うそでもいいよ 04
「だから少しでも、俺が、お前の……」
 言葉は呑み込まれて、唇の向こうに消えていく。決して触れようとしなかったエメラルドの指先がルビーの頬をなぞって、やわらかく唇を覆った。
 優しくなんてしなくても大丈夫なのにこういうところで遠慮をしてしまうから、ルビーはエメラルドのことを見捨てられないのだと思う。傍から見れば非生産的で誰も幸せになれないのだとわかっていても、エメラルドの傷に触れていたかった。
 建前なのかもしれない。本当は、ルビー以外に触れられているエメラルドをこれ以上見たくなかっただけなのかもしれない。
 自覚すれば呆気ないものだ。世界はなにも変わってなどいないのに、意識の改革ひとつだけでこんなにも変わってみえるものなのか。
 サファイアになれたら良い。なんて、ありえもしない。それはルビーがルビーでなくなるということ。
 愛されるためには、なにをすれば良いのだろう。ルビーはエメラルドの髪に触れると、もっとと口づけをねだるように少し引っ張ってみせた。
「ん、……」
 初めてだった。記憶というのは曖昧なもので、確かな証拠はないから断言できないかもしれないが、ルビーの記憶によれば誰かとこんな風にキスをすることは初めてだった。
 確かめるように、ゆっくりと溶かされていく。酷くしても良いのに、エメラルドはルビーをとろとろにとろかせたいのだろうか。下唇をあまく吸ったかと思えば、ちゅっと音を立てて歯をあてた。
「え、めらるど」
 くすぐったくて、身を捩ってしまう。ほんの少し下にあるエメラルドの瞳が半月の形に細められて、薄く唇を開けたかと思えば深く口づけてきた。
 舌がぬるりと上唇を舐めとり、その生々しさにルビーは微かに震えた。招き入れるようにして隙間を作れば待っていましたといわんばかりに舌が侵入してくる。
 ざらざらしているなまあたたかい舌の感触は、ルビーにとっては初めての感触だった。歯列をなぞったり上顎を舐めたりしているが、正直気持ち良いのか良くないのかわからない。
 ぴりぴりと小さな電流が脳に響いて、腰が軽く浮く。呼吸が乱れて息がままならなくなった。
「ん、ん、っ」
 なんだか頭がぼうっとする。相変わらず容赦なく舌はルビーの口腔を這いずり回って、好き勝手舐めとっている。逃げる間もなくおどおどとした舌を絡めとられれば、ざらざらが合わさって少しだけ気持ち良かった。
 溢れ出た唾液が口の端から零れる。くちゅりと耳につく卑猥な音が聞こえて、肩が竦む思いをした。なんだかむずむずとする。気恥ずかしくて堪らない。
「んーっ、ふ」
 唇と唇の角度を変える瞬間に呼吸をしようと肺に空気を吸い込めば、隙間さえ許さないとばかりに直ぐ埋められる。エメラルドはがっついて唇を重ねてきた。
 正直なところもうしんどい。舌はびりびりと痺れているし、腫れぼったい。キスのし過ぎで頭がくらくらとする。初心者相手にするにしては些か刺激が強過ぎる。
 エメラルドはルビーの身体を押し倒し、床に二人して寝そべると口づけは激しさを増した。背中に手を滑らせてばしばしと叩けば、漸くキスをやめる気になったらしい。もったいぶってゆっくりと唇を離された。
 二人の唇がぴったりとくっついていたのが剥がされていく。なんともエロチシズムを擽る感触に、ルビーは頬を赤らめさせると肩を大きく揺らして呼吸を整えた。
「もう降参?」
 いやらしく、狡猾に笑わないでほしい。ルビーは言い返すほどの気力もなく、瞼をおろすと額に手をあてた。
「……く、くる、しい」
「ああ、苦しいだろうね。ちょっとやり過ぎちゃった」
「ちょ、っとか……?」
「それより、お前初めてなんでしょ。こんな床で良いの」
