秘密結社★アークモノー団 10
 週末は最悪だった。白瀬が帰ってこないこともあってか本来なら思う存分独りの時間を楽しむ予定だったのに、風俗の一件の所為でテンションがだだ下がりだった。
 なにをするにも億劫で、ベッドからほとんど出ないでごろごろと無駄な時間を過ごしてしまった。
 考えないようにしても考えてしまうその真実だけが今は痛い。
 雨乞だって一端の成人男性だ。いくら淡白であろうとも溜まるものは溜まる。それを処理しようと、白瀬に一泡食わせようとそうした結果があれだ。救いようがない。
 結局達することができなかった所為で欲も解消されていないし、初めての風俗体験も散々な結果に終わった。
 己への言い訳はたくさん用意した。初めての慣れない風俗で見知らぬ他人に勃起できるような強靭な精神を持ち合わせていなかった。緊張のし過ぎで勃起しなかった。風俗という場所に引け目を感じて楽になれなかった。
 白瀬で勃起したのは馴染んだ人物を思い浮かべて気が緩み、本来なら目の前の女に勃起するところを制御されてしまったため反応が遅れてしまった。
 苦しい言い訳だが己を律するのにはこれしかない。
 家に帰ってから溜まった精液を出すために自慰をしたが、もうそれはほとんど義務のような作業だった。
 ホモでもない雨乞は本来ならAVなりエロ本なりを用いて自慰をする。普通の自慰だが今回だけは風俗の一件がトラウマになってしまった所為で見ることができなかった。
 もしそれを見ても反応しなかったら? 家で気が緩んでいるのに裸の女を見ても反応しないという結果になってしまえばそれこそ終わりだ。
 ただひたすらになにも考えず手を動かして吐き出した精液は今までの中で一番気持ち良くもなんともなく、達した瞬間どうしようもない虚無感に襲われただけだった。
 白瀬から連絡がある訳でもなく、風俗なんて二度と行くかと思いながら過ごした週末。雨乞はただガーデニングと家庭菜園に時間を使い果たすと、独りを満喫することができなかった。

 週明けの仕事は雨乞の心境を察したかのように雨乞にとってラッキーな仕事ばかりだった。
 大佐服を着ていようと一人幹部室で書類整理をするだけの仕事だったら余計なことばかり考えてしまうのだ。最近なにかと素でいることも多かったため役になりきれもしなかった。
 といっても中佐なり少佐なりがいればイチ大佐になれるのだが、世話役が雨乞を雨乞に戻してしまうのだ。
 そんな状況で降ってわいた仕事は見事に現場やメディア露出のものばかりであった。
 現場は戦いばかり映しているのではない。時にはアークモノー団の内情を映したり、中佐や少佐が作戦を練っている場面を映したり、そういった悪役的裏側を公開したりもしているのだ。
 キャラに人間性を持たせ、興味を持ってもらう。悪役とて動物が好きだったり甘いものを好んだり修行をしたり、そんな普通の生活や陰ながらの努力を公開して悪役も己が正義だと知ってもらうのだ。
 最近はネット配信なんかもしており、動画サイトと提携して生放送などをやったりオフィシャルサイトで企画をやったりそれなりに露出はしている。
 もちろんラジオ、TV、雑誌にも出るし時には出張して東京以外で活躍したりもする。ある意味なんでもありなのだ。この間なんて報道番組に出演して今の政治のなんたるかを語ったりしたものだ。
 雨乞は流暢な動きで無駄のない歩き方をしてみせながら、長いTV局の廊下を世話役と共に闊歩していた。
「大佐〜次週からとうとう熱烈大陸の撮り始まりますね〜。半年に渡る長い取材ですから気が抜けませんよね〜。ちゃんと仕事してくださいね〜」
「……ああ、そうだな。我らの活動を布教するに良い番組だ」
「アークモノー団へのオファーなので首領も出るんですよ。知ってました?」
「あのお方らしい……」
「僕は出番ありませんが全力でサポートするんで大佐も頑張ってくださいね」
 何事もイメージが大事だ。堅苦しい経済番組に出演した雨乞はちんぷんかんぷんな日本の財政にわかったふりをしながら喋り、物申してきたばかりだった。
