二日間、雨乞は死ぬ物狂いで頑張った。今までこれほど努力したことがあっただろうかと思うほどに耐え抜いた。
容赦のない殺陣指導も、愛馬とのコミ二ケーションも、魅せる身体作りも、全部付け焼刃だけれど。万全とまではいかないがそれなりにはできた。
疲労感で半端ない身体で立つ雨乞に慌しくメイクとスタイリストが周りをうろつく。その隣で進行表を持った世話役が最後の確認に入った。
「イチ大佐、おさらいしますね。今日の戦いは急遽入った仕事なので多少無茶なところとか無謀な節がありますが、できる限りで良いので成功させてください」
「ああ」
「テーマはイチ大佐が休日に愛馬と散歩ということなので、衣装は動きやすいものにしてあります。あと火薬使うので断熱素材入れてるんですが、イチ大佐の露出に価値があるのでお腹と足は出してもらいます。その部分は怪我がしやすいので庇うようにしてくださいね」
「私を誰だと思っているんだ? そんなヘマする訳がないだろう」
「まあそうなんですけど〜ちょっとコンディションが悪そうなので心配したんです! 急過ぎましたからね、両社とも大慌てで準備不足っていうかなんていうか……まあなにごともなければ良いんですけど」
気を取り直して説明に戻った世話役の声を耳に留めて、雨乞は鏡越しの姿を見つめた。
今回は散歩ということもあってか仮面は付けない方向になっていた。その変わりメイクが何倍も濃い。黒々しく縁取られている目元は面影すら残っておらず、気の強そうな婀娜っぽい目付きになっていた。
近くで見なければわからないが、TV映えしやすいようにと肌にも眉にも唇にも化粧が施されている。雨乞がイチ大佐へと変貌していくのが手に取って実感できる瞬間だ。
髪は片側をコーンロウで編み上げ、もう片側は胸まである数束のエクステを付けて一二本だけ紫の毛束を仕込ませてある。
肌を大いに露出している黒の衣装ではあるが、熱を限りなくカットするために断熱素材が仕込まれているし、晒されている肌には蝋が塗られてある。
今回の戦いにおいては相手方、つまりレッドが火薬を使った攻撃をしてくるのでいつもより危険度が高い仕事なのだ。
本来ならこのレベルの仕事は最低でも三ヶ月の期間を要して、用心に用心を重ねていろいろと準備するのだが如何せん急過ぎた。付け焼刃なのは雨乞だけでなく、企画部も営業部も警備部もそして雨乞を始めとするアークッカーが所属する現場部もなのだ。
皆睡眠不足で体力が落ちているが弱音は吐かない。受けてしまった仕事は、最高の出来で提供するのだ。
ヒーローが夢を売るのなら、悪は希望を売る。ヒーローが絶対善という地位を確固にするため日陰のものながら嫌われるために奮起するのだ。
主役じゃなくとも、子供に好かれなくとも、悪にも悪なりの信念やモットー、夢がある。
雨乞は鏡から目を逸らすと、世話役の進行表を奪い取った。
「あ、なにするんですか!」
「要するに馬と散歩をしている最中にレッドと遭遇。レッドが好機とばかりに変身して戦いに突入。新たな力、即ち幻の力を上手く使いこなせないレッドが暴走する。それを大佐が止めるものの深手を負ってしまい、レッドも使いこなせない力によって負傷し変身が解ける。引き分けで大佐が撤退、で良いのだな」
「まあ……そうですけど……」
「取材はどのくらいきている? 一般人の観覧はあるのか?」
「取材陣は一社のみの独占生放送です。急だったんで一社にしか電報を打ってないんですよ。まあ企業側の作戦なんですけどね。世の中マネーですよ、じゃなくって、ああ、その一般人の観覧はなしです。今回危険な戦いなのと大佐人気が沸騰ということもあってね、一般の方に怪我負わせたら洒落にならないので戦いはあると銘打ちましたが時間や日時までは発表してません。TV放送の方も急遽特報ってことで放送するので直前までわからない仕組みになってます」
進行表を世話役に返し、雨乞は深く空気を吸って吐いた。ロケバスの外がざわざわと煩い。本番が近付いている今、時は刻一刻と迫っている。
