秘密結社★アークモノー団 16
 ぴーちくぱーちくと言葉が飛び交う。噛み合っているようでまるで噛み合っていない言い合いに、雨乞は二の足を踏んだままなんの打開策も思い付かなかった。
 白瀬と約束とまでは行かないが、くるのを了承していた手前中佐を言いくるめて帰すのが最善策なのだろう。けど今の状況を考えれば中佐がすんなりと帰る訳がないのはわかっていた。
 相も変わらずどっちが手当てをするかなどと言い合ってはいるが手当てするほど怪我などしていないし、なにより先に雨乞はご飯が食べたいのだ。
 イチ大佐の衣装は露出があるために身体のラインを綺麗に見せなければいけない。故に食事をあまり取れなかったので、究極にお腹が減っている状態でもある。
 もうなんだって良いから部屋に入りたい。深く吐いた溜め息と重なって、雨乞の身体に白瀬の手が伸びた。
「だから〜、今日約束してたっつの! 普通に考えて約束優先じゃね? しかも俺は彼氏だし〜」
 そう言うなり雨乞を腕の中に収めた白瀬は、中佐に勝ち誇った顔を見せると距離を引き離した。
「レッドの癖にイチ大佐に触るなどおこがましいにも程がありますよ! 今直ぐその汚らわしい手を離しなさい。イチ大佐が汚染されます!」
 面白くないのは中佐だ。白瀬に対抗しようといつも以上にむっつりと顔を顰めると、雨乞の肩を手前に引き寄せた。
「ちょっとお、俺をばい菌かなにかと勘違いしてんの? 言っとくけどちょお綺麗だし? どっちかってゆーと潔癖で〜す」
「驕りも大概にしないと身を滅ぼす結果になりますよ。第一貴殿のミスでイチ大佐の完成された美術品より美しい肌に傷がいったのではないですか? 少しは反省して家で大人しくしていなさい」
「俺が付けた傷ならさあ、俺が手当すんのが常識じゃない?」
「馬鹿を言う! レッド、貴殿はイチ大佐に触れて良い存在ではないのです! 直ちに義神戦隊ギーレンジャーの元にお帰りなさい」
「ぶっぶー! 今はレッドじゃなくて白瀬で〜す」
 耳元でぎゃあすかと叫ばれ前後に引っ張れ、もみくちゃにされた雨乞は堪ったものじゃない。ふちふちと内々から湧き上がった苛立ちを言葉にして叫ぶと、白瀬を引き剥がし中佐を振り払った。
「いい加減にしろよ! もう、てめえらの相手なんかしてらんねえ!」
 白瀬がどうとか中佐がどうとか、どうだって良い。もうなんだって良い。うじうじと結果を出さないからこんなことになるんだ。
「今日は白瀬さん帰って。明日も仕事なんだろ? 俺は休みだけどな!」
「え、ええ〜! せっかく久し振りの逢瀬なのにぃ!?」
 頬を膨らませて嫌だ嫌だと白瀬がごねた。三十路近くにもなっているのにあまりに子供染みた行動に、少し揺らぎそうになるもののここはぐっと我慢だ。
 雨乞の平和な時間を手に入れるのには白瀬も、もちろん中佐も帰さなくてはいけない。
 中佐が日常生活まで中佐に成りきって雨乞を大佐だの、白瀬をレッドだの言うのは少々厄介ではあるが役柄にのめり込んでいるからこそ白瀬を帰したあとにイチ大佐口調で命令すれば良いのだ。
 そう考えていた雨乞であったがなにを勘違いしたのか、雨乞が中佐の後ろ盾になったと思ったのか勝ち誇った面構えになると雨乞の手を引き、己の後ろに追いやった。
「イチ大佐の命令ですよ。素直に従いなさい、レッド」
「はあ? つーかなんであんたが仕切るんだよ」
「イチ大佐のダイアモンドよりも高貴で美しい肌に傷を付けたのは貴殿だが、それが元に戻るまで監視するのは我らがアークモノー団の仕事でもあるのです。それが我が社の方針でもあり、命令です。部外者は帰ってもらいましょうか」
「ちょ、ちょっとお、雨乞さんこの人頭可笑しいんじゃないの!?」
