秘密結社★アークモノー団 09
 世話役に相談したり中佐と話したり道草を食いながらいろいろ考えて遅足で帰った所為か、帰宅が随分と遅くなってしまった。
 外灯が蛾に集られぱちぱちと点滅する。ほうほうと鳴く鳥が見えない暗闇で飛び交い空を有している。人足は疎ら、猫の通り道をじゃりじゃり鳴らして雨乞は歩いた。
 薄暗い世界で月だけが明るく照らすそんな夜道、雨乞はこの世の不条理をぼやきながら自宅へと潔く戻り帰った。
「ただいま……」
 真っ暗な部屋、ぱちりと電気を付ける。しいんとする空間に人の気配はない。どうやら白瀬はまだ帰っていないようだった。
 アークモノー団と違って人員不足に悩まされている義神戦隊ギーレンジャーは仕事が多くてやっていられないと白瀬が以前ぼやいていたことを思い出した。
 粗方残業かなにかだろう。義神戦隊ギーレンジャーは多忙を極めていると聞くし帰宅は午前様だろうか、それとも夜明けだろうか。いや予想を裏切って早めに帰ってくるかもしれない。
 雨乞は白瀬の帰宅時間を推測しながら、夕食をどうするか悩んだ。一人で食べようか、待っていようか、作り置きしておこうか、いやいや勝手に住み着いているのだからそこまでする謂れもない。かといって用意しないまま先に寝れば白瀬に叩き起こされて作れと言われるかもしれない。
 完全に同棲している思考であれこれ思い悩んでいれば、テーブルの上に見慣れないファンシーなメモがあった。
「んだ、これ……、んん? は、ああ?」
 ファンシーなメモに似合わず連ねてある字は達者なものだ。つらつらと雨乞に対する気持ちが認められていたそれは白瀬の書置きだった。無駄なことばかり書いて最後の最後に大事なことをぽろりと書いてある。
 要約すると、暫く家に帰れないけど一人だからって浮気したら駄目だよ寂しくなったら思い出して自慰でもしてね行ってくるね、ということだった。
 ふざけるんじゃない、と沸々湧き上がった激情のままそのメモをびりびりと破り捨てると雨乞は丁重にゴミ箱へと捨てた。
 自分勝手な言い分に腹が立つ。勝手に居座って勝手に出て行くなど好き勝手にもほどがあるではないか。第一このメモ一枚で納得するとでも思っているのか。思っているのだろう。
 仕事だろうが私用だろうが関係ない。これは一度言ってやらねば気が済まない。大体雨乞は同棲を承諾した覚えはないのだ。付き合っても良いと言った覚えもないし。
 毎回毎回雨乞の意志を無視して自由奔放な白瀬は思うままに生きているがそれに振り回される雨乞の気持ちも少しは考えてほしい。先程まで白瀬の晩ご飯について悩んでいた己が馬鹿みたいではないか。
 釈然としないもやもやとしたものを抱えたまま寝るのは精神上良くないと思った雨乞は携帯を手に取ったところで、はっと我に返った。
「……白瀬さんがいないっつーことは……俺、独りな訳か?」
 そうだ、なにも怒ることではないじゃないか。誰よりも自由を望んでいたのだ。雨乞は独りの時間を望んで白瀬に訴えていたのではなかったか。
 そうなれば今の状況はかなりラッキーだ。最近できなかった独りの時間というものを思う存分咎められることなく満喫できる。いやあるべき姿になるというか、本来の状況に戻るのだ。
 これは大いに喜ぶべきことである。雨乞は頭の中でここ最近できていなかったワークスタイルを思い浮かべると、嬉々とした様子で冷蔵庫からビールを取り出しベランダへと出た。
「なにしよっかな〜」
 書置きの内容からして白瀬の帰宅は週末を越すだろう。顔を覗くこともなくなくなるということは、なにをしてもばれないということでもある。
 受身のセックスで負担を強いられていた所為でできなかったジョギングも買い物もガーデニングも家庭菜園の手入れも存分堪能できる。溜めていたDVDも消化できる。携帯だって弄っても文句を言われない。友達が少ないからあんまり弄らないけども。とにもかくにも素晴らしい平穏な日常だ。
 暫く理不尽な思いはしなくて済む。もしかしたらもう二度と戻ってこない可能性もあるから、前のような雨乞の生活が戻ってくるかもしれないのだ。
