「は? あ? え? レ、レッド? ……ちょ、白瀬さん今」
確かに白瀬は己のことをレッドと言った。それは赤色という意味ではなく、義神戦隊ギーレンジャーのレッドという意味だろう。
あまりにあっさりとしたカミングアウトに雨乞はどんな反応を見せて良いのかわからなかった。というのもどうしてその言葉が出てきたのかが、理解できなかったからだ。
どうして良いのかさえわからずにいる雨乞の戸惑いなど他所に、白瀬は雨乞の洋服を手際良く脱がすと舌を這わせてきた。
耳元から始まって首筋、鎖骨、胸など、生温い舌で舐め尽くされる。時折キスをしたり擽ったり、白瀬の舌技は前に比べるとしつこくてねちっこいものだった。
だがそれが堪らなく快楽に繋がる。シャワーも浴びていない身体というのが羞恥を煽って愉悦に繋がるのかもしれない。いつの間にかそんなことに興奮してしまうようになった雨乞は、白瀬に感化されて変態になったような気分だった。
「は、ん……っ」
熱に浮かされた雨乞から堪えていた喘ぎが漏れた。はあ、と熱が溶けたような吐息に変わる頃には雨乞は完全に欲情していたのである。
確かに白瀬の言うように身体の相性は良いのだろう。女相手でもどこか受け身な態勢の雨乞にはその白瀬の強引さが堪らなく刺激的で愉悦に繋がるのだから。
舌で全身べろべろに舐められて溶かされていく思考。だが柔らかく笑った白瀬の表情が内に留まっていたレッドと被って、雨乞は思考がクリアになっていくと如何に今の状況が異質かということを思い知らされた。
慌てて起き上がり臍を舌で擽っていた白瀬を突き飛ばす。アルコールと悦楽に浸っていた身体は思ったよりも力が出なかったが、不意を突かれた白瀬には効いたようだ。
よろめいている間にその腕の中から抜け出して逃げようと試みる。だが狭いベッドの上直ぐに捕まってしまい、呆気なくも再度ベッドに沈められてしまった。
「ちょっと、雨乞さんなにすんの? 逃げようって? 駄目だよ、そんなことしちゃ」
頭の中では警告が鳴り響いている。剣呑さを湛えた瞳に射抜かれて硬直してしまった雨乞は、掌が冷たくなっていくさまをありありと実感していた。
逃げなければいけない。今直ぐこの場所から逃げないと、後戻りができない。
白瀬がレッドで、雨乞がイチ大佐で、お互いがそれを知っているかどうかなど、そんなことは些細なことのように思えてくる。レッドもイチ大佐も関係なく、雨乞が白瀬に捕らえられる。そんな気がして、そっちの方が重大だった。
じりじりと距離を詰めてくる白瀬。間近に迫った瞳には恐怖に染まった雨乞の姿が映っている。そのあまりに情けない表情に雨乞は瞳をぎゅっと瞑った。
両手を強く握り締められ拘束される。逃げ場を失った雨乞に白瀬は軽薄そうな笑みを浮かべると、微かに震える雨乞の耳元に唇を寄せた。息を吹き込むようにそうと囁けば、その身体は大袈裟なほど跳ねる。
「逃げるの? ねえ、イチ大佐。覚えてるよ、俺。イチ大佐に倒される運命にあるんでしょ?」
その言葉に雨乞は信じられないといった表情になると限界まで瞳を大きく開いた。壊れたブリキのように白瀬を仰ぎ見るその姿は追い詰められた小動物のようでもある。
驚きや恐怖、混乱といった感情がごちゃごちゃに混ぜられた雨乞は戦慄く唇を動かすと、掠れた声を出した。
「気付いて……?」
「ああ、公私混同しないんだった。忘れてたよ〜。自分の言ったこと忘れちゃうなんて俺も馬鹿だなあ」
「お、おい、それどころじゃねえだろ! なんでっ」
「……知りたいの? なんでだと、思う?」
