どんよりとした曇り空と同じように、雨乞の気持ちもどんよりと曇っていた。
連休が明けた月曜日、仕事が始まる日だ。この二日間悩まされたことが解決された訳ではないが、仕事にプライベートは持ち込めない。それに今週は定例会議と現場があるから悩んでいる暇もないのだ。
いつものように森の奥へと進み厳重な扉を潜って幹部室へと入る。草臥れた黒のスーツのまま大佐専用椅子に腰をおろせば、直ぐに頭上から困ったような声が降ってきた。
「ちょっとイチ大佐〜着替えてからここに入ってくださいって何度も言ってるじゃないですか〜」
「あー、んー……おお」
「今日は定例会議なんですから、ちゃんとしてくださいね。資料持ってきました? 何時かわかってますか?」
「持ってきた。十一時に、企画部の第二会議室だろ?」
「そうです。じゃあ早く着替えてください。週前にクリーニング出しておいたのでぴかぴかですよ〜」
「そういや他の奴らはどうしたんだ? いつ見ても揃うことねえよな。無駄に広いんだから活用しようぜ、なあ」
雨乞はきょろきょろと視線を幹部室に向けると、世話役にそう問い掛けた。
この幹部室に幹部たちが揃うことなど殆どない。だから今の状況はいつも通りといえた。大抵この部屋にずっといるのは雨乞だけで、世話役のアークッカーがちょこちょこ顔を出す程度なのだ。
イチ大佐を初めとした幹部は十名近くいるが、使用しているのはほぼイチ大佐のみ。一人では広過ぎる幹部室はただでさえ薄暗い部屋を閑散とさせていた。
豪華な椅子に座りくるくると回りだした雨乞を見て、世話役は溜め息を吐くと呆れたような声音を出した。
「いつも通りアークッカーの太刀指導や体術指導に当たってますよ」
「あー……」
「イチ大佐がやらないから」
「だって、そんな柄じゃねえし」
「本当性格変わりますよね。さ、早く着替えてください。会議までに片付けて欲しい書類あるんですから」
「……おー」
やる気なさげにのろのろと立ち上がった雨乞は着替えるべく幹部室の隣にあるロッカールームへと行くのであった。
定例会議までの間、世話役と和気藹々とした会話を交わしながら企画書に目を通したり重要書類に判子を押したりしていた。基本的に紙との戦いである雨乞の仕事は激務といってもそうそう忙しいものではない。
雨乞の世話役のアークッカーこそ忙しそうに奔走しているが、一人である雨乞を気遣ってたまにではあるが相手をしてくれるのだ。とても心優しい男である。
緩い職場で楽しげな会話を織り交ぜながら話していれば、ピンポンとチャイムが鳴った。
「本日企画部第二会議室で定例会議があります。各部の代表は提出書類を持って、十一時に集合してください。もう一度繰り返します」
その放送に顔を上げた雨乞は壁に掛かってある時計を見た。時刻は十時四十五分、もうそんな時間が経ったのかと少し驚く。世話役といるとついついイチ大佐の仮面を被っていても忘れてしまうときがある。
雨乞にとって唯一この職場で心を許しているのが世話役なため、そうなってしまうのかもしれない。第一二人だけしかいないのだからイチ大佐を演じることもないのだ。
いそいそと用意をし始めた世話役に急かされて、雨乞も立ち上がると書類を持ち第二会議室へと行く準備をした。
「じゃあイチ大佐頑張ってくださいね」
「ああ、貴様もな」
「あ、ちなみに中佐と一緒に登場するっていう僕の案通ったんでそのつもりでいてくださいね〜」
手を振る世話役を背に幹部室を出る。少し高さのあるヒールブーツで廊下をこつこつと鳴らしながら、雨乞は第二会議室へと向かった。
それから話は面白いほどとんとん拍子に進んだ。各部の代表が集ったところで、主に実権を握るのは企画部の代表のみだ。それに是非と答えるだけで、他の部の代表の意見はないに等しい。
それでも一応提出した書類は多少なりとも反映してくる。新しく決まった事項などを聞く振りをしながら、雨乞は適当に相槌を打った。
従来の雨乞の登場シーンは大型バイクでの登場であった。だが世間から義神戦隊ギーレンジャーと被るだの、いまいちぱっとしないだのというクレームを受けていたのだ。世間というのは意外と厳しい。
