秘密結社★アークモノー団 15
 手当てされた雨乞を乗せて、ロケバスは瞬く間にアークモノー団の本社へと戻った。
 全国生放送となればファンの行動は驚くほど早い。ロケ場所がどこであろうと必ず居場所を突き止め追っかけにやってくる。そうなればジ・エンドだ。
 帰ろうにもファンが大事なため、ないがしろにできず足止めを食らってしまう。雨乞が怪我をしている手前それは避けたかったので、アークモノー団はいつになく一丸となると義神戦隊ギーレンジャーが驚くほど一瞬で撤収作業を終え挨拶もそこそこに引き上げたのである。
 法定速度ぎりぎりでぶっ飛ばし、本社へと急ぎ戻ってから待機していた医療班に再度診察を受けた。こういった職場故に医療班は常に待機している。病院に行く手間が省けるので好評なのだ。
 雨乞は衣装とメイクをそのままに、腹に巻かれた大袈裟な包帯を撫ぜて廊下を世話役と歩いた。
「定時までまだ時間ありますけど今日は帰っても良いそうですよ。明日も大事を取って休みなんでゆっくりしてくださいね」
「え、それって有休?」
「違います。会社から特別休暇です。怪我しちゃったんで」
「つか大袈裟過ぎねえ? 掠り傷だってのによ」
「まあ大佐は愛されてますからね〜。それに傷は男の勲章って言いますけど、大佐を傷物にしたらそれこそ一大事ですから!」
「あ、そ。……つか会議とか出なくて良い訳? 反省会的なさ〜、あとメイク落としたいんだけど」
 肌に残っている慣れない化粧の感覚が雨乞は苦手だった。現場でイチ大佐として働いているときはそれほど気にならないものだが、雨乞に戻りつつある今は違和感が拭えない。
 男の性で産まれてきている手前、そうそう化粧をする機会もないので苦手なのは当たり前なのだが。
 硝子に映るイチ大佐そのままの姿に雨乞は改めてメイク技術と衣装の凄さを実感すると、幹部室へと戻った。
 生放送なり録画なりで現場の仕事をしたら必ずといって良いほど出待ちのファンがいる。ファンを大事にしているしそういった子たちと触れ合うのも仕事なのだ。足止めはされるが宣伝したり高感度を上げたりする。
 運が良く出待ちの子がいなかった場合は本社へと戻る前にロケバスで衣装を脱いだりメイクを落としたり談笑したり、和気藹々としてから帰るのでとんぼ返りをしたということがいまいち妙な気持ちにさせた。
 それに今更だが、現場仕事の形態をちょっとは見直すべきだと思っている。
 大本が一緒といえど敵対している義神戦隊ギーレンジャーとリハーサルなり打ち合わせなり、そういったものをしないからこそ練習に打ち込むことができるがぶっちゃけ本番が多いのでアドリブも多い。
 殺陣をするのだから相手と打ち合わないと息が合わないのだ。最も雨乞が相手をするのはレッドばかりなので、慣れたのだけど。
 今日の雨乞は練習不足や付け焼刃で散々だったが、レッドもそうだったのだろう。いつもより剣の動きに鈍みがあった。全国から帰って即現場仕事となれば疲れも取れないはずだ。
 軽症とはいえあちら側には嫌な思いをさせてしまったな、と思いつつ雨乞は己の椅子に座るとどっと大きな溜め息を吐いた。
「それにしても疲れたな……」
「珈琲飲みます〜?」
「ああ、頼むわ」
 嬉しそうに給湯室へと駆けていった世話役を見ながら、雨乞はデスクに置きっぱなしにしてあった携帯を手に取った。
 本日本社へはタイムカードを押しにきただけだ。それに慌てていた所為か私物は全てデスクの上に置いたままになっていた。
 友達の少ない雨乞だからそうそう連絡はきていないと思うがそれでも気になってしまうのは人の性か。どきどきしながら携帯を手に取れば尋常ではないメールの数と着信の数で溢れ返っていた。
「え、……なんじゃこりゃ」
 迷惑メールかなにか、どこかに番号が流出したのだろうか。気味が悪いと思いつつも見てみればそれは全てレッド、白瀬からだった。
 内容は全て戦闘中の怪我のことばかり。大丈夫だの看病するだの家に行くだのなんだの、それはもうストーカー並である。
