お狐様のいうとおり 06
 だけどどうしてだか、短い時間ではあったが玉藻前の手で犬神を殺してしまうことに躊躇しているように思えるのだ。最も自覚などない上それを深く追求しようという素振りもない。
 犬神へと持ち始めている感情の正体に気付くことができたのなら、人を愛する気持ちを理解することができるのだろうか。妖狐以外と相容れることができるのだろうか。考えて笑止する。有り得ない話だ。
 恐怖と緊張で張り詰めていた中でほんの少しの甘やかしが功を奏したのか、犬神はたどたどしくはあったが饒舌に生い立ちからの今までを話してくれた。玉藻前は興味こそなかったが、なんとなしに耳を傾けてついつい聞いてしまっていた。
(……なにしてはんねやろなあ、この状況。うちはなにがしたいんかわからんえ)
 気付かされれば可笑しな話だ。蠱術をしているというのにこの体たらく、愛嬌のある犬神の容姿に唆されこんな有様になっている。確かに飴と鞭と決めたのは己だが少しばかり違うような気もした。
 だけどやめることはなんとなく憚られて、玉藻前は誤魔化すように空気を払拭することにした。
「犬神はん、お勉強のお時間はおしまいや」
 そう告げれば、ぴやりと犬耳が立って尻尾が萎縮した。勉強が終われば苦痛ばかりの蠱術が再開されると思っているのだろう。それも間違いだが。
 朝から労力の疲れることはあまりしたくない。玉藻前とて残忍な性格は持ち合わせているものの、基本的には快楽主義者だ。楽しいことの方が好きである。
 昨夜中途半端で終わってしまった淫事を思い出すとぞくりと肌が粟立った。妖狐は愛しむだけの対象なので淫事に手を付けたことがない。故に玉藻前が相手をするのはいつも妖狐以外だ。浚ってきたり、襲ってみたり、ときに人とも交わる玉藻前は雑食といわれれば雑食なのだろう。
 今まで相手をしてきた数々の妖怪や人の中で、犬神が一番玉藻前の好奇心と愛着心を擽った。偏に妖狐に酷似した犬耳と尻尾が関係しているのだろうが。
「昨日はえらい中途半端で終わってしもたさかいにな、ちゃあんと教えたらな可哀想おもてん」
 表面上の言い訳を盾にして、玉藻前は犬神を床に押し倒した。本音のところでは欲情したのだ、加虐と庇護の両方をそそられる犬神の容姿に。
「た、玉藻前……?」
「淫事のお時間や。お喋りはここまでえ」
 玉藻前は器用に犬神の着物の帯を解くと、体勢をうつ伏せにさせた。視界が天井から床になって戸惑う声が犬神から漏れる。相手の顔を見ても恐ろしさは拭えないが、顔が見えないのもまたよりいっそうに怖い。
 必死で後ろを向こうとする犬神の仕草に玉藻前はくすりと笑うと萎えかかっている犬耳を食んだ。
「あ、う……」
 妖狐のものと酷似していても大きさや形、立ち方や柔らかさなど細かいところは随分と違う。悪くはない感触だ。そのままやわやわとあやすように食みながら、肩にかかった着物をずらし背中を露にした。
 首元には昨夜付けた火傷痕が生々しく残るものの背中は綺麗な方だ。玉藻前がつけたのではない傷が多々あったが、それほど大きな痕もない。
(……これは人によるものや。こんな傷付け方は妖怪はしまへんな。よっぽど恨まれてたか……ふうん、それでも人を庇ういうんがほんに謎え)
 細かな切り傷を指でなぞってみるものの、犬神はひくりひくりと震えるだけでそれがなにを意味しているのかわかってもいないようだ。きっと犬神にとってはかなり昔のことで記憶にすらあまりないのだろう。
 悪戯に傷付けてなにをしたかったのか。この体たらくの犬神だったら矜持こそ辛うじてあっても人を傷付けたりしないだろう。人を騙すことで、傷付けることで、貶めることで悦を見出していた玉藻前とは正反対の存在だ。
「ふ……っく、ぅ……」
 くすぐったさが勝つのか、ぴくりと背中が跳ねると身を捩って接触から逃れようと蠢く。だが上から玉藻前が圧しかかるように力をかけては、ぴくりとも動くことができなかった。