ぎし、と戒められている手が軋む。白瀬は舌なめずりとするとかわいこぶった素振りで首を傾げた。
雨乞にはなんの不備もないはずだ。世話役からも普段とのギャップがあり過ぎると言われているし、メイクもしているから素顔でばれるはずなどない。
それに白瀬が登録データベースをチェックしているとも思えなかった。かくいう雨乞も白瀬に違和感を覚えなかったら見ようともしていなかったし、興味すら沸かなかったのだから。
考えても考えても答えは出ない。困り顔になる雨乞に助けを出した白瀬は、それでもこの場では悪役だった。
「でもまだ教えてあげな〜い。その前にエッチしてからね。もう我慢も遠慮もできないし〜?」
緩い言葉に反して、見せる顔は極悪人そのもの。さあっと血の気が失せた雨乞はもう抵抗する力も残っていなかった。というより考えることを放棄してしまっていた。
全てはあのおでん屋台から始まったこの歪な関係だけが、今は一番畏怖すべき問題だったのである。
ぷはあ、と軽快良く吐かれた紫煙が宙を舞っている。雨乞はそんな紫煙を見つめながら、またもや頭を抱えていた。
白瀬と身体を繋げるのはこれで三回目だ。一回目は酒で記憶がないとなれど、ここまで致してしまうのはどうなのだろうか。
当の本人の白瀬といえば甘えるように雨乞の膝に頭を乗せながら煙草を吸っているし、雨乞いはなにがなんだか理解をすることすらできなかった。
「なあ、……どういうことなんだ?」
「え? 膝枕」
「そうじゃなくって、んで正体のこと知ってんだよ!」
「そこ〜? エッチしたことに疑問は抱かないの?」
「それはそれ! 今はそれどころじゃねえの!」
白瀬はつまらなさそうに煙草を灰皿に押し付けると、そのままの体勢で雨乞を見上げた。酷く動揺しているのだろうか、雨乞の瞳孔は開いており唇は微かに震えている。
正体を明かしてはいけないというルールこそあれど雨乞と白瀬は同業者だ。ばれてもなんの問題もないのに何故そこまで慌てるのだろう。そう思う白瀬ではあるが真面目な雨乞のこと、ばれたことに不安を隠しきれないのだろう。
泥酔していたときの雨乞を思い出して、白瀬は馬鹿だなあとしみじみ思った。
「しゃあねえな〜。まず第一に、義神戦隊ギーレンジャーの会社ではアークモノー団の幹部の素顔が常備見られるようになってるんだよ。ってもそんなに頻繁には見ないから中佐や少佐の素顔なんておぼろげだけどね」
「は……? なんでそんなこと、してんだ」
「まあ日常生活で擦れ違ったときとか出会ったときに嫌がらせするためじゃない? お互い良く思ってないからね」
「い、陰湿! ヒーローサイドの癖に!」
「実践したことないから良いじゃん。で、それでなんとな〜く雨乞さんの素顔が頭の中にあった。という前提ね」
ベッドに無造作に置かれた煙草を手繰り寄せ、白瀬は二本目に火を点ける。その折も食い入るように白瀬を見ている雨乞は微動だにしないままだ。
緊張を和らげるために掌に触れれば、びくりとそれが震えた。
「第二に、……つーかこれが正体知ったきっかけなんだけど、雨乞さんが喋ったから。覚えてないのも無理はないけどさ〜、雨乞さん酒ででろんでろんに酔う度に愚痴ってんのよ。大佐は性に合わないとかアークモノー団はいつか倒産するとか、さ」
その白瀬の言葉に雨乞は瞼を限界までかっ開くと、信じられないものを見るような瞳で白瀬を見た。だがそんな表情をされても白瀬は嘘など一つも言っていない。
驚きの表情のまま固まってしまった雨乞に白瀬は止めることなく言葉を続けた。