「ううん……まあ、悪いけど白瀬さん、今日は中佐の言う通り帰ってほしい」
「はああ!? 雨乞さん彼氏の俺よりこのへんちくりんな人の味方な訳!?」
「味方っつーか、なあ、その……仕事上、療養しろって言われてるし……」
 決して中佐の味方をするつもりなどなかった雨乞だったが、これでは中佐の味方と思われても仕方がない。
 案の定勘違いした白瀬は拗ねた表情をしてみせると中佐をきっと睨んだ。中佐も中佐で大人しくしてくれたら良いものの、白瀬を挑発するから困るのだ。
 雨乞ははあと息を吐くと中佐を押し退け、白瀬の両手を掴んで白瀬にしか聞こえないよう言葉を残した。
「いっちゃんは預かっとくから、大丈夫、元気だし。だから白瀬さんは自分の家に帰れ。また別の日に、な。わざわざきてくれて申し訳ねえけど」
「……それで良いの? てゆーか、さ〜も〜雨乞さんのばか。もう知らねえ! 良いもん、秘策あるし! 中佐のバーカバーカ! 良い気になれんのも今だけだし! ストーカーもやめろよ!」
 べーっと舌を出すと、白瀬はそのまま拗ねた表情で帰っていってしまった。予想以上にあっさりと引き下がってしまったので、些か不安要素が残るものの白瀬の奇抜な行動には慣れっこだ。雨乞はほっと肩の力を抜くと、今度はしたり顔の中佐に向き直った。
「あ、中佐も帰れよ」
「えええええええ! な、な、な、なんででしょうか! 私めはイチ大佐のご看病という立派な大義名分があるのでございますよ!」
「いらねえし、そういうの……つーか俺疲れたから部屋入るな。今日は真っ直ぐ帰れよ。ストーカーもやめろよ。あ、あと送ってくれてありがとな」
「イチ大佐……く、仕方ありませんね。今日のところはイチ大佐の意思を尊重いたします。が、イチ大佐の美しい艶やかな肌が元通りになるまでこの中佐、イチ大佐の送迎をさせていただきますのでそのおつもりで」
「……あ、お、おお」
「では私はここで失礼いたします。といっても車内で一泊してイチ大佐の安全を見守っておりますのでどうぞご安心ください。それではお休みなさいませ!」
 気張って礼をした中佐にこれ以上突っ込むことができなかった雨乞は、家に帰れという言葉を飲み込んで中佐が再び騒ぎ出す前にマンションへと入った。
 早くシャワーを浴びてすっきりして、ガーデニングなんかしちゃって、プチトマト観察日記も記して子猫と戯れたい。
 渋々預かった子猫もここまでくれば愛着が沸いてくる。白瀬には悪いがもう少し子猫と一緒に生活をしたい。
 物言わぬ植物も癒されるものだが、愛玩動物には愛玩動物なりの癒しがある。
 もふもふとした腹に顔を埋めよう。テンションの上がった雨乞はやや駆け足でエレベーターから降りると、ドアの鍵を探るべく鞄に手を突っ込んだ。
「あ、そういえば……」
 鍵の前に手に触れた硬質な物体、携帯を取り出した雨乞は昼間中佐に電源を切られたことを思い出した。
 白瀬からの連絡で溢れ返っているのであろうそれの電源を入れることに少々気が滅入るが、入れなければ今後連絡が入った場合なにかと面倒だ。
 どうせ白瀬のことだから電話でもしてきて寂しいだのセックスしたいだのなんだのいろいろ言うのだろう。仕方がない、突っ返してしまった手前それぐらいなら話し相手になっても良い。
 そう思い電源を入れた雨乞であったが、白瀬のことばかり考えているとその存在が隣にいないことに少しだけ、本当に少しだけ寂しいかもしれないなんてそんなこと思ったりしないのだけど、ちょっとだけ隣が涼しいというか空いているというか、まあそのようなことを思っちゃったりしないでもないかもしれない。
(いやーないないない! ねえし! もう、最近変だぞ!)