 内心どん引いていた雨乞だったが元々白瀬がくる予定だったためにそこまで慌てる内容でもない。ただ会えば鬱陶しいことになるのは確実だが、この怪我を印籠代わりに我儘を言ってみたりとかできるかもしれない。
 思わずニヤケ面になった雨乞は気分が上昇していくのを実感しながらメールの返信を打とうとした。が、大袈裟な音を立てて開いた扉にびくっと肩を震わせてしまった。
「大佐ァアアアアアアアア!」
 頭に軽く包帯を巻いた中佐が驚きの速さで駆け寄ってきた。はあはあと息を切らせて足元に正座した姿を、雨乞は呆然とした面持ちで見つめた。
 携帯を持ったまま固まってしまった雨乞に、なんと中佐は土下座したのだ。
「申し訳ございません!」
「え? え? 中佐なんかしたの?」
「私めが付いておきながらイチ大佐にそのような大怪我を負わせたこと、一生をかけて償う次第です!」
「いや、つか、あれ、大怪我って……一週間もしたら治るんだけど……しかもそんな一生とかいらねえよ」
「流石イチ大佐! 謙遜なさるとはその寛大なお心にこの中佐、涙が出そうです! 大佐! 一生貴方様にお仕えいたします!」
「はあ……そう……」
 相変わらずの有様だ。一回中佐の脳味噌を開いて見てみたいものだ。公私混同というかなんていうかもう。
 うっとりと足に頬ずりしながらその場に居座る気満々の中佐に雨乞は足を振り払おうとしたが、この中佐はへこたれないのがある意味強いところでもある。
 どうせ振り払ってもまたくっついてくるのだろう。そう思うとくっついたままでも然程影響はないので世話役が戻ってくるまでこのままにしておくことにした。
 メールの画面を開いて白瀬に返事を打つ、としたところでまた中佐が立ち上がりそれを阻止された。
「大佐! そのメール、レッドからですか?」
「……あ?」
「レッドとお付き合いをしているようですね。イチ大佐、この私に隠し事をするなんて……残念でならないです。とても悲しいです」
「は……え? なんで、知って、んの」
「監視してましたから!」
「ストーカーかよ! おいい、どっからどこまで見てたんだ!?」
「あそこからそちらまで全てです! イチ大佐のことで私が知らないことなどなにもありません! イチ大佐、残念ですが貴方様の全てを私は知っているのです!」
 自信満々に言い切られて雨乞は二の句も継げられず口篭った。一体この中佐はどこまで己が中佐でい続けてられると思っているのだろう。
 というか雨乞は本来イチ大佐じゃなく雨乞という人間な訳で、イチ大佐というのが演じている方なのに。
 中佐は片膝を付くと雨乞の手から携帯を取り上げ、そっと電源を落とした。
「あっ! ちょ、ちょっと! なにしてんの!?」
「私は反対です! レッドと付き合うだなんて……イチ大佐、貴方様がどれほどの禁忌を犯していると知っていての行動ですか?」
「き、禁忌ぃい!? 男同士? あれ? つーか付き合ってるって認めた訳じゃねえし!」
「身を委ね、レッドによって穢された清き身体はもう元には戻りません!」
「穢されたって……そういうこと直接表現で言われるとちょっと嫌なんだけど」
「イチ大佐!!!!」
「はいいい」
「我らはアークモノー団! 永遠の悪役です! 決してヒーロー、義神戦隊ギーレンジャーとは相容れないのです! レッドは敵です! なのにどうしてそのような裏切りを……!」
 今にも泣き出しそうな面持ちで雨乞の両手をぎゅっと握り締める中佐に、雨乞はほとほとと呆れた。
 電源を切られて床に放置された携帯も、ストーキングされていたことも、いちいち口煩いところも、劇調なところも、なんだかどうでも良くなってきた。
 中佐を早く夢から覚ましてあげたい。現実は雨乞もレッドも中佐も世話役だって首領だって、会社を出ればただの人間でそこらに歩いている人と全く同じだということを。
 未だにぐちぐちといろんなことを喋り続けている中佐の言葉を右耳から左耳へと流していれば、雨乞仕様に甘く淹れた珈琲を持った世話役がやっと戻ってきた。