 望んでいた待っていた渇望していた、そのはずなのに雨乞は心の隅で釈然としない気持ちを覚えると必死になって否定した。けれどやっぱり、どことなく寂しい気もする。
 明かりがついていない、ただいまに返る言葉がない、おかえりを言う相手がいない。たったそれだけだ。雨乞が強いられていた生活の不便さを天秤に賭ければどうってことない些細なことなのに。
「……どこ行ったんだか」
 白瀬の言動を思い返せば白瀬はかなりいい加減な人物だ。下半身が緩いし自己中心的だし強引だし人の話は聞かないしセックスはしつこい。飽きっぽいところもある。
 だから白瀬は己の眼鏡に適う相手を新たに発見して、雨乞にしたように追っかけ回しているのかもしれない。だから出て行ったのかもしれない。適当に並べられた文字だけが真実だと思わない方が懸命だ。
 いや、なにを考えている。これで良かったじゃないか。白瀬が他に夢中になる相手を見つけたのなら万々歳だ。さっきまで世話役に言っていたことが雨乞の全てなのだ、白瀬が邪魔だから出て行ってほしいと。
 仕事にしろ私用にしろ雨乞には関係ない。これが雨乞の人生なのだ。独りで酒を煽ってガーデニングのチェックを行なう平日の夜が、本来のあるべき姿なのだから。
「……プチトマト、育ったぜ。勝手に食うからな、もう」
 指先によってゆらゆら揺れるプチトマトは、熟れており今が一番輝いて美味しい時期だった。

 陰気臭い部屋でかたかたキーボードを鳴らす音が響く。照明を点けたといえど薄暗い部屋は、照明がないとなるとまさに悪の部屋とでもいうほどに陰鬱としている。その空間で眩い光を一心に見つめる存在がいた。
 世話役はごくりと唾を飲み込むと物音を立てずゆっくりとその人物に近付く。余程集中しているのか背後に立っても気付くことがないその人はPC画面を前に唸っていた。
「……大佐、なにしてるんですか。電気ぐらいつけてくださいよ。怪し過ぎです。僕びっくりしたじゃないですか〜」
 そう言った世話役に雨乞はびくりと肩を跳ねさせると慌てて振り返った。
 いつも通りの仕事風景だった。大佐服に着替えてこの薄暗い部屋で書類整理をしたり、企画を練ったり、時折身体作りのために鍛錬したり殺陣を習ったり乗馬したりなどなど。多種多様な業務をこなしていた。
 勤勉とまではいかないがそれなりに書類整理に勤しんでいた雨乞であったが、どうしても脳裏にこびりつく存在が気になって気になって仕方がなかった。
 集中力も少ししか持続せず、直ぐに脳は染め上げられてしまう。意識しないようにすればするほど雨乞を支配していくのだ。
 気にしている己も嫌だし気にしているという事実も認めたくないが、気になるものは気になるのだ。
 だから雨乞はそれを払拭すべく綺麗さっぱり片付けようと思った。誰かにばれるのが気恥ずかしいという理由で隠れるようにして消した照明の中、疑惑を晴らすためにPCを立ち上げたのが雨乞の不審な行動の経緯だった。
「で? 隠れてまでなに調べてるんですか? 手伝いましょうか?」
「え、あ、いや……そんな大層なことじゃねえし」
「二人で探した方が早いでしょう」
 ぱちりと部屋の電気をつけて、雨乞のデスクに書類を置いた世話役はそう言ったが雨乞は困ったように顔をこちらに向けるだけ。ツーカーでも宇宙人でも超能力者でもない世話役は雨乞の表情から全てを読み取ることなんてできない。
 だらだら汗をかいている雨乞の様子に世話役は呆れ返ると、そうだろうというある意味確信している言葉を口にした。
「レッドのことでも調べてるんですか?」
「え……」
「当たりですか……でも無駄ですよ。幾ら業務提携しててお互いの会社で補助し合うよう成り立ってても経営者が違いますからね〜。まあ大本のボスは同じ人物だと噂されてますけど、一応違う会社なんですから詳しい情報は引き出せませんよ」
「……別にそういう訳じゃねえけど」
