お狐様のいうとおり 04
 恐怖から逃げたいと訴える体が選んだ逃げ道が愉悦など、本当にだらしのない。堪え性がないから仕様がないのか、最後の抵抗とばかりに犬神は唸ってみせるが精神への束縛にはなりもしなかった。
 快楽を強制的に引き摺られるように触れられたそこは、あっと言う間に硬さをもって玉藻前の手の中大きく成長した。神経が集ってどくどくと脈打つのが全身に伝わる。気持ちが良い、意識が飛んでしまいそうだ。
「は……っは、ぁ……」
 他人から与えられる恐怖や痛み、飢餓には誰よりも敏感で怯えをみせている犬神だったが、それを与える張本人から逃げ道という名の快楽を植え付けられただけでころりと靡いてしまいそうにもなる。
 憎むべき相手を唯一の救世主として、縋って求めて、倒錯するなど愚かにもほどがある。嗚呼、これこそが本当の意味での蠱術なのか。
 頭上で嘲り笑うような玉藻前の声、薄らと開いた世界では舌なめずりをしている姿が映った。
「食べてしまいとうなるなあ、こないな格好されると。でも犬神はん貧相やさかい肉は不味そうや」
「な、らば……こんな、こと……!」
「食事と淫事は別もんえ? 犬神はんの肉は不味そうでも、体には興味がある。犬神なんて滅多に会える妖怪やあらへんし」
「田舎妖怪だ……、玉藻前ほどの、妖怪になれば、我など……」
「おべんちゃらはええ。精々うちの機嫌でも取って生にしがみつくんやな」
 頬を鷲掴みにされ、鋭い歯で犬耳を齧られる。痛みと恐怖で膨らんだ尻尾は丸みをおびて縮こまった。
 妖力もなく狐火に耐性のない犬神にとって最悪の環境はただ生を削り取るしかないのに、それでも玉藻前にとってはなんの苦でもないのが不思議でならない。これほどまでの業火を熱いとすら思わないのか。
 干からびていく肌が湿って、玉藻前の手は吸い込むように馴染んでいく。玉藻前は犬神の頬を掴んだまま中心を握っていた手を下降させて、奥ばった箇所を綺麗な指で突いた。
「睦み合うんやあらへんし、さっさとしてまおうか? 客人待たせてるんすっかり忘れとったえ」
 それならばもう解放してくれ。犬神の言葉は乾きに干からびた喉から出ることなく、胸の奥へとしまい込まれた。玉藻前は硬く閉ざした箇所を何度か突くと無理に指を突き入れた。
 乾き切った皮膚が引き攣って、指の侵入を拒む。感じたことのない種類の痛みがそこから全身にぞっと広がって犬神は情けない鳴き声で逃げ腰を打った。
「う、ぁあ……っ」
 怖い。怖い。恐怖が現実に浮き彫りとなって襲いかかる。面倒くさげに舌打ちをした玉藻前は小さく呪文を唱えると、指を抜いて再び入れた。すればどうだろうか、先ほどは拒んでいたそこが呆気なくも玉藻前の指を受け入れる。ぬるりとした感触からして、なにか塗られたのだろう。訳がわからずに犬神は犬耳を伏せた。
「妖油え、犬神はん楽にしてもうちの得にはならんのやけど、挿れる際に痛い思いするんは堪忍え。それに目的はあんさんに飢餓を与えることやさかい、鳴いてくれたらええだけや。先にあるんは、枯渇だけえ」
「う、……っん、ん……」
「今に犬神はんの矜持ぼっろぼろにしてやるさかいに。嗚呼、それとも田舎妖怪や矜持すらあらへんのかえ?」
 ある程度指の侵入が滞りなく進むようになった。最初こそ犬神も得体の知れぬ感覚と違和感、痛みに唸っていたものの数分も経てば直ぐに慣れた。堪え性がないのと同様に、痛みにはある程度慣らされている。
 短い息を吐きながら永遠に続くかと思われた責め苦が、ふいにふっとなくなった。指をずるりと抜かれ、頬を掴まれていた強いほどの指も拘束を解いた。
 慣れなのか、それとも戻れないほど侵されてしまったのか、業火も飢餓も首の締めつけさえぼんやりとしてくる。意識があるようでない状態。犬神には元気よく反抗する気力すらもう残っていなかった。
(たった数刻でこのざま……三日間も我は耐えることができるのだろうか……)
 おぼろげに浮かぶのは南海道での平和な記憶。なにごともなく、楽しみもなく、ただ坦々と過ぎ去っていく懐かしい記憶だ。
 そうだ、犬神はずっと独りだった。忌み嫌われた妖怪など誰も相手にしてくれない。人に利用されるか、隠神形部に騙されたようにそんな有り体の付き合いしかできなかった。