世話役も雨乞に説明をし終わると現場部の責任者と最終打ち合わせに入り、まさにレッドとの戦いが今始まろうとしていた。
「イチ大佐〜! こっちの準備は整いました! カメラも待機しています! 準備はOKですか?」
世話役の声に雨乞はマントを翻して頷いた。
「ああ」
カツリ、と床を鳴らしたヒールの音。側には陶酔し切った目で雨乞、イチ大佐を見つめる中佐。
「我が愛しのイチ大佐、どうかご武運を。私めは貴方様のご勇姿を見ているだけしかできませんが、貴方様のお力になることができませんが、勝利を願っておりますのでどうか無事に帰還してください」
「愚かな……。まあ良い……私の姿、網膜に焼き付けておけよ」
「はいィイイイイ! しっかりと! 網膜どころか細胞にまで焼き付ける所存でございますううううう!」
はあはあと上がった息を出して悶絶し、なにかを勘違いしている中佐を通り過ぎた雨乞はロケバスを降りた。
愛馬が雄々しく啼いている。その顎を黒で彩られた指先で擽り手綱を握って一歩を踏み出せば、雨乞は完全にイチ大佐へと変身を遂げるのだ。
数十分のためにアークモノー団や義神戦隊ギーレンジャーが身を削って築き上げたものの成功を願って、雨乞はカメラの向こう側の世界へと足を踏み入れた。
木漏れ日が眠気を誘う午後下がり、イチ大佐は愛馬を率いて森の中を歩んでいた。パッカラパッカラ、黒馬が立てる足音だけが木霊する中、不穏な気配を感じ取ったのか黒馬は角を上げるとぶるると雄々しく鳴いた。
「どうした? 気に召さないか? お前の好きそうな場所ではないか」
黒馬の顎を擽りあやしてみるものの、警戒心を強くさせて鳴くばかり。イチ大佐もその正体に気付いたのか、一点を見つめるとその気配を持つ男が現れるのをひたすらと待った。
数秒の出来事だったか、木々の間から姿を見せたのは人間の姿であるレッドだ。なにかに迷っているのかやつれたその様はとてもじゃないがヒーローのものとは思えなかった。
「お前はっイチ大佐! どうしてここにいる! まさか悪さをしにきたんじゃないだろうな!」
「貴様こそこの場所でなにをしている。変身もしないまま私の前に現れるなど私もなめられたものだな」
「俺は……、っ! 丁度良い、ここで会ったが最後! 俺と勝負をしろ!」
「ふん、度胸だけは一人前だな。許可しよう。私に勝負を挑んだことを後悔させてやる」
黒馬の頬に口付け、不敵に笑ったイチ大佐にレッドは一瞬躊躇いを見せたもののかぶりを振ると決意を固めた。腕に取り付けられた変身時計を掲げると決め台詞を叫ぶ。
途端レッドは眩いほどの光に包まれ、一瞬の内にヒーローへと変身をした。真っ赤な衣装とフルフェイスに覆われたレッドの表情までは伺い見ることはできないが、一筋の迷いがあることだけは明らかだった。
興奮していきり立った黒馬を宥め一歩引かせたイチ大佐は腰に差していた剣を素早く頭上に掲げると口端を上げた。
「さあどこからでもかかってこい。今日はこの魔剣で勝負をしてやろう」
「その余裕も最初だけだと後悔させてやる! 世界の平和は義神戦隊ギーレンジャーのレッドが守るんだ! お前の好きにはさせない!」
カキィイインと剣同士がぶつかり合う音が共鳴して森に響いた。戦いの空気を感じ取った動物はいち早く危険を察し、鳥は遥か頭上へと飛んでいく。
両者引きもしない強さと速さで繰り出す攻撃はほぼ互角といえよう。修行を積んだレッドはこの間とは打って変わり、格段に強い力を身に付けていた。
イチ大佐は手加減して魔の力を封印していたがその余裕すらなくしてしまいそうだ。小さく舌打ちしたイチ大佐は強い攻撃でレッドを押すと、距離を取って呼気を整えた。
「ほう……流石修行してきただけのことはあるな。だがこれならどうだ? 貴様もこれには適うまい」
美麗に微笑んだイチ大佐は掌に紫がかった透明の光を集めだした。魔の力だ。
イチ大佐同様小競り合いに息の上がったレッドはそれに対して一瞬戸惑いをみせると、躊躇いながらも懐から透過したエメラルドグリーンの結晶を取り出した。