「ネットから見れる情報なんて決定されたものしかわかりませんし、メディア出演とか現場とかそんな大まかなスケジュールしかわかんないでしょう? 登録データベースもそんなに記載されてないですしね〜。というより厳密なプロフィールは本人に聞いた方が早いんじゃないんですか?」
 どかりと椅子に座る世話役に雨乞はしどろもどりになりながらも反論した。
 白瀬の素性が知りたい訳ではない。短い期間ではあるが共有した時間を振り返れば碌な男じゃないというのは嫌というほどわかっているし、今以上なにか新しいものを知りたいとも思わない。
 現場だって特別興味などないし、メディアの露出だって見たって意味がない。知りたいのはレッドのようでレッドではない白瀬のこと。
 ただ、そう現在なんの仕事をしているか気になっているだけなのだ。そう言えば、世話役ははあと大きな溜め息を吐いた。
「あのですね、HPなんか特に一般の方も見ますでしょ? 裏事情はこんな体たらくな一般企業と変わりのない業種ですが表向きは夢を与える仕事なんです。仕事内容が企業秘密なのもその事情があるからってわかってますよね?」
「おう」
「ですからHPでは現場やメディア出演しかわかりませんよ。いつ出張だとか取材受けてるとか今なにをしているとかそんな細かいこと書いたら夢が崩れるでしょう?」
「そう言うけどよ〜、現場だって計画して戦うのかよって話になんじゃん。突如街を襲う悪者を倒すヒーローってのが格好良いんじゃねえの?」
 子供のような屁理屈に世話役はがっくりとこうべを垂れた。少し馬鹿なのではないだろうか、前々から常々思っていたことだけれども。
 目の前にいるぶうたれた雨乞がよもや奥様方やお姉様方にきゃあきゃあ言われているイチ大佐だとは思えない。だが誰よりも雨乞を知っている世話役はこっそりと嘆息を吐くと、正論を述べた。
「それはあれですよ、……本物の戦いを間近で見られるっていうファンサービスですよ。生で見たいでしょう? ヒーローショーなんかより迫力あるんですから」
「でも計画性あるのってなんか嫌じゃねえか! 突拍子もねえ方がリアルじゃねえの?」
「そんなことどうだって良いんです。如何に盛り上がるか、売り上げが出るか、熱中できるか、それが全てです。世の中お金と人気がものを言うんですよ。大人はわかるでしょうがね、要は子供だけ騙せれば良いんですよ。っていうかなに言わせるんですか!」
「てめえが勝手に言ったんじゃん。ふーん、そういうこと考えてたんだ」
 にやにやにや、機嫌が良くなった雨乞は世話役を覗き込むとそんなことを言った。世話役は慌ててかぶりを振ると話を切り替えるべく言論の原点へと引き戻した。
「っていうかなにが知りたいんですか! 結局!」
「なにって……その、昨日、さ……家に暫く帰らねえっていうから、仕事かなって……どんぐらい帰ってこねえんだろって気になるだろ? 俺の平穏な生活はいつまで続くんだろうって気になってだな! あ、別にもう帰ってこねえんならそれはそれで精々するがな!」
「はあ、レッドが部屋からいなくなって寂しいんですか。じゃあ問い合わせします? アークモノー団から直々に問い合わせしたら教えてくれると思いますけど」
「……別にそこまでするほどじゃねえから良い! ちょっと気になっただけだから! そんな特別な意味とかねえし! 寂しいとか誰に向かって言ってんだよ? この俺が寂しがるなんてことある訳ねえだろ! 精々するし! あ、そうだそうだ書類溜まってたんだっけな〜……仕事しよっと」
「そうですか。……まあどっちでも僕は良いですけどね」
「良くねえ! あ、うん、仕事ね、仕事します」
 あからさまに誤魔化した雨乞の態度に思うところがあるのか世話役は呆れきった目をしていたがそれ以上突っ込まれることもなく、仕事に戻っていった。
 雨乞はといえば集中できない脳味噌でもやもやとしたものを抱えながらも無理に書類に目を通すと、未練篭った視線でPCを見るのであった。

 仕事を終えた雨乞はネオンが眩い歓楽街で足を止めると少しだけ悩んだ。急いで帰ることもない、どうせ独りなのだ。なにをしようが道草しようがなにも言われない。
