繋がれた尾 02
 レオを愛してしまったのは、偶然でもあり必然でもあった。
 黄道十二宮の中にはとある規律がある。破ってはいけないものではないが、なるべく黄道十二宮の住民とは関係を持たないという掟が存在していたのだ。悦楽だの興味だので黄道十二宮の星座と関係を持てば後々厄介なことになるからだ。
 それ故黄道十二宮の星座が性的な関係を築くのは、いつも南北の星座とばかりだった。
 社交性に乏しく閉鎖的でもあるピスケスも出会いこそ求めていなかったが、誘われる度に外に出てそれなりの息抜きはしていた。見目だけならば儚くも美しいピスケスは引く手数多だった。
 だから黄道十二宮の星座とそういった仲にならないように気を付けていたピスケスにとって、己がそのルールを破ってしまうなどとは夢にも思わなかったのだ。
 変動もなにもない世界でこっそりと息を吐くような、そんな時間だけが膨大にある瞬間の中で色を探していたピスケスにとって、レオと契ってしまったことは衝撃的な出来事でもあった。
 いつも通り巨蟹宮で属性会議を開き、水の加護に覆われたピスケスは心地好い気分で帰路に着いていた。散歩がてらに遠回りしようか、そんな気分で逆回りに帰ってみれば獅子宮の前に出る。
 相変わらず豪華絢爛な建物だと、しみじみと外観に目を奪われていれば重鎮な扉がギイと開きレオが姿を現した。浅く広がるような美しさを象徴とするピスケスと違い、レオは燃え上がる炎のような美しさだ。
 目に痛い金と緋色がピスケスの世界に色を増やして余りの眩しさに目を細めた。
「ピスケス……?」
 驚いた表情のレオと目が合う。レオとそれほど打ち解けていないピスケスは会ってしまった、と後悔してしまうももう遅く、立ち去るタイミングさえ失ってしまった。
「相変わらず派手だな、レオ……」
「それが俺の個性だろ? それよりお前なにしてんの、ここで」
「少し散歩をしようと思って通っただけだ。属性会議の帰りで」
 話す間にもずかずかと近寄ってきたレオはそのままピスケスを抱き込むほどまでに距離を縮めると、血色さえ隠してしまう白の頬に指を滑らせた。
 属性会議で得た加護がレオの持つ属性の火と反発してちりちりと小さな電流になる。
 思わずむっと眉を顰めたピスケスであったが、レオはなにが楽しいのかにこにことした表情を浮かべるとそのまま両の手でピスケスの頬を包んだ。
「ぴりぴりする」
「……知ってるだろ、属性の」
「それよりお前散歩する暇あるんなら酒呑む暇もあんだろ? こいよ、俺すっげえ暇してたんだ」
「俺は帰る」
「じゃあ今だけは獅子宮がお前の宮ってことでさ」
「おい、俺は帰るって」
 ぐいぐいと手を引かれ有無を言わさず獅子宮に連れ込まれる。レオの強引な行動にピスケスは抵抗する間もなかった。ピスケスはレオのこういうところが苦手なのだ。
 星座に数があれば性格もその分だけ数がある。相性の良い星座だって相性の悪い星座だっているのだ。
 ピスケスは好き嫌いする性格ではなかったが、一歩後ろで控えているような性格だったために強引で自己中心的で進んで前に出るようなレオの性格とは反りが合わなかった。
 仲が悪い訳ではないが仲が良い訳でもない。相性も良くない属性だったため長い時の中一緒になることなど滅多になかった。
 レオはこう見えても星座一寂しがりやなのだ。ふと寂しさを感じたときにたまたまピスケスと会ったから手短に解消しようとして連れ込んだだけなのだろう。
 慣れない空間で打ち解けていないレオと酒を呑む。進まれたものではないが、寄り添うようにして楽しそうにぺらぺらと喋るレオに引き摺り込まれるようにしてピスケスもほどほどに呑まされた。
 獅子宮にある装飾品も家具も酒も全てが目に痛いほど豪華である。ピスケスは慣れない酒の味に最初こそ戸惑いをしたものの、意外と舌に合ってしまった故かいつしか進んで呑んでしまっていた。
