「イチ大佐、いい加減突っ込むのも疲れてきたんですけどね。いつになったら大佐服で出勤してくれるんですか?」
「つーか聞いてくれるか? 最近ずっと悩んでるんだけどよ」
「はいはい。話なら幾らでも聞いてあげますから、まずは着替えてきてくれないですか?」
思い切り顔を顰めて精一杯の抵抗の表情を見せ付けてみるも世話役の晴れやかな笑顔には勝てず、雨乞は渋々腰を上げると一先ず大佐服に着替えることにした。
釈然としないが白瀬と恋人という関係になって数週間。有り得ない行動を目の当たりにして否定もできずにやり過ごして数週間。
流石に誰かに言いたくなってきた。これは可笑しい事態だと、由々しき問題だと。
最初は恋人が男だからとか、相手がレッドだからとか、そんなことを考慮して誰にも言えずにいた。だがそれすらも我慢ならないほど鬱憤が溜まっていたのである。
適当に大佐服を着込んだ雨乞は急いで幹部室に戻ると、いそいそと駆け回る世話役の首元を掴み椅子に座らせた。
「も〜なんですか? 僕仕事してるんですけど」
「貴様、私の話が聞けないと言うのか?」
「……こういうときばっかりイチ大佐になるのやめてください。最近この部屋では雨乞さん率が多いと思ってたんですけどね。ていうか僕にだけ態度可笑しくないですか?」
「そんなこと気にするな。で、今は暇なんだろうな」
大量の書類を抱えた世話役が暇なはずがない。だがイチ大佐モードで凄まれれば頷くしかできないのだろう。いつになく真剣な表情の雨乞に逆らえる訳もなく、世話役は書類を机に置くと渋々それに肯定をした。
「……まあ、はい。暇です。ちょっとだけ」
「良いか、今から話すことは門外不出の機密事項だ。良いな?」
「はあ……」
偉そうに踏ん反り返る雨乞を見て世話役は長くなりそうだと時計を仰いで肩を落とした。
どうやら聞いてほしい話は仕事の話ではなくプライベートの話らしい。そういうのは勤務後にお願いしたいと思っていても、大佐服を着た雨乞に世話役は勝てそうにもなかった。
仕方なく話を聞くしかこの場を脱する方法はない。まあ元より忙しい職場ではないから少しくらいさぼっていても問題はないのだ。第一率先してさぼっている雨乞こそがこの会社のナンバーツーなのだから。
小声で囁くように、だが切実なる声音に世話役は耳を傾けた。
「実はな……その、不本意ながら、不本意だぞ! 本当に不本意なんだが……恋人ができた」
「え! ……あ、おめでたいじゃないですか。なんでそんな嫌そうな顔なんですか?」
「不本意だからだ。私は付き合うと一言も言っていないのにも関わらず、相手が勝手にだな、そう勝手に! 恋人だと認定したのだ、この私を!」
「あの、ややこしいので大佐モードやめてくれます? 雨乞さんのときの話ですよね? あーなんか言っててもややこしいんですけど」
力強く演説する雨乞を宥めて、世話役は初めて大佐服を脱ぐよう求めた。イチ大佐と話していると疲れるのだ、正直。そこまで力んで言わなくてもという気分になる。
不服そうな雨乞は渋々マントを外すと、イチ大佐モードから雨乞モードになった。
「で、恋人ができたと。そしてその恋人とは付き合うって言ってないのに相手が勝手に恋人認定したんですか?」
「そう、そうなんだよ。ありえねえだろ? もうさ、正直さ、我慢できねえんだよ……毎週末家にきて日曜の夜までいるし、平日だって俺の都合関係なしに呼び出されるし、つーか待ち伏せされるし」
そこからはもう止まらなかった。雨乞は今まで溜めていた愚痴を晴らすかのように喋り出したのだ。
白瀬の非常識さというか行動の素早さというかもう全てに雨乞は辟易としていた。まず白瀬は金曜の夜から雨乞に会うと、嫌がるのも無視して一晩中セックスをする。三十路も近いのにそんな体力どこにあるのだ、とそう問い正したい。是非に。