 ぼやけた視界で玉藻前を映した。ごてごてと着飾った着物の前をゆるりと解くと、すっかりと変貌を遂げた中心を惜しげもなく曝け出す。
 妖怪とわかっていながらも、究極の美を誇る玉藻前はどちらの性なのか判別をつけることができないほど作りものめいたものを持っている。だから着物から見えたそれが、どこか異次元のものにも見えたのだ。
 首輪の鎖を強く引かれ、犬神は唸る。力のない体は四つん這いの形を強制させられると、力なく膝と肩で体を支えた。腰を高く上げる体勢がお気に召したのか、玉藻前は犬神の腰を掴むとぐっと引き寄せた。
「舌噛むんやないえ? しっかり歯でも食い縛っとき」
 言うが早いか、激痛にも似た熱が犬神の下肢をずんっと強く突いた。めりめりと有り得もしない力で侵入してきた凶器に、文字通り犬神の内部は悲鳴を上げて痛みに意識が覚醒を強要させられた。
「ぐ、……っうああ……」
 乾きに張り付いた喉までも痛みを訴える。これ以上ないほど歯を食い縛っても、堪えようとしても、慣れないというより感じたことのない類の痛みに犬神はなす術なく逃れようと床に爪を立てるだけ。
 淫事が気持ちの良いことなど嘘のようだ。痛みばかりつれてくる行為に、どうはまれというのか。
 短い呼吸を繰り返して、痛みの少ない姿勢を模索する。力を抜こうとしても現実的に感じ取ってしまう感触に、つい力んでしまい痛みが増すばかり。
 理不尽な言いがかりでこんな目に合うのなら、いっそうのこと死に絶えた方が楽なのではないだろうかという愚案ですら浮かんでくる。どの道自ら命を絶つことができない妖怪の身としては、玉藻前に殺されるか解放される以外楽になれる方法もなかった。
 だけどきっと殺しはしない。ぎりぎりの線引きで楽しむのだろう。残酷で美しい、そんな妖怪だ。
 ぐいっと鎖を引かれ、力なくしていた喉元に負荷がかかって締めつけられた。犬神は苦しげに呻くと、大人しくする。
「犬神はん、もうあんさんは後戻りでけへん」
 それがなにを意味するのか、犬神にはわからない。こんな状況下では冷静に分析していることすら不可能だ。
 体内に埋め込まれた凶器が、やがてゆっくりと動き出した。犬神を労わるというよりは玉藻前が傷付かないやり方なのだろう。痛みしか感じない犬神は、ただ唇を噛むとやり過ごした。
 愉悦を見出せない。玉藻前の性器が犬神の体内に慣れてくると、動きを変えて乱雑に中を犯し始めた。
「あっ、ぐ……う、ぅ……」
 不規則に内壁を擦って出し入れされる性器。玉藻前は気持ちが良いのだろうか。時折掠れて聞こえる声が、色を帯びていて犬神は場に相応しくもなく心臓が鳴った。
 可笑しな環境に放り込まれ、虐げられていても最後に縋るのは玉藻前しかいないから脳が刷り込ませようとしているのだろう。
 次第に痛みと共に得体の知れぬ曖昧な感覚がじっとりと全身に広がっていった。生温いような倦怠感ともいうのか、息が上がって腰に力が入らなくなる。びりびりと電流のようなものが背筋を走った。
 思わず指先を口元へと持っていき、かしりと噛んだ。それにすら甘い感覚を覚えてしまった。
「犬神はん気持ちええの? 少しずつ締まりがようなってきてるわ」
「ふ、……ん、うっ……」
「調教には飴と鞭か……ああ? しもた、これ蠱術やったかえ……? まあどっちでもええわ」
 吐息が混じった玉藻前の声が反響して犬神の耳に届く。どこか色めいたその言葉にすら悦を拾い上げて、ぞくぞくと唸りを上げる。こんな感覚も苦しいまでの環境も全てが初めてだった。
 喘いでいるのか唸っているのか、鳴いているのかすらわからない。犬神は床に爪を立てて唾液を振りまき、訳のわからぬものから逃げようとする素振りをみせながら無意識にもっとと強請るように腰を振った。
「ああ、かいらしなあ。おねだりできるようになったん。浅ましいお犬様にもっと教えたるわな? きっと逃げることすら考えられんようになるで」
 首輪を引かれ、顔を上げさせられる。近付いた玉藻前が犬耳を噛んで、優しく口付けた。まるで儀式のような口付けだ。