 言われて気付く。そういえば夢中になっていて、いつの間にか形勢が逆転していた。平行で見ていた視界が真っ逆さまだ。天井に映るエメラルドの表情が逆光で見えにくくなる。ルビーはああ、と言葉を零すとてのひらで床をなぞった。
 硬いといえば硬いのか。大理石の上に乗るラグ程度じゃ、身体は軋みそうだ。
「ベッドに連れてってあげようか」
「……良いよ、そこまで優しくしなくても」
「どうせヤるなら楽しい方が良いだろう?」
「まあ、そうだけど」
 言われてみれば確かにそうだ。ぐちゃぐちゃに犯されて自分の身体を痛めつける理由もない。ルビーの目的としては、エメラルドがふらふらと遊び回るのを阻止することにある。貞操概念を根っこから変えるのはなかなかに難しいかもしれないが、それでもやってみなければわからない。
 それにエメラルドをルビーで満たしたいという欲求もある。欲をいえばサファイアの代わり、いやサファイア以上になりたいのだがそれは些か難航するだろう。
 ルビーには悲観に明け暮れる時間はない。くよくよと悩む時間があれば行動に移してなにかをしていたい。例え後悔することになっても、間違った選択になったとしても、それでも少しでもエメラルドの側にいたい。
 よくよく考えれば、なにも変わらないじゃないか。ただそう、いうなれば、こんな風に肉欲がついてまわるだけだ。
「……なに考えてんの」
 干渉をしなかったエメラルドが、ルビーに尋ねるあまりの似合わない台詞に笑みが零れる。少しむくれているように見えるのはルビーの欲目がそうさせるだけなのか。
「なにも。……ただ、変な感じだなって」
「ああ昨日まではセックスなんて到底考えられなかったし」
「実感ねえけど」
 エメラルドの手がゆっくりとルビーの背にまわる。まるでか弱いものを相手にしている動きのようだ。同じ体躯なのだからそこまでしてもらわなくても良い、けれど甘えようか。くすぐったさにルビーはついつい笑むとエメラルドの首に手をまわした。
 似合わないのだろうな。小さかったら格好もついたのだろうか。
「笑っちゃうね」
 エメラルドの言葉に頷いて、ルビーは姫抱きでベッドにおろされるのを焦れったさにもやもやとしながら脈打つ心臓で待った。
 セックスをしてしまうのだろうか。いつも蔑んで見ていたエメラルドの相手に今度はルビーがなるのだろうか。雌猫のようにしなを作って媚を売って、あられもない声をあげては我が先だと背中に爪を立てる。いやらしいと、おかしいと、馬鹿にしていたはずなのに気がつけば同じような立ち居地にいる。
 サファイアになれない時点で、エメラルドからしてみればどれも同じなのだろう。例えルビーが誰よりもエメラルドの近くにいたとしても一線を越えてしまえば、ただの肉欲だけの繋がりになる。
 それはとってもかなしくてつらい。それでもルビーは手を伸ばさずにはいられなかった。
「……ふるえてる」
「あー、うん」
 エメラルドが小さく笑う。髪の毛が鎖骨にあたってくすぐったい。唇に軽いキスを落とされたかと思うと、そのまま指先が腹部を這って、唇は首に落とされた。
 なまぬるい舌の感触だ。ぞわりと肌が粟立つ。思わずシーツを蹴って肩を竦ませた。すごく気持ち悪くて気持ち良い。なんといえば良いのだろうか、とにもかくにもじっとしていられない。
「っ、ひ、ん」
 あまったるい声が鼻から抜けた。反応があったことにエメラルドは気を良くしたらしい。そのまま首筋を舐めあげると、耳朶にかぷりと噛みついた。がじがじと歯を立てられて、ぬるりとした舌で耳の形になぞられる。鼓膜に直接響くいやらしい水音に、ルビーはいやだと首を振った。
 耳朶を弄られるだけでこんな感じ方をするのだと初めて知った。歳の割になにも知らないで生きてきたルビーは、免疫がなかったためになにもかもが新鮮なのだ。