 犬神の素肌の熱が着物越しに伝わって妙な感覚を覚える。温かさを認識したのは、どれぐらいぶりだろうか。
「えらいかいらし反応ばっかやねえ、あんさんは。そない淫事に耐性ないんえ?」
「だ、だ……て」
「犬神に触れる奇特ものなんておらんかったいうんえな? 蠱術で生まれた妖怪は毒持ちや言われて忌み嫌われとるもんな。まさか妖怪までそないなことに惑わされるなんて……田舎は悪習ばかりや」
 もごり、と口を噤んだ犬神の様子からしてみれば図星だろう。虫などの形は良く嫌われる存在に上げられるが、動物型は珍しい。
 玉藻前にとっては犬神も座敷童子も、天狗も鬼も、妖狐と狸以外みな一緒なのだ。一際愛情をかけて愛しむ特別な存在が妖狐で、見たら殺してしまいたいほど憎いのが狸。嗚呼、だけど犬神も特殊だった。初めは。
「……でも、我は南海道の妖怪だ。我の帰る場所は、あそこしかない、のだ……」
「愛国心でもあるいうんえ? ほんに阿呆らし。あんさん阿呆極まりないわ。待っているのは極楽いうんやないのにも関わらず、身を挺してまで守る価値があるんか」
「さあ、我にはわからぬ……けれど……待っているものも、いるから」
 犬神の心を唯一求めてくれる犬神たちがいる。側にいることはできないが人に使役した先で犬神のことを想っていてくれているのがわかるから、それだけでどんなことにも耐えられる。
 はしり、と唇を噛んだ犬神に対し玉藻前はそれ以上無駄口を叩くことをやめると、再び犬耳へと舌を這わした。
 べろりとなめ上げて先端を軽く噛む。そうして耳の奥に舌をねじ入れて愛撫してやれば、か細い喉から喘ぎに似ついた荒い声が漏れる。
「ぁ、う、……っく……」
 犬耳を唇で愛撫してやりながら、両手は背中を張って肩甲骨をなぞった。大食漢という割りには飢餓に苦しんでいたことが原因しているのか些か骨張った体つきだ。とても肉付きが良いとはいえない。どちらかといえば貧相に近く、とても頼りない背中だった。
 玉藻前はそのままゆっくりと手を這わせ腰の括れを柔らかく揉む。骨があたってごりごりとした感触を楽しみながらもっと下がれば犬神の体が大袈裟に揺れた。
 その下に触れられればどれほどの快楽を得るのかわかっているのだろう。緩やかに染まる体が少しだけ愛おしく思えた。
「大人しくしてたらなあんも痛いことはせえへんさかいに、ただ喘いでればええ話や」
 痩せこけた腰を揉む。触り心地は女の方が良いが、反応は男の方が好みだ。腰よりは肉付きの良い尻に触れて股に移動する。内股を際どいところでなぞれば、甲高い鳴き声が届いた。
「やっ、は……っ」
 どこが気持ち良いのか昨夜の淫事で少しは学んだようだ。期待しているのかそれとも嫌がっているのか、微かに揺れた腰に玉藻前は口端を歪ませた。
「なんや、ここは不満かえ? こっちの方がええの? なあ犬神はん、どこに触ってほしいんえ?」
 内股から手を離して、玉藻前は腰から前へと手を侵入させると少し浮かせて反応を見せかけていた中心に触れた。
 見目同様、やはりここが一番快楽を得易いようだ。わかりやすい愉悦に犬神は背中を仰け反らせると、大袈裟に喘いでみせた。
「ああ……っ」
 そのまま上下に軽く扱き硬度を持たせる。程よく硬さを保つようになれば先端を弄った。快楽を得れば得るほどに濡れた液体を出すそこから止め処なく先走りが溢れ、犬神の中心と玉藻前の手を濡らす。
 二体以外誰もいない密室では犬神の荒い息と濡れた音が響いていた。
「いやいやいうてもここは正直やなあ。犬神はんも淫事はやっぱり好きなんえな」
「ぁ、ち、ちが……我は、このような……っ」
「快楽に堕落することがそない怖いことかえ? うちには理解もできまへん。人を殺して得る悦も、妖狐を愛しんで得る悦も、仲間と酒を呑んで得る悦も、……こないな風に淫事で得る悦もみいんな同じや思いまへんのえ?」