 アークモノー団は悪者とあってか義神戦隊ギーレンジャーよりはメディア露出が少ないが、イチ大佐が高い人気を誇っているのでそれなりにTV番組のオファーはくる。
 バラエティや料理もの旅ものなどほのぼのとしたものへの出演はイメージ優先のため出演することはないが、政治や報道、経済など堅苦しい番組には出演する。知識豊富だと思わせるために稀にクイズ番組にも出たりするのだ。
 そうして人気を保持してアークモノー団の教えを布教しながら義神戦隊ギーレンジャーへの思いや決意を熱く語る。
 雨乞自身それなりの大学にしか出ていないため知識が追いつかないが、そこは世話役がカバーしてくれるのでなんとかなっていた。
 ラフな格好のADや綺麗に着飾った女優などが歩く側で物々しい大佐服と全身タイツを着ながら歩く二人は傍から見れば異質そのものだが、存在が全国区で知られている今じろじろと見られることもない。
 カツカツとブーツを鳴らしながら雨乞は必死に仕事へと打ち込むのだった。
「……これからはどうなっている?」
「スケジュールですかあ? ええと、これからDスタジオにいって雑誌の取材ですね。アークモノー団の幹部室をそのままスタジオセットにしたみたいなので、表上はアークモノー団の内部に極秘潜入今一番話題のイチ大佐にゲリラ取材ってことになってます」
「ふん、良くやるもんだな。もう質問や回答は決まっているのだろう?」
「はい。待ちがあるみたいなので控え室に入ったときに資料を手渡しますね」
「とんだ茶番だな」
「それにしてもイチ大佐、今までこんなに熱心にメディア露出しなかったのに今回全部OKとか珍しいですね。プロデューサーの人、凄く喜んでましたよ。なにかあったんですか?」
 興味本位で尋ねてくる世話役に雨乞は苦いものが胸を占めるのを感じていたが、今はイチ大佐だったことを思い出すと慌ててその苦味を捨て去った。
「……気分が乗っただけだ。仕事をしている方が楽なんでな」
「へえ、じゃあ上機嫌な今に仕事いっぱい入れて良いですか? イチ大佐に出てほしかった番組とかあるんですよね〜」
「お得意のネット調査か?」
「はい! ネットがものを言う時代なんで、ネット住民に気に入られたいじゃないですか〜。高感度上がりそうなの何個かピックアップしてるので後で見てくださいね。イチ大佐、忙しくなりますよ〜」
「そうだな……。アークモノー団も悪いイメージだけではやっていけないものだしな」
「そうですそうです。それに義神戦隊ギーレンジャーがメディア露出を控えている今が一番付け込み易いですからね。ちょちょいのちょいですよ」
 朗らかに笑った世話役を背に、雨乞は小さな溜め息を吐くと忙殺されるようなこの日常を恨めしくも思うのであった。

 己で望んだ結果がこれだ。雨乞は目まぐるしく回る日々に理不尽な思いさえ抱いた。白瀬のことを考えなくて済むのには仕事しかないと至ったから仕事をした。真面目に、それはもう。
 だが実際それをこなしていくとあまりの鬼畜スケジュールに泣きたくなったのだ。
 あの薄暗い幹部室が懐かしい。移動して取材受けて移動して現場仕事して移動してTVの撮りをして、その移動さえも溜まった書類に宛がわれるのだから雨乞の自由な時間などないに等しい。
 残業だって当たり前。帰宅が午前様になることもある。雨乞がやつれていくのと同じように、雨乞が大事にしているガーデニングや家庭菜園も元気をなくしているようだった。
 そんな忙殺される仕事に耐え切れなくなったのが昨日。世話役に暫くメディア仕事はしない! と高らかに宣言すると隠居する老人のように幹部室に引き篭もったのである。
 熱烈大陸は受けてしまったから仕方ないが、24時間側にいる訳でもないのでそれぐらいなら耐えられよう。
 仕事で忙しくなる生活を送って白瀬のことを考えなくて済む作戦は大失敗だ。雨乞にはのんびりと書類整理をしている方が性に合っている。