 ほんのりと酔っ払って思考も蕩けてしまった頃、肩に掛かる重みではっきりとする意識。視線をずらせばレオが甘えるようにピスケスにしなだれかかっていた。
 本能がやばいと告げる。レオに気付かれないようにと拒絶の意を表して身体を押し退けてはみるものの、少しの隙間もできればレオは更に距離を縮めるようピスケスの身体に寄り添った。
 骨張った指先が腰を撫ぜる。息を詰めてやり過ごそうとしてもその動きは止まることがなくて、このままではピスケスが一番なりたくなかった関係へと発展をみせようとしていた。
 逃げようかと、そう思ったピスケスを捻じ伏せるような言葉を掛けるレオ。はっきりと断ることができないピスケスの性格を知っていての言葉にも思えた。
「寂しいんだ、ピスケス」
 どくんと鳴る心の臓。煩く上下するのを隠すよう胸に手を当てて誤魔化した。
「おい、酔ってるのか? やめろよ、こんなこと……。レオなら相手たくさんいるだろ」
「そういうの、好きじゃねえから」
「……じゃあ、この手はなんだよ」
「わかんねえの? ピスケスが特別だって」
 耳に囁くよう紡がれた言葉。背筋に走った電流があまりに甘く蕩けて、ピスケスは突っぱねていた手の力が急速に失われていくような感覚に囚われた。
 このままでは引き返せない。頭でわかっていても、身体が言うことをきかない。
 その内にも意思を持った指先は怪しげに蠢いて、ピスケスの理性を粉々に砕こうとしていた。
 ピスケスとて軽い訳ではない。星座に憧憬されてはいてもあまり出向かない所為かそういったことに出くわさないので、意外とこういったことには慣れていないのだ。
 断り切れる自信がないからそういった雰囲気になるようなことを避けているともいうのだが。
 だからまさかレオがこんなことを言うだなんて予想にもしてなかった。
「好きなんだ、ピスケスが。ずっと良いなって思ってたけど、まさかこんなチャンスあるなんて思わねえし」
「レオ……」
「すっげえ寂しい……。それ解消できるのお前しかいねえんだ。だからピスケス、受け入れろよ」
 強引に圧し掛かられる。寂しげな瞳でピスケスしかいないと言ったレオに、ピスケスはそれ以上抗うこともできずに受け入れてしまった。
 レオに想いを馳せていた訳でもなく、ただピスケスが好きだと言った瞳があまりにも綺麗だったから、ピスケスは受け入れただけなのだ。最初は、それが理由だった。
 それからずるずると続く関係。レオはピスケスが思っていた以上にピスケスを大切にしてくれた。
 いつかきっと終わりがくる。そんな風に考えて本気にならないようにと気を付けていたピスケスも、気が付けばどうしようもないほどレオに依存してしまっていた。
 なにかに惹かれた訳ではなく、心がどうしようもないほどレオを求めていた。ピスケスが落ち込んでいるときや塞ぎ込んでいるとき、自己犠牲愛に浸り過ぎたピスケスを救い上げてくれたのはいつもレオだった。
 夢見がちな性格も、引っ込み思案なところも、全てレオは受け入れてくれる。愛してくれる。レオに惚れないという方が無理な話だったのだ。
 降り注がれる重いくらいの愛を浴び続けた。幸せだった。火と水だから相性が良くないけれどそれ以上にピスケスとレオは急速に近付いた。
 狭い世界、その噂が回るのはあっという間だ。みんな無関心ながらも祝福してくれて、それなりに幸せな時間は長く続いた。寂しい寂しいというレオに引き摺られるようにして獅子宮に入り浸っていたのを、スコーピオだけは良い顔をしなかったけれど。
 なにもかもが順風だった。順風過ぎたのだ。
 レオの愛でひたひたに満たされた心の器はなびく様子もなかったから、まさかレオの方が不安になっているだなんてピスケスは思いもしなかったのだ。

 黄道十二宮以外にも存在する世界は主に二つに分けられていた。北の二十一星座郡に南の十五星座郡。全てを合わせた世界をトレミー四十八星座界とも呼ぶ。その星座たちが主にピスケスの世界を構成していた。