「お、なじ……ではっ……」
「一緒や、一緒。妖怪も、人も、淫事には滅法弱い。そんで言うなら達するときが万有共に共通した弱点やいうのも知ってたかえ? 達するときが一番無防備や。あんさんでもうちのこと殺せるかもしれへんなあ?」
 殺させる気もないくせに、そう思ったが玉藻前の冗談のような茶け合いに、犬神はふっと力を抜いた。
 強張っていた体から力が抜けて全てを玉藻前に預けるような状態になった。きっかけがなんだったのか、わかりはしないが構えていなくても大丈夫だとそう直感的に思ってしまった。
 だから犬神は何度も人に騙される馬鹿だと言われるのだ。懲りない奴、と。
 それに気を良くした玉藻前が愛撫に優しさを込めるのがわかる。触れた先から快楽が広がって、全身が己のものじゃないような感覚までした。
 先ほどとは比べものにならないほどの愉悦を運んでくる愛撫に、今度こそ求めるという意味で犬神は腰を振った。
「犬神はん、なにしてるんかわかってやってるんえ?」
「ぁ、あ……」
 玉藻前の言う通りだ。快楽に抗う方が馬鹿馬鹿しい。受け入れてしまえば堕落していくだけの身なのだ。
 返事もしない犬神は一種の逃げにも近い。玉藻前はふるふると震えて限界にまで張り詰めていた中心から指を離すと、奥ばった箇所に触れた。
「くう、……た、玉藻前……」
「簡単にはイかせまへん。淫事の世界も飴と鞭や言いますやろ? ああ、犬神はんにはわかりゃしまへんな」
 鞭という言葉を聞いて痛みを思い出したのか、犬耳がきゅうと縮こまる。言葉に表さなくてもこんなにもわかりやすい。玉藻前は面白がって尻尾を掴むと、先端を甘く噛んだ。
「うぁあ……っ」
 先端は一番神経が集って過敏な場所だ。優しく、甘く、触れたとしても何十倍もの感度で掬い上げてしまう。
 痛みか愉悦かわからずに走った衝撃に驚くと、犬神の尻尾が三倍にまで膨れ上がった。
「妖狐よりはもっさりしてまへんなあ、でもわるうない触り心地や」
 愛しむように尻尾を毛繕いしてやりながら、玉藻前は犬神の腰を高く上げて妖油で濡らした指を後孔へと突き入れた。
 本来妖油とはこのような使い方をするのではないが、治癒目的の用途もあるので淫事に使えばあらゆる裂傷と痛みを和らげてくれる優れものなのだ。
 妖怪の治療を主に担い始めた鞍馬天狗が生み出した、鞍馬天狗らしい発明品だった。
(まさかこんな用途でつこうてるなんて思わなんだな。鞍馬天狗が知れば怒りはるやろか)
 ぬちぬちと音を立てて侵入した指を軽く前後へと動かす。昨夜受け入れたばかりとあってか多少腫れてはいるものの、受け入れることには問題ない。
 突っかかりもなく簡単に中へ誘い込むように内壁が蠢くと玉藻前の指を誘った。
「犬神はん堪らんやろ。この感触は癖になるとどうしようもないいいますしな」
 唇を噛んで愉悦に耐えようと踏ん張っている様が愛らしい。玉藻前はわざと音を立てながら内壁を強く擦り上げ、矜持を壊すように突き動かした。
「いっ、あ、あぁ、……っや、う」
 気持ちの良さと気持ちの悪さが織り交じってなんともいえない感覚だ。玉藻前はそれをわかっていながら、指を増やすと犬神の弱い部分を押した。
 ふくりと膨らみがある箇所を弄られると堪らなく気持ち良いと聞く。生憎玉藻前は受け入れる側にはなったことがないのでいまいちその衝撃を理解することはできないが、犬神の様子を見ていれば如何にそれが良いのかということは直ぐにわかった。
 激しく髪の毛を振り乱して唇を噛み締め零れた喘ぎで鳴く犬神。痛みによる支配で泣いて怯えさせて平伏させるのもそこまで悪くはなかったが、こんな風に愉悦でどろどろに溶かして服従させるのも案外悪くない。
 どの道犬神はもう玉藻前の掌中にある。逃げることもできずに。
「そろそろええやろ、昨日よりは柔らかなったなあ? もう痛くないんちゃう」