 優しいとも甘いとも似つかわないのにも関わらず、そうやって触れることが逆に怖くなる。だけどまともな判断すらできなくなっていた犬神は鼻をくうんと鳴らすと、恐怖を与えられる相手に擦り寄って求めた。
 どうしたってここには、玉藻前と犬神しかいない。閉ざされた、世界。
 最初から決まっていたのかもしれない。孤独に慣れ過ぎていた犬神をこんな最低のやり方とはいえ触れてくれたのは玉藻前だけだったから、犬神は傾倒という名の穴に落ちていってしまう。
 犬神が本来持つ性質を引っ張り出される。否定しても拒否しても押し留めても、それは呆気なくも玉藻前に掬い出されてしまうのだ。
「ええこ。もっともっとうちを求めて、地べたに這い蹲って溺れて? 楽にしてやりますさかいに」
「ら、くに……?」
「そう。うちのことしか考えられんように、な」
 生命すら掌握している相手と、わかっているのだろうか。もうなにを言っても届かない。虚ろな瞳で玉藻前を見つめる犬神は、あまりの責め苦に心が先に逃げを打ったらしい。
 どの道この調子では体ももって数分だろう。意識を失われるのは少々つまらなくもあるが犬神はこれでも大妖怪だ。明日になればまた元通り玉藻前を恨みの篭もった瞳でねめつけるのだろう。その中に小さな小さな、敬いを見せて。
 嗚呼、考えただけで、ぞくぞくとする。
 次第に力をなくし反応の鈍くなってきた犬神の首を一際強く締めると、玉藻前はわざと意識を遠ざけさせた。この遊戯は序章を迎えたばかり、楽しみは次の機会にでも取っておこう。
「……おねんねの時間え? 犬神はん」
 ずるりと性器を引き抜いて、玉藻前はなにごともなかったの如く着物を丁重に着直すと火の消えた煙管を咥えた。燻ったままの欲望などどうにでも制御はできる。
 犬神をこの部屋に閉じ込めた。驚かすためだけに用意した狐火は上手に調整をして、少し軽いものへと変える。あのままでは流石に犬神とて持ちはしないだろう。
 玉藻前の目的は飽くまで蠱術だ。死なれては意味がない。
 豪華絢爛な着物を翻し、玉藻前は犬神を置いて禁じられた部屋を後にした。住み慣れた古巣に戻ればわいわいと妖狐が騒ぎ立てる声がする。己で作り上げた結界内だというのに別世界のような気がして、玉藻前は少しだけの違和感を覚えたのである。

 胸が空いたような、なんとも言い難い高揚とした気持ちを抱えながら玉藻前は愛用の煙管を咥えてどこか赤味がかった月夜を見上げた。
 玉藻前の私室では酒呑童子と鞍馬天狗が酒盛りをしているのだろう。特に酒呑童子は酒好きにもほどがあるので、付き合わされるのは流石の玉藻前でも骨が折れた。
 そこかしこには仕事がある妖狐が忙しそうに走り回って、隠された例の部屋は犬神を監禁してある。
(いつもとちゃう世界やのに、気付くのはほんの少しの妖怪だけや)
 世からみれば稲荷山はなにも変わらず、ただ聳えるだけの山にしかならない。荘厳なる空気を漂わせ、人の侵入を拒むこの山は妖怪だけにしか見えない世界だった。
 玉藻前は眼下に住む人の愚かさに自嘲した笑みを零して、一際甘ったるい煙を吐いた。
「ほんに、世の中には阿呆ばかりやと思いまへんかえ? 鞍馬天狗」
 視線を動かさないままそう言った玉藻前に気配を上手に隠していたつもりの鞍馬天狗はびくりと慄くと、仕様がないといった風に玉藻前の前に姿を現した。手摺りに腰をかけ月夜を見上げる玉藻前の表情はここからでは見えない。
「……我が部屋を脱出したのがわかっておったのか?」
「酒呑童子のお陰やあらへんかえ? うちに気付かれることなく、結界の穴を探って鞍馬天狗を抜け出させる能力持っとるの酒呑童子くらいなもんや」
「別に犬神を助けようとか、そんなことは考えておらんぞ。少しな、うぬと話をしたくて……。どうせ我らを遠ざけるつもりだったのだろう?」
「三日間酒盛りしててくれればええ話やないの。現に酒呑童子はおとなしゅう部屋におるんやろ? まあ酒呑童子は放っておいても酒さえあればええんやろうけどな。あんさんはほんにお節介やねえ」
 鞍馬天狗に煙を吐きかけて玉藻前は漸く鞍馬天狗に顔を向けた。真面目な気質である鞍馬天狗と破天荒な玉藻前の仲もそれなりに長い。なにを考えているのか、ある程度わかってしまうほどには。