「本当はこんな力に頼りたくねえっ、自分の力だけで倒したい! まだ使いこなせてだっていないし、どう使うのかもわからねえ! でも、でもっ、頼む! 俺に力を貸してくれっ!」
叫んだレッドの気持ちに共鳴したかのように結晶はどくん、どくんと鼓動を刻むと自ら光りだした。その姿にイチ大佐は掌に集めていた力を解くと瞳孔を大きく開く。
「貴様っ、その結晶は……っ! どこで手に入れた! それは、その結晶はっ!」
「これでも食らえええええええ!」
眩い光を帯びた結晶を剣に融合させ突進してきたレッド。その瞳は黄緑を帯びて我を失っているようにも見えた。
完全に力に支配されている。あの結晶にとり憑かれてしまったのだ。
イチ大佐の力を持てばあの巨大な力を抑えることは容易に過ぎないことだ。だがあまりに巨大過ぎる力は抑えるのが精一杯で攻撃まではできない。ましてやレッドの自我が失われた今、周りに多大な影響を及ぼすことは明らかだった。
イチ大佐一人ならば、後ろに黒馬さえいなければ、躊躇うことなく力を発揮できるのに。
それにこの瞬間にレッドを失ってしまうことほどつまらないこともない。飽く迄レッドとの戦いなのだ。自我をなくしたレッドを倒したところでなにになろう。
あの自信に塗れたレッドの瞳を感服に染めるまで気が済まない。
「レッド! 貴様それ如きの力に支配されて私を倒すと言うのか! 貴様の信念とはこんなにも脆いものだったのか!」
右手を前に突き出して巨大な防護壁を立てる。力を吸収するそれはレッドの剣を受け止めると、みしみしと軋んだ。
「お、俺はっ!」
「私に勝負を挑むのなら貴様自身の力で戦え! 今の貴様は相手になるどころか私の前に立つ権利すらない!」
「く、くそおおおおおお! 俺は、……っ! 俺はレッドだ! 義神戦隊ギーレンジャーのレッドなんだ!」
迷いを振り切って剣を大きく奮ったレッド。我を取り戻したその瞳には生気が戻り、暴走していた力はぶれ始め巨大な渦を巻いた。
寸でのところで抑えていたイチ大佐の防護壁がひび割れていく。巨大な力が爆発を起こし、たくさんの火の粉が宙を舞う。結晶はレッドの剣から弾き出されると散り散りに飛んで破片となり粉砕した。
辺りを襲った大きな爆発はレッドを後方へと吹き飛ばし変身を解かせた。イチ大佐も背後を庇った所為か防護壁が壊れるやいなや体勢を崩し、腹部に大きな傷を負った。
パチパチと火の名残が風に乗って熱風を送る。満身創痍に陥ったレッドはぶれる視界のまま立ち上がるとふらつく身体を押さえてイチ大佐を見やった。
「なにが、起こった……? あの、結晶は、力は……なんだ」
どしり、と壁に凭れ掛かったレッドに対しイチ大佐は腹部を押さえると黒馬に跨り荒げた息を吐いた。
「あれをどこで手に入れた」
「わから、ねえ……覚えてない……」
「強大な力を手に入れるのには犠牲が必要だ。ものに頼ろうとしている今のままじゃ貴様は絶対私に勝つことなどできん。時に我を支配されそのまま乗っ取られる場合もある」
「……お前はどうしてあれに詳しい。なにか知っているのか? それに、俺を、助けただろう」
「図に乗るな。貴様を助けたんじゃない。私はこの愛馬を助けたのだ。勘違いはよしてもらおう」
「……勝負はお預けだ。今度会ったときこそ絶対にお前を倒してやる。強くなって、アークモノー団を倒して、世界に平和を取り戻す!」
「ふん、精々頑張るんだな。貴様の息絶える姿を楽しみにとっておこう」
ハッ、と声を出したイチ大佐は黒馬の手綱を引くと颯爽とこの場を後にした。取り残されたレッドは痛む身体を押さえ込むとびりびりと痛む掌を見つめる。
あの結晶を剣に取り込んだ瞬間からの記憶が曖昧だ。なにかに支配され操られていたようにも思う。正義の力とは到底思えない禍々しい結晶だった。取り入れた途端レッドがレッドではなくなった感覚に襲われたのだ。
強大なる力を手に入れるのには犠牲が必要とイチ大佐は言った。もしあのままであったら、レッドはどうなっていたのだろうか。