 慌てて取り出した鍵で扉を開けて、今か今かと待ち侘びていた子猫に出迎えられる。
 やっぱり、一ヶ月も恋人として接していないのだし、その上白瀬の癒しである子猫までここにいるのだし、連絡ぐらいしてやろう。たまには雨乞から、誘ってみるべきか。
 メールにすべきか電話にすべきか悩みながら子猫を抱き上げ、室内へと入る。
 一日のサイクルでもあるガーデニングやらなにやら、そんなことをしていれば白瀬に連絡しなければいけないということをすっかりと忘れてしまった。そうして雨乞は自堕落にもソファでうとうととするとそのまま寝てしまったのだった。

 あの日から三日、白瀬からの連絡が途絶えていた。
 子猫は雨乞の手の内のままなんの連絡もないというのがあまりに異常で、雨乞は思ったよりも不安になっていることに気付かされた。
 不慮の事故で負ってしまった仕事中での怪我も今は跡形もなく綺麗さっぱり完治している。白瀬が責任を負うほどには深手でもなかったし、仕事に支障をきたしてしまったこともない。
 寧ろ有休消化ではない休みをもらえたのだからある意味ラッキーだったのだ。
 指先でじゃれてくる子猫と遊びながら、雨乞は鳴らない携帯電話を尻目にどうしようかと悩んだ。
「いっちゃん、ご主人様迎えにこねえなあ」
 なあと鳴いた子猫。意味などわかってもいないのだろう。
 全国巡りが終われば迎えにくると言ったのにも関わらず、連絡一つ寄越さない。この愛らしい温もりをなくしてしまうのには惜しいからある意味良いのかもしれないが、なんだか釈然としない。
 確かにあの夜は中佐を優先させたような形で突っ返してしまったが、中佐とて手当てなどさせなかったし、家にだって上がらせなかったのだからどっちもどっちなのだ。
 軽症といえども怪我を負っている雨乞を巡って言い争いする方が悪い。二人とも諦めてくれればすんなりとことが片付いたのに。
 無理矢理といえども中佐に送り迎えをさせたことを不服に思っているのだろうか。いや中佐みたいにストーカーではないのだからその事実を白瀬は知らないはずだ。
 ならなにに対して怒って、どうして連絡を寄越さないのだろう。やはり突っ返したことが原因なのか?
 日付は土曜日の朝。この土地にいる白瀬が金曜日からこないことの異質さに、雨乞はいかに白瀬が雨乞にとって馴染んだ存在なのかを改めて思い知らされるのであった。
 思った以上に寂しいと思ってしまっている自分と、携帯ばかり確認してしまう自分が気持ち悪い。そろそろ腹を括るべきなのだろうか、ああ、それはそれで悩みの種が増える。
 いつの間に、困った、嫌になる。なんてぐだぐだと色々なことが脳内を巡りまわって、雨乞を突いていれば子猫がぱっと顔を上げた。
「ん? どした? トイレか?」
 雨乞の元を通り過ぎて、玄関まで走っていく。子猫の動きにつられるようにして後ろをついていけばまるで玄関が開くのを知っていたみたいだ、子猫が止まったのと同時に玄関の扉が開いた。
 そこにいたのは、何故か両端に爽やかなブルーの制服を着たお兄ちゃん二人を従えていた白瀬だった。
「は? え?」
 合鍵を既に所持していたので勝手に入ってきたことには驚かない。今更だ。それに連絡なしの訪問も慣れたものだし、この際三日間連絡がなかったことも気にしないでおいてやろう。
 だが隣にいるにこにこと眩しい笑顔をしているお兄ちゃん二人は見逃せない。誰だ、というよりわかっているけど何故だ、と問いたい。いやもう問うことすらやめて扉を閉めたい。
 雨乞は床に座ったまま、ただひらひらと手を振る白瀬を呆然と見つめることしかできなかった。
「はろー、元気?」
「……お、お引き取りください」
「え、酷くない? 彼氏に向かってその言い方はないでしょ。しかもひっさびさだよ! 仕事外で会うのちょお久々なのにそれ!? そんなこと言っちゃう!?」
「いやいやいやそれこっちの台詞だろうが! んだよそれ! 聞いてねえぞ!」