 言っても無駄だと理解していても、鞍馬天狗は玉藻前にそうっと寄り添うと言葉を舌に乗せた。
「犬神を、どうするつもりじゃ? まさか飼い慣らすつもりじゃないだろうな」
「さあ? どないしようがうちの勝手や思いまへんえ? あの駄犬はうちのもんやさかい鞍馬天狗でも口出しは許しまへん」
 温度の上がった煙管を鼻先に突きつけられ鞍馬天狗は口篭った。鞍馬天狗は犬神と縁もゆかりもないが、やはり妖怪という時点で同胞だと思っている。人を恨み、だけどどうしようもなく人を愛してしまう同じ種族の妖怪なのだと。
 人から虐げられてきた恨みが募り愛されることに貪欲になって、心の奥底で愛してほしいと、求めてほしいと、叫んでいる感情が痛いほどわかるのだ。初めから人を傷付けるばかりで、竹箆返しをされて怒り狂うものとは舞台すら違った。
 玉藻前はただ悪戯に人を弄んで憎んで、蔑んでいるだけだ。きっとこの複雑な感情はわかりもしないのだろう。相容れないのだから。
「犬神はんを蠱術でうちのもんにするんえ。四国の長とかそんなもんは関係あらしまへん。帰すつもりはあるけど、選択はあの子がするんえ。幸い四国には隠神形部ちゅう狸爺もおるさかい、どうにかなるやろ」
「……本当にうぬは……」
「犬でも狸でも変わらしまへん。一緒や。なんせこの世の全て引っくり返しても狐が一番。うちの世界、うちが一番。邪魔は誰にもさせまへん。いつか全国乗っ取ってやるさかいに、鞍馬天狗は側でおとなしゅうまっとりなはれ」
「……そう上手くいくか?」
「うちを誰やと思うてはるん。白面金毛九尾の狐、玉藻前え?」
 ぎらぎらとした闘志を認めた玉藻前の瞳は、保守派に変わりつつある妖怪界の中では異質と取られるのだろう。いつしか人に追いやられてきたこの妖怪が、闇の住人となって表舞台から退いて隠れるようにして生きていく道を、断絶しているのだ。
 それは珍しいと思う。決して屈しない、媚びない、許さない。そんな玉藻前は鞍馬天狗にとっては眩しすぎた。
(いつからうぬと我の道は違ってしまったのだろうか……のう、玉藻前、我にはうぬが理解できぬ)
 一本歯下駄がカタン、と鳴った。しいんとした廊下に響いた音をどう聞いたのか、玉藻前は再び鞍馬天狗から目を逸らすと月夜を見つめて煙管を咥えた。
 静かな静かな、静寂だった。生きものの気配すらなくしたこの月夜になにを思うのか。
「うちに歯向かうものは誰であろうと、消してしまうまで。なあ鞍馬天狗、あんさんはほんに馬鹿え。恨みが募ってそんな姿にまでさせられたのに、下等な生きもののどこに惹かれるんえ」
「さあ、どうだろう。我にも解せぬ。ただ人としてあった記憶がそうさせているのかもしれぬな。我は最後の最後で、人を恨み切ることができなんだ」
「……うちは違うえ。一泡食わされたままじゃ気もおさまらへん。ずっとずっと恨んでたんえ。うちの邪魔をするんや、それなりの覚悟があると思うてのことやけど……ほんに弱いもんや」
 清々しくもあり、濁りきった表情でもあり、玉藻前の美し過ぎる顔はときに仮面をつけているように思わせて一切の感情が読めなかった。なにを思って、なにを感じて、この場にいるのか、きっと鞍馬天狗には教えてももらえないのだろうけれど。
 朱色の手摺りを掴んだ。月夜に照らされる肌の青白いこと。こんな成りでも、妖怪になっても、血だけは赤いまま。
「なあ、鞍馬天狗」
 低くも高くもない玉藻前の声が鞍馬天狗を呼んだ。はっとしていた意識を取り戻すと、慌てて玉藻前に向き直る。
「なんだ?」
「犬神はんも、あんさんのように人のこと愛してるんやろか」
「さあ、我はうぬと違って犬神と直接会った訳ではないからな。だけど噂に聞けば犬神ほど人に振り回された妖怪もいないだろう」
「恨みかえ」
「……いいや、我の推測だが犬神は誰よりも人に固執しているのではないか? まあ最も人というよりは、そうだな……まあうぬには理解できないだろう」
 愛などわかりもしないのだ、玉藻前は。それを知らないから、知ろうともしないから、妖怪の性質だから。玉藻前はわからないまま、ただ悪戯に犬神を馬鹿にすることでしか理解もしないのだろう。