 窓際族のような仕事量だし給料に手当てが付かなくなるが、それほど浪費家でもない雨乞は今の給料でも十分だった。
 いつものような仕事風景に戻った。世話役にぶちぶちと文句を言われながら中佐に傾倒されて、少佐と簡単に作れる男料理について語る。そんなくだらないが愛するべき光景だ。
 精神平和を取り戻したお陰か、白瀬がいなくなって一ヶ月経っていることとか風俗での一件のこととかそんな不都合なことは雨乞の脳内からすっぱり綺麗に消え去っていた。
 これが雨乞の生活、日常なのだ。イレギュラーなものに慣れるのと同様にレギュラーなものへ戻っていくのにも慣れた。
 部屋にはごろごろと白瀬の私物があるがそれも気にならない。自慰も普通に女の裸体を見てできた。不自由などしていない解放された生活。
 白瀬が戻ってこないという前提で物事を考え始めた雨乞は、いつの間にかタフにもなっていた。
 明日から念願の休みだ。久しぶりに週末を堪能することができる。今までできなかったことを思う存分楽しもう。
 夜間でも開いているスーパーで大量に食材を買った雨乞は上機嫌で帰路につくと、夢心地のまま家の鍵を開けた。今日は奮発して恵比寿ビールを買ってみたのだ。イカの塩辛をあてにちびちび飲もう。
「我らが正義〜アークモノー団〜」
 アークモノー団のテーマソングを口ずさみながら荷物を廊下にどさりと置く。郵便受けに入っていた郵便物をチェックしながらそのまま玄関に立っていれば、閉めたはずの扉ががちゃりと開いた。
 誰かが部屋を間違えたのか? そう思い振り向こうとしたその瞬間後ろから強く拘束され、驚いた雨乞は郵便物を落とすと鳴らない喉で精一杯叫んだ。
「ギャアアアアアアア!」
 心臓がばくばく痛い。なにが起こっているのかわからない。抵抗しようにも恐怖が勝ってうんともすんとも言ってくれない身体。がたがた震え出してしまった雨乞はどうする術も持たなかった。
 新手の強盗だろうか、それとも殺人者だろうか、まさかストーカー? いやいやそれはないだろう。雨乞の脳内で浮かんでは消える犯罪に慄いた刹那、からかうような嘲笑うような楽しげな声が耳元に届いた。
「た、だ、い、ま」
 一句一句間を開けて紡がれた言葉。認めたくないが耳に良く馴染んだ声音に雨乞は全身から力が抜けるとへなへなとその場にへたり込んでしまった。
「びっくりした〜? ごめんね、ちょっと驚かそうと思っただけなんだけど雨乞さんがそこまで驚くだなんて思ってなかったんだよねえ」
「お、驚くに決まってんだろ! なんだよいきなりっ! 帰ってくるなら帰ってくるって……!」
「いや〜やっと仕事が片付いてさあ、明日から念願の休み! そうなれば恋人に会いたいって思うのが普通でしょ? 俺って健気〜ちょお愛妻家じゃんね〜。寄り道もしないで雨乞さんの家にきたんだからご褒美ちょうだい」
 雨乞と同じ目線になるよう座り込んだ白瀬は癖のない雨乞の髪を撫ぜ付けるとにっこりと笑ってみせた。
 だが雨乞の心境は冗談じゃないの一点張りだ。せっかくの休日が白瀬に潰されてしまうことがこの時点で決定となった。忘れられていたのに、白瀬のいない日常に慣れていたのに連絡も寄越さずいきなり来訪は非常識だろう。
 白瀬に言葉は通じないとわかっていても流石の雨乞も怒りに達してしまう、のであるが元気そうな白瀬の姿が見られてほっとしたようなそんな安堵に似た気持ちも抱いてしまっているから大きな声で文句は言えそうにもなかった。
「……急過ぎんだよ。勝手に消えて勝手に戻ってくるとかそれが恋人に対する態度か」
「恋人、ねえ。雨乞さんもちゃんと恋人だって思っててくれたんだ〜嬉しいなあ、愛の告白ってやつ〜?」
「なっ、ち、ちげえよ! 今のは皮肉だ! そういう意味じゃっ」
「いろいろ説明してあげたいし、話もいっぱいしたいんだけどね〜、ほらやっぱり久しぶりに会った恋人がすることって一つしかないじゃん? ねえ? 俺にしては風俗も行かず右手だけで処理してたんだからさあ、ご褒美がほしい訳よ」