「あれ〜? 中佐なにしてるんですか? またイチ大佐のストーカーですか?」
 縋るように雨乞に寄っている中佐を、世話役は足蹴にすると雨乞のデスクに珈琲を置いた。
「僕お手製のモカチーノで〜す。疲れた身体をリフレッシュ! みたいな? まあ甘いのでほっとしますよ」
「あ、ああ、ありがとうな」
「中佐! っていうか大佐は怪我したんで早上がりですけど、中佐は反省会に出席しないと駄目でしょうが! なにしてるんですか? こんなとこで道草してないで早く会議室に行ってくださいよ」
「そんなくだらないものに参加している暇などない! のだよ。特に君、大佐にレッドという虫が付いたのを知っておきながら何故バルサンを焚かない! 何故許容している! ああ! 嘆かわしい!」
「いい加減そんなこと言ってないで仕事してください。イチ大佐とレッドが付き合ってるんじゃなくって、雨乞さんと白瀬さんが付き合ってるんです」
「そんな屁理屈を言うのはやめたまえ。ふん、まあ良い今後この私がいる限り私自身がバルサンとなってイチ大佐の身をお守り致します! もう安全ですよ! レッドなどという害虫には近寄らせません!」
 高らかに宣言した中佐を見つめながら、雨乞はモカチーノを啜った。口内にじわりと広がるエスプレッソとチョコレートとミルクの味が混ざり合って深く染みいたる。
 甘ったるい、非常に甘ったるいが疲れている今その甘さが雨乞をほっと落ち着かせた。
 着替えなくてはいけないしメイクも落とさないと駄目だ。このままじゃ帰れない。ああでも面倒くさい。この甘くて温かいものを呑んだら直ぐに眠ってしまいたい。
 怪我とかどうでも良いんだ。直ぐに治るし女じゃないし掠り傷だし。そんなことよりここ最近激務だったから、温かくて柔らかくてふっわふっわな布団に埋もれて何十時間も睡眠を貪りたい。
 嗚呼、そうだ、まだ子猫もいた。子猫と一緒に暖を分け合うのも悪くないな。
 なんていろいろと幸せなことを考えていた雨乞は、中佐と世話役がぎゃあぎゃあ言い合っているのをのほほんとした気持ちで見つめていた。

 あの後、モカチーノを飲んだ雨乞はついうとうととしてしまったが世話役に叩き起こされ、助けを乞いながら衣装を脱いでメイクを落とした。
 イチ大佐という悪役になりきっていた己が、雨乞へと変化していく瞬間だ。
 いつもの草臥れたスーツに艶のある黒髪、顔色が悪くて今にも死んでしまいそうな面持ちをしている雨乞の姿だった。
 帰るのが非常に面倒くさい。布団でも配達してここで寝ようか、などと考えていた矢先どこから出てきたのか世話役に追い出されたはずの中佐が現れて否応なしに雨乞を送ると言った。
 今回雨乞が怪我を負った原因は付け焼刃の現場と、雨乞の怠慢、レッドの鈍さ、が上げられる。が、結局のところ雨乞は雨乞自身が悪かったと思っている。
 だから中佐には全く持ってなんの係わり合いどころか関係もない。責任を負うこともない。なのに中佐は己の責任だといって譲らない。
 半分、というよりかなり無理矢理にいろいろな理由をこじつけると雨乞を連れて車を発進させたのである。
 車内では未だにレッドに対する不満と如何にイチ大佐が崇高かを延々と説かれ続け、明日は有休を取ったので怪我が治るまで世話をすると言い出し、ストーカーはやめろといえば趣味ですとか訳のわからない答えを返される。
 やっぱり中佐は群を抜いて変人だと改めて思った。
 確かに雨乞も白瀬との付き合いを認めている訳じゃないけれど、反対されると別に良いだろという気分になってくる。誰に迷惑を掛けている訳でもないし、それなりに楽しいし。
 身を焦がすだとか胸が痛くなるだとかきゅんきゅんしちゃ〜うだとかそんな甘酸っぱいような恋ではないけれど、一緒に笑い合ったり時間を共有したり楽しいと思ったり、そう思うことだって一種の恋かもしれないではないか。
(え? 恋? え? 今恋って思った? いやーいやいやいや、ないない、ないだろ、ないって、ないでしょう、ないよね?)
