繋がれた尾 04
「く、う……っぁ」
 内臓が押し上がって引っ張られるような感覚だ。久しく使う用途のなかったそこは、引き攣った痛みを訴えながらもどこか懐かしい愉悦に悦んでいるようでもあった。
 後ろから圧し掛かられ、ぴったりと密着した肌から伝わるレオの心音がばくばくと背中を通じて聞こえてくる。
 ピスケスは未だに現状を良く理解しないまま、ただ与えられる快楽に思考まで溶かされていくようなそんな感覚を覚えていたのであった。
「ピスケス、集中しろ……」
「ひっ、あ、ぁ、……っ」
 浮ついた熱を落ちつかせるようにレオの腰がぐっと奥に進む。馴染んでいないそこは微かな痛みを齎すとピスケスの思考を奪った。
 異物を押し返そうと躍起になる肉壁を難ともせず、レオは性器を自由に動かすとスピードを上げて摩擦を繰り返す。痛みと愉悦が交ざってぐちゃぐちゃだ。
 レオと最後に契ってから誰も受け入れなかった。文字通り殻に閉じ篭っていたのだ、ピスケスは。だがレオは違う。幾星座もレオを通り過ぎていったのだろう。
 それでも昔と変わらない癖を探してピスケスは安堵しているのだ。
「レ、オ……っ」
 セックスのとき後ろから突くのも、鋭い歯で肩を噛むのも、ゆらゆらとたゆたうピスケスのヒレに頬を寄せるのも、尻尾を太股に巻きつけるのも全て変わらず、今こうしてピスケスに与えられる昔の記憶なのだ。
 ぴりぴりと焼け付くような痛みを知らせてくれるピスケスの指先をレオが掴む。触れた先から広がる麻薬のような痺れに、ピスケスは酩酊に似たものすら感じた。
 苦しいまでの圧迫感に襲われていた内壁も次第にレオの形に馴染み始め、愉悦を貪るように絡み付いていく。
 滑りが良くなったレオは焦らすよう浅い抽送を繰り返すと、一気に奥深くまで突き上げた。あまりの快楽は上限すら見えずにピスケスを快楽の底へと突き落とす。
 過ぎた快楽に怯えを見せたピスケスが逃げるように腰を引くと、その腰を掴まれ性器をぐっと押し込められる。
 まるで天国のような地獄。ピスケスははくはくと呼吸すらままならないほどの喘ぎを漏らしながら頬をシーツに付け、ただ受け入れることしかできずにいた。
「ふ、ぁ、あ、あ……っあ」
 引っ切りなしに漏れる蕩けたような声音と、結合部からなる卑猥な音。それだけがこの空間を支配する。
 慰めの言葉も良い訳も、愛の言葉もましてや罵りさえもレオはなにも言わない。ただ寡黙のまま激しいほどの劣情をピスケスに押し付けているだけなのだ。
 目尻に溜まった涙が、垂れた唾液と混じってシーツに染みを作る。
 愉悦だけの世界で早くも白んできた視界に、そういえば、とピスケスは記憶の糸を手繰り寄せたのである。
 どうしてこうなったのだろう。ぼんやりと、徐々にはっきりと、浮かび上がってくる記憶の断片にピスケスはこうなった経緯を思い返したのである。

 倒れるようにして意識を飛ばしてしまったこと、それだけしか覚えていないピスケスは徐々にクリアになっていく意識を脳で感じ取っていた。
 そうして指先に鋭い痛みを感じて飛び起きるように目覚めたピスケスは、目の前でびっくりしたように目を丸くしているレオを見て同じように目を丸くさせて驚いたのである。
「レ、レオ……?」
 だがそれも一瞬で、レオは直ぐに不機嫌そうな表情になると大きな溜め息を吐いた。
「……一応手当てはしといたけど、元通りになるかは知んねえ」
「え?」
「指先、お前爛れてただろうが」
「……あ」
 レオの言葉にここにきた経緯を思い出すと、ピスケスは己の指先に視線を落とした。そこには不器用ながらも手当てしてくれたのか、少々ひしゃがれてはいるものの白い包帯が巻かれてあった。