それからだらだら雨乞の家に居座ってやれご飯だテレビだとお前は亭主関白の旦那かと突っ込みたい態度なのだ。あまつさえ雨乞の趣味であるガーデニングや家庭菜園にケチまでつける始末。
勝手にプチトマトを食べられたときは怒った。ちょっぴり泣いた。そして拗ねた。そしたらちょっとだけ優しくなったけど。
他にも時間すら関係なく呼び出されたり待ち伏せされたりしてご飯を一緒に食べて、まあ平日はセックスしないからそこまで不満がある訳ではないが、それでも雨乞にだって予定の一つや二つ、ないのだけれど。
確かに一緒にいる時間は楽しい。愚痴も言い合える。イチ大佐という立場も理解してくれているし、わかった上で話を聞いてくれる。これほどまで貴重な存在はいないだろう。
だが何故恋人にならなければいけない。何故セックスをしなければいけない。愛がないのなら、なる必要はないだろう。というより雨乞を選ばなくとも白瀬なら引く手数多だろうにどうして雨乞に固執するのかがわからない。
まあ少しは気持ち良いのだけれど。大分絆されているけれど。というよりもうかなり依存しているような気もするけど。ていうか馴染み過ぎているけども。
「あれ? なんか結構一緒にいる……よな」
「というよりそれ惚気ですか? 惚気聞かされるために仕事さぼらせられたんですかね、僕」
「ちげえよ! 惚気じゃねえよ!」
「じゃあどうしたいんですか? 別れたいんですか? 二度と顔見せんなこの勘違い野郎! きめえんだよ! 俺はホモじゃねえよ! って言いたいんですか?」
「いや、そこまで言わなくても……あれ? つーか俺男だっつったっけ?」
「思いっきり言ってましたよ。絶倫だとかしつこいとか、それにレッドの癖に悪役みたいな性格しやがってとか」
その世話役の言葉にどきりとした。そこまで言っていたのだろうか。確かにレッドとイチ大佐が恋人であることは仕事上なんの支障もないといえどもばれたとなると少々気まずいものがある。
ちらちら様子を窺うように世話役を見れば、呆れているようなどこか素っ気ない態度で溜め息を吐かれた。
「門外不出の機密事項でしょ? 別に言いませんよ。レッドとイチ大佐がそんな仲だってことは」
「ち、ちげえよ! その、……俺は認めてねえし!」
「認めてなくても認めてても僕には関係ないですしね。あ、でも面白いですよね。ネットでの調査では鬼畜大佐攻め×強気レッド受けが人気なんですよ。レッドの本性なんて僕にはわかりませんが、レッドのときは苛め甲斐ありそうな顔付きですもんね」
「それが白瀬さんすげえドSでさ……もう、もう、俺」
「はいはい。惚気は結構です。くれぐれも中佐にはばれないよう注意深く付き合ってくださいね。あの人、本気でレッド恨みそうですから」
「だからっ、付き合ってねえってば! あ、付き合ってるけど、その不本意なんだって!」
必死になって言えば言うほど世話役は真面目に聞いてくれなくなる。書類を手に取ると立ち上がり、にっこり笑って言うのだ。
「はーい。じゃあイチ大佐、仕事の時間ですのでこの書類お願いしますね」
どさりと手に掛かる書類の重み。世話役は笑顔のまま雨乞に書類を手渡すと幹部室を出て行ってしまったのである。
それからマントを着た雨乞はそれなりに真面目に仕事をこなした。途中、中佐や少佐が顔を見せにきてやいやいと会話を楽しみながら過ごしたり、レア中のレアキャラ首領がひょっこり顔を見せに帰ってきたりなど、それなりの仕事風景だ。
代わり映えしない毎日。イレギュラーな出来事も日常になればレギュラーになっていく。
今の白瀬がまさにそうだ。次第に慣れている己自身に雨乞は少しながら恐怖のようなものも覚えていたのだ。
雨乞が本気で嫌がっていないからこそ白瀬はそこに付け込んでいるのではないか。雨乞に甘さがあるから白瀬を助長させるのではないか。だからといって本気で嫌がるほど嫌ではないのが一番困った事態でもあるのだが。