「は、はあ……っ……あ」
「だけど気ぃ張ってたら挿れにくいしな、ちょっと我慢してえや」
 玉藻前は犬神の腰を丁度良い高さに調節すると、着物の裾を広げて硬度を持った性器を取り出した。そうしてそのまま後孔へとぴたりと宛がい、手を顔の方へと持っていき口の中に指を入れる。
 すれば犬神は玉藻前の指を噛んではいけないと、口腔へと神経を集中させた。その隙を狙って一気に中へと突き入れ指を引き抜けば、瞬時にがちりと歯がぶつかる音がした。
 昨夜挿入したばかりといえども早々に突き入れるのには負担が大きかったようだ。拭えない痛みに唸った犬神は尻尾を膨れ上がらせると、強く歯を噛んだ。
 やはり指を引き抜いて正解だ。我慢しようと精神に自制をかけても、肉体は別物なのだから。
 玉藻前は痛みすら感じるほどの締め付けをやり過ごすと、犬神が馴染むまでそのままでいた。きっと玉藻前からしてみれば最大の譲歩だったのだろう。こんなにも甘やかすなんて妖狐以外ありえもしない事態だ。
 だけど悪くない。そう、悪くない。心地好くもある。
「犬神はん、よう覚えや。うちの形」
「な、……っ」
 直接的な表現に照れてみせるさまは少しだけ人と似ているかもしれない。今更照れるもなにもこんなことまでしている。
 犬耳を忙しなくはたはたと動かして瞼を伏せた。その様子から随分と落ち着いてきたことが窺えて、玉藻前は腰をしっかりと両手で掴むと内壁を擦るように動かした。
 受け入れることに慣れていない犬神の内部は熱くて絡み付いてくるようだ。逃がさないといわんばかりと表現するのが正しいのか、排除しようと蠢いているだけなのかそこはわからないが。
 卑猥な音を立て、ゆっくりと腰を上下すれば犬神の体がだらしなく下がって犬耳は伏せられた。
「あ、あ、っ……く、う……んん」
 愉悦を拾い始めたのか、人と違って妖怪はそこら辺りが便利でもある。痛みばかりを訴えるような柔なつくりはしていない。
 次第に腰を揺らし始めると玉藻前が突き上げる動きを真似るように締めつけ始めた。
 順応性だけは抜かりなく、そういうところは愛でても良いかもしれない。玉藻前は衝動的に犬神の前髪を掴むと、顔を後ろに向けさせた。
「ああ堪忍ねえ、犬神はん。舌出して」
「は、う……」
「そう、そのまま、じいっとしといてや」
 ぴったりと舌を絡ませ合うように、くっつけた。温度が混じって中和されるような気がするものの、初めから高い温度ではどちらが本物かわかりやしない。
 こうしていれば、なにか得体の知れないものが這い上がってくるような気がした。玉藻前の知らないなにかが、確実にじわじわと染め上げていっているようなそんな感覚だ。
 これをなんという表現で表せば良いのだろう。いえるのは、玉藻前にとっては恐怖にも似たものだった。
(こんなん、違う……うちやない……違う、うちは、なにがしたいんや……?)
 わからなくなっていく精神が遠く離れていっても、肉体は愉悦を求めて目の前の体を貪る。舌を絡ませ合えば抱きしめれば突き入れれば、気持ち良いことは考えなくてもわかっていた。
 意志とは反対に貪るように体を追い求めてしまう。愉悦で溺れたくて、必死になっていたのは玉藻前の方なのか。
「は、ああ、あぁ……」
「犬神はん、犬神はん」
「いっ、……ぁあ……」
 首を絞めても、犬神は嫌がる素振りをみせなかった。覗き込んだ瞳は悦に染まっているのかなにも映さない。恐怖も映さないのだ。
 このまま絞めてしまえば死んでしまうのだろうか。力が抜けていく玉藻前では、殺すことなんてできないのだろうけど。
 どうしようもない蠱術の闇にはまったのは、果たしてどちらなのだろう。
 愉悦ばかり追い求めて考えることを放棄して、堕落していくだけの二体にはそんなこと考える余裕もかった。ただただ目の前の存在に追い縋ることしかできなかった。