そのクレームに応えるべく、イチ大佐の登場シーンと新たな武器を新調することを決めるのがこの会議である。それに伴い義神戦隊ギーレンジャーも新たな技を出してくる。同時に商品販売をするという名目もあるのだ。
決まった事項は週半ばにあるイチ大佐とレッドの因縁の対決のときに披露される。期間がそれほど空かないのは、もう既に決まっていることだからだ。
どうこう言ったって既に決められたことの細部を変更するという意味しかもたないこの会議は、どのような登場シーンか、その流れはどんなものか。総務部が現場で用意しなければいけないこと、警備部が一般人に被害が及ばないよう警備をすること、そして現場部のイチ大佐がどのようなことをしなければいけないこと、を説明してもらう場でもある。
「警備部はいつもの通りでお願いします。舞台は例の公園でアークッカーが悪戯をするところから始まります。今回のコンセプトはとある会社を乗っ取り、日本にアークモノー団の教えを布教するためにそこの会社員を洗脳するところから始まります」
手渡された資料を片手に見て、企画部の代表の声に耳を傾ける。
ことの話を簡略するとつまりは集団のアークッカーが会社員を襲っているところにレッドが格好良く登場する。アクロバティックな体術でアークッカーを退治し、もう大丈夫だとなったところで黒幕であるイチ大佐の登場だ。
特殊技術を使って作られた害のない真っ黒な煙で辺りを覆い、その黒煙の中から馬に乗ったイチ大佐がヒールらしく登場をする。
その馬も遺伝子組み換えで産まれた一角獣である。イッカクの遺伝子を黒馬に植え付けたのが成功したのだ。それを披露するのは初めてだが、イチ大佐はその馬に慣れるために何度かその馬と逢瀬をしていた。
普通の黒馬よりも一回り大きい一角を生やしたそれは現代社会では異質のものだが、これもなにをしているか不明なアークモノー団の特殊技術で生まれたものである。
それでその黒馬に乗りながら高笑いをして、レッドを見えない力で振り払い一度優勢に立つ。レッドが反撃しようと新たな武器を取り出したところで、後ろから中佐が襲い掛かるというものだった。
二対一では批判を買うので、そこで中佐とレッドが戦うのを傍観するだけにシフトチェンジだ。レッドが戦いで優勢になりつつなった頃合に、イチ大佐がレッドを薙ぎ払い中佐を庇ってまた黒煙を出し二人は今日のところは引いてやるという悪役らしい台詞を吐いて戦闘から退くというシナリオだった。
レッドとイチ大佐の因縁の対決は中佐の登場により次回に持ち越されるが、レッドの新たな武器とイチ大佐の愛馬のグッズが発売されることになっているので良い刺激にはなるだろう。
焦らせば焦らすほどに興奮も最高潮に上がり、人気もうなぎ昇りになる。予定だ。
「ちなみに当日の来場者数は予想では百人前後になりますので、総務部は一般人にばれないように身を隠して黒煙などの準備をお願いしますね。警備部も一般人が戦いの場に入らないよう警備をお願いします」
「取材は何社ぐらいくるんですか?」
「TV放送が四局。その内の一局が独占で生放送です。失敗は厳禁ですよ」
書類を机に置く。全て把握をしてから最終確認。これで定例会議は終わりだ。今日から現場まで通常業務はストップし、見所でもあるイチ大佐の現場のために各部勢力を上げて準備を入念に行なうのだ。
もちろんイチ大佐もやることはたくさんある。遺伝子改良された黒馬にはもう慣れた。乗馬も習った。だから当日の予行練習だけだ。だがそれが一番難しい。
また筋肉痛に悩まされるな、などと見当違いのことを考えながら昼休みのチャイムをぼうっと聞いていた。
そうしてなんだかんだしている間に現場の日がやってきた。何度もリハーサルをしたお陰か準備は万端だ。世話役の話では久しぶりの因縁の対決とあってか注目度も高いらしく、いつもより取材陣やマスコミが多く詰め掛けているらしい。
なんだかんだいってマスメディアとも手を組んでいるので舞台裏は映さないと約束もしているし、いろいろと不都合な大人の事情ってやつは隠蔽されている。意外と世の中情報操作がものを言うのだ。