うんうん唸って終業時間を迎える。今日とて真面目に仕事をこなしたといえない程度にさぼっている雨乞は、書類の進みが遅いと世話役に怒られてしまうのであった。
「ていうか帰らないんですか?」
「……帰ったら白瀬さんいるし」
「別に良いじゃないですか。つーか帰ってくださいよ。鍵閉めたいんですけど」
「ちょっとほら、あれだよ。俺だって用事あるんだぜ的なさ。振り回されてばっかってのも癪だろ? つーかなんで俺がこんな目に合わなきゃいけねえんだよ。なにしたっていうんだよ」
「というか本当に嫌ならこのホモ野郎二度とその汚ねえ面見せんじゃねえ! って言えば良いじゃないですか」
「だからそんな嫌な訳でも……いや、嫌なんだけど……嫌なのか?」
「知りませんってばもう〜雨乞さん鬱陶しいです」
終業のチャイムが鳴って三十分。大佐服からいつもの草臥れたスーツに着替えた雨乞はぼそぼそと世話役に愚痴を零すと、帰る素振りさえ見せなかった。
世話役とて暇な訳ではない。仕事は終われどまだやることはあるし、いつまでも雨乞の愚痴に付き合っている時間などないのだ。だが縋るように見つめられては適当にあしらうのも心苦しい。
「とにかく、嫌なら嫌! 良いなら良い! はっきりした方が良いです。ついでに言いますと、雨乞さんそこまで嫌そうじゃなさそうなのでこのままでも良いんじゃないですか? 良かったじゃないですか、恋人ができて」
「……ちげえだろ。ほら、普通恋人ってさ、お互いに好き合ってさ、手触れてきゃ! なんてのがあるだろ!?」
「少女漫画の読み過ぎですね。今時そんなの中学生でもありえませんよ」
「……じゃあどうしろっていうんだよ!」
「知りません。雨乞さんの自由にしてください。僕は陰ながら応援してますね」
「もうちょっと本気に考えてくれよ! 俺の人生掛かってんだぞ」
「雨乞さんの人生なんですから雨乞さんの好きなようにしたら良いじゃないですか。あ〜やばやば、僕首領に届ける書類あるので出て行きますね。これ以上いるってんなら鍵閉め頼みますけど、どうします?」
暗に面倒くさいと書いてある笑顔でにっこり微笑まれて雨乞はそれ以上縋りつくこともできず、渋々と部屋を出て行かざるを得なかったのである。
普段は人の良い好青年でも流石に雨乞の惚気のような愚痴には付き合い切れなかったようだ。
完全に行き場をなくした雨乞は、閉ざされた扉の前で呆然と鍵の掛かった幹部室を見つめるしかなかった。
「あー……帰りたくねえ……」
しゃがみこんで頭を抱える。ここ最近部屋に生息し始めた白瀬のことを考えると、足も遠退くものだ。
第一何故部屋にいる。いつの間にか合鍵まで作られ、冷蔵庫、箪笥、歯ブラシなど至るところに白瀬の所有物が増えていく現状。これでは世間でいう半同棲のような生活ではないか。
白瀬には帰る家があるというのにあまり帰りたがらないのは雨乞と一緒にいたいだけなのか、それとももっと別の理由があってただ逃げているだけで雨乞の家を避難所にしているだけなのか。
どっちにしろ迷惑な話だ。雨乞には関係がないのに、いや一応不本意ながら恋人だから関係はあるといえばあるのだろうか。それも認めた訳ではなく、勝手に認定されただけのようだが受け入れた時点で甘受している雨乞も雨乞だ。
この数日、帰った様子すらない白瀬を脳裏に浮かべて盛大な溜め息を吐いた。
「白瀬さん、いつまでいるんだろ……」
まあ確かに人がいる家に帰るのは気持ちがほっと安らぐ。明かりのない部屋に気配のない家、それが明かりのある部屋から気配がある家に変わるのだから。
白瀬の仕事の都合で雨乞の帰りが早い場合が多いが、それでも誰かがいるというのは一人暮らしの寂しさを忘れさせてくれるのだ。
