秘密結社★アークモノー団 13
 前よりも早めに起きる習慣がついた。それは苦にならない程度の、ほんの数十分のことだ。
 耳元で煩いほどに鳴き喚く子猫に起こされ、寝ぼけ眼で餌を補充してやる。先ほどまでうざったいほど甘えてきたというのにも関わらず餌を与えた途端そっぽを向かれた。
 現金なものだ。こういうところは飼い主そっくりかもしれない。
 尻尾をふりふりさせながら無心にご飯を食べる姿が愛らしく、思わず手が伸びてしまったがそういえば食事の邪魔をしたら怒られるのだったと思い出し手を引っ込めた。
「……ご飯うまいか?」
 キャットフードをがりがりと食べる音が部屋に木霊する。
 今よりもずっとずっと昔、実家で犬を飼っていたときドックフードがあまりに美味しそうに見えて食べたことがあった。特別美味しかった記憶はないがいけないことをしたような気持ちにさせたことだけは今でも強く覚えている。
 キャットフードはどうなのだろうか。きっと不味いのだろうけれども、美味しそうにも見えるような気もしない。
 子猫や愛らしい動物を可愛いと思う精神をそこまで持ち得ていなかった雨乞ではあったが、こうして世話をしていると殊更可愛く見えてくるから不思議だ。
 子猫が可愛いのか、白瀬の子猫だから可愛いのか、細かいところは気にしないでおこう。突っ込んでしまえばきっと地雷になるだろうから。
「いっちゃん、俺行ってくるけど留守番頼むな」
 尻尾をふりふり振る子猫の背中を撫ぜ、雨乞は用意に取り掛かった。
 子猫がきてからというものの独り言が増えてしまった。猫相手に話しているなど少し寒いのではないだろうか。
 いやいやしかし、そうなってしまうものなのだろう。そう世話役も言っていた。
 世話役の知恵に左右されているな、と雨乞は思いながら草臥れたスーツに袖を通し出勤するのだった。

「イチ大佐、最近機嫌良いですよね」
 鼻歌を口ずさんで予算書に目を通していれば世話役が近付いてきてそう言った。手を止めて顔を上げれば嬉しそうな顔をしている世話役がいる。
 思わず俯いてしまったが、肯定しているように思えてなんとなく気まずくなった。
「……そうか? 気の所為じゃねえの」
「いや〜前なんてずっと沈んでたじゃないですか。沈んでたっていうかそわそわしてたっていうか、ねえ? なにかあったんですか?」
「別になんもねえけど」
「ええ〜? レッドとか……レッドとか、レッドとかいろいろあるじゃないですか〜」
「全部レッドじゃねえか!」
 にやにやと誰に似たのか下世話な顔になった世話役は椅子を引っ張り出すと雨乞の隣に腰掛けた。
 覗き込むように顔を近付かせ、肘でうりうりと突かれる。一体全体どうしたというのだろうか、この世話役の態度。それとも気付いていないだけで雨乞の様子に多大なる変化が起きたのだろうか。
 仕事中は気を張っているつもりだが、どうも世話役の前となると大佐に成り切れない部分があるためボロが出たのかもしれない。というか出すボロなどあっただろうか。
「っていうか僕も調べたんですよ。イチ大佐がすっごく気にしてたんで」
「……そんな気にしてねえよ。ちょっと気になってただけだ」
「問い合わせたら直ぐに教えてくれました。こういうとき業務提携してると便利ですよね〜。義神戦隊ギーレンジャーって今全国まわってるそうですね」
「ああ、なんか修行がどうたらこうたらって言ってたな……。終わったら現場の仕事あるのか?」
「企画部や営業部が忙しそうにしてましたからね。なにか大掛かりなことするみたいですよ。イチ大佐も忙しくなりますね! じゃなくって義神戦隊ギーレンジャー、三日間だけ休暇あって帰省してたそうじゃないですか」
 ぎくり、と肩が強張る。恐る恐る世話役を見れば全てお見通しのようで、数枚の紙が束になったものを取り出した。
「イチ大佐の機嫌が良くなった時期と被ってたので、どうせレッドと会ってたんだろうなって思ったら当たりだったようですね」
「……別にそれが原因じゃねえし。その、子猫預かってよ、その面倒みんのが楽しいっていうか……それだけだ」
「だから大佐のためにこれ用意しました! 問い合わせるの恥ずかしかったんですからね」
「頼んでねえよ! しかも人の話聞いてねえだろ!」
 はい、と手渡されたのは先ほどの紙束だ。なにかと思って見てみれば、義神戦隊ギーレンジャーというよりレッドのスケジュールを事細かに記載したものだった。
 どの日程でどこをまわるかから始まり、移動時間やホテルの入り、休憩時間まで記載されている。
 いくら業務提携していようと根本的には対立しているのだし、こういうのをさらっと教えるどころか世話役が入手できるなんて少々個人情報の危機管理が乏しいのではないだろうか。
 どんな反応をして良いのやら、雨乞はそれを見つめると手持無沙汰に紙束を捲った。
「それで連絡取れますね!」
「……なんか勘違いしてるだろ、てめえ。良いか! 恋人といえど愛だの恋だのはねえからな!」
「はいはい。素直じゃないんですから〜」
「ちげえってば!」
「さてと、仕事しよっかな。イチ大佐も今日中に現場部の予算決めといてくださいよ〜」
 うきうきで去って行った世話役の背中を見つめ、雨乞は紙束片手にどうしようかと途方に暮れた。
 仕事量が思ったより多かったとか絶対定時で帰れないとかそんなことはこの際どうだって良いのだ。問題はこの紙束にある。
 ぺらぺら捲って何度も読み返すが、そこに記載されている文字は変化などしない。現実だ。
 白瀬のことだ、この余った時間や余白の日に風俗なり現地の女なり男なりを引っ掛けて遊ぶのだろう。そうに違いない。そうじゃないと困る。いやそうだったら少し気に食わない。どうだったら良いのだろう?