着々とメイクを仕上げていく中佐を見て、雨乞もメイクへと取り掛かった。
今回は新衣装ということでガラリとイメージチェンジをはかった。従来は華美さを強調としたごてごてとしたゴシック調の衣装であったが、今回はモノトーンに露出をメインとした衣装に切り替えた。
仕事柄綺麗な身体のラインを見せるよう意識してはいるのでその分では無問題だ。晒された肌が風に当たって、風邪を引かないかなという点だけが雨乞の心配である。
「イイイイイイイイチ大佐ァアアアアアア」
うっとりと蜜を掛けすぎたようなくどい声色。中佐はハアハアと興奮して身体を捩らせると雨乞の下に這い蹲った。何度見ても慣れない光景だが、いつもの光景でもある。中佐にとっては雨乞というよりイチ大佐がなにをしても興奮してしまうらしい。
細身のブーツに頬を擦り酔わせそうな雰囲気を漂わせた中佐に、流石にそれはと思った雨乞はそれを避けると顔の上半分だけを覆う仮面を被った。仮面の下には濃いアイラインで素顔がわからないようメイクされているのだが、何故だがイチ大佐の素顔はプレミアがついているらしいので早々外してはいけないらしい。
「イチ大佐、麗しゅうございますううう……。この中佐、もう何度この日を夢に見ましたか! まさかイチ大佐と現場を共にすることができるなんて身に余るほどの幸せです!」
ぐだぐだと煩い中佐をイチ大佐は視線で黙らせた。雨乞は仮面を被ることによってイチ大佐への切り替えを素早く行なうと、中佐を見てニヒルに笑う。
「中佐、私のために尽くせ。崇めよ、そして……わかっているな?」
引き締まった腹筋を見せ付けるよう舌なめずりをしたイチ大佐に、中佐は大袈裟なほどこくこくと頷くと跪いて忠誠を誓った。
「仰せのままに、我が愛しのイチ大佐」
きゃあと辺りがさざめく。逃げ惑う会社員を取り囲むようにして奇声を上げているアークッカーが群がって洗脳をし始めようと催眠術を掛けた。それに重なる待ったの声。
「なにをしているんだ、アークッカー! この世界はお前らの好きになどさせない! 今日こそ成敗してくれる、この義神戦隊ギーレンジャーのレッドがきたからにはもう安心だ!」
全身ぴったりとした赤いモビルスーツを着た義神戦隊ギーレンジャーのレッドが、どこからやってきたのか華麗に舞うとアークッカーと会社員たちの前に飛び込んできた。
鬼をモチーフにしたフルフェイスのヘルメットを被り、決めポーズを取っているレッドは子供たちの憧れでもあり、大人たちの憧憬の的でもある。露出している口元がセクシーなために、格好良いと評判なのだ。
「キエーッ! キエッキエッ!」
「悪さばかりしている奴にはお仕置きだ! この世界はこのレッドが守る!」
わらわらとレッドを取り囲むアークッカー。多勢に無勢、劣勢だと思われるがここはヒーロー、負け知らずだ。映画のような華麗な体術を次々と披露すると時折バク転などの技を織り交ぜつつ、一人一人アークッカーを倒していく。
地に伏したアークッカーたちはレッドの強さに慄くと、今日のところは諦めてやると言いたげに不満そうな声を上げると次々退散していった。そうしてレッドと会社員たち以外いなくなった公園で、レッドが浮かべるのは涼やかな笑み。
「もう大丈夫ですよ。ですがここにはまだアークッカーの残党がいるかもしれません。早く逃げてください」
レッドの指示により逃げ遂せる会社員たち。的確な誘導のお陰か全員が無事に避難したところで、辺りに黒煙が漂ってきた。
「な、なんだ!? この黒煙は……っ!」
真っ黒の世界に覆われたレッドは視界を失う。それに乗じて一角の黒馬に乗ったイチ大佐が登場した。
ヒヒーンという雄々しい馬の声が辺りに響く。獰猛な蹄の音を鳴らしながら晴れた視界から姿を見せたのはイチ大佐だ。エロティシズムを擽りながらも男らしくもあり婀娜っぽくもある衣装を身に纏ったイチ大佐の存在感は圧倒的だった。
その空気に呑まれてしまう。言葉をなくした辺りに聞かせるよう、イチ大佐は高笑いをしてみせるとレッドの前に立ちはだかった。
「久しぶりだな、レッド。随分とアークッカーを可愛がってくれたようだ……クク」