 北と南の星座は身分の関係で黄道十二宮に入れることはないが、その逆は可能である。黄道十二宮の中でも格別の美しさを誇るピスケスではあったが、元々が持つ星座の力が弱いために北と南の星座とは仲が良かった。
 それ故たまにではあるが黄道十二宮を出て、南北の星座たちの元に遊びに行っていた。それがレオは気に食わなかったようだ。
 独占欲が強く束縛したがりの寂しがりやなレオは常に己を一番にしてくれないと嫌だと言った。ピスケスはレオの言う通りにしていたつもりであったが、与えられる愛の大きさに依存しつつも辟易していた部分もあったのだ。
 どちらかといえば共依存のような関係にピスケスだけが深みにはまって抜け出せなくなっていた。
 すでに歪は、レオの器にヒビを入れていたのだ。
「ピスケス、今日どこ行ってたんだよ」
「北の方に行っていた。あっちもいろいろあるらしくって、な。頼られるってのはやっぱ嬉しいもんだよな」
「また? 最近行き過ぎじゃねえの」
「今が活発な時期だからだろ。じきに南の方に移るさ」
「そしたらお前は南の方に行くんだろ? あいつらだって独り立ちしてんだよ。そうそうお前が手助けしてやる必要もねえんじゃねえの」
「でも、俺を頼ってるんだぞ」
「……浮気してねえよな?」
「する訳ないだろ」
 季節が冬に差し掛かる頃、北の星座はなにかと忙しくなる。それに伴い相談を持ち掛けられていたピスケスは、獅子宮を空けることが多くなった。
 レオを独りにしたら寂しがる。わかってはいたのだが、レオはピスケス以上に交友が多いため心配無用だと思っていたのだ。
 ピスケスとレオの間に愛慕が混じろうとも生活リズムは変わらないと思っていたから。それが最初の間違いだった。
 きっとピスケスは疲れていたのだ。
 北の星座に頼られるのは嫌ではない。だが頻繁に顔を出すことは少し疲れることでもあった。それを嫌だといえないピスケスが悪いのだが、言える言葉もなかったのだ。
 それに加えてレオの束縛も、愛の重さも、ピスケスにとっては疲労に繋がるものであった。
 依存度が高いピスケスではあったが、独りの時間も必要だった。なににも縛られることなく、独りで息を吐く自由な時間。
 ふらふらといってしまいがちなピスケスは、なにかに影響されることのない時間で呼吸をしているようなものなのだ。
 このところ喧嘩ばかり増えた。寂しがりやなレオと一緒にいてあげたいと思う反面逃げ出したいという衝動にも駆られている。それ故ぶつかってしまったレオとピスケスの間には次第に溝ができ始めていた。
 ぴりぴりとした空間。交わす言葉も格段に減って、身体だけを重ねる日々。終われば直ぐに逃げ出してしまうピスケスに不安ばかり募らせるレオ。
 また顔を合わせれば修復する時間も持たずにセックスへと傾れ込む。どうしようもない負の循環だった。
 与えられる愛の大きさがあまりにも重くてピスケスは怖かったのだ。依存すればするほど抜け出せなくなってしまっていて、レオがいない生活は考えられなくなっていく。
 だから少しでもレオがいなくなった世界を想像して、耐えることばかり考えていた。終わってもいないのに終わったことばかり考えていた。
 今を大切にしたいレオと未来に怯えているピスケスの関係は最初こそ上手くいったものの、この時期になるともう修復すらできないほどに雁字搦めの状態にまでなってしまっていたのだ。
 そんなレオとピスケスの関係が粉々に崩れて、二度と元に戻らなくなってしまったのはピスケスの弱さが原因だった。
 レオに非はなく、ピスケスに非がある。最低なことをしてしまった。露見されたとき傷付いたであろうレオの表情が今でも忘れられない。動揺を隠し切れていない瞳と、震える唇。泣きそうに歪められた表情で紡がれた最後通牒。
「……ピスケス、俺たち、別れた方が幸せになれる」