 だからといっていざ意気込んでみても元々道草をするような性格ではない雨乞は、ネオン街の前で二の足を踏んでいた。
 どうせなら思い切ったことをしたい。雨乞にだって意思はある。流されて流されてここまできたが、あんな関係は不本意なのだ。雨乞は女が好きなのである。男となど付き合うなんて真っ平だ。
 まあ少し白瀬との時間が楽しいと感じていたのは否めない事実でもあるが、それは飽く迄も友情な訳であって恋愛ではないのであって。ああ、もう。考えるのは止めた。
 行動は勢いだ。雨乞は全身が心臓になったかのような気持ちで意気込むと、光で溢れる街へ一歩を踏み出したのである。そうして足を踏み入れたのが、人生で初めての風俗だった。
 耳に障りがない程度にかけられた音楽。照明は全体的に薄暗いが暖色系の色を発しているので陰鬱さはなく、如何わしいような雰囲気が漂っていた。どことなく香る甘い匂いはなんの匂いだろう。
 きょろきょろと物珍しそうに辺りを見回す雨乞は不審者のようでもあったが、根暗そうなだけで見目は良い方だ。にこやかに受付の男は話しかけると優しい声音を出した。
「お客様、当店のご利用は初めてでしょうか?」
「え、あ、は、はい。そ、その風俗自体くるの初めてで……どうしたら良いんでしょう」
「はーそうですかそうですか。当店はお客様がお好みの女の子を選んでいただくか、あ、指名になるんですけどね、当店のおすすめの女の子を当店が選ぶかどっちかになるんですけどどうされますか?」
「あ、じゃあおまかせで……」
「お時間はどうされます? こんなサービスありますがどうでしょうか? お客様のご希望にそったプレイも可能ですよ」
 にこにこにこ愛想の良い店員に幾らか気が解された雨乞は一般的な時間とプレイ内容を選択すると、指定された部屋に行った。
 部屋の中は香が焚き込められているのか良い香りがする。照明も薄ピンクで如何わしさが助長され、変な気分になる。ちょこんと座った女の子はそこまで美人ではなかったが、愛嬌がある胸の大きな子だった。
 取り敢えず男に組み敷かれていたということを忘れられればなんだって良い。そういった点を考えれば胸が大きいというのは良いかもしれない。
 雨乞は女の子にリードしてもらいながらプレイを始めた、のだが肝心の性器が全く持って反応しなかったのである。
 女の子の柔らかい身体を抱き締めれば熱くなる。良い匂いに興奮だってする。大きな胸を触ればどきどき鼓動だって高鳴るし、本番はできないといえども挿入したいという思いもあった。
 だが脳と身体は繋がってはいないようだ。セックスをしたいという願望はあっても、性器の方はそれを拒んでいるかのように少しの硬度も持たなかった。
「気にしないで。雨乞さん初めてなんでしょ? 緊張しちゃってるのよ、きっと。そういう人いっぱいいるよ」
 女の子の胸に顔を埋めながら、切ないような情けないような遣る瀬無いようなそんな気持ちになる。どうしてこんなことをしているのだろう。虚しくなってきた。
 こんなことしたからといって、なんの意味も持たない。矜持も保てない。白瀬と雨乞の関係には影響などされないのに、まるで当て付けたような行動をしてしまったことが恥ずかしかった。
 女の子に慰められながら、雨乞はぽつぽつと愚痴を零すと女の子に話を聞いてもらった。
 少しだけすっきりした。数千円は愚痴代と胸を触った代だ。言葉にすると虚しくなるのでこれ以上はやめよう。
 ありがとうございました、という受付の声をバックにネオン街に溶け込んで消えていく雨乞は数多に上る客引きの手に惑わされることもなく真っ直ぐに家へと戻った。
 雨乞の精神は至上最悪に下降している。最悪中の最悪だ。なにが最悪って女の子相手に勃起しなかったことでも白瀬がいなくなったことでも白瀬に引き摺られていることでも転職できないことでもない。
 全く持って反応しなかった性器が白瀬とのセックスを思い出した途端勃起したのが、雨乞をここまで打ちのめしたのだった。