「お前はっ、イチ大佐! 丁度良い、ここで会ったのが運の尽きだったようだな! お前を倒して世界の平和を守ってみせる!」
「倒す? この私を、貴様如きが、か? フハハッ! 笑わせてくれる。レッド、貴様は私に勝てない。勝てる訳などないのだよ。今日が貴様の終わりとなろう……我が掌中で精々足掻くが良い」
手を翳したイチ大佐に視線が集る。紫がかった透明の光を掌に集めたイチ大佐はそれを振り下ろすとレッドに向かって放り投げた。
慌てて手をクロスさせそれを庇ったレッドではあるが予想以上の衝撃に仰け反ってしまう。それを見て口端を上げたイチ大佐は恐ろしくも美麗な笑みを浮かべると、レッドとの距離を縮めた。
「俺の終わりだって……!? それはこっちの台詞だ、イチ大佐! 今日はお前が敗れる日だ! お前は俺が倒す!」
体勢を整えたレッドがイチ大佐と距離を取って腕に嵌めている時計型のスイッチを押した。瞬く間に光り輝いたレッドの手から長剣が伸びる。目が眩むほどの銀を従えたそれは美しくも儚い長剣だった。
「覚悟ォオオオオオ!」
「クク、目の前しか見ていないと命取りになるぞ? レッド……」
「なにっ!?」
後ろを振り向けば黒の長髪を揺らしながら剣を持って猛進してくる中佐の姿があった。
「イチ大佐には触れさせませんよ、レッド! 貴様の相手はこの私だ!」
キィイイイン、と剣同士が共鳴する音が響いた。レッドは気難しい顔をして見せると距離を取る。
「どういうことだ! イチ大佐! 卑怯だぞ!」
「気が変わった。今の貴様の相手はもの足りん。私に見合う力を手に入れてから私に挑むんだな。今の貴様程度、相手にするほどでもないわ」
一角の黒馬を従え戦線を離脱したイチ大佐は面白そうに中佐とレッドの戦いを見つめると、気だるそうな息を吐いた。
キンキンと鳴る剣の音。ぶつかり合う剣と舞う汗が緊迫した空気を作る。手に汗握る戦いだ。
だが小競り合いのような戦いをしていた中佐とレッドにも勝敗の行方がついてきた。徐々にではあるがイチ大佐への怒りでレッドが優勢に立ち始めたのだ。
イチ大佐は面白くなさそうに二人の間に入るとレッドを薙ぎ払い、中佐を一角の黒馬へと乗せた。
「今日のところは引いてやる。だが次はないと思え」
「イチ大佐、逃げるのか?」
「逃げる? 馬鹿なことを。覚えておけ、貴様などいつでもこの私に倒される運命にあるのだと」
再び辺りを覆い始めた黒煙にレッドは咽た。ただ響くのは馬の遠吠えのような鳴き声だけ。エコーして掛かるその声が消える頃には黒煙もなくなり、イチ大佐と中佐の姿もそこにはなかった。
レッドは拳を強く握り締めると、唇を噛んだ。相手にもされない悔しさを湛えたその立ち姿は、強くなろうと決心するレッドの心境をありありと表してもいる。
「次こそは……絶対に勝ってやる! 強くなる! 義神戦隊ギーレンジャーが世界を守る! それまで油断しておくんだな、イチ大佐!」
高らかに叫んだレッド。数分遅れて駆けつけてきた義神戦隊ギーレンジャーのメンバーと、義神戦隊ギーレンジャーの創立者でもある博士と新たな誓いを立てて精進していくのだ。
負けるな義神戦隊ギーレンジャー。世界の平和は義神戦隊ギーレンジャーにかかっている。
博士が用意した義神戦隊ギーレンジャー専用改造車に乗り込むと、レッドはフルフェイスを外し髪で覆われた見えるか見えないかの素顔を晒すと車へと乗り込んだ。そうして今月のメインでもあるレッドとイチ大佐の因縁の対決は予想以上の大きな反響を持って終了したのである。
各々が成功に喜び、やり遂げた達成感に包まれている中、一人腑に落ちない表情を湛えていたのがイチ大佐でもある雨乞だ。首を捻らすと、どこかで引っ掛かるレッドの声のことを考えていた。
「……どっかで聞いたことある声だよな。あの声癖あるし早々忘れねえんだけど……」
うんうん唸っていても解決などしない。次第に成功による歓喜で包まれている雰囲気に呑まれて、そんな考えもすっかりと脳の隅へと追いやられていった。今思えばもっと追求すれば良かったのだ。追求してもどうにもならなかったが、それでもどうにかなったような気もする。
そう雨乞がレッドの声の正体を知ることになるのは、翌日のことであった。