 ここまで大袈裟にしなくともあの光に触れたとてその瞬間は酷いものだが、あれで負った怪我は直ぐに再起するのだ。もちろんそんなことは口に出せる訳がない。何故知っているのか、と言われるからだ。
「……あ、ありがとう」
 誤魔化すようにそう言ってピスケスはまた視線を落とした。
 光に当たって白く光る包帯はレオが巻いてくれたものだ。それに愛おしさを感じるものの、白を見るのは辛いものがある。包帯ですらピスケスを悩ませるだなんて重症にもほどがある話だが。
 白羊宮のアリエスが嫌いな訳ではない。長い時の中それなりに親しくしてはきたのだ。だが、レオに関してのことだけはどうしても受け入れることができずにいた。
 包帯を見つめて無言になったピスケスがあまりに酷い表情を湛えていた所為だろうか、レオが現実に戻すようにピスケスのヒレを引っ張った。
「っ、う」
「もうしねえって約束するか?」
「……し、しない。する訳、ないだろ」
「そういって、騙してんじゃねえだろうな」
「本当だ。……その、心配かけて悪かった。ちょっと酒に酔ってたんだ。最近、呑みすぎてたし、その、スコーピオにも言われてたから……自粛する」
「ならいいけどよ」
 半信半疑なのだろう。レオはどこか腑に落ちないような表情を浮かべながらも一応は信じたのか、安堵の息を吐くとピスケスの隣に腰をおろした。
「ったく、……倒れたとき、死んだのかと思った」
「死ぬ訳ないだろ。……まあ、その、倒れたことは俺も驚いたけど」
「自己管理できてねえの? 酒ばっか呑んでっからだろ」
「……う、ん」
 心配気に語りかけてくるレオの空気が甘く、蕩けるようだ。お互いの間にあった気まずさもどこかになりを潜め、穏やかに言葉を交わすことができている。
 だがどこかうわの空のピスケスはレオの心配そうな声は感じ取れても、レオがなにを喋っているのか全く持って理解ができずに耳から流れていっているような状況でもあった。
 空気を伝ってくるレオの雰囲気にピスケスは場違いながらも、どきどきと心の臓が鳴ってしまうのを抑えることができずにいたのだ。
 その態度があまりに不自然だったのだろうか。視線を泳がせているピスケスにレオは訝しげな面持ちになると落ち着きを見せずいつになく活発になっているヒレをむんずと掴んだのであった。
「おい、話聞いてんのかよ」
「ちょ、っと、そこ強く引っ張るな」
「あ? 痛いの?」
「痛いっていうか……レオだって尻尾引っ張られると痛いだろ」
「引っ張る奴いねえし、わかんねえもん」
 楽しげにふりふりと揺れる尻尾がピスケスの視界でちらちら動く。髪の毛同様金のそれは尾の先がふさふさしており、太陽の匂いがすることをピスケスは知っていた。
 懐かしさに駆られて思わず手を伸ばし、触れることすら許されなかった境界をピスケスは侵した。
 両手に収まるほどの先端はピスケスの手に触れるとぴくりと震えた。そのまま嫌がるかと思えば喜びを現すように絡み付いてきたのだ。
 そのときの嬉しさといえば言いようがない。思わず感動までしてしまったピスケスは嬉しそうにはにかむと尻尾を撫ぜた。
 まさにそれがきっかけだったように思う。ふ、と影を落としたレオにどうしたのかと顔を上げれば頬にレオの指先がかかったのである。
 まるで愛しむように何度も頬骨を撫ぜると、どこか苦しいような懐かしいようなそんな複雑な顔をした。
「レオ……?」
 願ってはいたのだ。与えられること、受け入れてもらえること。だけどそれがいざ現実となって目前に突きつけられるとピスケスはどうして良いのかわからなかった。