だからといってそれが連続してなると、生活ペースがあまりにも違い過ぎるので小さな摩擦が生じて苛立ちを覚えることが多くなる。見るテレビ番組の内容だとか寝る時間だとか一人の時間にすることができなくなったりだとか、家庭菜園にケチを付けられたりとかとか。
やっぱりそこまで考えて幾らなんでも馴染み過ぎだろうという結論に至った。最早生活の一部と化している。
白瀬がいる生活が軸になった考え方にぞっと恐ろしくなった雨乞は、今のイレギュラーさを忘れないでいようと決心すると立ち上がった。
「イチ大佐、なにしてるんです?」
さあ帰るぞと意気込んだ瞬間出鼻を挫かれた。振り向いてみれば不審そうな表情をしている中佐がそこにいた。
今更だがあの幹部服を着ているからこそロングヘアが似合うのだ。黒スーツにロングだと、どこか如何わしい職業にしか見えない。世間から見れば不審者なのだろうか、そんなことを考えていればいつの間にか距離がぐっと狭まっていた。
「お、あ、なんだよ。ちけえな」
「あのちょっと小耳に挟んだんですけど。っていうより盗み聞きしてたんですけど」
「はっきり言うな、おい」
「恋人ができたって本当ですか? しかもそれがレッドとかなんとか言ってましたけど……冗談ですよね? まさかイチ大佐に限って我らが敵である義神戦隊ギーレンジャーのレッドとお付き合いをしているだなんて」
公私混同をするなとまず言いたい。確かに仕事上では敵だがプライベートではなんの関係もないのだ。イチ大佐とレッドが付き合っているのではなく、雨乞と白瀬が付き合っているのだ。不本意だけど。
だが鬼気迫るまさに真剣そのものの表情の中佐に頷くこともできず、雨乞はなあなあといった風に誤魔化した。
「あ〜? う、うーん、別に付き合ってるっていうか、そんなんじゃねえよ。うん」
「ですよね。お付き合いなんてしてませんよね。あのレッドとなんて考えるだけでもおぞましい出来事ですものね。嗚呼汚らわしいイチ大佐にレッド菌がうつりそうです。やめてほしいですね、そんな噂」
「はあ……」
「二人で協力してレッドを倒しましょう。イチ大佐とならば世界征服も夢ではありませんよ。そのためにも私、身を粉にしてイチ大佐をお守りしますので」
ぎゅっと握り締められた両手。きらきら光る中佐の瞳に射抜かれて、雨乞はつい頷いてしまった。
プライベートまでアークモノー団のつもりなのだろうか、この中佐。そういえば本名を知らないが、本名まで中佐だったらどうしようか。そんなありえないことを思ってしまうほどこの中佐は役柄にのめり込み過ぎていた。
いつもなら高笑いして中佐の頭をブーツの先でぐりぐりなんて非似S的なことをやってのける雨乞だが、今はただの草臥れたスーツを着たそこらにいるサラリーマン的な男なのだ。そんなことできる訳ない。
ぶんぶん振られる腕と一緒に思わずぶんぶん頷いてしまう。雨乞は中佐の揺れるポニーテールを見ながら、更に強く転職を願った。
「あ、でも恋人ができたってのは本当なんですか? イチ大佐は他の誰かのものになってしまわれたのですか?」
その言い方が気に食わない。が、どうしようか。心持ち視線が鋭くなったような気がする。
雨乞は天井を一度仰いで見てから考える素振りをすると、取り敢えず逃げることにした。
世話役には話せてもこの中佐には話せない。というより話したらなにかが終わってしまいそうな気がする。雨乞の中でも恋人と認められていない以上、口に出すのも憚られる問題なのだ。
「あ、俺帰らなきゃいけねえんだ。花って決まった時間に水やらねえと駄目なんだぜ、これ嘘かほんとか知らねえけど。じゃ!」
しっかりと握り締められた両手を振り解いて、唖然と立ち尽くす中佐の脇目を通り過ぎて雨乞は走り去った。
先程まで帰りたくないと思っていたが今は一刻も早く帰りたい。というよりここを出たい。
不自然なまでに挙動不審な雨乞は振り向かずに走り去った。それを中佐はなんとも形容しがたい表情で雨乞の姿が見えなくなるまで見つめていたのである。