 うんうん唸った雨乞はそれが限りなく白に近い己の出した答えだとわかっていても、やっぱり最後の一歩を踏み出せないまま迷っているのであった。
 そうして中佐が独り延々と喋り続け、雨乞が独りうんうんと唸っている中、車は雨乞が住むマンションへと到着した。
「着きましたよ! 大佐」
「いやもう大佐じゃねえし、雨乞で良いよ。っつかさ、ほんとに俺のストーカーしてたんだな……」
「そんなイチ大佐にお褒めいただくなんて……光栄です! 有難いお言葉胸に一生留めておきます!」
「褒めてねえよ」
 マンションの所在地を教えてもいないのに一回も聞くことなく辿り着いた。これは正にストーカー賜物ってやつだろう。まあ相手が中佐だから雨乞も放置しているのだが、これが見知らぬ他人だったら怖い話だ。
 どこかの国の王子のようにエスコートをされ車を降りた雨乞は、冷静的に置かれた状況を見てくすりと微笑んだ。執事と王子みたいだ。全く持って悪趣味だが。それに付き合う雨乞も大概か。
 もう中佐にはなにを言っても聞かないのだ。これは気が済むまで好きにさせよう。なんてのほほんと考えていた雨乞だったが、エントランスに佇む姿を見て血の気がサーッと引いていった。
「や、っべ……」
 そういえば、そういえば、だ。すっかり忘れていたが今日は白瀬がくるのだった。尚且つ久し振りと言うこともあってか白瀬の性欲だって溜まっているはずだし、白瀬の爆発で怪我をしたし、なんだかいろいろと相俟ってとにもかくにも絶対にくると言っていたのだ。
 白瀬のことだ、鬱陶しく雨乞の世話を買って出る癖に途中で雨乞に甘えてあれやってこれやってとべたべた引っ付いて回るのだ。そうして頃合を見つけて襲い掛かる、と。まあいつものパターンだな。
 そう、白瀬がくる。それを忘れていた。尚且つ携帯の電源は切りっぱなしだ。連絡をしていない。そうなれば白瀬だって心配はするだろう。白瀬も腐っても人間だ、普段連絡をしたら必ず返す雨乞から帰ってこないとなると怪我の病状がよろしくないと勘繰ってしまう可能性もあるではないか。
 珍しくも青褪めた表情で佇む白瀬の姿に、雨乞は生涯体験することはないだろうと鷹を括っていたきゅんという感情が芽生えてしまったのである。
「あ、……白瀬さ」
 と、雨乞が発する前に白瀬を見つけた中佐はいきり立つと白瀬の方へとつかつか歩いていってレッド! と高らかに叫んだ。
「は? え? あれれ〜? え? 雨乞さんなにこれ? どっきり?」
「……なんつーか、同僚兼ストーカー兼護衛みたいな……かな」
「この中佐がいる限り大佐には指一本触れさせません! レッド、ここであったが百年目! 覚悟しろ! と言いたいところですが、私イチ大佐の看病をするという大役があるので今日のところは引き下がりましょう」
「えええ! 俺がするの! お前がしちゃ駄目だろ! ってゆーか俺の仕事だし!」
「ハッ! おこがましい! 貴殿がイチ大佐に触れるなど言語道断! お付き合い、決して認めません! この私の目が黒い内は絶対許しません!」
「ばっかじゃねえの、ってゆーか俺彼氏だし? 彼氏!? あ、彼氏ってなんかちょお良くない!? 発音的にさあ、市は俺の彼女だからなんつって! ちょ、いけてるじゃん! それ良い!」
 食い違う喧嘩のような口答えのような主張のようなそんなやり取りを見つめながら、雨乞はううんと頭を抱えた。
 今体験しているのは一体どんな状況なんだろうか。正直もうなんだって良いから、寧ろ独りで良いから部屋に帰って子猫に癒されてふかふかのベッドで惰眠を貪りたい。
 だけどエスカレートしていく二人の言い合いに、雨乞は戻るに戻れない状況になっていた。