「そういうのは嫌いだっつって、言ったのは俺なのにな」
 近付いてくる唇に、自嘲めいた言葉。ピスケスはたいした反応をみせることもないまま、レオの唇を甘受してしまっていたのである。
 脳内ではどういった意味のキスなのだろうか、と考える余裕をもっていたのもほんの初めだけだ。情熱的に激しさを増してピスケスを深く求めようとするレオに、ピスケスも耐えることができず、思考を投げ捨ててレオの背にしがみついてしまったからだ。
 どこかでやめなければいけないという思いを抱えながらも止められる術もなく、ただ流されるようにしてシーツに折り重なる身体。元より求めていたのはピスケス自身だ。抵抗の理由さえない現状突っぱねるはずの腕は首に絡みついている。
 抱いてほしいから、受け入れた。熱を受け入れたいのだ。
 本音を隠して上塗りされた想いも真実で、だけどこの行為の理由を聞いてしまえばレオが止めてしまうのではないかと、それが一番の不安だった。
 少しでも長引いてほしいなどと思いながら、ピスケスはレオの全てを受け入れた。
 手繰り寄せた記憶の通りに行為を進めるレオ。触れる指先の動き一つでさえ変わりなく、ピスケスとレオを遥か昔に迎え入れてくれたようだ。
 愛しいという想いだけで繋ぎとめていた輝かしい時間が蘇る。そう感じていたのはレオもだからこそ、夢中になって言葉も交わさずに求め合った。
 身体中くまなく探られて、舌を這わせられる。その間にピスケスもレオの身体を弄って熱を上げる。
 どこもかしこも溶かされていってどろどろになって繋がって、疑似体験のような融解にはまったピスケスは考えることを放棄してレオの良いように動いた。
 本当は好きだと、叫びだしたかった。想いは溢れ返るばかりで内々で鬩ぎ合い、発散できる術もない。身体ばかり軽くなって、何度目かの精を吐き出したときピスケスは指先一つですら動かすのが億劫になっていた。
「は、……ピスケス……」
 レオが司る獅子同様見境のなくなった欲に上限などない。未だ衰えることを知らないレオの性器は硬く張り詰めて、ピスケスの中から出て行く素振りもみせないのだ。
 虚勢を張って腕で身体を支えていたものの、何度目かもわからない解放にピスケスは弛緩していく身体に力を込めることすら困難になっていた。
 投げ出された腕はシーツを掴み、上体はだらしなくも崩れ落ちたまま。気を張って下肢を支えている股でさえ、ふるふると頼りなく震えているのだ。
「レ、オ……も、……これ、以上は」
 無理だ。そう言いたいのに性器に伸びたレオの手が萎えかけたそれをぎゅっと握り締め、硬度を持たそうと緩やかに動く。
 身体はとっくの前に限界を迎えているはずなのにも関わらず、レオに触れられればまたはしたなくも上を向いた性器が、まだ貪欲に愉悦を貪ろうとしていた。
 終わりの見えない蕩けるような行為に、ピスケスは酷い眩暈すら覚える。
 硬く張り詰めた切っ先がピスケスの内壁を擦り上げ、限界すら過ぎた愉悦を引っ張り出してくる。呼吸すらまともにするのも億劫になっていたはずなのに、ピスケスはまたそれで熱を高めるのだ。
 室温の上がった部屋で獣のように交じり合う。見境すら失った先にあるのは、たった一つの解放のみ。
 マーブルのように混沌とした心が痛いと訴えるのを無視して、ピスケスはレオの気が済むまで爛れた情事に付き合うのであった。

 どさり、とシーツに沈む手。そのまま這いずるように出た性器の余韻にピスケスの後孔がひくりと動いた。