 冷たさばかり感じるエメラルドのてのひらがルビーの腹を撫ぜる。無駄に豪奢な衣服を身に纏っている二人は、この煩わしい衣服を今になって不便だと感じた。
 脱いで裸になって肌と肌を触れあわせたい。きっと気持ちが良いのだろう。なまあたたかい体温と、心音を直で触れたい。
「ん、ァ、えめ、らるど」
 執拗に耳ばかり舌で弄るエメラルドに声をかける。なあに、とやけにあまったるい声を耳の中に吹き込むから、構えていなかったルビーは妙に高い声をあげてしまった。
 ぞくぞくと背筋をかける痺れが、背を少し反らせる。熱のこもった息を吐いて胸を突き出せば、服の下で蠢いていた指先が不埒な動きに変わってやわらかな胸の尖りに触れた。
 摘むほど硬度をもっていない尖りはエメラルドの指でつるりと滑る。触れられていても正直良くわからない感覚だ。気持ち良いと問われれば気持ち良いような気もする、という程度のもの。
 何度かいったりきたりを繰り返して、ふにふにと押し潰された。次第に腰にじんわりと熱が広がり始める。シーツを蹴っていた爪先をきゅっと閉じて、微かな吐息を零す。
「な、んか、……へん」
「尖ってきたね」
「んー……?」
「次第に感じるようになる。はず。たぶんね、お前に素質があればの話」
「……それって、あった方が良いのか?」
「さあ、どうだろ。あった方が俺としては楽しいけど」
 こりこりと硬くなった尖りを摘まれて、くいっと引っ張られた。息が少しだけ詰まって、鼻で留まった声が零れる。あまさを含むそれは艶を帯びていて、感じているようにも聞こえた。
 もじもじとかかとでシーツを擦る。徐々にあがり始めた呼吸が悦を帯びてくる。直接的な快楽に繋がるほどのものはないけれど、なかなかに倒錯的でいやらしい気持ちにはさせてくれる。
 何度か強く摘まれては引っかかれ、時折爪を立てて弄るものだから堪ったものではない。ルビーはどちらかといえば空気に酔って悦を拾うタイプらしい。ここが性感帯で、その性感帯をエメラルドが愛撫してくれているという事実に感じてしまった。
 あられもない声をあげるのには抵抗があって、ルビーは込み上げる喘ぎを唇を噛みしめることによって制御した。くぐもって聞こえる声は余計に淫靡になると気付いていないのはルビーばかり。
「へえ、お前も案外いけるかも」
 下唇を舐めて、エメラルドが楽しげに口角をあげた。重ったるいルビーの衣服を脱がしにかかると、ああもう、と苛立った声をあげる。
 豪奢な分、着るのも脱ぐのも面倒なのだ。ルビーは脱がしやすいように上着を自ら脱ぐと、おざなりにベッド下に放り投げる。ちゃらりと宝石が大理石に擦れた音がしたが、今は気にしていられる余裕もない。
「エメラルドも脱げよ」
「なんか大胆な台詞」
「そういうもんじゃないのか?」
「まあ時と場合によるね。長く楽しみたいときは脱ぐけど、短時間でヤるときは着たままが多いかな。めんどうだし」
 ルビーはどちらなのだろうか。言葉を噤んで見上げれば、困ったように相好を崩される。
「お前とはセックスできるけど、やっぱり変な感じもするね」
 怠惰な動きでボタンを外したエメラルドはきらきらとした煌びやかな衣服を脱ぐと、日に焼けていない真っ白の肌を晒した。健康的なルビーと違って、エメラルドはのべつベッドに篭もって淫事ばかりに耽っているから日に焼けもしないのだろう。つやつやすべすべの肌に思わず手を伸ばすと、そうっと宝物に触れるようになぞった。
 指の腹に、微かな感触。とくとくと、ルビーよりは些か遅いけれどそれでも早鐘を打っている。無表情を装っているが、エメラルドもその実緊張しているのだろうか。ああ、それこそまさか、だ。