 その言葉が今もピスケスを縛り付けて苦しめていた。自業自得だとわかっていても、それでもやり直したいと心が叫ぶのだ。
 別れたくないと言った。捨てないでと縋り付いた。泣いても許しを乞うても、レオは頑として首を縦には振らなかった。
 ピスケスが犯してしまった過ちは深く根を張って、レオを蝕んだ。傷付けた。二度とは戻らない関係の決定打に変わったのだ。
 失ってから初めて気付いた愛の消失にピスケスは想像よりも苦しいのだと初めて知り得ることができた。知りたがっていたくせに、いざそうなってしまうとピスケスは呼吸の仕方までわからなくなった。
 なにもする気が起きない。生きているのさえ意味をなくしたようだ。
 レオがいなくなって空いた穴は塞がる術もなく、ピスケスを堕ちるところまで堕ちさせた。レオに依存していた分どうしようもなくなって、なにもできなくなったのだ。
 逃げ道は酒池だった。溺れて、溺れて、息すらできなくなる。泣いても苦しくなっても寂しくなってももうレオは手を差し伸べてはくれない。ピスケスを見てはくれない。失ってしまった。なくしてしまった。
 愛しさばかり募ってピスケスは殻に閉じ篭るように、双魚宮に引き篭もった。
 ピスケスが全て悪い。どうして犯してしまったのだろう。どうして平気だったのだろう。レオのことも考えずに、どうしてどうして。そればかりピスケスに蓄積されていって、色をなくした世界で生き続ける。
 きっといつかピスケスが滅びるときにしか、許されない罪なのだ。果てしなく遠い未来。ピスケスはレオ以外、愛することすらできそうにもなかった。

「レオ……」
 夢を見ていたピスケスは何度か瞼を震わせるとそっと押し開くように目を開けた。眩い光に細めて見た世界は、いつかの懐かしさだけを湛えてピスケスの瞳に届く。
 過去の過ちに未だ囚われているピスケスは度々苛まれるようにして悪夢を見た。現実だった過去はピスケスを許さないのだといわないばかりに記憶を鮮明にして掘り起こされるのだ。
 きっと、レオと久しぶりに過ごしたからより鮮明に思い出されてしまったのだろう。
 目を閉じれば直ぐにでも幸せな記憶は蘇るのに、レオの表情は傷付いたものばかりしか思い浮かばない。これがピスケスのした行動の戒めだったのだ。
 詰めていた息を吐く。酒で掠れた吐息は思ったよりも熱くて、ピスケスは呑み過ぎてしまった所為か頭が響くのを感じていた。
 昨日の記憶が全くない。元々獅子宮の酒はピスケスの体質とは合わないのだ。味は美味しいが多く呑むものではない。属性が違えば好みも違う。反する属性だからこそ反発し合ってしまうのだろう。
 引き攣った身体を起こそうとしたピスケスであったが、ふと感じた重みに目を見張った。
 懐かしくもあり胸を痛ませるだけのレオのベッドでピスケスは眠っていた。酒に酔って潰れてしまったであろうピスケスを介抱してくれたのか、傍らには寄り添うようにしてレオが眠っていた。
 普段は威圧感の与える面持ちをしているレオも眠っているときだけはあどけない表情だ。思わず震えた指先でそっと頬を撫ぜてみる。だがレオの睡眠は深いのか起きる気配もなかった。
「……レオ、レオ……」
 溢れ出た想いに蓋をしたつもりでも直ぐに満たされる愛慕は蓋を押し上げてしまう。
 ピスケスは殺した息で、レオの懐へと身体を忍び込ませた。レオが目覚めてしまえば解けてしまう儚い夢。少しの時間でしかなくとも感じていたい。
 レオにはピスケスではない星座を想っていて、ピスケスは過去の星座なのだ。それでもピスケスにとっては今でさえ愛しい存在。
 願わくは少しでもこの時間に浸っていたい。
 心も腕も想いも全て白羊宮の彼にあるというならば、目が醒める間の時間だけはピスケスのものであってほしい。だから後少しだけ、目を覚まさないで。
 苦しくなる呼吸に視界がぼやけたピスケスはこのまま融解されてレオの一部になれたら良いのに、と、叶わない願いばかり乞うてしまうのだった。