「それで、あれれ〜? って思ってイチ大佐の素顔調べたらさ、雨乞さんが出てきたから、あ、ほんとなんだ〜って思ったの。雨乞さんも俺の正体に気付いたんでしょ? ならお互いさまだし、ばれたってばれなくたってもうどうでも良くね?」
「俺が言ったのか? ほんとに? そんな、こと……」
「酔うと正常な判断失うって良く言うじゃん。まあそんな気にすることないんじゃない? 俺が一般人なら妄想癖のある人だなあで片付けちゃうし」
「……最悪だ……。どうしたら良いんだ、……」
この世の絶望を現すとしたら今の雨乞の様子そのものなのだろう。白瀬に握り締められている手がふるふると震えて、強く噛み締められた唇は白くなっていた。
雨乞の膝に頭を乗せてごろごろと甘えていた白瀬は、流石にその様子に溜め息を吐く以外する動作もない。
そこまで重く考えなくても、もっとフランクに生きていけば良いのに。どこまでも真面目な雨乞は一体なにに絶望を覚えているのだろうか。
白瀬は長いままの煙草を再び灰皿に押し付けると、雨乞の腹に頬を寄せて薄っすらと割れた腹筋に唇を落とした。きつく吸い上げてキスマークを残す。残った悦が雨乞を刺激して、小さく震えた身体は色っぽくもあった。
「どうだって良いじゃん。俺は雨乞さんがイチ大佐であろうがエッチしたいし、雨乞さんも俺がレッドだからって引くような性格でもないでしょ? それにまじでいがみ合ってる訳でもないんだしさ〜、プライベートでエッチしてようが会社には関係ないと思うの」
「……そうだけど、つーかエッチ……は、もう、他の相手探せよ。俺男だし……」
「今更じゃん? ね。俺、雨乞さんのことすっごく気に入ったから他とか無理。可愛いもん。ほら、良く言うじゃん? 目に入れても痛くないって。まさに今そんな状況」
「はあ……趣味わりいんじゃねえの……」
「悪くないよ〜。全身舐め回したい。あんあん言わせたいなあ、その困り顔」
むくりと起き上がった白瀬は、俯き加減の雨乞の頬を両手で掴むと真っ黒の瞳を覗き込んだ。
脳内で整理をすることを止めた雨乞は無理矢理納得をしたような面持ちだ。なにを言っても聞いても現実など変わりもしないし、始まってしまったことや進行していることは変更などきかない。
先程まで馬鹿みたいに取り乱していた雨乞であったが、白瀬があまりに飄々としているから毒気を抜かれたようだった。
身体を繋ぎ合わせる前のあの悪人面はただ雨乞を揺さ振るためだけにしたものに違いない。S気質である白瀬の性格を嫌でも徐々に理解し始めた雨乞は、この状況を甘受していかなければならないことに気が付いた。
白瀬の言葉に賛同などしたくないが、雨乞がイチ大佐で白瀬がレッドであろうともセックスしている関係にはなんの支障もない。ただ精神的に受け入れられないだけで、問題などないのだ。
そのまま降りてくる唇。それを跳ね除けない時点で、雨乞は大概白瀬に毒されているようなものでもあった。
「ん、……っ」
柔らかな唇が雨乞の唇を覆う。男とキスしているのにも関わらず、悦しか拾わない雨乞の脳が悪い。
白瀬の掌が頬を擽って、密着した肌は熱を伝える。男同士なのに嫌悪も抵抗も湧かない。だけど胸が高鳴ることもなければきゅんと締め付けられることもないので、白瀬に恋をしている訳ではないのだろう。
真面目に生きてきた雨乞が今経験しているのはイレギュラーな出来事であるが、それがレギュラーに変わっていくのも時間の問題だ。人というのは順応性が高いのか、雨乞はそれに馴染み始めている。
好きだからという理由はない。気持ち悪いと感じていない。快楽のためと割り切れるほどではない。どうして唇を受け入れてしまうのだろうという疑問は未だ解けないまま。