「だって言ってないしぃ? サプライズだよ、サプラ〜イズ。寧ろプレゼントってゆーかなんてゆーか、ねえ? 憧れの同棲ライフの始まりじゃん」
 しなを作ってくねくねし出した隣で、お兄ちゃん二人は雨乞に礼をすると巨大なダンボールを抱えて室内へと入ってきた。
 この事態には流石の雨乞も辟易というより口を閉じざるを得なかった。
 前々から白瀬の行動には驚かされてばかりいたが、まさかこのような手段に出るとは思いも寄らなかった。確かに半同棲のような生活はしていたけれども、白瀬の私物で溢れ返っていたけど、引っ越ししてくるなどと誰が思うだろうか。
 へたりこんだままの雨乞に、白瀬は子猫を抱き上げ雨乞の前にしゃがみ込んだ。
「これからも〜公私混同よろしくお願いしまあす」
「いや……え? まじ? ドッキリとか、ねえ、よな? カメラは? き、きてねえの?」
「現実だよ、雨乞さん。俺のマンション引き払っちゃったし? 会社にも新住所として申請したし? 寧ろ手続き全部済ませちゃった」
「いっやー可笑しいだろ! 普通に可笑しいだろ! あ! だからてめえこの三日間連絡しなかったのか! こんなこと企んでたのかよ!」
「秘密にした方がテンション上がるくね? まあ良いじゃん〜、彼氏に内緒でストーカー飼ってた人に言われたくないし〜」
「関係ねえじゃん! し、しかもあれは同僚だし中佐だし寧ろあれが普通だし!」
「それでも浮気になるから駄目。俺が監視しないとね、雨乞さん勝手になんでもしちゃうから」
 頬をなぞらえる指先が唇を柔らかく押した。これ以上喋るなと言われているようで、雨乞は白瀬の思惑通り口を閉じた。
 じいと真っ直ぐな瞳に射抜かれて居心地の悪さを感じていれば、近付いてきたその顔に雨乞の動機が早くなる。ばくばくと血液まで湧きだって、神経が唇に集中する。
 確認しなくとも熱くなる頬に、ああ、赤くなっているのかもしれないなんて考えながら柔らかい白瀬の唇を受け入れた。
「ん、……」
 ぴりぴりと背筋に走った電流に脳内が白んでいくようだ。
 大よそ一ヶ月ぶりの口付けに雨乞の胸が満たされたのが、なによりの答えでもあった。だけど悔しいので言ってはやらないけど。勝手に引っ越ししてきた罰だ。
 角度を何度も変えて、触れるだけのバードキスを繰り返していれば長い影が差す。気まずそうに肩を並べて立っていたのはお兄ちゃん二人。
「あのー、運び終えたんすけど……」
 全身トマトのように真っ赤になった雨乞に、白瀬はへらへらと笑って見せると立ち上がってお兄ちゃんの肩に手を回した。
「可愛いでしょ〜俺の雨乞さん」
「は、はあ」
「まあ惚気ても良いんだけど〜、雨乞さんの可愛さは俺だけのものだし? まあちょお聞きたい! ってんなら言ってやっても良いけどお〜どう?」
 明らかに困り果てた顔をしているお兄ちゃんに雨乞はそれ以上顔向けしていることができず、熟れ顔のまま慌てて寝室へと逃げ込んだのである。
 やはり白瀬は神経が図太いというかなんというか、もう恥知らずだ。絶対ホモのバカップルだと思われた。半分事実だけど認めたくない。
 頭を抱えてベッドに蹲った雨乞は、これからの生活を考えて更に頭痛が増したのである。
 いきなり、急に、台風のようにやってきた同居人。雨乞の許可を取らないまま雨乞家に住み着いた。あとになってから何故引っ越ししたのか、半同棲のままでは駄目なのか、そう問うた雨乞に白瀬は自信満々に言ったのだ。
『雨乞さんが自分家帰れって言ったじゃん? あれでさあ、今度そうなった場合自分家は雨乞さん家ですう! って言ってみたかったっつか、あれ? 同棲した方が都合良くね? みたいな?』
 ああ、なるほど。そうきたか。雨乞は白瀬の言葉に最早なにも言い返すことができず、この現状を元に戻すことを諦めて受け入れる方向へとシフトチェンジするとベッドを広くしようかどうしようかと悩んだのであった。