 エメラルドは次にルビーの下肢を覆う布に触れると、破かないよう丁重に捲くって脱がした。面倒な衣類ではあるもののダイアモンドと会うときはいつだって正装していたから、それが仇になったのかもしれない。
 だけどいつだって思い返せばルビーは正装ばかり好んでいた。破天荒で落ち着きがないと言われるルビーはずぼらかと思われがちだが、こういうところはきっちりとしている。正装が好きだという理由もあったが。
「あんま、見んなよ。別に物珍しくもないだろ」
 しなやかな裸体がエメラルドの目の前に晒される。なにも纏うものがなくなったルビーは居心地が悪そうに膝を手前に引き寄せると、立てて下肢を隠した。
 どの道直ぐに晒されるのはわかっていたが、はっきりと意識のあるうちは恥ずかしい。なんていっても、つい先ほど前は転んでもこんなことをするような関係ではなかったのだから。
 エメラルドが優しくて配慮がある人物だったら、もう少し変わってもいたのだろう。知っていたのに。やはりというべきか、エメラルドはにっこりと笑うとルビーの膝を持って左右にがっと割り開いた。
「う、わっ、ちょ、っと!」
「今更恥ずかしがって隠すものでもないだろう」
「今更って、こういうの初めてだっつの!」
「気恥ずかしいって? キャラ履き違えてない」
「お前いつもこんなのかよ」
「さあ、どうだろ。いつもはもう少し適当かもしんない。っていうか最近は上に乗っかって腰振るような子ばっかりだったしね、一から手塩にかけて甚振るのは久しぶり」
 ぐ、っと腰を折ったエメラルドは顔の角度をさげると膝小僧に口づけた。熱がくすぶった舌で舐められて、情けない声があがる。かぷりと歯を立てられれば腰がずくりと疼いた。
 自慰をしたことがないと言えるほど無知ではなかったが、ルビーはかなりの淡白であった。故に処理をすることはあってもどこか事務的というか、おざなりだったのだ。それがどうだ、今はほんの少しの悦で、状況で、下肢が可笑しいほどに熱をもって反応している。
 ふるふると震えて緩く勃ちあがった性器が先走りを滲ませた。ぽとり、と雫になってお腹に零れる感覚に、ルビーは目を瞑って頬を赤く染める。
 一気に襲ってきたのは羞恥だ。偏にエメラルドがそこに視線を募らせるからという理由もあったが、快楽を感じているのも嘘ではない。
「っく、ふ」
 ゆっくりと、焦らすように、エメラルドの舌が膝小僧からおりていく。太股をなぞり内股に舌を這わせ、際どいラインに歯を立てられる。下肢に繋がる感覚は残酷なもので、焦らされれば焦らされるほどに大きい刺激となった。
 お腹がひくひくと引きつるように痙攣する。我慢しようとすればするほど力が入って、悦を掬ってしまう。
「ルビー、どうしてほしいの」
 意地悪な質問だ。エメラルドは内股の一部を強く吸い上げて、跡を残した。
 さっきから爪先は落ち着きがなさげにシーツを行ったりきたり、指先は口元を覆って喘ぎを堪えようと押さえ込んでいる。涙が滲む目尻からつい、と零れた涙がシーツに染みを作った。
「なにも言わないと、このままだけど」
 だから初めてなのだと、何回言えばわかってくれるのだろうか。それでもこの非生産的でなにも生み出さないセックスに、エメラルドは楽しみを見出しているのか。声の端々に楽しさが滲み出していて、ルビーはほのかに胸を熱くさせた。
 報われない恋をしている。たったのこれだけで幸せになれる、お手軽な愛だ。
 ちらりと下肢をみれば、目を細めて笑っているエメラルドと目があった。ルビーはそのいやらしげな瞳になにもかもを諦めて、唇を開く。なにもかも空っぽになって、欲情だけ生きていける馬鹿な生きものになりたかった。
「さ、わって、ほしい」