「それは白瀬さんの言い分だろうが!」
「だからいちゃいちゃタイムは後にしてえ、今は雨乞さんとエッチしたい。ちょおしたい。ちんこも突っ込んでほしいって言ってるもん。あ、浮気してないよね? 雨乞さんに限って浮気なんてしないよね?」
「……っていうかどけよ! ここどこだと思ってんだ!」
「雨乞さんだって身体疼くでしょ? エッチしたいでしょ? うん? したい? やっぱり〜? だよねだよね、うんうん。じゃあいっただっきま〜す」
「人のっ話をっ聞けええええええ!」
 猛獣のように襲い掛かってきた白瀬はここが玄関だというのにも関わらず、抵抗を露にする雨乞の服を引っぺがすと待てないと言わんばかりに唇に吸い付いてきた。
 久しぶりの感触。白瀬の唇、雨乞と同じ同性の男の唇だ。これを嫌だとか気持ち悪いとか思う前に気持ち良いと感じてしまう時点でもう大分引き返せないところまできているような気もする。
 上唇と下唇を軽く擦り合わせて触れるような口付け。生温かい感触と包まれるような充足感。満ち足りるような物足りないような、曖昧な感覚が徐々に雨乞の思考を鈍らせていく。
 湿った舌でなぞられた唇の淵、雨乞はゆるゆると微かに口を開閉させると自ら白瀬の舌を招き入れた。
「ん、……」
 確かめるように、慎重に中へと潜り込んだ舌は旋回するように雨乞の口の中を舐め回す。緊張の所為か乾いた喉も、キスを繰り返せば粘った唾液で溢れて耳にいやらしく響く。
 ぎゅっと白瀬の肩を強く掴んで根こそぎ奪うようで理性を砕いてはくれない、そんな焦れったさにどうしようもなくなった。
 そうだ、雨乞とて男だ。溜まるものは溜まるし、自慰よりセックスの方が快感を得やすい。だから白瀬とこうしているのも受け入れるのを甘受しているのも雨乞が快楽に弱いからだ。
 蠢く舌を絡ませて擦り合わせる。白瀬の舌の感触に酔い痴れてもうどうでも良くなる。気持ち良いとしか考えられない。
 零れた唾液が首筋にまで垂れて汗と交じり合った。殊更興奮しているのか、キスだけで白瀬はいつもより余裕がないように見えた。がっついて雨乞を攻め立てる。
 がっちりと閉じ込められた白瀬の腕の中、呼吸ができずに苦しみながらキスを受ける雨乞もいつもより興奮していた。
「は、あ……」
「やべー今直ぐ突っ込みてえー」
「な、……っていうか、ベッド……」
「駄目。ベッドまで行く時間が惜しい」
 そう言って雨乞のベルトをがちゃがちゃと焦った手付きで外すと、ジッパーをおろした。
「ちょ、ちょっと! ご飯だって食ってねえし、その……風呂も入ってねえから、……現場多かったし」
「見たよ、TV。いっぱい出てたね〜。その話は後でた〜くさん聞いてあげる。お風呂も一緒に入ってあげる。あ、でもご飯は作ってねえ」
「いやだから、汗掻いてるしきたねえ……って」
 白瀬は聞いているのかいないのか、雨乞の足首を掴んで靴下を脱がすとその爪先にちゅっと口付けた。その気障な動作にも洗っていない素足という事実にも雨乞はなにがなんだかわからない気持ちでいっぱいいっぱいになって全身が羞恥に襲われた。
「ひ……や、やめろよっ!」
「大丈夫〜、雨乞さんの匂い好きだもん」
「そういう問題じゃねえだろっ」
「全身舐めて綺麗にしてあげよっか〜? きっとよがって泣いちゃうかもね?」
「んな……」
 音を立てて爪先をねぶり出した白瀬に雨乞は渾身の力を使って抵抗を露にさせ、それだけは嫌だと拒否をした。
 汚いものが平気だといくら白瀬が言い募っても雨乞にとってそれはなによりも恥ずかしい行為である。足を広げさせられて隠れた場所を見られるよりも、なによりも、嫌だ。
 半分泣きそうになりながらも必死になってお願いした。そんな雨乞をただ黙って白瀬はにこにこと見るだけ。
「却下。ほら俺って嫌がれば嫌がるほど燃えちゃうタイプでしょ〜?」
 そんなもの知るか! と叫んだ雨乞の切実な言葉は喉の奥、親指と人差し指の間に埋まる生温かい舌の感触にぞわりぞわりと快感に近いものが背筋を走った。