 欲していなかった情報を手にした。だがそれは決していらなかったと言えるほどのものではない。どちらかといえば欲しかったような気もしないでもない。
 気が散って仕方がない雨乞はそれを見つめたまま、仕事も手に付かず様子を見にきた世話役にせっつかれるまでぼうっとしていたのであった。

 白瀬のいない生活にも慣れた。子猫にも愛着が沸いた。白瀬ほどではないが、雨乞にもそこそこ懐いてきたように思う。そんな中、義神戦隊ギーレンジャーの全国巡りも終止符を打とうとしていた。
 全国をまわることに慣れたのか、前半はなんだったのだと思うほど白瀬は連絡を寄越してきた。それはもうしつこいぐらいに。
 くだらない会話や子猫の近況報告、たまにテレホンセックスを強要され却下し言い合いになる。そんな電話を繰り返していた中、白瀬は唐突に明後日東京に帰ると言ったのだ。
 驚きはそれだけではなかった。その言葉の次にイチ大佐とレッドの新たな対決の話をしたのだ。
 なんでもイチ大佐とレッドの対決はいつやるのか、早く見たいという問い合わせが殺到したらしい。
 雨乞が精力的にメディア活動をした賜物なのか、元々あった人気が一気に爆発した。熱が上がったファンたちの問い合わせで回線がパンクし、耐え切れなくなった両社が急遽スケジュールを組んでしまったのだ。
 雨乞が関わる話にも関わらず、対戦相手から聞くというのはどういうことなのだろうか。細かなスケジュールは仕事場に行けば聞けるのだろうが、この話だとかなり急だからまともな練習もできないのだろう。
 一抹の不安を抱えた雨乞であったが、そこは上手く現場部がやってくれると思いたい。
 そうしてなんやかんや話をして、イチ大佐とレッドの対決が終わってから白瀬が雨乞家にくるという話で終わった。
 前回と同じで会わない期間は一ヶ月と少しだったのにも関わらず、時が早く過ぎたように思う。
 なんだかんだ電話で会話をしたし、雨乞の側には常に子猫がいた。寂しくなる要素などなかった。
 心境には随分と変化が見られたがまだ恋と決まった訳ではない。精々足掻けるところまで足掻くつもりだ。
 心地良さそうに眠る子猫を見つめて、この温もりがある生活が終わってしまうのが一番寂しいことなのかもしれないとひしひしと思った。
 ものを言わない家庭菜園やガーデニングの方が性に合っているが、動くものを愛でるのもたまになら悪くはない。すぴすぴと鼻を慣らす子猫を擽って今の内に思う存分堪能することにした。

 白瀬から聞いていた通りだった。翌日いつも通りアークモノー団へと出社すれば、なにやらかなり慌しいではないか。
 嫌な予感を拭いされないまま大佐服に腕を通し幹部室へと行けば、珍しくも中佐や少佐が大量の書類に囲まれてせせこまと事務仕事をしていた。
「な、なんだ? なにがあった?」
 思わず慄いて一歩下がった雨乞は、後ろから世話役にがっと肩を掴まれてひいと情けない声を出した。
「大佐大佐大佐ぁああ! 大変です! 現場の仕事が決まりました!」
「え? あ、そ、現場……レッドとの対決ってやつか?」
「そうです。あ、話聞きました? なんか一般の方がしつこいくらいイチ大佐とレッドの対決を所望してですね、問い合わせが殺到したらしいんですよ。それでパンク寸前までいって、切れた両社がじゃあ今度やりますって言っちゃったらしいんですよね」
「そんな理由かよ……」
「で、時期的には修行帰りが通例じゃないですか。っていうかその時期が適切っていうか。だから強くなったレッドがイチ大佐と対戦するっていう名目上の決戦で、まあ詳細は後で説明するんですけどもそれが明後日なんですよ」
「明後日!? 急過ぎねえか!?」