「……可愛いね」
「可愛いって言われても、困る」
「イチ大佐って実感ないわ〜ほんと。現場のときの雨乞さんちょお色っぽいんだもん。あの新衣装脱がしたくて堪んない格好してるよね。ああいうSっぽい男組み敷いて泣かせるの、興奮する」
「……変態じゃねえか! 白瀬さんそんなこと考えてたのかよ!」
「今更〜。ねえ、今度衣装着てエッチしよーよ。レッドとイチ大佐でさ〜」
「こ、断る! それは無理!」
「ケチ!」
ぶう、と唇を尖らせる白瀬は本当にレッドなのだろうか。そこまで思って、雨乞はそれ以上考えるのをやめた。
弱気で人見知りでガーデニングが好きな雨乞が実はイチ大佐なのと同じように、下品で下半身が緩い白瀬もレッドなのだ。あれは仕事として別の仮面を被って演技をしている。あの状態がその人の素顔そのままだなんて、それこそテレビの中の話。
事実は小説よりも奇なりというように、まさにそうなのだろう。
ちゅ、ちゅ、と甘えたように迫ってくる白瀬を押し退けると雨乞は設置されてある時計を仰ぎ見た。時刻は十二時過ぎ、終電はとっくの前に終わっている。だが家までの距離を考えれば帰れない距離でもない。
ベッドに腰を掛けて、思案した雨乞は帰ろうと思った。身体も脳みそもキャパシティを超えて限界を訴えている。
だけどそれを白瀬が許す訳がなく、圧し掛かるような重みを背中に感じた。
「帰っちゃだーめ。一晩エッチするって言ったでしょ? まだ足りない」
「な、……ほ、他の奴呼び出せよ! お、俺はもう無理だ!」
「え〜? だめだめ。もう雨乞さんの俺のだから〜公私混同お世話してね〜、雨乞さん」
「俺の、ってなんだよ、俺のって」
「あ、なんなら付き合ってあげても良いよ。雨乞さんだから特別に〜、ね? エッチの相性も良いし、仕事の愚痴も言える。最高のパートナーじゃなあい?」
「愛は!? 愛がねえ!」
「愛はさ〜下心の後についてくるもんだって。いつか芽生えるでしょ。あ! つーか付き合ったんなら俺ん家くる? 雨乞さん家でも良いけど〜。あーでも俺ん家の方が近いかなあ? 雨乞さんどこ住んでんの?」
後ろから羽交い絞めにされて、白瀬はべらべらと雨乞の抵抗も他所に勝手に話を進めている。頭部に鼻を埋めて匂いを嗅いだり、不埒な手付きで胸を弄ったり、好き勝手し放題だ。
了承した覚えも頷いた覚えもないのに、いつ付き合ったというのだ。雨乞はがんがんと頭が痛むと、犬のように纏わりつく白瀬を振り払うようにもがいたが、もがけばもがくほどに拘束する腕は強くなった。
「いや〜付き合うとか久しぶり〜。誰かのものになるってのも、存外悪くないよね〜。あ、風俗って浮気に入る? 入んないよね? あれはやっぱたまの息抜きでさ、必要不可欠っていうか〜? うん、それは許してね」
「いやいやいや、ちょっと待て。俺は付き合うだなんて」
「後週一回は絶対会ってエッチしよーね! 俺は金曜日が良いな〜、泊まりでさあ。欲言えば日曜日まで一緒にいれるもんねえ。エッチし放題? それちょお魅力的!」
「おい! だからっ、人の話を、聞けええ!」
安いホテルの一室に響くのは無情にも雨乞の切実なる本音。だが白瀬は都合が悪いと人の話を全く聞かなくなるのだと、雨乞は理解しつつある。
雨乞の必死の抵抗も虚しく、勝手に恋人認定されると白瀬は次々と決定事項を言い渡すのであった。それからはいつもの通りベッドに深く沈められて、白瀬が望む通りまさに一晩中セックスのコースだ。
不本意で勝手ながらもこの日、雨乞はなりたくもない白瀬の恋人にされてしまったのであった。