でもなく、煙草に火を点けると興味を失ったようで携帯をかちかちと弄りだした。
なんとなくその一連の動作で雨乞は何故白瀬に彼女ができないのか、なんとなくだがわかったような気がする。白瀬が特定の人を作る気がないのも一因だが、セックスした後の白瀬の態度があまりにも適当だからだ。
別に女ではないのだからなにかを言う訳でもないが、素っ気なさ過ぎてこれではまるで雨乞から迫って一夜を共にしたような雰囲気ではないか。適当に扱われても構わないはずなのに、どこかでもやもやする己もいる。
暫く携帯をかちかち弄っていた白瀬だったが粗方の用事が終わったのか、携帯をサイドテーブルに置くと落ちた衣服を拾って着用し始めた。
「雨乞さん、俺帰るけど雨乞さんはどーする?」
「……暫くここにいる」
「そう? あ、じゃあホテル代は置いとくね。ここは俺が出すよ」
「ああ」
「ねえねえ、つーか携帯教えてよ。俺たちって身体の相性良いと思わない? またヤりたいんだけど」
「遠慮しとく。もう、俺は、こりごりだ」
「えー! でも良かったでしょ? ぶっ飛んだでしょ? ねえねえ、雨乞さん」
「もう、……眠りたい。一度リセットしてえ」
「雨乞さんの携帯これ? 俺の番号登録しておくから電話かけてね。あ、俺のにも登録しておこーっと」
もうどうだって良かった。白瀬の好きにしてくれても構わない。雨乞の脳内のキャパシティはとっくの前に上限オーバーしているのだ。今なら隕石が落ちてきても驚かないような気がした。
白瀬が雨乞の携帯を勝手に取ろうが、番号を交換していようが、それすらもう好きにしてといった感じだった。
やり直せるのなら昨夜からやり直したい。おでん屋台に入ろうとは思わず、公園で猫相手に独り酒すれば良かった。件のことでその独り酒セットもどこかへ紛失したようだし、踏んだり蹴ったりだ。
頭を抱えて蹲った雨乞に、白瀬は物凄く爽やかな声音で喋りながら立ち上がった。
「じゃあね、雨乞さん。またセックスしような。良かったよ、すっごく」
雨乞の意思などないにも等しい。まるでヤり逃げされたような気持ちだ。白瀬はそのまま上機嫌でホテルを後にすると、この部屋から出て行った。そうして雨乞は独りになってしまったのである。
「……夢、だったり、しねえ、よな?」
起き上がってみれば、ずきりと痛む後孔。到底夢だとは思えないほどのリアルだ。
そうだ、もう忘れてしまおう。雨乞はそう己に言い聞かせた。
雨乞はしがないサラリーマンなのだ。日夜日本を舞台に駆け回る秘密結社★アークモノー団の幹部イチ大佐で、ヒール。
その仮面を脱ぎ捨ててしまえば、見た目だけはクールな草食男子。趣味もなにもない、ただの地味な男。楽しみは自宅のベランダでしているガーデニングと自宅菜園。
彼女も将来もなにもかもに希望を見出せないが、それでもそれなりに楽しい生活を送っている、ただの男なのだ。
たまたまおでん屋台で出会った男に掘られてしまったがこれもこれで人生のスパイスだと思えば、良いのかもしれない。なにも後孔の貞操を大事にしていた訳でもないし、操を立てる相手がいる訳でもないし、ショックを受けている訳でもない。
なんとなく、そうなんとなく気に食わないだけだ。襲われたのはこっちだというのに、まるでこっちから誘ったかのような空気だったから、それだけが気に食わなかった。
「あー……やめやめ、考えるのは、やめよう」
むくりと起き上がって、雨乞もホテルを出ることにした。自宅に帰って花や野菜に水をあげよう。そして撮り溜めておいたTV番組を見よう。夜はジョギングしてビール飲んで、寝よう。
月曜日から忙しくなる。新しい技やグッズ開発の件もあるし、久々の現場でもある。世話役のアークッカーと相談して中佐との登場シーンも考えなくてはならない。
休日まで仕事のことを考えるなんて職業病のようなものだが、身に染みた生活習慣はそうそう抜けることもない。雨乞は痛む腰を引き摺ると、シャワー室へと入っていった。
あれから雨乞は己が立てた予定通りの行動をした。寸分狂うことなく、いつも通りの休日の過ごし方だ。
シャワーを浴びてホテルを出て、家に帰って簡単な昼ご飯を作り食べる。それからガーデニングと家庭菜園をゆったりとしながらDVDを見て昼寝。夜はジョギングしてから疲れた身体でシャワーを浴びて、豪華にピザを出前で取ってビールを飲む。そんなくだらない日常だ。
ガラガラとベランダの扉を開く。晴れ晴れとした夜空には都会では見られない星が幾つか瞬いていた。いつになく澄み切った空気である。
雨乞はこんな夜に外で煙草を吸ったら気持ち良いのだろうか、と思ってみた。煙草を吸わないからわからないが、きっと気持ち良いのだろう。
チューハイ片手に、ベランダにしゃがみこむ。床には敷き詰められたかのように花や野菜が生い茂っている。雨乞の心の憩いだ。
まだ青いプチトマトに指を当てて、ゆらゆら揺らしてみながら一日の振り返りを脳内で行なう。
「……なんか、やっぱ腑に落ちねえよな」
結局のところ記憶は印象深かった午前へと逆周りする。雨乞は理不尽さに頭を悩ませると、暫くその場に蹲っていかに白瀬がイレギュラーな人物なのかと考えるのであった。