「ですよね〜。義神戦隊ギーレンジャーの方がレッドの戦闘シーンに力入れるみたいで、イチ大佐も見所つけたいってアークモノー団も言い出して……結構派手な戦いになるんですよ」
 世話役は抱えていた進行表を取り出すと、一つ一つ丁寧に説明してくれた。
 修行を終え一段と強くなった義神戦隊ギーレンジャーは各地で集めていた幻の力を具現化できる結晶を手に入れていた。だがそれは力が有り余り過ぎる代物で、簡単に使いこなせるものではない。
 手にしたは良いもののどうすることもできず、それを見つめて悩んでいたレッドの前に愛馬と散歩をしていたイチ大佐が登場し二人はばったりと会う。そうして力を手に入れていたレッドはこの機会を逃す訳もなく、二人は戦闘へと縺れ込むのである。
 というのが戦闘前の流れだった。
「っていうか散歩ってなんだよ。もうちょっとましな出会い方ねえのかよ」
「不良が雨の日に子犬に傘を差してやってたらそれだけで良い人に見えちゃったりする効果を狙ってるんです。イチ大佐ってちゃんと馬を可愛がってるんだ〜かーわーいーいー! そういうとこ良いよね! っていう一般人心理です」
「へ、へえ……」
「とにかく時間がないので続きは歩きながら説明しますね。今日と明日で乗馬と殺陣をマスターしてもらいますから! ちなみに火薬使うんでいつもより慎重にお願いします」
「え! むりむりむり! つーかまじでやんの!? 明後日とか無理だろ! なんでもっと早く言わねえんだよ! 前から決まってたんだろ!?」
「飽く迄予定でしたし、仮の状態でしたからねえ。本当は期間空けようとしたんですけど、義神戦隊ギーレンジャーのファンの子たちが東京に帰ってくる日程がもう直ぐだからもう直ぐやるよって突っ走ってネットで書き込みしちゃったんですよ……。それで収集つかないとこまで広まって、それがいつしか決定事項になってたんで今更期間空けるとも言い出せなくなっちゃったんですよね」
「それって会社の都合だろ! 現場に立たされる人の身にもなってくれよ」
「本当は義神戦隊ギーレンジャーも有り余った力をどう使うかっていう研究、裏事情では休暇ですね、それの後にやる予定だったんです。それで休暇終わってからばったり会って戦闘に入るっていうシナリオだったみたいで、最初はね。でもここまできたら引き返せないじゃないですか〜」
「どうにかしろよ! そんなの無理だからな! 二日しかねえんだぞ!」
「僕に言われても僕は飽く迄世話役ですから。あ、今の執事ですからっぽくないですか? あれ? 見てないんですか? イチ大佐〜そんなんじゃ若い子に遅れを取りますよってこんな話してる場合じゃないんだった! ほら、行きますよ!」
 年甲斐もなく駄々を捏ねてみたが世話役に通じるはずもなく、引き摺られるようにして雨乞は幹部室からの退室を余儀なくされた。
 雨乞が席を空ける間は中佐や少佐が雨乞の仕事を肩代わりし、アークッカーたちは自主練習や急遽決まったレッドとの対決の仕事に各部人員不足のため借り出されることになっていた。
 きらきらした瞳で少佐から応援されたり、いつも通り傾倒しまくった言葉を中佐からもらったり、挙句の果てには馬にまで意気込まれる始末だ。
 結局のところ特殊な仕事をしていても、大まかに言えば雨乞はサラリーマンなのである。会社の命令は絶対だ。というよりここまできたら逃げることもできないのだが。
 雨乞は文句をぶちぶち言いながらも、現場の仕事になれば堂々と立ち振舞ってイチ大佐になりきり、現場の成功をただひたすら願いながら殺陣や乗馬に打ち込むしかない。
 余談だが最近さぼりがちだった所為か筋肉痛と体力不足に気付かされた。思うように身体を動かせないことに愕然とした雨乞は初めて自ら進んで残業をしてしまい、拗ねた子猫にそっぽを向かれ、白瀬からは連絡をもらえないでいた。いや最後のはどうでも良かったか。