 長い時間受け入れ続けた所為だろうか最初は異物に違和感を覚えていたものの、今となっては異物がないことの方が違和感だ。
 ピスケスは気だるげな様子で振り返ると、罰が悪そうな顔のレオを見て息を詰まらせた。
 セックスをしたからといってまた昔のように愛し合える訳ではない。そう、レオにとってはただの気まぐれにしか過ぎなかったかもしれないのだ。
 懐かしくなって褥を共にした。ただそれだけ。
 ずきずきと胸は痛むけれど慣れたからこそピスケスは奥歯を噛んでやり過ごした。見ない振りをするのも平気な振りをするのもピスケスには造作ないことだ。
 シーツを握り締めてピスケスは声を出した。思ったより平淡な声になってしまったが、震えは出ていない。これなら。
「レオ、その、気にするな」
 黙ったまま俯いていたレオが顔を上げる。訝しげな視線でピスケスを見るさまは、まるで睨んでいるようにも見えた。
「今日のことは忘れる、し、……俺から誘ったようなものだから、その、気に病むことはない」
「……なあ、それ本気で言ってんの」
「ああ、……思い出、作ってくれたんだろ? レオは、優しいか、ら」
 そこまで言いかけてピスケスはそれ以上言葉を紡ぐことができなかった。射ぬかんばかりにレオが睨んできたからだ。これには饒舌になっていたピスケスも口を閉じざるをえない。
 もごもごと居心地悪そうに舌は動いたけれど、それでも怒ったようにピスケスを見るからもうなにも言えなかった。
 ちくちくと刺さるような痛い空気。重く張り詰めたこの瞬間呼吸一つすら気を使う。先ほどまでの甘く蕩ける蜜のような時間が信じられないくらいだ。
 大きく嘆息を吐いたレオが先陣を切り、低い声で紡いだ。
「なんもわかってねえな、お前は。……俺が、言葉足らずな所為もあるんだろうけど、お前はわかろうともしねえ。自己犠牲ばっかりして全て背負い込もうとしてさ……」
「ご、ごめん。……俺、鈍感だから、……レオのこと、わかろうとしてもわからないんだ」
「……つーか許した訳じゃねえから、昔のこと。それに自分のこと傷付けんのも気に食わねえし、必死で気持ち隠して近寄ってくんのも気に食わねえ」
 存外に出た言葉にピスケスはしょんぼりと肩を落とすと、小さく謝罪の言葉を紡いだ。レオが迷惑しているとわかっていたのにいざ言葉にして言われるときつい。
「ごめん……アリエスとの、邪魔して……わかってるけど……」
「わかってねえじゃん。つーかそもそもアリエスとは……」
「え……?」
「……別に、なんでもねえよ!」
 拙いという感情をありありと顔に浮かべたレオはそれを隠すようにベッドにごろりと寝転ぶと、ピスケスの股に頭を置いて腰に腕を回した。その行動は昔、寂しがりのレオが良くとっていた行動だ。
 大胆に甘えることに羞恥があるのかレオはなかなか甘えてくれなかったけれど、それでも時折こうしてピスケスの温度を浚うように甘えてくることがあった。
 過去を思い出してほんのりと温かくなった心にピスケスは微笑を漏らすと、見目より指通りの良い髪の毛を優しく撫ぜた。
 この些細な時間がなによりも愛おしい。コンマの世界も浸ろうと甘い空気に酔っていたものの、それは予想よりも早く終焉を見せてしまったのだ。
 支配下にある宮でないと気配には鈍感なものだ。支配下にある宮でも同じ属性なら鈍感になる。それが偶然重なって、ピスケスにもレオにも気付かれずに侵入を果たした星座はいつものように慣れた仕草で扉を開くと元気な声音で入ってきたのだ。
「レオーって、レオ……!?」
 そうそれはピスケスの心を掻き乱して、憎しみさえ生もうとしているアリエスだった。