見えない恐怖に戦慄いたレッドは強く拳を握ると木を殴りつけた。
「くそう! 強くなったと過信していただけだ、俺は!」
先急いだ結果がこれだ。目先のことに捕らわれて不用意なものに手を出してしまった。
悔しさに塗れたレッドは更なる決意を固めると、この悔しさをバネにもっと強くなることを誓った。力だけじゃない、心にも、精神にも鍛えが足らない。精進すべきは腕ではなく心なのだ。
あの結晶の謎もなにもかも解明された訳ではなかったが、レッドは新たな誓いに己を奮い立たせたのである。
爆発があった森は焼け爛れた痕跡を残したものの、いつも通り木漏れ日に包まれると静かに静かに存在していたのである。
こうして付け焼刃ではあったものの、レッドとイチ大佐の再戦は失敗もなく表面的には大成功といえる形で幕を降ろした。
「救護班いますか! 怪我人出ました! 火傷です!」
アークッカー数人に抱えられてロケバスに入ってきたのは雨乞だ。身体を折るようにして腹部を押さえていた。
「た、大佐っ! 大丈夫ですか!」
「ああ……ちょっと、受身しくじった……」
短くなった息を吐いて椅子に腰掛けた雨乞の腹部には火傷と破裂傷だろうか、赤くなって血が滲んでいた。大怪我ではないとわかっていてもその痛々しい傷に世話役はおろおろすると雨乞の周りをうろちょろした。
カメラやロケバスから見ていた分にはなんの落ち度もなかった。完璧に見えた。
だが現場、対決の場では雨乞が怪我を負ったのは歴然だった。
レッドも気付いていたが、二人とも義神戦隊ギーレンジャーのレッドとアークモノー団のイチ大佐なのだ。演技とはいえ、偽りとはいえ、なりきっているのであれば最後まで突き通すのがプロである。
実際に怪我を負ったお陰で演技にも真剣さが出たし、そこまで深い傷ではないから雨乞自身はこれで良いと思っていたが、外野が黙ってはいなかった。
明らかな失敗なのだ。付け焼刃で大掛かりな戦闘を組んだことが怪我を招いた。雨乞が演技のプロなら、戦闘やセットを組み立てるものもプロの仕事。失敗は許されなかったのである。
「け、怪我は! ああ! ち、血が!」
「大袈裟だっての……直ぐ治るって、こんなの」
手を退けて己で傷の確認をする。現場の仕事を終えた後ということもあってか痛みはない。寧ろ興奮しているので気分が良いくらいだ。
それに怪我を負ったと気付いたときのレッドの表情の変化が面白かったので、良い思いもさせてもらった。仮面を取った際、表情こそレッドのものだったが瞳が白瀬に戻っていた。動揺していたのである。
白瀬でもあんな顔をするのだな、としみじみ思っていれば青い顔をした救護班が慌しい中佐を引き連れやってきた。
「い、い、い、い、い、い、イチ大佐ァアアア! な、な、なんと嘆かわしい! お労しい姿、この中佐、腹を切って償いまする!」
「お、おい落ち着けよ」
「きええええええっ! 血がっ血がァアア!」
一際高く叫んだかと思えば中佐は白目を向いてその場にバタンと倒れてしまった。一瞬の間があって、救護班は雨乞と中佐を見比べて困ったような顔をする。
「……先に中佐をどうにかしてやれ。俺のこれはなんとかするし、世話役もいるからよ」
「は、はい!」
中佐が倒れたことで逆に皆冷静になれたのか、その後はスムーズに事故処理を終え、雨乞の傷も世話役が治療したのでことなきを得た。中佐だけは目を覚まさずずっとロケバスの隅でうんうんと唸っていたが。
TV中継も大成功だった。一社独占生放送で事前告知なしの特報ということがあってか視聴率は過去最高を記録した。ネットも大盛況、イチ大佐とレッドの人気も更に沸騰したとのことだ。
だが幾ら付け焼刃といえどもイチ大佐が怪我を負ってしまったことは紛れもない事実なので、アークモノー団としての仕事は不発に終わった。やる気や士気は上がったが。
こうして雨乞、イチ大佐は怪我をした所為で暫く現場仕事を退かなくてはならなくなり、謹慎という名目の休業に入ることとなった。といっても元々戦闘の現場仕事はあまりしていなかったから然程影響はないのだが。